足りない
目の下に濃いクマをつくって死んだように
眠る恋人の傷んだ金髪を
お疲れ様の意を込めてさらりと撫でる。
2日間こもりっぱなしだった作業部屋から出てきた
彼の顔は真っ白で、
いかにも体調悪いですといった顔つきだった。
眠る顔を見ていたら、
なんとも言えないような気持ちになって
少しカサついた唇に口付けようと近づいて
____やめた。
…馬鹿みたい。
眠っている彼にしたところで虚しいだけなのに。
付き合い始めた当初はこうではなかった。
震えがちな手が頬を包んで、
潤んだ瞳で俺を見つめては口付けを落として
求めてきたくせに。
_____いつからか、
性行為はおろか
キスやハグさえもしなくなった。
大事にされていない訳じゃない。
誕生日や記念日は
嬉しそうに高そうなレストランを予約して、
有名なブランドのネックレスやら洋服やら
なんやらをプレゼントしてくるのだ。
だからこそ悲しかった。
少し手が触れただけで高鳴る鼓動も
笑顔を見ただけで甘く痺れるような感覚も
いつからか俺だけが感じるものになっていた。
___颯太はただ傍に居て、
穏やかに過ぎていく日々を望んでいる。
…贅沢な悩みだと、我ながら呆れた。
_______” 抱いて欲しい ” なんて。
浅ましいこんな欲望を誰かに言える訳もなく、
夜な夜な街にくりだして適当な店で酒を
煽ることで自分を落ち着けることが
ルーティーンになりつつあった。
音を立てないように寝室を抜けて、
スマホと財布をポケットに突っ込んで玄関の扉を
開ける。
夜の冷たい風が首筋を撫でて、
思わず身震いした。
「……ごめんね、颯太。」
俺だけがお前を求めたまま、
過去の甘い記憶に縋っている。
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雪 side
「わあ、偶然ですね。」
「…嘘つけ、
毎回俺の事待ち伏せしてるくせに。
暇人なんだな、小園井は」
「とか言いつつ嬉しそうですけど?」
知り合ってから、
かれこれ二ヶ月くらいだろうか。
人懐っこい笑顔を浮かべて
当たり前のように隣に腰かけるこの男は、
どうやら俺の事を気に入っているらしい。
いつものように1人で適当な酒を飲んでいたら、
酔いつぶれていたこの男が居てやたら絡みついて
離れず、
挙句の果てにはしくしくと泣き出されては
知らないフリをして帰ることはできなかった。
結局その日は夜明けまでカクテル片手に彼の失恋話を
聞かされていた訳なのだが。
「あ、雪さんが好きそうなやつ薫さんに
頼んでおきましたよ。」
「お、サンキュー。」
そんな初対面だったため、
第一印象は最悪だったが、何度も会う内に
優しい人柄を知って今となっては彼と会う
ことを楽しみにしている自分もいた。
着ていたコートを隣の椅子に掛けて
彼と二言三言交わしている間に、
綺麗なカクテルが目の前に置かれた。
「…ん、あま。
あれ、俺甘いの好きだって言ったっけ?」
「んーいや?
出会った時も頼んでたので好きなのかなと
思って。」
「こわ。俺のことめっちゃ見てるじゃん。」
「そうやって照れ隠しするところも可愛いですね。」
「……はあ。」
30も過ぎた男に”可愛い”なんて、
冗談でも笑えない。
そういえば颯太に″可愛い”と言われたのは
どれくらい前のことだろう。
…まあ、もう思い出せない程には過去の事だ。
「ちょっと雪さん!?
……無視ですかひどい!」
「いやごめん鳥肌が止まんなくて…。」
「もっと酷かった!!!」
このバーは、
隠れ家のようにひっそりと建物の陰に
隠れているためあまり人通りが激しくなくて
話しやすい。
バーテンダーの薫さんは気さくだし、
ちょっとうるさい飲み友達もできたし、
ここにいる間は気が紛れて少し楽だ。
「…なに。視線がうるさいんだけど。」
「今日はいつも以上に元気ないですね。」
「…俺いつも元気無さそうに見えてるんだ。」
「んー、なんて言うんだろう。
元気が無い、っていうか…
寂しそうな顔してるんですよ。」
色素の薄い、茶色の瞳が俺を見つめる。
出会った当初はハーフなんだろうと
思っていたが、どうやら隔世遺伝らしく
100パーセント純日本人らしい。
「お前は…、」
高い鼻先に人差し指で軽く触れると、
予期していなかったのかまるい瞳を大きく
させてピタリと動きを止めた。
「サッカー選手にいそうな顔してる。」
「…褒めてるんですかそれ?」
「褒めてるんじゃない?
