はじまり
俺はこの学校が嫌いだ。
教室の真ん中に回転式の椅子があるとして、回して見渡してみれば、360度、女子ばっか、嫌になる。
この高校を受験当時はそんなこと思わなかった。自分は中学一年の時から女子に非常に興味を持ち始めた。クラスメイトの女子も小学生の頃と違い、魅力を感じるところが大きくなる。小学生のころから可愛い女の子はクラスメイトにいた。しかし、中学に入学すると日を追うごとに顔がどんどん大人びてきて、小さい頃のおぼこさが無くなって、魅力的な顔立ちに変わる。また、当然のように体の発育も日を追うごとによくなる。胸は大きくなるし、体つきも男子とは違う。俺自身ははガリガリで骨と皮だけなのだが、女子のなんとも言えない、あの柔らかそうな体を見ていると唾液を自然と分泌してしまう。ゴクリ、我ながら変態なんだろうか?と思う節はあるが、世にいう男子中学生とはそんなものなのだろう?やはり、第二次性徴期や思春期を迎えるのが中学生のころで、それは至極当然のことに思える。
そういう訳で俺は中学の頃から、女子に強い憧れをもっていたのだ。女の子と話したい、触りたい、性行為したい。など、日々募る思いを我慢して学校に通っていた。
しかし、中学ではそういうことができる男子は実は限られている・・・・・・。
第一にやはり、ヤンキー(俺は認めてないが・・・・・。)と言われる人種が集まるグループだ。女子という奴等は実は単純なのか、動物的な本能が働いているのか分からないが、強そうな男子に憧れを持つ。ガタイが大きくて強そうな男子が好きな女子も少なからずいる。そういう男子は頭に虫が湧いたような自慢話をする・・・・・・『西中の奴らが調子に乗って俺らにからんで来たから、返り討ちにしてやったよ。最初はお前ら最近調子のってんじゃねーの?みたいな感じでからんできたから、おとなしく話聞いてやったら、ところでお前、俺の名前を知ってるか?と聞いて名前を教えてやったら、コロッと態度を変えたんだよ、でさー〈どうしたの?そいつら?〉もちろんやってやったよ!これ戦利品!〈ウワー、ヤッタァー!なんか奢って奢って!〉もちろん、今日の帰りカラオケ行こうぜ!。』などと、いかにも脳に虫が湧いてそうな話だ。だいたい人から財布を盗んでおいて、よくも、いけしゃぁしゃぁと自慢気にはなせるもんだ。人として恥ずかしくないのか?と思うが、この記憶を思い出すと、自分も脳に虫が湧いてきそうなので、思い出すことをやめよう。
そして、俺たち優等生がいる訳だが、優等生の中でも俺たちの裏切り者がいる。それは、スポーツの才能に秀でているものだ。一言にスポーツの才能と言っても、その種類は多種多様であるが、特に、花形スポーツ・・・・サッカー、野球、バスケができる奴等は俺たちの裏切り者だ。そういう奴等には何故か登下校中に女子がひっついて仲良しそうに歩いている。モテる範囲の女子も多種多様なのも、この裏切り者たちの特徴だ。ヤンキーたちが連れている女子達は見た目が派手な女が多い、つまり自分たちもヤンチャしている女子が多いのに対して、その裏切り者たちは一見地味で、恋愛することから遠い存在のような女子(自分と近い存在のような気がして、ここについて掘り下げることはやめよう(-_-;))から、ヤンキー集団以外の普通の女子。そしてクラスの皆が憧れる、クラスのマドンナ的な存在も彼らの一部には射止めた奴もいる。いくらスポーツができても、所詮は男はケダモノ・・・・俺(自分)とそう変わりがある訳ではない。俺と同じで、毎日ムラムラしてんだろう?だいたいスポーツだって女にモテたいから始めたんじゃないかと、疑いたくなる。それに彼らはヤンキー達にも結局はスポーツができるという理由で一目をおかれる存在でもある。
実は自分も陸上部に所属していた。そういう花形スポーツをしてモテることをしたたかに考える連中とは俺は違う。純粋に走ることで自分の可能性を見出そうとしていたのだ。前述したが、自分の上半身はガリガリだ。腕は全く筋肉はついてなく。筋肉どころか脂肪すらない。男は大胸筋が発達していたら、いい体の指標になるが、残念ながら胴体は肋骨が浮き出ている。誰からどう見ても残念な男の体だ。
しかし、足だけは違う。足だけは、両親から受け継いだDNAなのだろう?太いのだ。この足で何か自分の将来が少しだけ見える気がした。だから陸上部に入ったのだ。
