旅の夜と新しい縁
夕暮れが落ちきる頃には、集落の広場に少しだけ活気が戻っていた。
王都から届いた毛布や食料が配られ、井戸端にはようやく明るい声が混じり始めている。
大きな街なら見過ごされそうな変化かもしれない。
けれど、この小さな集落にとっては、それが明日の安心そのものなのだと、ルーク・フレイアスにははっきり分かった。
「本当に、助かった」
村長が改めて頭を下げる。
「今夜を越せるかどうか、それだけでも不安だったからな……」
「まだ全部終わったわけじゃないです」
ルークはそう答えた。
「でも、少しでも楽になったならよかったです」
村長は深くうなずき、それから周囲を見回した。
「お前さんたちは、今日はこの村で休んでいくといい。日が落ちてから街道を進むもんじゃない」
それはもっともな話だった。
初日のうちに無理をしても、いいことはない。
ミハイルもすぐに同意する。
「私も、それがいいと思います。ベルクハイムまではまだ二日以上ありますし、明日の朝早く出れば十分です」
「そうですね」
レイナもほっとしたように言った。
王都を出てから気が張っていたのだろう。
今さらになって少しだけ疲れが顔に出ている。
ルークも、実のところ休めるならその方がありがたかった。
「それじゃ、お言葉に甘えます」
「うむ。空いている家を一つ使ってくれて構わん」
村長がそう言うと、周囲の村人たちも一斉にうなずいた。
歓迎、というほど派手ではない。
でも、心から来る感謝の空気があった。
◇ ◇ ◇
案内されたのは、集落の端にある小さな空き家だった。
もともとは旅人用に使っていた家らしい。
木の床に、簡素な寝台が三つ。
小さな机と椅子。
暖炉もある。
「十分ですね」
レイナが室内を見回しながら言う。
「うん。むしろ思ったよりずっといい」
ルークは荷を下ろしながら答えた。
正確には、《無限インベントリ》から必要なものだけを出しただけなのだが、それでも「旅先の部屋に荷を置く」という感覚は少し新鮮だった。
カナンが戸口にもたれながら笑う。
「王都の冒険者って、宿にうるさいかと思ったけど」
「そう見える?」
ルークが聞くと、カナンは肩をすくめた。
「もっと文句が多いかと思ってた」
「そんな余裕ないよ」
「それもそうか」
軽い調子のやり取りだが、気まずさはない。
今日一日一緒に動いただけなのに、カナンはずいぶん話しやすい相手だった。
道を知っている。
動きが軽い。
余計な遠慮がない。
旅慣れた斥候役、という印象がしっくりくる。
「私は村長さんのところで、明日の道の確認をしてきます」
ミハイルがそう言って、一度外へ出ていった。
残ったのはルーク、レイナ、カナンの三人。
ほんの少しだけ沈黙が落ちる。
だが気まずくはない。
その沈黙を破ったのは、カナンだった。
「なあ」
「うん?」
「あんたら、ほんとに昨日できたばっかのパーティーなんだよな?」
レイナが少しだけ笑う。
「はい。一応、そうです」
「見えないんだよなあ」
「どういう意味?」
ルークが聞き返すと、カナンは椅子を引いて腰を下ろした。
「もっとこう、ぎこちなくてもおかしくないだろ。なのに、普通に役割分担できてるし、呼吸も合ってる」
その言葉に、ルークは少しだけ考える。
たしかに、正式登録したのは昨日だ。
でも、一緒に依頼へ出始めてからは、もうそれなりに時間が経っている。
「たぶん、登録する前から一緒にやってきたからかな」
ルークがそう言うと、レイナも頷いた。
「最初は臨時で組んだだけだったんですけど……気づいたら、そのまま一緒に動いてました」
「へえ」
カナンは少しだけ目を細めた。
「そういうの、いいな」
その一言に、ルークはなんとなく引っかかった。
「カナンは、パーティー組んでないの?」
「今は組んでない」
返事はあっさりしていたが、その声の奥には少しだけ引っかかりがあった。
「前はいたんだけどな。二人組で」
「前は?」
レイナがやわらかく尋ねる。
カナンは少しだけ視線を窓の外へやった。
「片方が辞めた。というか、家の事情で街を離れた。で、そのまま解散」
軽く言っているが、寂しさが混じっているのは分かった。
「それからは一人?」
「まあな。斥候とか伝令とか、そういう依頼は一人でもやれるし」
その答えに、ルークは少しだけ納得する。
