第一話 新しい街 (一)
一 職業のない登録
父親は、受付AIに同じ指示を三度出した。
「職業の登録項目を表示してくれ」
《生活登録に、職業情報は必要ありません》
返事は三度とも同じだった。
目の前には、家族全員の登録内容が浮かんでいる。
名前、生年月日、家族関係。医療と教育の記録も、移住前に許可した範囲ですでに接続されていた。犬の検疫まで終わっている。
残っているのは、内容に間違いがないか確かめることだけだった。
「お父さん、ないって」
隣にいた男の子が言った。
「航、少し待ってくれ」
「AIも三回言ってるよ」
航は表示よりも、足元の犬を気にしていた。
長い移動から解放されたハルは、先に届いていた荷物へ鼻を寄せている。
「ハル、それはうちのじゃないよ」
航がリードを引くと、ハルは一度だけ顔を上げ、今度は床と壁の境目を嗅ぎ始めた。
到着してから、家族は何も書いていない。
本人確認も、荷物の申告も、医療記録の接続も、移動中にそれぞれのAIが済ませていた。通過口を抜けると荷物は新居へ送られ、家族はこの小さな到着室へ案内された。
壁際にはいくつか座面があり、窓の向こうでは搬送機が荷物を振り分けている。
父親には、役所というより乗り換えの待合室に見えた。
「職業でなければ、現在の契約先を表示してください」
《生活登録に、契約先の情報は使用しません》
「契約階層は?」
《使用しません》
短い間を置いて、別の案内が現れた。
《家族情報に誤りがなければ、住居、医療、交通などの利用を開始できます。登録を確定しますか》
父親は答えなかった。
「仕事が決まっていなくても、今日から家を使えるんですか」
《使用できます》
「収入の確認は?」
《必要ありません》
航が父親の横から表示をのぞいた。
「もう家に行ける?」
「まだ確認がある」
「何の?」
答えはなかった。
仕事がなくても暮らせることは知っていた。
それでも、仕事の確認をしないまま登録を終えるのは、何かを飛ばしているように感じた。
「何かお困りですか」
背後から人の声がした。
振り返ると、灰色の上着を着た女性が立っていた。胸元には所属だけが表示されている。
記録・参加支援室。
女性は受付AIの表示へ目を向けた。
「森川直人さんですね」
「はい。職業を登録する場所が見当たらないんです」
「生活の登録と、活動の記録は分かれています」
「その仕組みは知っています。ただ、私は技術者として紹介を受けて来たので、どこで確認するのかと思いまして」
「ああ、それでしたら、こちらです」
女性の手元に、三つの項目が現れた。
都市設備の更新が二つ。記録システムと設備権限の接続を扱うものが一つ。
直人は一番上から順に目を通した。
移住前に聞いていたものと同じだった。
「では、このうちのどこかに所属することになるんですね」
「まず話を聞いて、参加したいものがあれば、役割と条件を確認します」
「まだ決まっていないということですか」
「役割までは決まっていません」
「ですが、私の経験が必要だと聞いています」
「必要としているのは確かです。だから、三つの活動から面談の希望が届いています」
直人は、女性の使った言葉を聞き返した。
「活動というのは、仕事のことですか」
「報酬を受ける仕事も含みます。短い手伝いや、報酬を受けずに参加するものもあるので、まとめて活動と呼んでいます」
三つの項目が順に示された。
「今回のものは、どれも報酬のある技術活動です」
「参加しないこともできる?」
「はい」
「三つとも断っても、住居や医療には影響しないんですよね」
「影響しません」
女性が表示の端を指した。
《活動提案を受け取る》
項目は有効になっていた。
「移住申請のときに選ばれた設定です。有効な間は、別の活動の案内が届くことがあります。いつでも止められます」
直人は項目を見た。
「今は、このままで」
「分かりました」
確定を待っている家族の登録へ目を戻した。
知っていた答えだった。
それでも、自分の家族について聞くと、どこか現実味がなかった。
「受け入れ先からは、古い制御系と新しい監査系をつないだ経験について照会を受けました」
「その記録も届いています」
前の職場では、もう細かく尋ねられなくなっていた経験だった。
ここでは、それを見つけてもらえた。
「私の能力記録は、ここで確認できますか」
「できます。どの記録を面談先と共有するか選んでください」
受付AIが、共有できる記録を並べた。
技能資格。活動実績。判断記録。安全記録。引き継ぎ記録。
「面談先ごとに変えられますか」
「できます。ただ、三件とも設備の安全に関わるので、安全記録と判断記録は求められると思います」
「では、全部共有します」
許可すると、面談手続きに必要な範囲で、女性の手元にも同じ記録が開いた。
長く担当した設備。停止しかけた工程の復旧。古い制御系を残したまま監査機能を加えた作業。後任者への引き継ぎ。
女性が読む順番を、直人は目で追った。
前半では、ほとんど指が止まらなかった。
最近の記録に入ると、動きが少し遅くなった。
直人の目も、一行へ吸い寄せられた。
確認手順の一部省略。運転開始前に発見。修正後、再確認。
「その件は、手順が途中で変更されたためです」
女性が顔を上げた。
「この確認漏れですか」
「ええ。予定されていた担当者も来なかった。私一人で進めることになって、古い手順と新しい手順が混ざったんです」
直人は続けた。
「発見したのは私です。運転を始める前に止めています」
「その記録もあります」
女性は発見時刻と停止判断を開いた。
「面談先には、こちらも一緒に共有されます」
「事故にはなっていません」
「はい。ただ、何が起きたかは質問されると思います」
直人は口を閉じた。
「説明できます」
「では、そのときに」
女性は次の記録へ進んだ。
活動先の変更が二件。予定より早い引き継ぎが一件。
「この二つは、ご本人の希望による変更ですか」
「一つは、活動側の方針変更です。もう一つは、更新後の設備が私の担当から外れたためです」
「分かりました。経緯の記録も付いています」
最後まで目を通すと、女性は表示を閉じた。
「三件とも、面談の希望は変わりません」
直人は確認漏れの行から目を離した。
三つの面談は、そのまま残っていた。
「今日、話せるところはありますか」
「一件は、今からでも接続できます」
すぐに答えかけ、受付AIに残った家族の登録へ目を戻した。
《登録を確定しますか》
「その前に、持ってきた資産について確認したいのですが」
女性がうなずいた。
「資産の接続状況を表示してください」
以前の国で使っていた通貨と、この国で利用できる額が分けて示された。
国外で使える分は、元の口座に残されている。この国で使う分だけが、別の額として表示されていた。
「全部を交換する必要はないんですね」
「はい。国外の資産をそのまま残す方も多いです」
「ここで使う分は、家賃や医療費にも使われますか」
「基礎住居と基礎医療には使いません」
「では、何のための通貨です?」
「私用品や旅行、特別な設備などです。基礎の範囲を超えて、個人で選ぶものに使います」
航が表示をのぞいた。
「おもちゃは?」
「それは私用品ですね」
「じゃあ、お金いるんだ」
「何でも用意してもらえるわけじゃない」
直人が言うと、航は納得したのか分からない顔で、ハルのところへ戻った。
妻は医療の説明を見たまま尋ねた。
「治療が長くなっても、ここからは引かれないんですか」
「必要な治療であれば」
「追加の検査が増えた場合は?」
「医療担当者が必要性を確認します。費用が足りないから検査をやめる、ということはありません」
妻は表示を見つめた。