俺もこの足で自分を成長できるとおもった。自分も女子にモテるような男になる!(笑)しかし、実際は毎日走り込み、来る日も来る日も走り込み、自分の専門の中距離、1500mもいっこうにタイムは伸びない・・・・。それでも俺は頑張った。一人夜中で走り込みまでした。そんな時、俺の体に異変が起こった。肺や気管に異常を感じるようになったのだ。息を吸い込むのに長い時間がかかる。吐き出すと音がなる。
俺は気にしないようにしていた。そして数週間後、練習中に倒れてしまった。どうやら酸素の血中濃度が著しく低下していたらしい。病名は喘息だった。どうやら俺はもうスポーツのできない身体になってしまっていたのだ。医者の診断はしばらくしたら喘息はよくなるそうだ。ただ、今の生活を続けると、治るものも治らなくなってしまう。しばらくスポーツはしないでくれだそうだ。
俺は一生懸命頑張っていた心が折れた。これではインターハイ予選に間に合わない。心のどこかで叫んでいた声、スポーツは向いてないんだろう?という心の中で叫ぶ声が大きくなっていたのだ。陸上部のやつらにも人一倍頑張っているクセに結果が反映されないので、鼻で笑われ馬鹿にされていたし、クラスの奴等にも授業の体育の成績が何に関してもビリに近いので、運動音痴が何頑張ってんだよ!?みたいな、白い眼で見られていた。
そうして、俺は陸上部をやめることにした、そして待っていたのは、小学生の頃から仲がよかった。自分と同じ趣味のゲーム好きの友達だった。奴等は俺の頑張りに半ば呆れていたようだ。どうせ、運動ができない奴がスポーツを頑張っても見返りは何もありはしない・・・・・・。俺を応援するのでは無く、早く諦めて自分らの場所に戻ってくるのを待っていたようだ。人が頑張っているのをそんなふうに見られていたのは少し癪に触るが、彼らと同じように、学校から帰ったら家に集まってゲームをする。その後は各々、自分の家に帰って勉強・・・・。何も刺激がない毎日の繰り返し。それが俺にとって良かったのかどうか分からないが、こうして俺、山本涼介の中学時代の青春はそこで幕を閉じた。
そして、あっという間に時間は経ち、中学三年、受験シーズンが始まった。俺はスポーツもできない。ヤンキーは軽蔑する(本当はビビッてる)
しかし、女子への猛烈な憧れは捨てることはできなかった。私立、四谷坂学園。そこは、女子高だった学校が、俺が入学する来年からは共学化される女子ばかりの学校だ。偏差値もそんなに高い訳では無い。自分が少し頑張れば届きそうな偏差値の学校だった。俺はその学校のパンフレットをもらった時からこの学校に心を決めていた。少し頑張ればいいだけの勉強をすごい必死に勉強したのだ。自分がモテないのは周りが悪いのだと、ヤンキーや体育会系がいない環境の中に身を投じれば、必ず彼女ができるだろう。人(女)というものは、自分の居場所(環境)を中心に生きている生き物だ。結局、いくら外にアンテナを張ろうとも、自分のいる環境を大事にしているため、その中で自分を見出し、自分の価値観を作ろうとする。とどのつまり、その学校(居場所)に自分の周りにいる男子が数人しかいないとすると、女子は彼氏がいるステータスが欲しいため、男を求めるようになる、そうすると、結果的にそこの中で男を選ぶしかないのだ。
とまぁ、その、安直でかつ愚直な考えの元、この学校を受験し、合格、そして入学してから一年がたった。今の現状を一言で表すと、中学の頃思い描いた天国であっただろうはずの楽園が地獄であることであることは言うまでもない。
女とは下品で陰湿な生き物である。そして階級社会を重んじ、そのクラスは絶対に覆ることは無い・・・・。
入学した時から、俺たち、男子に最初から居場所なんて無かった。それに気付くまで一ヶ月とかからなかった。というか、彼女らの目線はほぼクラスにいる数名の男子など、目にも映らなかったのだろう。ほぼ無機質状態だ。どうやら、男子を石ころや、石ではなかったら、大きいので岩とおなじような扱いなのだろう。そうでなかったとしても、目に入ると邪魔なので、まるでゴキブリやネズミを見るような、視界に入ることすら邪魔で邪魔もの扱いをしてくる。これでは人権侵害だ。
入学式が終わって、学校が始まって間もない頃である。彼女らはこんなことを話していた。当時、俺は窓際の一番後ろの席に座っているので、もちろん、女子の会話に聞き耳を立てていた訳では断じて無いが、よく女子達がそこで会話しているので、自然と会話が聞こえてくるのである。
