『居酒屋 ひさご』第0話:下町便利屋のトリセツ
東京の下町、細い路地を一本入ったところに、縄のれんを揺らす小さな店がある。
『居酒屋 ひさご』。
この店には、看板メニューなんて野暮なものは存在しない。強面の大将がその日の仕入れで仕込む繊細なおばんざいと、美味い酒。そして、何より妙な「窓口」がある。
「大将! 今日の伝言メモ、なんか面白いのある?」
夕暮れ時、ガラガラと引き戸を開けて飛び込んできたのは、自称・下町の何でも屋、徳利瓢介(30歳)だ。
瓢介には事務所がない。夕方、この『ひさご』に顔を出し、大将がぶっきらぼうに渡してくれる「地元のじいさん・ばあさんからの伝言メモ」を受け取るのが、彼の仕事の始まりだった。
「おう。これだ」
カウンターの中で腕組みをしていた大柄な剛大将が、凄みのある顔のまま、ぽんと一枚の半紙の切れ端をよこす。
『スナックゆうやみ・ママより。犬』
相変わらず、大将の文字は無駄に達筆だが、内容は驚くほど雑だ。
「お、スナックのママからか! よし、この街の永遠の弟分、徳利瓢介がバシッと解決してきますよ。見ててください、俺の完璧な仕事振りを!」
瓢介はまだ何も成し遂げていないうちから、これ以上ないほどの「ドヤ顔」を浮かべて胸を張る。
そんな瓢介の様子を、カウンターの端の特等席から、クスクスと品よく笑う声が聞こえた。
「瓢ちゃん、相変わらず景気がいいねぇ。まだ動いてもいないのに、そんなに眉毛を上げてドヤ顔をするもんじゃないよ」
湯呑みを片手に、100%の満面の笑顔を浮かべているのは、落語界の重鎮であり、この街の人間国宝でもある古今亭志ん米師匠だ。笑顔のまま、おっとりとした口調でチクリと刺すのがこの師匠の恐ろしいところである。
「師匠! 見ててくださいって。俺がこの街の困りごとを全部解決して、みーんなをハッピーにしてみせますから!」
「へぇ、大きく出たねぇ。ま、トチって泣きついてきても、私は知らないよ?」
「トチりませんって!」
大口を叩いて店を飛び出していく瓢介の背中を見送りながら、志ん米師匠は楽しそうに目を細め、剛大将はフンと鼻を鳴らして包丁を握り直す。
これが、この街の日常。
お調子者で詰めが甘い何でも屋の瓢介が、この後どんな大トチりをやらかすのか、大将と師匠はもう、お見通しなのである――。
(第0話・了)




