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無限インベントリで世界を変える ~収納魔法はチートです~  作者: 華詩手


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第二槽を止めろ



 赤い目が、水しぶきの向こうでぎらりと光った。


 第二槽の鎖が軋み、いまにも外れそうな音を立てている。


 その下では、水棲の魔物が一匹、足場を蹴ってレイナへ飛びかかっていた。


「レイナさん!」


 ルークはほとんど反射で手を伸ばした。


 狙うのは魔物そのものじゃない。今から噛みつかれる、その一瞬の“位置”だ。


「任意座標展開!」


 レイナの目の前、魔物の大きく裂けた口の真正面に、楕円形の収納口が開く。


 ぐぼっ、と鈍い音がして、魔物の頭から首もとまでがそこへ突っ込んだ。


「今です!」


 レイナが叫ぶ。


 怖がっている暇もない。杖を握った両手に力を込め、そのまま横殴りに振り抜く。


 がつん、とまたしても良い音がした。


 頭を半分ほど収納口へ突っ込んだまま殴られた水棲魔物が、派手に足をもつれさせて横の手すりへ激突する。


「レイナさん、その殴り方ちょっと慣れてきてない!?」


 ルークが思わず叫ぶと、レイナは真っ赤な顔で言い返した。


「慣れたくて慣れてるんじゃありません!」


「そこはそうだろうな!」


 だが、その一撃で十分だった。


 水棲魔物は手すりを壊しながら半身を水へ落とし、その隙にレイナが後ろへ飛び退く。


 助かった。


 けれど安心する暇はない。


 ごうごうと唸る水音がさらに大きくなっていた。


 第二槽の鎖を引く男たちが、上段の足場で必死に鉄棒を回している。


「ルーク!」


 カナンの声が飛ぶ。


「上だ! 上止めろ! こっちは何とかする!」


「そっちもかなり何とかできてない感じだけど!?」


「そういうのは後で言え!」


 叫び返しながらも、カナンはちゃんと動いていた。


 マルクの短剣を受け流し、肩をぶつけ、狭い足場の上で無理やり相手の軸をずらす。


 派手さはない。だが、危ない場所ほど強いやり方だ。


 ルークは歯を食いしばった。


 いま優先すべきは、第二槽。


 あれまで開いたら本当に終わる。


「レイナさん!」


「はい!」


「下の魔物、少しだけ足止めできますか!?」


 レイナは水際を見て、ほんの一瞬だけ迷った。


 それでもすぐに頷く。


「やります!」


 その返事に、ルークも腹が決まる。


「無茶はしないで!」


「それ、ルークさんが言いますか!?」


「言う!」


「説得力がありません!」


 そのやり取りに、ほんの少しだけカナンが吹き出した。


「そこ、今やる会話じゃねえだろ!」


「でもちょっと安心する!」


「それは分かる!」


 重たい水音の中でも、三人の声がちゃんと重なる。


 ルークはそのまま上段の足場へ走った。


◇ ◇ ◇


 第二槽の鎖車は、第一槽のものよりさらに大きかった。


 古い木台に鉄の歯車が組まれ、その周囲を太い鎖が何重にも巻いてある。


 作業着の男が三人、必死に鉄棒を押し込み、留め具を外そうとしていた。


「止まれ!」


 ルークが叫ぶ。


 だが、止まるはずがない。


 一人が振り返りざまに鉄棒を振り上げる。


 ルークはそれを身を低くしてかわし、そのまま足元へ収納口を展開した。


 男の片足が沈む。


「うわっ!?」


 体勢を崩した男を、ルークは肩から突き飛ばす。


 だが残り二人は止まらない。


「マルク! こっちはもう――」


「続けろ!」


 叫んだのは、マルク本人だった。


 カナンと短剣を打ち合わせながら、それでもこっちへ指示を飛ばしてくる。


「第一槽だけでは足りない! 全部流せ!」


「ほんとに性格終わってんな!」


 カナンが吐き捨てる。


「東部詰め所で書類運んでた時の方が、まだ人間味あったぞ!」


「黙れ!」


 マルクの短剣が鋭く走る。


 カナンが横へ飛び、細い足場の柵へ片手をかけて体勢を立て直した。