「てかさぁ、うちの学校の男子どうよ?」
女子Aが携帯を片手に開いた窓に両肘をついた女子Bに話かける。
「ありえなくなくなぁい~?なんか、地味でなんて言ったらいいのかな?芋っぽくてダサいのばっかり。」
「言えてる。言えてる。てかさぁ、なんで今年から男子を編入した高校選ぶかなぁ?もう、女目当てな見え見え。」
俺はその会話をよくその対象となる男子が傍にいるのに堂々といえるなぁと思いつつ、まるで自分の心(目論見)を見透かされているようで、少し、その言葉を聞いてから冷や汗をかいていた。
「てか、うちの学校の男子と付き合う奴とか、いるのかなぁ?」
「いない、いない、相当痛い奴でもいない。」
「だねぇー、絶対無いよね!?女目当てで入ってきたのに、可哀そうに・・・・。同情するわ・・・・。」
「もしかして女子と付き合えないから、男同士で付き合ったりして・・・・。」
「それ、うけるー!!腐女子にモテモテじゃん、よかったねぇーーー!(笑)。」
とてつもなく下品な生き物である。これでは、中学時代、ヤンキーに群がっていた女子と変わらないではないか?第三者が聞いていたら、とてもじゃないが人として恥ずかしい会話を平然とする。しかし、やはり的を得たところもあり、彼女らの話を手放しに心の中で嘲笑できない節もある。
そう、この学校に入学して分かったことは大きい。女子ははなからこの学校に入学してくる男子など眼中になかったのだ。彼女らは、学校に入ってくる男子を始めから、男として(もしくは人か?)見る気は無く、女子目当てで入ってきたヘタレと勝手に認定している。そこには、やはり先入観、偏見が大きいのも事実であろう。だが、自分に思いあたるところが無いと言われると、そうでは無いので、否定はできない自分がいた。
それにしても下品である。中学のころは、下品な女子というのは、見た目ですぐわかった。中学の頃の下品の女子か?そうでないか?を見極める方法は簡単である。化粧で顔の原型が分かるか、分からないかで決まる。化粧で顔の原型が分からなくなるまで、ケバイ女子は大抵、ヤンキーの男子に群がっている。(それでも、可愛い子もいたが・・・・。)だが、この学校は違う。何故この学校の女子は下品な女子が多いのだろう?
その理由を自分なりに考えてみた。そうすると、すぐ答えが見つかった。女という生き物はそこに見られる異性(男)がいるために、それを意識する故に、自分の身だしなみや、ふるまい、発言に気を配るのだ。しかし、そこに(男に)見られている要素が欠落したら、特に何も気にすることが無いので、そこについては何もしなくなるのだ。
この推論が正しいとすると、自分達(四谷坂学園男子生徒)がどのように見られているかが、よく分かることだろう。少なくとも男としては見られていない・・・・・。やはり無機質なのだ。
別に皆が皆、こんな下品な会話をするような女子という訳では無い。しかし、そう思っている女子が過半数以上を占めると思っても過言ではないだろう。この会話をしていた、女子AとBもいったん学校から離れると、彼女らを見ている一般大衆からは、ごく普通の女子高生に見えているだろう。そんな、ごく普通に見える女子ですら下品な片鱗をみせるのだから、この学校にいる。いかにも下品女子はもっと酷く思えるし、俺たちに近しいものを感じる地味なあまりパッとしない女子も俺たちに異性としての価値を見出していないのは、言葉にせずとも分かる。
俺たち、新男子生徒は最初の方は俺と同じ考えで入学してきた人も少なくは無いだろう。だから入学したてのころは、彼らは目が希望の光を含んでおり、女子に対しての希望も捨てていやしなかった。だが、それから一年が経った、今、誰一人、そんな目をしている男子はいやしない。女子に対する諦めや蔑視する目で目が曇っている。それに、なんと言っても覇気がない。皆、女子に対する目に見えない圧力にひれ伏しそうになっているのか、どことなく下を向き加減になる。
俺たちは入学して、すぐに洗礼を受け、それにひれ伏し、飲まれて生きていくしか術がない生活を強いられているのを受け入れて生活している。そこには希望など存在しないのだ。だから皆、下を向き加減になるのが凄く共感できる。
