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無限インベントリで世界を変える ~収納魔法はチートです~  作者: 華詩手


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16/43

灰の臭いがする村

 朝の王都グランヴェルドは、いつもより少しだけ空気が張っていた。


 市場の呼び声も、荷車の軋む音も、普段と変わらないはずなのに――どこか落ち着かない。


 ルーク・フレイアスは、その理由をまだ知らなかった。


 ただ、〈三日月亭〉の食堂へ降りた瞬間、ツネの表情を見て、何かあったのだと察した。


「おはようございます……って、どうかしました?」


「おはよう、ルーク坊。……いやね、さっきギルドの使いが来たんだよ。あんたに“できるだけ早く本部へ”ってさ」


「ギルドの使い?」


 ルークが目を瞬かせると、厨房の奥からメリアが顔を出した。


「朝ごはん、少しだけ先に用意しちゃいました! 急ぎみたいだったので、持って行けるようにしてありますっ」


「え……ありがとうございます」


 差し出されたのは、焼きたてのパンに薄切り肉と卵を挟んだ簡易サンドと、まだ湯気の立つスープの小瓶だった。


「道すがらでも食べられるようにしたよ。空腹でギルドに行って、難しい話なんか聞けるもんじゃないからね」


 ツネはそう言って、腰に手を当てる。


「はい。助かります」


 ルークは頭を下げた。


 ほんの少し前まで、自分のためにこうして気を回してくれる人など、いなかった。


 それだけで胸の奥が、あたたかくなる。


「ルークさん」


 メリアが少しだけ声を潜めた。


「……気をつけてくださいね。最近、東の方から帰ってくる冒険者さんたち、みんな変な顔してるから」


「変な顔?」


「うまく言えないんですけど……怖いもの見たあと、みたいな」


 ルークは短く頷いた。


「わかった。ありがとう」


 そう言って外へ出る。


 朝の冷たい空気が、頬を撫でた。


 石畳を踏みしめながら歩く間、ルークは昨日までの報告を思い返していた。


 廃村で遭遇した《影猟りハウンド》の群れ。

 本来その土地にいないはずの《ブレイザーバグ》亜種の死骸。

 そして、その全身に浮いていた赤黒い血管と、不自然な膨張。


(……やっぱり、ただの偶然じゃなかったんだ)


 歩く速度が、自然と少しだけ速くなる。


◇ ◇ ◇


 冒険者ギルド本部に着くと、受付ホールは朝だというのにざわついていた。


 依頼板の前に冒険者が集まっているのではない。


 職員たちの動きが、明らかに慌ただしいのだ。


「東門方面の巡回、二組追加!」

「異常個体報告は全部、第二記録庫へ!」

「薬師会への伝達、まだですか!?」


 飛び交う声に、ルークは思わず足を止めた。


 その時。


「ルークさん!」


 受付の奥から、リーナ・エステルが手を振っていた。


 だが、いつもの柔らかい笑顔ではない。

 気丈に振る舞ってはいるものの、明らかに緊張している。


「おはようございます。急ぎって……」


「はい。こっちへお願いします。レイナさんにも連絡してあります。もう来てますから」


 通されたのは、通常の受付ではなく、脇の小会議室だった。


 扉を開けると、レイナが椅子から立ち上がる。


「ルークさん……!」


「おはよう。急に呼ばれたって聞いてるけど、何が……」


「それが……」


 レイナの表情も硬い。


 リーナは扉を閉めると、机の上に数枚の報告書を並べた。


「昨夜から今朝にかけて、東部近郊で異常報告が四件、入りました」


「四件……?」


「はい。全部、症状が同じです。筋肉の膨張、赤黒い血管の浮き上がり、理性の欠落。発見された魔物の種類は違うのに、異常の出方だけが一致しています」


 ルークとレイナは顔を見合わせた。


 やはり、あの死骸は始まりに過ぎなかったのだ。


「しかも今朝、廃村の南にある旧倉庫跡で、巡回中の衛兵が一人、負傷しました。襲ったのは《影猟りハウンド》ではありません。未確認の異常個体です」


「未確認……」


 ルークが眉をひそめる。


「目撃証言が曖昧で、まだ断定できません。ただ、現場には例の異常死骸と同じ体液痕が残っていたそうです」


 リーナが一拍置いて、真っ直ぐにルークを見る。


「それで、ギルド長から正式に指示が出ました。ルークさんとレイナさんに、東部廃村周辺の再調査をお願いしたいんです」


「僕たちに?」


「はい。理由は二つです」


 彼女は書類をめくった。


「ひとつは、おふたりが現場を実際に見ていて、異常の特徴を正確に把握していること」


「もうひとつは――」


 そこで、少しだけ言いよどむ。


「ルークさんの《無限インベントリ》が、異常個体の“保存”に最適だと判断されたことです」


「保存……?」


「昨日、提出してもらった《ブレイザーバグ》亜種の組織片、覚えてますか?」


「はい。念のため、少しだけ取ってありました」


「それを薬師会が確認したんですが……普通なら、半日もあれば壊死か魔力崩壊が進むはずなんです。でも、ルークさんがインベントリに入れていた標本だけ、採取直後とほぼ同じ状態だったそうです」


