第609話 倍々ゲーム
おかしい。
モーズほどではないとしても、ペガサス教団にとってはミシェル達会長も喉から手が出るほど欲しいパーツの筈だ。
なのに迷う素振りさえ見せずに言い切るのは不自然だ。
「……では、私を殺しに来たのかな? 口封じとして」
「俺の目的は別にある。貴様一人をわざわざ相手にするつもりはない。未成熟子に喰われるか、それとも抵抗するか――好きにしろ」
フッ
一方的に喋ると、ラリマーは再び闇の中に姿を消してしまった。
「……用もないのに顔を見せてくれたという事かな? 律儀な化け物だ」
ラリマーはアダマスとさして中身のない会話をしただけ。時間稼ぎの類でも、油断を誘い情報を引き出すといった類でもなかった。
意味がわからないが、こちらを混乱させるという点では有効だ。
(アレが何の目的で此処に来たのか知らないけれど、会長達に手を出さないのが本当ならば最悪の事態は避けられる。……本当、なら……)
ラリマーは嘘をついていない保証など、どこにもない。
会長達は容易に連れ出せないよう地下へ収監しているものの、ラリマーを始めとするステージ6ならば、菌床を展開した場所の何処にでも移動が可能。そして居場所の情報も、電子系統を掌握できる関係で簡単に入手できてしまう事だろう。
やろうと思えば、連れ出せる。
尤も地下に収監した理由は強奪防止以外にも、ある。
万が一、あちらの手に渡りそうになった際――事前に殺せる。
それが、逃げ場のない地の底に押し込んだ最大の理由だ。
(ともかく。アレに好き勝手されないよう、手を回さなくてはいけないね)
そう結論付けると、アダマスは菌糸が床や壁から伸びつつある廊下を駆けだした。
◇
装備を整えたマイクは階段を下り、追従するよう設定した浮遊型自動人形の照明を頼りに、ビリーのいる地下階層を目指していた。
そして階段のステップに踊り場に天井に、至る所に密集するように集っている感染者へ、毒弾を片端から撃ち込んでいた。
「なんだこの巫山戯た状況は! 警備部隊は何をしている!?」
思わず悪態を吐くマイク。
感染者はスーツを着ている者、白衣を着ている者、軍服を着ている者、と。その身なりだけで様々な立場の人間がステージ5となってしまっているのがわかる。
装備を揃えていない者のみならず、軍人まで感染している事に、マイクは驚きを禁じ得ない。
ここ国連本部には、対『珊瑚』を想定した訓練を叩き込まれた特殊部隊がいる。ステージ6をも仮想敵とした訓練を重ねている。軍服を身に纏う彼らが、その特殊部隊のはずだ。
なのにあっさりと感染しているのみならず、処分を逃れ勝手をしているなど、あってはならない。
尤も地獄に等しい状況に陥っているのには、相応の理由がある。それも、酷く単純な理由が。
――国連本部は、軍の基地ではない。
ただ、それだけだ。
本部に勤めている者の大半は国際公務員。彼らは避難訓練や自衛の心得は多少あるものの、ステージ5と遭遇した時に対処する力など、持っていない。そんな抵抗力の低い者から『珊瑚』は感染していく。一度、感染してしまえば後は倍々ゲームとなる。
つまるところ、数の暴力が対処できる範疇を超えてしまったのだ。訓練を叩き込まれた部隊だろうと、能力には限界がある。
またマイクは思い当たっていないが、つい先程まで談笑していた仲間が目の前で感染者となってしまう恐怖と悲しみと混乱は、人々に制御の効かない混乱をもたらしてしまうものだ。
そしてその混乱を鎮める手段を、特殊部隊は持ち得ていなかった。彼らが叩き込まれたのは、あくまで目の前のステージ5を処分する術だから。
――各国で大規模な災害が起きたのは、十年前が最後。
今年に入ってから幾つか異常な菌床が発生した事はあれど、どれもオフィウクス・ラボが無事に鎮圧。現着後は被害を迅速に、最小限に抑えた。
アメリカで起きた《暁の悲劇》が中でも最も規模が大きい災害であったが、所詮は海の向こうでの出来事。自分ごとと捉えられた人間が、果たしてどれだけいる事か。
「っ、このままでは弾が尽きる……!」
一旦、補給をしなければ。
そう判断したマイクは踊り場の扉を蹴破り、廊下へ飛び出した。同時に悲鳴が聞こえた。扉を少し開け、隙間から外の様子を窺っていた職員だ。抵抗する手段を持たない為、助けが来るまではと立て籠もっていたのだろう。職員は廊下に現れたのが感染者ではなく、装備を揃えたマイクだと気付くと喜色に満ちた笑みを浮かべ、部屋から出てくる。
ドカッ!
その直後、天井に大穴が開いた。降ってきたのは、菌糸で包まれた弾だ。
職員は運悪く、その下敷きとなってしまった。
また悲鳴があがる。部屋の中には他にも人がいたらしい。
「っ! 早く扉を閉めろ!!」
すかさずマイクは叫んだが、時既に遅し。
バカンッ!
菌糸の繭が弾くように開き、棘状の菌糸が四方へ飛び出し、周囲の人間を串刺しにした。
後はもう、養分として枯れ果てるだけだ。瞬く間に木乃伊のように水分が抜け、全身が赤く染まっていく人間だったものを前に、マイクは処分した感染者から奪った盾を構えつつ、息を呑む。
菌糸の繭。弾。
ウミヘビの破壊さえ可能にする、自爆兵器。
(クスシのカールも、あの繭の手によって感染してしまったという話だが……。成る程、確かにあのスピードは回避困難だ)
それでもステージ5となった感染者の報告が、カールただ一人だったのは注目すべき点だ。
確かにオフィウクス・ラボは平素から活動しているクスシは10人と少なく、その全員がラボに集う事もなかなかない。
だが、被害が抑えられたのは人数の少なさからではない。寧ろ当時、たった4人しかいなかったというのに、彼らは極限まで被害を減らした。
ラボの地下に眠る1500万人へ、手出しさせなかったのだから。
それを可能にしたのは、クスシもウミヘビも対『珊瑚』のエキスパートだからだ。
一部ではなく、全員が対抗手段を持っている。一部のウミヘビは戦闘員ではないらしいが、ウミヘビという時点で毒素を持つ。『珊瑚』は迂闊に手を出せない。前提が、普通の人間とは全く異なる。
「これは、今までのどの現場よりも、厳しい戦いになりそうだな……」
マイクは額に冷や汗が流れるのを感じながら、銃を構えた。
目の前に立ち塞がる、先の破裂によって増殖した感染者に向け。つい先程まで希望を信じ立て籠もっていたいち市民だった存在を、処分する為に。