俺たちは、だから男子同士の結託を大事にすることにした。そう、まさに、俺が中学時代に集まった協調感と良く似ている。
よくいうではないか?女は裏切られても、友達は裏切らない・・・・(笑)
それでいいと俺も思う。下手に希望や期待を持つから駄目なのだ。そういうものを捨ててしまえば気持ちは楽になる。そうやって、俺たちは女子を見ても見ぬふりをするようになったのだ。
さっきの女子ABの話を引用すると面白いのだが、こんな取り決めも決めた。彼女ができたらこの結託を脱退させる・・・・。と。
もちろん、遊び半分で決めたことだが、これで俺たち、四谷坂学園男子生徒の友情や信頼関係は良くなることは間違いない。
そんなこんなで、中学と同様、刺激のない、女がいる生活とは程遠い生活を続けていた俺だが、一年と一ヶ月の歳月が経った、今、高校二年の一学期の五月、俺の運命の歯車が大きく回り始まることなど、この時まで夢にも思わなかった。
俺はいつも通り登校して、そしていつも通りの授業を受けていた。俺はいつも運が良く一番後ろの窓際の席になることが多い。席はいつもクジで決めるのだが。いつも願掛けをするからだろうか?籤引きの蓋があいた箱の前で心の中で密に願うのだ。その甲斐あって、よくこの特等席を手に入れている。
俺はこの特等席が好きだ。一般的にこの特等席は授業をサボれることで、重宝される席であろう。居眠りはもちろん、漫画を読んだり、早弁したり、色々使い勝手がいい席で知られている。しかし、俺の一番の魅力はやはり外を眺められることにあるのだろう。上を見上げれば、どこまでも青い空が広がっていて、白い雲も多種多様な形で、毎日見るものを魅了する。大きな雲、入道雲の時もあれば、巻雲のような、細く、短く、背後の空の青さに透けるような白さの雲の時もある。その広大さと開放感が学校の教室での、男子(自分)への閉塞感を忘れさせてくれるような気がする。
と言っても、いつも外ばかり見ている訳ではない。もちろん授業はちゃんと受けているし、教室の中を見ている時もある。この席はもう一つ利点があり。外を見て、大自然を鑑賞することで開放的な気分になるのと、もう一つはクラスの中の全部の席が自分の位置からだと見えることである。自分が毛嫌いしてきた女子を見ることになるのだが、この位置からみると、自分がその女子達を全員眺めることができる。なんとも支配的な感情が湧き上がることであろう。いつも我慢して自分を押し殺しているだけあって、少しばかりの反抗心や、優越感に浸ることができるのだ。
しかし、今月、この席が回ってきて、教室の方を眺めるのは違う理由である。三枝優利、彼女を密に時々、眺めることで心に癒しを作っているのである。
彼女は綺麗だ。見とれる程、綺麗だ。自分の女子に向ける目が濁っていることは間違いないのだが、彼女を見ると目が洗われるようだ。
と言っても、誰もが憧れる美少女という訳ではない。もちろん、美少女であることには変わりはないのだが、そんな女子は他にもいる。彼女だけが心のオアシスであることには他にも理由があるのだ。
彼女はやはり他の女子と比べて気品がある。彼女は明るい性格で、周りの友達もやはり社交的な感じの女子が多い。その女達はこれと言って他に言うこともないし、自分の曇った目越しでみると、下品な女とグループ分けしてもいいだろう。が、彼女はその渦の中心にいても、そういう色に染まることは無い。もちろん、友達と馬鹿みたいに笑ったり、はしゃいだり、ふざけてみたりすることはある。俺から見るとよく女達が下品に見える行動だ。だが、彼女は笑ったりするときは、心から本当に笑って、笑顔を見せている気がする。それに、やはり女達の下品な部分の代表としては、相手(対象)を馬鹿にすることで笑いを起こす話である。つまり悪口である。しかし彼女はそういう話には一切参加しようとしないのである。そこには自分のポリシーみたいなものを感じることがある。相手を尊重し、思いやっている。そういうことを普段からしているようにみえるのだ。
無垢な笑顔と人を思いやる気持ち、こんな両方を持ち備えた女子はこの学校、女多しといえど、見つける方が難しい。その上、持ち前の美貌である。こんな少女は他にいない。本当に笑顔が可愛くて、愛おしいのだ・・・・・。