サッカー選手の人ってかっこいい人多いじゃん。」
「急に触ってくるからビックリしたじゃないですか…。」
つい、誤魔化してしまった。
うまく隠せていると思っていたのに。
__”触れてくれない” それだけなのに。
もう4年近く付き合っているのだから、
多少は仕方がないのかもしれない。
モヤモヤした胸中を流してしまいたくて、
残り少なくなったグラスを傾け最後のひと口を飲み干した。
「…元気ないのは”颯太さん”のせい?」
「…………は。」
なんで、?
恋人がいることすら言った覚えがないのに。
「前飲んだ時雪さんが言ってました。」
「うそ…、俺記憶ない……。」
「貴方酔ったら忘れちゃうタイプじゃないですか。」
あまりにも不用心な自分に思わず
ため息が漏れる。
こいつが俺や颯太を知らない奴だったから
良かったものの、
もし知っていたらと思うと背筋が凍った。
「で、どうなんですか。」
「…俺なに話してた?」
「主に、”抱いてくれない”みたいな…。」
「死にたい。」
いたたまれなくなって机に突っ伏した。
…さすがに口滑らしすぎだろ俺、
黙れよ俺。
「…なんで颯太?さんは
雪さんとシないんですかね。」
「……そんなの俺がいちばん知りたいわ。」
突っ伏していた頭を彼の方に向けて、
近すぎてピントの合わない空になった
グラスをぼんやりと見つめた。
…底に残ったピンク色のカクテル。
俺なんかじゃなくて、
女の子が飲んだら可愛いんだろうな。
「…仕方ないよな。
こんなおじさんじゃそういう気分に
なれないのも分かるわ。」
あいつは綺麗で可愛い女の子を選び放題な訳で。
コミュ障気味ではあるが、
根は真面目で優しいしイケメンだし、
頭も切れる。
一緒にいて退屈することなどまず無い男だ。
「…雪さんは可愛いよ。」
「…ふふっ、馬鹿。
同情するなよ悲しくなるだろ。」
「ちがう、同情じゃない。」
いつのまにか彼も机に突っ伏していて、
グラスを挟んだ至近距離でパチリと目が合った。
「…俺、雪さんが好きです。」
まっすぐに此方を見つめる瞳が本気で、
冗談だろと笑い飛ばせなかった。
彼の右手が近づいて、
人差し指が俺の唇に触れた。
「~っ、!おれ、帰る。」
机に万札を置いて、
隣の椅子に引っ掛けていたコートを
手に取って足早にバーを後にした。
バクバクとうるさい心臓を落ち着かせる
ように深呼吸を繰り返す。
はっきり断らないといけなかったのに、
口が動かなかった。
久しぶりに感じた、
熱のこもった視線に酷く興奮した。
それが、”彼だから”なのか、
ただ単にそういう風に
見られることに飢えていたからなのか。
…最低だ、俺。
こんなの浮気と一緒だ。
颯太だけを好きなのに、
その気持ちはホントなのに。
___________
颯太が起きないように音を立てないよう心がけて
玄関の扉を閉めた。
家中に充満する彼の匂いを吸い込んで、
ついに涙が零れた。
喉が引きつったように上手く息を吸えなくて。
靴も脱がないまま玄関に座り込んだ。
熱い、熱い。
なんで泣いているのかも分からない。
小園井が俺を見つめる熱さを、
痛いほど知っていた。
かつて颯太が俺に向けていた、
俺が欲しくて欲しくてたまらないと
訴えかけてくる、あの瞳。
「…キスしてもいいですか?」
「無理」
「俺が無理です」
そう言ってさらりと頬を撫で、
噛み付くようなキスをする。
だめと言っても待てができないくせに、
いつも律儀に聞いてくる颯太に
よく笑ったっけ。
ふ、と頬が緩む。
__嗚咽を抑え込む自分の手が冷たくて、
また涙が零れた。