 ルークはきょとんとした。


「え……それって、普通じゃないんですか?」


 レイナが「やっぱり」という顔をする。


 リーナは額に手を当てた。


「普通じゃありません……全然、普通じゃありません。むしろ大問題なくらい普通じゃないです」


「そ、そうなんだ……」


「はい。ものすごく大事なことです」


 リーナは真面目な顔で頷いた。


「異常個体の正体を調べるには、“劣化していないサンプル”が必要なんです。今のところ、それを安全に持ち帰れる可能性があるのは、ルークさんだけです」


 そこでようやく、ルークは自分のスキルが調査面でも必要とされているのだと理解した。


 戦うためだけじゃない。


 運ぶためだけでもない。


 見つけて、保って、持ち帰る。


 それができるからこそ、自分にしか担えない役目がある。


(……また、僕にしかできないことが増えた)


 胸の奥で、静かな熱が灯る。


「受けます」


 ルークは迷わず言った。


「レイナさんは……」


「もちろん、行きます」


 レイナも、すぐに答えた。


 その声は小さかったが、震えてはいなかった。


「回復と浄化が必要になるかもしれません。それに、昨日の場所なら、私も地形を覚えていますから」


 リーナの表情が、少しだけ和らぐ。


「ありがとうございます。依頼は緊急扱いです。正式には“東部廃村周辺異常調査依頼”。達成条件は三つ」


 指を折って読み上げる。


「一、異常個体の確認と排除」


「二、組織片あるいは証拠物の回収」


「三、原因に繋がる痕跡の記録」


「報酬は基本六万リル。危険度に応じて追加査定。ランク制限は本来D相当ですが、今回はギルド長判断で、おふたりに特例許可が出ています」


 ルークは思わず目を見開いた。


「D相当……」


「はい。つまり、ここをきちんとやり切れれば――」


 リーナは少しだけ微笑む。


「Dランク昇格、かなり現実的になります」


◇ ◇ ◇


 準備を終え、二人が王都東門を出た頃には、空はすっかり高く晴れていた。


 だが、廃村へ近づくにつれ、空気は目に見えない膜のように重くなっていく。


 鳥の声が減る。


 風が、草を揺らさなくなる。


「昨日より静かですね……」


 レイナが不安そうに辺りを見回した。


「うん。静かすぎる」


 ルークは歩きながら、腰の短剣の位置を確かめる。


 同時に、インベントリ内の物資配置も意識した。


 投擲ナイフ、煙幕玉、拘束網、予備の短剣、簡易食、回復薬、ロープ。


 以前ならただ“荷物”だったそれらが、今は自分の戦い方そのものになっている。


 廃村の入り口に差し掛かった時だった。


 ルークが、ふと足を止める。


「……焦げ臭い」


「え?」


「血の匂いじゃない。灰……いや、焼けた魔力の匂いだ」


 レイナも鼻をひくつかせ、すぐに顔を強張らせた。


「本当だ……何か、燃えたみたいな……」


 村の中央へ近づくにつれ、その臭いは濃くなる。


 朽ちた家屋の間を抜け、崩れた井戸の脇を曲がった先。


 そこで二人は、足を止めた。


「……っ」


 言葉が、出なかった。


 広場の中央に、巨大な死骸が横たわっていたからだ。


 四肢はねじれ、背から棘のような骨が突き出し、全身の筋肉が異様に膨れ上がっている。


 元の種が何だったのか、一見しただけではわからない。


 だが、ルークはその頭部の輪郭に見覚えがあった。


「これ……《岩殻ボア》か……?」


「でも、《岩殻ボア》って、もっと小型で……東部には出ないはずです……!」


 レイナの声がかすれる。


 死骸の周囲には、何かが這い回ったような跡と、地面を抉るほどの激しい戦闘痕。


 そしてその胸部には――


「……穴が開いてる」


 ルークは低く呟いた。


 拳大ではない。


 人の頭ほどもある、円形に近い破孔だった。


 まるで、内側から何かが破って出て行ったかのように。


 ぞわり、と背筋が粟立つ。


「ルークさん……これ、見てください」


 レイナが指したのは、死骸の脇に散らばった紫色のガラス片だった。


 小瓶の残骸。


 しかも、一つではない。


「薬瓶……?」


 ルークはしゃがみ込み、慎重に欠片を拾う。


 触れた瞬間、指先に嫌な熱がまとわりついた。


「魔力が残ってる……」


「この前より濃いです。浄化しないと、手袋越しでも危ないかも」


「わかった。サンプルとして一部回収する。全部は触らない方がいい」


 ルークは小さく息を吸い込み、《無限インベントリ》へ意識を向けた。


(収納――限定。対象、破片のみ)