しかし、もちろん、自らのこの学校の立ち位置、立場、周り(女子)からの自分への向けられるステータスや印象など、彼女に声をかける自信が自分には無かったし、やはり女は信用できない。下品で陰湿な生き物である。自分が関わることで彼女への羨望のイメージが崩したくなかった。
だから、このままでいいのだ。彼女のイメージを崩すことなく、彼女を見る。そうすることで、癒され、濁った眼を洗い流して、目の保養にする。それが、自分にとってこの上ない至福なのだ。
そう、俺は、いつものようにその二限目の授業中、外を眺めたり、三枝を見たりして普段どおりしていたはずなのに、俺が辛酸をなめることになる経験につながるとは、思ってもいなかった。
5月の始め、それは太陽の日差しが熱を注ぐことを今まで休んでいたため、それを怠ったことを知った太陽が、急かされたように熱い光線をここぞと言わんばかりに放出する時期である。一限目は体育だった。体育の授業は普通の学校と同じよう、男子少数と言えど、合同ではなく男女別で授業をする。今回は男子が体育館でバスケをして、女子は運動場でソフトボールをしていた。
男子はその太陽の熱光線を避けることができたが、女子は炎天下の中でソフトボールをしていたのだ。体内に溜まった熱は、授業が終わったこの時間までの汗の分泌量でたやすく想像することができる。
女子は皆、熱さに悶えて、二限目は国語だったが、授業など皆、うわの空である。皆、下敷きで顔を仰いでいる。
そんなことをあまり気にもしない俺は、いつもどおり特等席で空を見ていた。この時期の空は本当に綺麗だった。広がる巻雲の背景に薄く広がった青。心をどこかクリアにしてくれる気がしていた。そして、いつもどおり憧れの三枝を密に見るため、壁側の一番前の席まで視線を動かしたのだ。そのとき、俺は、視線の対角線上の女子のことなど気にもとめていなかった。
三枝優利は本当にまじめそうに授業を受けている。彼女は真面目そうに国語の先生を見て、黒板を見。清楚な女子高生の鏡に思える。俺はまた、彼女を眺めることで癒され、彼女に見とれることで、自分の中の彼女に酔っていた。
しかし、いかに下品な女子とは言え、彼女らへの注意も怠ってはいけなかったのだろう。視線の真ん中あたりに猛烈な敵意を感じた。俺はそこに目の焦点を合わせた。クラスメイトの女子、山中裕子が凄い形相で俺を睨んでいる。自分は三枝優利をじっと見ていたが、よくよく自分の視線の線上にある風景を思い出してみた。そしたら、女子が制服のスカートをめくって、下半身を下敷きで煽いでいるイメージが頭の中に入り込んできたのだ。
俺はすぐさま視線を窓にもう一度戻そうとした。そしたら、山中が後ろ振り返り三枝優利を見て。何か気付いて思いついたかのような、したたかな顔をして、黒板に視線を移した。なんだがほくそ笑んでいる。
俺は心臓がバクバクで、著しく動揺していた。窓から見える風景も、あの美しかった風景が滅茶苦茶に歪んでいる。
次の休み時間、その山中が何人かの女子を引き連れて、俺の席の前に仁王立ちした。
「お前、さっきの授業中、何見てた?」
「・・・・・・・・。」
俺は言い返すことができなかった。自分は何も悪くない。やらしいことなど、一切考えず、ただ三枝優利を遠くから見守っていただけなのに・・・・・。
「私がスカートめくって、下敷きで煽ってたところ、ずっと見てたよな?」
「・・・・・・・。」
「なんとか言ってみろよ!こら!」
山中が声をあらあげて、机を平手打ちした。
山中裕子とはこんなに粗暴で暴力的な女子だったのだろうか?そういえば、良くない学校の不良と絡んでいると噂では聞いたことがあるが、自分の女子へのシャッターを自分から閉めていたことに、初めて後悔していた。
山中の横にいた女子がまた声をかける。
「あのさぁ~、あんた、自分の立場分かってんの?この学校で男子が女子にセクハラなんかしたら、あんたら終わりだよ。」
「・・・・・あの・・・・・・。」
身体の震えが止まらなく、まるで産まれたて赤ん坊のように、声をだすことに必死で、音になるか分からない程の声を振り絞った。
「あ?」
「あ、あ、あ、あのさ・・・・・・・・・・・・・・」
「だから、何だよ!」
山中が苛立ちを隠せずに言った。
「おれ、別に山中さんを見てた訳じゃないよ・・・・・。」
山中はそれを聞くと凄くいやらしそうな顔をして俺に言った。
「あのさぁー、私の方をずっと見てて、私が睨んでも、ずっと私見てたよね?言い訳は見苦しいんじゃないの?」