カナンの動きの軽さや、状況判断の早さは、一人で現場を回ってきた人間のそれだ。
でも、だからこそ少しだけ無理をしそうでもあった。
「……大変じゃない?」
ルークがそう聞くと、カナンは笑った。
「王都のやつに心配されるとは思わなかった」
「僕も前は一人だったから」
「……あー、そうか」
カナンはそこでようやく、少しだけ本気の顔になった。
「《白銀の牙》を追い出されたって噂、ベルクハイムにも来てた」
ルークは驚かなかった。
今さら、その話をされること自体はもうそこまで嫌じゃない。
それより、王都の話が他所の街まで流れていることの方が少しだけ不思議だった。
「悪い。嫌な言い方になったか」
「ううん。もう大丈夫」
ルークは首を横に振る。
「今は、《星灯の止まり木》があるから」
その名を口にすると、レイナが小さく微笑む。
カナンはその二人を見て、少しだけ眩しそうに目を細めた。
「……ほんと、いい名前だな」
◇ ◇ ◇
日が沈みきると、村の広場でささやかな夕食が振る舞われた。
大鍋で煮た野菜スープに、固めの黒パン。
それと少しの干し肉。
豪勢ではない。
でも、今の村にとっては十分すぎるごちそうなのだろう。
「王都の飯と比べりゃ質素だが、勘弁してくれ」
村長が言う。
「いえ、そんな」
ルークは首を振った。
「みんなでちゃんと食べられる方が大事です」
そう言うと、村長は少し驚いたようにルークを見て、それからゆっくり笑った。
「お前さん、本当に不思議な冒険者だな」
レイナはスープを受け取りながら、子どもたちの様子を気にしていた。
昼間に擦り傷を診た少女が、今はもう元気にパンをちぎっている。
年配の女性たちも、毛布を受け取ってほっとしている顔だった。
こういう風景を見ると、今日ここに来た意味がはっきり分かる。
「おにいちゃん!」
昼間に話したあの少女が、布人形を抱えたままルークのところへ来た。
「ん?」
「これ、まだある」
彼女が見せてきたのは、昼に渡した小さな薬包みだった。
「おかあさんが、だいじにしなさいって」
「うん、それでいいよ」
ルークがそう言うと、少女は少しだけ考えてから、ぽつりと尋ねた。
「また、くる?」
まっすぐな問いだった。
ルークはすぐに「来るよ」とは言えなかった。
自分たちは旅の途中で、この村だけに留まるわけではないからだ。
でも――
「困った時に、また必要なら来ると思う」
そう答えると、少女は納得したように頷いた。
「じゃあ、いい」
それだけ言って、また母親のところへ戻っていく。
ルークはその背中を見送りながら、胸の中で静かに思った。
こういう小さな約束が、旅の理由になるのかもしれない。
◇ ◇ ◇
夜も更け、空き家へ戻ったあと。
ルークとレイナは寝る前に、暖炉の前で明日の確認をしていた。
「明日は、橋の迂回路を通るんですよね」
「うん。カナンが詳しいって言ってた」
「頼もしいですね」
レイナの言葉に、ルークも頷いた。
「うん。正直、かなり助かる」
今日一日だけでも分かった。
カナンは街道や地形に強い。
危険の気配を拾うのも早い。
自分たちに足りないものを、かなり埋めてくれる。
ただ、それを今すぐ言葉にするつもりはなかった。
まだ一緒にいるのは依頼の間だけだ。
でも、心のどこかで思ってしまう。
こういう人が仲間にいたら、旅はもっと広がるだろうな、と。
「ルークさん」
「うん?」
レイナが少しだけ真面目な顔をした。
「今日の依頼、私はかなり大事な一日だったと思います」
「どうして?」
「王都の外でも、私たちのやり方が通じるって分かったからです」
その言葉に、ルークはゆっくり頷く。
「……うん」
「戦いだけじゃなくて、運ぶことも、支えることも、ちゃんと必要とされてた」
「そうだね」
「それなら、王都の外にも行けると思いました」
レイナの声には、静かな確信があった。
ルークも、同じ気持ちだった。
不安はまだある。
でも、それ以上に、自分たちができることの形が少しずつ見えてきている。
「《星灯の止まり木》って名前、やっぱりよかったね」
ルークがそう言うと、レイナは少しだけ照れたように笑った。
「はい。今日、村長さんが言ってくれた時、すごく嬉しかったです」
「僕も」
王都の中だけで通じる名前じゃない。
