第8話 生贄
「壮太郎君!」
丈が叫ぶ声とバタバタとした物音がキャビネットの扉越しに聞こえる。全身が痺れた壮太郎は、キャビネットの中に閉じ込められたまま動けなかった。
「大人しくしろ!」
「おい、もう一枚持ってただろう!?」
「早くしろ!」
丈が抵抗しているようだが、三対一。しかも三人組は体格が大きい方だ。丈が取り押さえられたのか激しかった物音が止み、三人組が嘲笑う声が聞こえた。
「急げ!」
「これで助かるんだよな」
「早くしろよ!」
紙のページを捲る音や筆音が聞こえる。
「あいつの名前書けたぞ!」
「あの変な歌、どのページにあったっけ?」
「ノートの後ろの方だ! 早くしろよ!」
「えっと……『サンカ』」
一人が口にした言葉に、ぞわりと肌を撫でる悪寒がした。
『サンカ、サンカ』
三人組が息の合った詠唱を始めると、キャビネットの中にじわじわと邪気が広がる。呪術が発動している力の気配に、壮太郎はハッとした。
侑希が話していた『零番目、始まりの怪異』が頭に浮かぶ。
(もしかして、あの三人組が怪異を生み出す黒いノートを持っているの!?)
『我等ノ不幸ヲ閉ジ込メテ』
三人組が言葉を紡ぐ毎に充満していく邪気に息苦しさを感じる。邪気が壮太郎の体を這い、ゆっくりと身体を絞めつけてくる。
(儀式を成功されたら、僕が怪異にされてしまう!!)
焦った壮太郎は唐獅子を呼ぼうとするが、声を出す事も体を動かす事も出来ない。術を使って脱出しようと試みるが、力のコントロールが上手くいかないせいで術式を練り上げる事が出来なかった。
『我等ニ幸イ゛ッ !?』
抵抗が出来ない絶望的な状況に壮太郎が顔を歪めた時、三人組の詠唱が不自然に途切れた。
「痛い痛い痛い!!」
「何!? 痛いってば!!」
「ぎゃあ!! やめろ!!」
三人組が悲鳴を上げる。壮太郎の体に絡み付いていた邪気が霧散した。
何事かと思っていると、キャビネットの扉が開かれて光が差し込む。
「壮太郎君! 大丈夫!?」
光を背に立つ丈は、服が皺くちゃで髪も乱れていた。
屈んだ丈は壮太郎の左手を掴み、掌を上に向けさせる。壮太郎の左掌には、紋様が描かれた小さな札が貼り付いていた。
「俺も貼られたけど、麻痺させる術みたいだ」
丈が札を剥がした途端、麻痺が解除された。丈は効力を失って消えていく札を忌々しそうに見つめて立ち上がると、壮太郎の手を掴む。
丈に手を引っ張られて立ち上がり、壮太郎はキャビネットから出る事が出来た。
「君はどうやって札を剥がしたの?」
「加護が剥がしてくれた」
悲鳴を上げ続けている三人組を見ると、六匹の『子』が三人組の手足に噛み付いていた。
「君、加護を何匹扱えるの?」
「今は七匹までかな」
丈の言葉に、壮太郎は驚く。
鬼降魔の加護は、術者の力を元に形成される。
術者の力が弱く、力のコントロールも上手く出来なければ、加護を形成する事も、維持する事も出来ない。
鬼降魔の加護は大小問わず、大抵は一匹までしか使役出来ないと聞く。
幼い丈が加護を複数扱えるのは、優れた術者である証だった。
「もういいよ」
丈が声を掛けると、『子』が三人組から離れて丈の足元に集まった。
噛みつき攻撃から解放された三人組は、涙目のまま丈を睨みつける。
「お前が何かしたのか!?」
「やっぱり、お前も化け物か!?」
「あっちいけ!!」
喚く三人組を、丈は怒りを込めた目で見下ろした。
「君達は、壮太郎君に何をしようとしてたの?」
丈の静かな怒りに、三人組は怯えた顔になる。三人組の一人が丈をキッと睨みつけた。
「あの化け物を封印する為には生贄が必要だって、ノートに書いてあったんだ!! 大体、そいつが死んでも悲しむ奴なんていないだろう!?」
「……壮太郎君が死ぬと分かっていてやったの?」
丈は三人組の一人の襟首を掴む。掴まれた一人が悲鳴を上げた。
「君達はそれで良いと思ったの!? 心が痛まなかったの!? 君達が死んだら悲しいと思う人達がいるように、壮太郎君が死んだら悲しむ人はいるよ! 何で分からないの!? 何で人を傷つけておいて、平気な顔でいられるの!?」
怒りと悲しみで丈の顔が歪む。
丈の訴えが響かなかったのか、三人組は鬱陶しげな表情を浮かべた。
「そいつは人間じゃないからな」
「お化け男だし」
「そいつの事は皆が嫌いなんだよ」
三人組は醜い笑みを浮かべた。
「嫌われ者は死ねば良いんだ」
壮太郎の息が止まる。
殴られていないのに頭が真っ白になって、血の気が引いていく。耳鳴りがして周囲の音が掻き消された。
丈が三人組に何か言い返しているが、壮太郎は俯いたまま動けなかった。
バン!!