「・・・・・・・・。」
「じゃあ何見てたんだよ?」
そして、山中は三枝のいる方に首の角度を変えた。不敵な笑みを浮かべて山中は俺に耳打ちした。
「黙っといてやるよ、三枝にバレたら困るんだろ?」
俺は凄く赤面して、身体中の体温が上昇するのを感じた。
そして山中は横にいる女子と顔を見合わせて、俺に言った。
「今日、放課後になったら校門前で待ってるから、私らと一緒に来いよ!お互い困るだろ?ここであったことは内密にしといてやるからさぁ~。」
俺はその言葉を聞いて、ただ、やりきれなさから、その場に座り込むことしかできなかった。
キンコンカンコン
学校の放課後を知らせるチャイムが鳴る。俺は山中裕子の言う通りにすることは、とてつもなく嫌だった。奴らの言いなりになっても、これからいいことなど起こる訳がない。しかし、このことを無視して起こるであろうことと、山中の言いなりになって起こるこれからの人生も、どっちも選ぶことは俺の頭では演算できない。とりあえず、無心になって、学校から出ようと思った。そしてできるだけ視界を狭くし、見える風景を狭めて歩いて帰れば何も起こらない。そう思うことで迫りくる現実から逃避しようとしていた。ただ、無心になって校門に向かった。しかし、その思いとは裏腹にやはり、校門で声がかかったのだ。
「おい!」
「・・・・・・。」
「おい!聞こえてんだろ?つれねぇーな山本涼介君よ!」
「ハ、ハイ!」
俺はもの凄く動揺したあまり、声が裏返った。
「なに怖がってんだよ?!何も悪いようにはしねーよ。」
山中は俺の肩に手をかけてきて、周りにいる女子と顔を見合わせた。
ずいぶん、馴れ馴れしくて、異性との体の接触すら何も躊躇しない下品な女だと頭の中で思っていた。が、それよりも問題を先送りにしていたことへの後悔が冷たい汗を沢山かくことによって物語っていた。やはり、友達や先生に相談した方が良かったのだろうか?いや、友達を巻き込むわけにはいかない。これから起こる、先が見えない、得体の知らない恐怖を共有させることなど俺にはできない。かと言って、先生はどうか?まだ何も起こってなどいないのに、先生に言ったところで、やはり、先生は相手などしてくれないだろう。それにパンツを見た疑いをかけられている。そんなこと相談できるはずがない。それに何より、女子にビビッて屈している、そんなこと自分自身認めることができない。情けなくて、カッコ悪くて、ダサくて・・・・・。自分が毛嫌いして、下に見ている。(そうすることで精神安定してきた)奴等にそんなことで屈していると思いたくないのだ・・・。
そんなことを頭の中をぐるぐる考えている刹那、彼女らは言った。
「とりあえずついてこいよ。召集かかってんだ。」
携帯を片手に何かを打ちながら山中裕子は言った。
・・・・・・・・・召集?何をいってるんだ?・・・・・・・・
俺は全く、彼女らが言っていることが皆目見当がつかなかったが、なんとなしにこれから起こることの予兆は頭の中が理解を示し始めた。俺は、恐怖でたまらなかった。
ヤンキー、中学生のころ本当は怖がって敬遠しがちだった。奴等に囲まれる・・・・・・。中学時代の彼らに対するイメージがフラッシュバックのように蘇ってくる。また奴等に会うのか?俺の恐怖心は時計の秒針が刻むごとに膨張する一方だった。
あたりは暗くなりつつあり、昼間、あんなに熱光線を差して眩しい光を照らしていた太陽が斜めに差し込み、オレンジ色で柔らかく差し込み始めていたころ、時計は午後6時を差していた。俺はそのオレンジ色の光を工場団地の中の廃工場の窓から見ることになることなど夢にも思っていなかった。俺はまた、思考停止して彼女らについて行っていた。学校からここまで、そう遠くない距離だろう。しかし、心拍数の速さが時間を長くする。一歩、歩くたび、血流が脈打つ音を何度も何度も聞いたように思う。目の焦点が定まらないまま、歩く景色は異様で、不思議だが、彼女らが前に歩いていないとここまで立って歩いてこられることはできなかっただろう。辺りも影が増え始める中、角の塀を曲がり、そして歩き、また角の塀を曲がる。そんな難しい道を歩いたわけではないだろう。しかし、来た道筋は分からず、一人ではもう帰れない(もう戻れない)だろう。