外へ出ても、その意味が届く。
それが、たまらなく嬉しかった。
◇ ◇ ◇
その夜は、静かに終わるかと思われた。
だが、真夜中を少し過ぎた頃。
外から短く鋭い口笛の音がした。
ルークは即座に目を開く。
隣の寝台でも、レイナが起き上がっていた。
「今の……」
「カナンの合図だと思う」
昼間、見張りの立ち位置を決める時に、危険があれば短く二回吹くと言っていた。
ルークはすぐに上着を羽織り、短剣を取る。
外へ飛び出すと、夜の広場は静まり返っていた。
その端、柵の向こうでカナンが手を上げている。
「こっちだ。静かに」
駆け寄ると、カナンは柵の外の闇を指した。
ルークは目を凝らす。
すると、月明かりの下に、いくつもの小さな赤い光が見えた。
目だ。
「……多い」
レイナが小さく息を呑む。
「森犬だ」
カナンが低く言う。
「数は八……いや、十はいるかも。昼間に荷や食料の匂いが広がったせいで寄ってきたらしい」
森犬。
群れで動く、小型の魔物だ。
一頭一頭はそこまで強くないが、数が揃うと厄介になる。
「村の中に入られたら面倒だな」
ルークが呟くと、カナンは頷いた。
「だから外で止めたい」
その時、背後からミハイルと村の若者たちが槍を持って集まってきた。
「どうする?」
ミハイルが短く聞く。
ルークは一瞬で判断した。
「僕が正面で足を止めます。カナンは左右を回るやつを見てください」
「任せろ」
「レイナさんは、前に出すぎないで支援を」
「はい」
「ミハイルさんたちは、柵の内側で待っててください。抜けたやつだけを押し返す形で」
全員が短く頷いた。
夜気が、ぴんと張りつめる。
森犬たちの唸り声が低く広がる。
そして次の瞬間、群れが一斉に駆け出した。
「来る!」
ルークが地面へ手をかざす。
「収納展開!」
柵の外、獣道の入口に光円が走った。
先頭の二頭が足を取られ、転がる。
そこへカナンの投げナイフが飛んだ。
「右は任せろ!」
鋭い声と同時に、一頭の喉元へ刃が吸い込まれる。
別の一頭が柵を飛び越えようとした瞬間、レイナの光が弾けた。
「《ライト》!」
目を焼かれた森犬が悲鳴を上げ、柵の手前で失速する。
ルークはすぐに拘束網を投げた。
「そこ!」
網が二頭をまとめて絡め取る。
ミハイルたちの槍がそれを押し返し、群れの勢いが一気に鈍った。
だが、群れの最後尾にいた一頭だけが、妙に大きい。
「っ、あれ……!」
カナンが低く唸る。
他より一回り大きく、肩口が不自然に盛り上がっている。
東部の異常個体ほどではない。
だが、普通でもない。
「ルーク!」
「分かってる!」
大きな森犬が低く身を沈め、一気に跳んだ。
速い。
だが、ルークはもう少し前の自分じゃない。
「任意座標展開!」
空中に開いた小さな収納口へ、森犬の前脚が突っ込む。
体勢が崩れた。
そこへカナンが横から飛び込み、短剣で肩口を裂く。
レイナの光が続き、ルークの投擲ナイフが脇腹へ刺さる。
最後に、ルークが足元の光円を重ねた。
「収納!」
大きな森犬は一瞬だけ暴れたが、そのまま光の中へ沈んでいった。
残った群れは一気に士気を失い、森へ逃げていく。
静寂が戻る。
その場にいた全員が、しばらく荒い息をついていた。
「……終わったか」
ミハイルが槍を下ろす。
カナンは肩で息をしながら、ルークを見る。
「今の、完全に息合ってたな」
ルークは少しだけ苦笑した。
「たまたまだよ」
「いや、違う」
カナンははっきり言った。
「あんたら、やっぱいいパーティーだ」
その評価は、王都の外の、それも現場で一緒に戦った相手からのものだ。
ルークの胸に、静かな熱が灯る。
《星灯の止まり木》は、ちゃんとここでも通じたのだと、ようやく実感できた。
◇ ◇ ◇
村へ戻ると、村長が深々と頭を下げた。
「夜中にまで、すまん……助かった」
「被害がなくてよかったです」
レイナがそう言うと、村長は何度も頷いた。
「これで、明日の朝も安心して迎えられる」
その言葉に、ルークは胸の中で静かに思う。
こういう夜を守るために、自分たちは旅をするのかもしれない。
どこかの街。
どこかの村。
まだ会ったことのない誰かの、明日の朝のために。
遠くの空には、夜明け前の淡い光がにじみ始めていた。
《星灯の止まり木》の旅は、まだ始まったばかりだった。