 淡い光がガラス片を包み、ひとつひとつ、丁寧に回収されていく。


 すると。


 その時だった。


 広場の奥、崩れた礼拝堂の中から――


 ガリ、と。


 硬いものを噛み砕く音がした。


 二人の動きが止まる。


 音は、一度きりではなかった。


 ガリ、ガリ、ガリ。


 何かを咀嚼する湿った音が、暗がりの奥から響いてくる。


「……いる」


 ルークが囁く。


 レイナはすぐに杖を構え、呼吸を整えた。


 礼拝堂の半壊した扉の向こうは、昼間だというのに異様に暗い。


 そして、その闇の奥で。


 ゆっくりと、二つの赤い光が持ち上がった。


 目だ。


 次いで見えたのは、異常に長い前脚。


 地を擦るほど伸びた爪。


 不自然に裂けた顎。


 それは《影猟りハウンド》を基礎にしながらも、もはや別の何かだった。


 体表には赤黒い血管が脈打ち、肩口からは硬質化した骨片が突き出している。


 喉の奥から漏れる唸り声は、獣のものとも思えないほど濁っていた。


「……っ、変異種……!」


 レイナが息を呑む。


 ハウンドの異常個体。


 しかも、ただ暴走しているだけではない。


 明らかに“作られた”歪さがあった。


 ルークは短剣を抜きながら、一歩だけ前へ出る。


「レイナさん。最初の一撃で目を潰せる?」


「……やります」


「僕が足を止める。動きが鈍ったら、浄化光を叩き込んで」


「はい」


 異形のハウンドが、ぐるりと首を傾けた。


 その口元から、まだ新しい血が糸を引く。


 さっきまで何を食っていたのか、考えない方がよかった。


 次の瞬間。


 異形は、弾けた。


「来る!」


 ルークが叫び、地面へ手を叩きつける。


「収納展開!」


 広場の石畳に光円が走る。


 だが異形は、昨日までの相手より速い。


 光円を踏む直前で跳び、壁を蹴り、頭上から落ちてきた。


「っ――!」


 短剣で受ける。


 重い。


 まるで鉄塊をぶつけられたような衝撃に、ルークの腕が痺れた。


「ルークさん!」


「大丈夫……まだいける!」


 その声と同時に、レイナの杖先に白い光が集まる。


「《フレアライト》!」


 閃光。


 異形の片目が焼かれ、獣が絶叫した。


 今だ、とルークは踏み込む。


「任意座標展開!」


 空中、異形の落下先に小さな収納口が開く。


 足首が半分、そこへ沈む。


 体勢が崩れた。


「そこ!」


 ルークは即座に拘束網を取り出し、異形の上半身へ投げつける。


 絡まった。


 だが次の瞬間、網が軋む。


「力が強すぎる……!」


「下がってください!」


 レイナが前へ出た。


 彼女の足元に、柔らかな光の陣が広がる。


「《ピュリファイ・ブレス》!」


 浄化の光が、異形の頭部を正面から打ち抜いた。


 ギャアアアアアアッ――!


 その絶叫は、村中に響いた。


 赤黒い血管が、焼けるように弾ける。


 異形の動きが、一瞬だけ止まった。


 ルークは迷わなかった。


「収納――生体指定!」


 開いた光が、異形の全身を包む。


 暴れる。


 軋む。


 だが、押し込む。


 地面と空中、二つの収納口を連動させ、逃げ場を削る。


 最後に、ぐしゃりと空気が歪むような感触とともに――


 異形の体が、消えた。


 静寂が落ちる。


「……入った」


 ルークが荒い息のまま呟く。


 レイナは膝に手をつきながら、なんとか頷いた。


「はぁ……はぁ……今の、昨日のハウンドと……別物でした……」


「うん。明らかに強化されてた」


 ルークは礼拝堂の闇を見つめたまま、息を整える。


 まだ、終わっていない気がした。


 この一体だけで済むなら、あの死骸も、薬瓶も、ここまで露骨には残されていない。


 まるで誰かが。


 ここを“見つけさせた”みたいに。


 ぞくり、と寒気が走る。


 その時、インベントリの内側で、妙な感覚が弾けた。


 今までにない、微かな脈動。


 ルークは目を見開く。


「……え?」


「ルークさん?」


「今、何か……」


 胸の奥へ、直接流れ込んでくるような感覚。


 《無限インベントリ》が、取り込んだ異形に対して――


 何かを“解析”しようとしている。


 そんな、予感がした。


 礼拝堂の崩れた窓から風が吹き込み、灰の臭いが強くなった。


 遠くで、二度。


 鐘のような、鈍い音が響いた。


 まるで、この異変の幕がもう一段、上がったことを告げるように。

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