そして、俺は彼女らとそこに着いて、アスファルトに塗装された地べたに座りこんだ。一回深く深呼吸をして、周りを見渡してみる。彼女らは自分の目の前にいたが、地べたに座りこんだりしていなかった。この工場の面積はだいたい、学校の体育館の二分の一ぐらいの広さで、彼女らはこの工場に鉄パイプの椅子を持ち込んでいた。10席ぐらいあり、空席がいくつもある。それ以外何があるのかというと、キレイに何もなく、少し見上げると、四方の灰色の壁に磨りガラスの窓がいくつも点在している。元の工場主は工場の中の物を売り払ったのだろうか?俺は、磨りガラスの窓から浴びる光を見ながら、刻々と時間を過ごしていた。
山中たちは学校のカバンから鏡と化粧道具を持ち出し、自分の顔を変えながら談笑していた。俺の目の前で彼女らはどんどん姿を変えていく。俺はそれを見ながら徐々に身震いしてきた。やはりヤンキーだ。怖い思いが助長していく。俺はなるべくそこに女子だけが集まる集会だと祈っていた。男のヤンキー・・・・・自分が一番恐れ、敬遠していたもの。奴等が来ることだけは絶対に嫌だった。
工場がすっかり暗くなった頃、そんな思いとは裏腹に、明かりが一面明るくなった。おそらく蛍光灯のスイッチを押したのだろう。そして声がかかった。低く、突き刺さるような黄色い声だ。
「よう!遅くなったな!」
「遅い~!何してたんだよ!」
「悪い悪い、ちょっとな・・・・。」
誰かが近づいてくる音が大きくなる。その足音は複数で、歩き方が粗暴なのか、足音の不協和音が工場内で響く。俺はどんどん大きくなる足音に反応して振り返ることができなかった。自分の靴を見ている。そしてその足音が俺の真後ろで止まった。
「それでこいつが例のやつか?」
「そうそう。私のパンツ、授業中でずっとガン見してたんだよ。」
「むっつり君か・・・・。」
「いや、ガン見してる時点でむっつりじゃないっしょ!」
工場内で笑い声が響く。そいつらは俺の目の前で仁王立ちした。俺は、身体中、緊張しながらもおそるおそる、見上げてみた。
最後まで首をあげるのに時間がかかった。もちろん、動揺心からおこる、動作の鈍さのせいもある。だが、それ以上に自分の目の前にいる男が高かったのだ。自分は中学まで共学の学校にいたが、これほどの男子はあまり見たことがない。やはり高校からも男は身長が伸び続けるのか、ゆうに185センチはある。
俺は本能的に恐怖心に駆られた。体の震えは相手に悟られぬように必死でこらえることに必死だったが。口の中にたまった唾液を飲み込むことはできない。首をあげたまま、動くことができないのだ。
だが、その状態であったため、俺は奴の顔から目を離すことができなかった。嫌というほど奴を観察させられたのだ。奴は、まだ5月だというのに、Tシャツ一枚で堂々と立っている。髪型は金髪で、耳には左耳に太いピアスを二つつけている。しかし、なんといっても奴の特徴は顔である。鼻筋や口、すべて整った顔立ちになっているが、驚かされたのは目の力である。目に映るものを逃さない、服従させる。完全に目があった瞬間ロックオンされて、自分がどういう立場の生き物か実感させられるような目をしていた・・・・・・。
「それでこの男どうするんだ?裕子?」
「あはは、私がそれ決めるぅ~?」
山中は今まで見たことのない女の色気をはなっていた。今までこういう感じの女が男に対する態度を見ることを忘れていたのだろう。それは別に、特別な感情を男に対して抱いて接する態度のようには客観的には見えないだろう。ただ、俺は山中はきっとこの男のことが好きなんだろうと、主観的に感じた。それは別に他の女子にもいえることだった。奴以外の男は他に三人いたが、他の男と手をつないでいるクラスメイトもいた。しかし、奴を見る目はとてつもない憧れの目で満ちていた。
「だって、お前だろ?被害者は?」
「あはは、もういいよ。」
「こいつの処遇は俊介が決めてよ。」
奴の名前は俊介というらしい・・・・・・。
「おう、そうか、まぁ男なら気持ちはわかるよ。女に飢えてんだろ?じゃあ俺たちと友達になろうぜ。」
「・・・・・・・・・。」
「つれねぇなぁ、なんとか言えよ。恥ずかしがり屋なのかな?僕?」
また工場内で笑い声が飛び交う。俺は自分自身の立場、現状をようやく頭で理解始めた。このままではいけない。まず、立ち上がって去勢を張ろうとしても、それができない。俺は自分が勇気を出す、頑張らなければ、この現状を変えられないと思った。恐怖からうち勝たないと俺はこのまま最悪のシナリオを描くことになることを理解している。