「うわ、危なっ……!」


「カナンさん!」


 レイナが下から声を上げる。


 彼女は足場の縁で杖を構え、水際から這い上がろうとする水棲魔物を光で牽制していた。


「《ライト》! 《ライト》!」


 連続で放たれる光球が、赤い目を焼き、水棲魔物たちの動きを鈍らせる。


 だが、数は減っていない。


 水の中で、まだいくつも赤い光が揺れていた。


「ルークさん! 長くは持ちません!」


「分かってる!」


 ルークは歯を食いしばり、鎖車の木台へ手をかざした。


 全部を壊す必要はない。


 留め具を支えている、要の部分だけ。


 そう思って意識を集中しかけた、その時だった。


「それ、させないわよ」


 白布の女の声が、すぐ横で響いた。


 近い。


 さっきと同じだ。


 音もなく間合いへ入ってくる。


「っ!」


 ルークは反射的に身を引いた。


 女の指先が、ルークの胸元を掠める。触れた、と思った瞬間、またあの嫌な感覚が走った。


 冷たい。

 でも氷みたいな冷たさじゃない。もっと、内側を探られるような気味の悪さだ。


「う……!」


「やっぱり、面白いわね」


 女が低く囁く。


「あなたの“中”――」


「だから、触るなって言ってるだろ!」


 ルークは女の腕を払いのけ、その勢いのまま足元に収納口を開いた。


 女はすっと後ろへ飛び退く。


 無駄がない。


 本当に嫌な動きだ。


「ねえ、あなた」


 白布の女は、ルークをじっと見たまま言った。


「自分のスキルが、ただの収納だと思ってるの?」


「……何が言いたい」


「まだ自分で気づいてないのね」


 その声が、妙に落ち着いていて気味が悪い。


 今ここで揺さぶられてはいけない。


 ルークは女を睨み返した。


「今の僕に必要なのは、お前の講釈じゃない」


「そう」


 女はさらりと返す。


「なら、そのまま溺れなさい」


 その言葉と同時に、彼女が指を弾く。


 上段の作業着の男二人が、一気に鉄棒を回した。


 がきん、と重たい音。


 第二槽の留め具が、半分外れた。


「まずい!」


 ルークはもう迷わなかった。


 第二槽の木台、その支柱だけに意識を合わせる。


 鉄も鎖も歯車も重すぎる。

 でも、その重さを支えているのは結局、古くなった木と石だ。


「部分収納!」


 木台の中央、最も荷重がかかっていた支柱が、音もなく消えた。


 一拍遅れて、鎖車全体がぐらりと傾く。


「なっ!?」


 作業着の男が悲鳴を上げた。


 ずどん、と鈍い音を立てて木台が崩れ、鉄の歯車が斜めに引っかかる。


 第二槽の鎖が途中で噛み、ぎりぎりと嫌な音を立てたまま止まった。


 完全に閉じてもいないが、全開にもならない。


「止まった……!」


 レイナが下から叫ぶ。


「よし!」


 ルークが息を吐いた、その直後。


 崩れた木台の破片が跳ね、ルークの足場ごと大きく揺れた。


「うわっ!」


 体が浮く。


 落ちる。


 と思った瞬間、誰かの腕が強くルークの手首を掴んだ。


「っと……!」


 カナンだった。


 マルクを蹴り飛ばしざま、片手でルークを引き止めている。


「お前、ほんとに雑だな!」


「助かった!」


「後でちゃんと礼言えよ!」


「今言ってる!」


「軽い!」


 言いながらも、カナンはルークをぐいっと足場へ引き戻した。


 その横で、蹴り飛ばされたマルクが舌打ちしながら立ち上がる。


 額から血が流れていた。


「……どこまでも邪魔を」


「お前の方が邪魔だ!」


 カナンが即答する。


「ついでにだいぶしつこい!」


 マルクが今度は投げナイフを抜く。

 短剣だけじゃない。隠し武器も持っていたらしい。


 だが、それが飛ぶより早く、下から光が走った。


「《ライト・スラスト》!」


 細く鋭い光が、マルクの手首を打つ。


「ぐっ……!」


 ナイフが床へ落ちた。


「レイナさん、ナイス!」


「ルークさん、下も限界です!」


 言われて振り向く。


 足場の下では、水棲魔物が二匹、三匹と手すりへ食らいついていた。光で怯んではいるが、もう完全には止めきれていない。