空気を震わせる大きな音が教室内に響く。
全員が肩を跳ね上げて驚き、顔を強張らせる。三人組は悲鳴が喉に張り付いたような音を漏らした後に震え出した。
『ォ……アァア゛ア゛ァア』
しゃがれた声が教室の入口から聞こえる。
「く、来るな!! 化け物!!」
三人組の一人が絶叫し、手近にあった椅子を掴んで投げる。壮太郎の頬を掠めて飛んでいった椅子はピタリと空中で静止した。
宙に浮いた椅子の奥には、両手をダラリと下げた七番目の怪異がいた。
怪異がボソボソと呟くと、風を切る音を立てて宙を横切った椅子が三人組の後ろの壁に叩きつけられる。
ぎこちなく首を動かして背後を確認した三人組の視線の先には、脚が逆向きに折れ曲がって座面が割れた無惨な椅子があった。
風の悲鳴に似た「ヒューッ」という呼吸音がすぐ側で聞こえた三人組は、恐る恐る視線を前に戻す。
血の涙を流すギョロリとした狂気的な目が、三人組を睨みつけていた。
怪異からゆっくりと目を逸らした三人組と、壮太郎の目が合う。
「た、す……て」
震える声で救いを求める三人組へ、壮太郎は冷ややかな目を向けた。
「助けるわけないじゃん」
絶望に染まった表情を浮かべる三人組の首に、怪異の髪が伸びて巻き付く。首を絞められた三人組は喉からおかしな呼吸を漏らし、顔を真っ赤に染まっていく。髪の毛に指が通せる隙間がない為か、三人組は自らの首を引っ掻く事しか出来ない。
三人組が苦しむ様子を、壮太郎は無感情に眺めた。
驚いて思考が停止していた丈はハッとする。
「あの子達を助けてくれ」
丈の命令に従い、『子』達が怪異に飛びかかる。怪異の髪の毛を『子』が噛み千切り、三人組の首を絞める力が緩まる。三人組は揃って意識を失った。
怪異がグリンと勢いよく首を回し、恨みがましい目で丈を睨む。
手足の関節を無視した方向へと曲げ、怪異が丈へ狙いを定める。丈が身構えるより早く、壮太郎はポケットの中の猫のキーホルダーを掴んだ。
「唐獅子!!」
壮太郎が叫ぶと、唐獅子が光と共に姿を現す。
瞬時に状況を理解した唐獅子は、丈に飛び掛かろうとする怪異の顎に頭突きを喰らわせる。怪異の首が折れ曲がり、怪異の体が床の上を転がっていった。
唐獅子が怪異を抑えている間に、壮太郎はポケットから取り出したチョークを使って床の上に術式を描く。素早く術式を完成させ、壮太郎は顔を上げた。
「唐獅子! 力を貸して!!」
チラリと振り返った唐獅子は術式を見て頷く。怪異の頭部を床に叩きつけた後、跳躍した唐獅子は壮太郎の隣に着地した。
「行くよ」
『はい! 坊ちゃん!』
術式の上に、壮太郎が手を置き、唐獅子が前足を置く。
壮太郎の掌から生まれた白銀色の光と唐獅子の前足から生まれた金色の光が混じり合い、白いチョークで描かれた術式を染めていく。
無数の銀色と金色の牡丹が怪異の周囲をドーム状に取り囲み、大輪の花を咲かせた。
起き上がった怪異は、自分の周りに咲いた花を毟り取ろうと手を伸ばす。
バチリと電気が走る大きな音が響き、怪異が絶叫する。牡丹の花に触れた怪異の指先がボトリと床の上に落ちた。
唐獅子と力を合わせて作った牡丹の花は、触れれば怪異にも有効な強力な電撃が走る。霊体を通さない為、姿を消して逃げる事も出来ない。怪異を内側に閉じ込める花の檻だった。
『アウァ……』
怪異は牡丹に怯えて蹲る。
簡単に術が破られる事は無さそうだと思い、壮太郎はホッと息を吐いた。
(帰ったら、じいちゃんに相談しよう。放っておけば、また被害者が出る)
花の檻も長時間は持たない。術の効力がある間に、怪異をどうにかする必要がある。
壮太郎は立ち上がり、三人組が持っていたであろう『零番目、始まりの怪異』のノートを探す。
唐獅子と丈にも手伝ってもらったが、ノートは見つからなかった。溜め息を吐き出し、ノートを探す事を諦める。
「帰ろう」
壮太郎は丈と唐獅子に声を掛けた。