ep.5 一線
小園井 side
どうしてこうなった。
「…っはぁ、っは、雪さん!!歩いてください、っ!」
「やだぁ!おれかえらないもん…」
赤い目をしてやってきた彼は俺を見つけた途端、
堰を切ったようにぼろぼろと泣き始め、
彼の恋人の愚痴を言いながら酒を浴びるように
飲み酔い潰れてしまった。
俺の告白を受けて脱兎の如く逃げ帰った彼との
再会がまさかこんな形になるとは。
もう会えないのではないかと
毎夜頭を悩ませていた俺としては大チャンスだ。
…そんなことを考えていたのだが。
「雪さん水飲みましょ???」
「おしっこだ、これぇ」
「雪さん、もうお酒飲むのは止め
「みどりいろのうんち」
「……………………………………………。」
薫さんの作る色とりどりなカクテルを指さしては、
きゃはきゃはと笑いながら低俗窮まりない、
小学生以下の下ネタで大爆笑している。
綺麗な顔から発せられる
有り得ない位しょうもない下ネタの温度差に、
頭が痛くなった。
薫さんが見たこともないくらい
楽しそうな顔をしている。
人が可笑しくなった様が好きなようだ。
「ふふ、っんふふ、ふ……。
ぅ…ぇ。……なんかきもちわる、いかも…」
「え゛、え、え、
待って雪さん待って待ってそれ俺のコート
あーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
─────────────────
なんだかよく分からないことを
呟く酔っ払いを背負って、
手にはビニール袋に乱雑に詰め込んだ
ゲロまみれのコートを持って、
なんとかタクシーに乗せる。
「雪さん、タクシー乗ったら
ひとりで帰れますか」
「んー? ふふふ、ふ…おれ、ねむた、」
「~っむりだね、そうですよね…!!!」
なんとか雪さんから最寄り駅を聞き出して、
タクシーが動き出した。
こんなに取り乱した雪さんを見たのは初めてだ。
色白な彼の頬は、いつもより一層、
エンジェルキスのように淡く、
薄桃色に染まっている。
右へ左へ、ふらふらと揺れ動く彼の頭を
そっと自分の肩へ誘導する。
初めて密着した彼の身体は熱かった。
彼の恋人ならば、
それが元々の体温なのか酒由来であるのか
分かったのだろうか。
いつも意地の悪いことばかりを呟く唇は、
半開きで規則正しく寝息を立てている。
こうしていれば、まるで精巧な人形のようだ。
いつも静かにゆったりと言葉を紡ぐ彼が
涙を流す様をみて、
言いようの無い苛立ちが腹の中を渦巻いている。
「……ねえ雪さん、俺じゃだめなの」
雪さんのスマホのバイブ音が、
静かな車内に絶え間なく鳴り響く。
こんなになるまでほったらかしていた癖に、
手放したくはないらしい。
自分よがりな彼の恋人に腹が立って
スマホの電源ボタンを長押しする。
しばらくして暗くなった鉄の板を、
そっと雪さんの鞄に入れ込んだ。
僕はまだ、雪さんのことを何も知らない。
どこで生まれて、どこで育ったのか。
仕事は何をしているのか。
好きな食べ物は何か。
暇な時は何をしているのか。
この全てを雪さんの恋人は知っているのだろう。
唯一、雪さんの恋人が知らないことと言えば、
好きなカクテルくらいだろう。
いつも雪さんが投げかけた話題の範囲内でしか
彼のことを知ることができない。
どこか人目を気にした様子の彼に深入りした
話を投げかけると、もう会えなくなりそうで。
気がつくと、
タクシーは最寄り駅のロータリーへ滑り込んで
いた。
「お客さん、着きましたよ」
思考の世界から運転手さんの声で現実に
引き戻される。
「雪さん、起きて」
「……んー……。」
寝ぼけているのか、俺の肩に甘えるように顔を
擦り付けて、駅の光に眩しそうに目を瞑る。
かわいい…………
じゃないそんなこと言ってる場合じゃない。
「はい!降りますよ!!
運転手さん長居してすみませんでした!」
軟体動物のように
ふにゃふにゃしている雪さんを
なんとかタクシーから引きづり出して、
近くのベンチに座らせる。
「はい、水。飲んでください」
「……ありがと」
しばらくすると眠気も酔いも覚めてきたようで、
夜風に髪を靡かせて少し寒そうに身震いすると、
渡したペットボトルを傾けて、
こく、こく、と音を立てながら流れ込む水に
彼の喉が上下する。
古ぼけた街灯がチカチカと不規則に青白く光り、
その度に群がる蛾がヒラヒラと舞った。
「…迷惑かけてごめん小園井」
「まあ面白かったんで大丈夫ですよ、
この件は一生擦りますけどね」
「お前だって初めて会った日酷かっただろ」
「俺は雪さんみたいにお高くとまってないんで」
「たしかにお前が何しても元がマイナスだもんな。」
「…本当に反省してます?」
「してるしてる」
いつもの調子で憎まれ口を叩く彼に
心底安心する。
シラフでこんな風に話せる機会は
告白したあの日から、
もう訪れないと思っていたから。
「馬鹿だよな、
酒飲んだって何も変わらないのに」
「人間みんな酒浴びて
嫌なこと忘れてますから、普通ですよ」
「ふふっ、じゃあ皆どうしようもないな」
そういって微笑む雪さんはいつも通り綺麗で、
でも、哀しそうだった。
「…もう冷めきってるって分かってるのに、
それでもその言葉を恋人から聞くのが怖くて、
終わりを告げられないんだ」
手癖なのか雪さんはペットボトルを両手で
包んで竹とんぼのようにくるくると回している。
なんて事ないような様子で。
でも、彼の息が震えるのを感じた。
「好きなんだ、手放してしまいたい程に」
それが、
俺への″答え″だと分かった。
俺が好きになったのは好きな人がいる雪さんで。
誰かに寄りかかりたいくらい辛くても、
絶対に後ろ暗いことはしない人だ。
彼が俺を好きになる可能性が少しも残されて
いないことに絶望した。
どうしたらこの人は俺を好きになるのだろうか。
どうしたらこっちを向く?
「手放してしまえばいいじゃないですか」
「っおれは、」
「代わりでもいいです。
俺のこと好きにさせてみせるから」
「……だから、
俺がいいって言ってください」
告白なんて強気なものじゃない、
もはや″願い″だ。
戸惑った顔をする雪さんの腕を引くと、
彼の手の中で持て余していたペットボトルが
鈍い音を立てて地面に落ちた。
タイミングを見計らったかのように、
古びた街灯が明かりを灯すのを止める。
____今日はやけに月が綺麗だ。
丸く目を見開いた彼の後頭部に手を添えて、
衝動のままに唇を奪った。