 しかも、薬液の混じった水が足場の支柱を洗い続けている。長引けばこの足場ごと保たない。


「人質は全員確保しました!」


「よし!」


「でも、私たちが落ちたら意味ないです!」


「それもそうだ!」


 白布の女が、そのやり取りを聞いて、初めてはっきりと笑った。


「ええ、そうね。意味がなくなるわ」


 次の瞬間。


 彼女は自分の足元にあった細い鎖を、一気に引いた。


 ごとん、とどこかで重い閂が外れる音。


「まだ何かあるのかよ!」


 カナンが本気で嫌そうな声を出す。


 そして、その嫌な予感は当たった。


 上段の足場の背後、壁の一部がゆっくりと開く。


 そこにあったのは、小さな搬出口――ではない。


 荷揚げ用の昇降台だ。


 木箱をそのまま上げ下ろしできるような、大きな平台。


 その上には、すでに細長い木箱が二つ、並んで載せられていた。


「……まだ運ぶ気か」


 ルークが低く言う。


「もちろん」


 白布の女は迷いなく答えた。


「第一便が潰れても、第二便がある。第二便が駄目でも、第三便がある。流れって、そういうものでしょう?」


「人を便とか荷物みたいに言うな!」


 ルークが怒鳴る。


 女の目が、ほんの少しだけ細くなる。


「人も物も、運ばれれば同じよ。どこへ置くかが違うだけ」


「……っ」


 言い返そうとして、言葉が詰まる。


 怒りで、じゃない。

 これ以上この女の言葉を聞いていたら、こっちまで気分が悪くなりそうだった。


 その時、マルクが荒い息のまま言った。


「時間です。ここは切ります」


「そうね」


 白布の女は頷くと、昇降台へ一歩乗った。


「逃がすか!」


 ルークが踏み込もうとする。


 だが、その前にマルクが立ちはだかる。


 短剣を失っても、今度は腰の脇から細い棒状の武器を抜いていた。


 伸縮警棒のようなものだ。


「行かせるな」


 白布の女が言う。


 マルクは無言で頷き、そのままルークへ打ち込んでくる。


 速い。


 短剣より重い分、受ければ手が痺れる。


 ルークは一歩引き、棒の先端だけを狙って収納口を開いた。


 だがマルクはそれを読んでいたように手首を返し、寸前で軌道を変えた。


「うまくなったな」


 低い声だった。


「前よりずっと」


「褒められても嬉しくない!」


「そうだろうな」


 そのやり取りの最中にも、昇降台はゆっくり上がり始めていた。


「ルーク!」


 カナンが叫ぶ。


「女を追うか、こいつ止めるか、どっちだ!」


 ルークは一瞬だけ迷い――答えを出した。


「マルクを止める! あの女は今、届かない!」


「了解!」


 カナンが頷いた、その時だった。


 上がりかけた昇降台の上から、白布の女がこちらへ何かを投げた。


 小さな金属筒だ。


「また小瓶か!?」


 ルークが身構える。


 だが、違った。


 筒は足場の中央へ転がると、きいん、と甲高い音を立ててひび割れた。


 次の瞬間、青白い霧が一気に広がる。


「なんだこれ……!」


 カナンが顔をしかめる。


 匂いはない。

 でも、視界の輪郭だけが妙に揺らぐ。


 遠近感が狂うような、嫌な感覚だ。


 ルークはすぐに、さっき女に胸元を触れられた時の感覚を思い出した。


 あれに似ている。


「レイナさん、目を閉じないで! 足元だけ見て!」


「は、はい!」


 レイナが必死に返す。


 その横で、水棲魔物たちがまた足場を叩いた。


 ぐらり、と足場が揺れる。


 青白い霧。

 迫る魔物。

 上がっていく昇降台。

 立ち塞がるマルク。


 全部が一気に重なって、息が詰まる。


 その中で、白布の女だけが静かにこちらを見下ろしていた。


「王都東部は、もう終わり」


 そう言い残して、彼女の姿が昇降台の闇へ消えていく。


 そして、その直後。


 貯水槽の底のさらに奥――濁った水の下で、今までとは比べものにならない大きさの何かが、ゆっくりと身を起こした。

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