足を震わしながら、生まれたての子牛のように、必死に立ち上がった。足はガクガクになっている。
「嫌だ。」
俺は全身全霊の力を喉の変声器に集中させた。その声はあまりにも、高さと低さがめちゃくちゃで、オシロスコープにすれば凄い高低差になるだろう。
「何?」
俊介とかいう奴は険悪な顔もちで聞き返してきた。
ビビッてはいけない。ここで引いてはいけない、引かなければシナリオを書き変えることができるかもしれない。だが、ここで引いてしまったらシナリオを書き変えることは不可能だろう。
「何言ったか聞こえなかった。なんだよ。」
「いやだ!!」
静寂の中の工場内で俺の声だけが反響した。その声が後に俺の思いが繋がる、運命の糸の声だとは、この時は気付いていなかった。
「お前、なかなか見どころあるじゃん。俺に真っ向から反抗する奴、初めてみたわ。でもな、山本君。自分が勇気出して立ち向かえば、解決すると思ってんだろ?世の中、頑張ってもどうしようもないこともあるんだよ。」
俊介は俺の左足を横から蹴りまわした。
俺のガクガクの足は、緊張から固まっていたため当たった瞬間、筋肉の筋が折れたように感じた。
「・・・・・・・・・・ウワァー!!!!」
俺はアスファルトの地面に倒れこんだ。今まで人から暴力を受けたことは無かった。自分からそういうことは避けて通って生きてきた。目に映る、いじめや喧嘩は自分とは関係ないと思い、自分の目のフレームを通して、それをそのまま流してきた。しかし、これが暴力というやつなのだ。これが殴られるということなのだ。俺は自分が張った去勢の本当の恐さを初めて知り、心が折れてしまった。
俊介は倒れている俺の前に立ちふさがり、覗き込みながら言った。
「分かっただろ、お前に選択権なんてないんだ。」
奴の笑みは、人間の醜さの塊のような笑みだった。俺の心の中は、もう、どうしようも無いという事実を痛感させられる以外、何も残ってはいなかった。
太陽が沈んで、日が昇り、次の日がくる。そして学校に赴く。俺は昨日の自分の身に降りかかった悲劇が昨日までで済んで欲しかった。山中たちはもう、俺に関わりをもって欲しくない。いつも通り、この学校の女子がしているように、無機質のように扱って欲しかった。そこに存在しているのに、存在していない。そう扱って欲しかった。
昨晩は、人生の中で一番の屈辱を味わった一日であることは間違いないだろう。あの後、周りの追い討ちをかけられ、その後、女たちにも踏まれて、抵抗できない俺は、泣き顔をこらえるのに必死だった。泣いたら余計追い討ちをかけられる。馬鹿にされる。自分の大事なものが汚れていく。そんな葛藤から泣きたくても泣けなかった。
そして俊介は言った。
「これぐらいにしとこうぜ、俺たちのこと嫌われても困るだろ?なぁ、山本君。俺たちの新しいおもちゃじゃないな、友達なんだから。」
「本音でてるし~!」
笑い声。以下略・・・・・。
「てか、お前、学校で女に馬鹿にされてんだろ?俺たちとつるんでたら、モテるようになるって!」
とてつもなく嫌な顔で笑われた。俺は、俊介とかいう奴と俺では全く別次元の生き物であることを否が応でも実感させられるには、もはや説明など必要のない顔だった。
後のことはあまり覚えてない。ただ、彼らの煙草の煙が立ち上る輪の中で座っていたり、コンビニに行って、買い物に行ったり。そんなことをしていると、時間が経ち、解散になったようだ。俊介は山中をバイクの後ろに乗せて、俺に最後にこう言い残していった。
「また明日な、山本くん。」
そして、バイクのパイプが大きな煙をあげ、皆、どこかに行ってしまった。
俺はその場で立ち尽くし、ハっと気が付くと、足に激痛が走っており、それのおかげで少し我に返ることができた。そして、通ってきた、わずかな記憶をたどって歩いていった。自分の知っている道に出た時には午後九時をさしていて、俺は足をひきずって帰った。家についたのは十時だった。両親からは痛く心配された。なにしろ、こんな夜遅くまで家に帰らなかったことは一度も無かったからだ。俺は親の言うことなど、一切聞こえてこなかった。なにやらぶつぶつ言われていたが、あまり記憶にない。俺は、自分の演算能力を元に戻すため、何も考えず一直線に自分の部屋に向かい、そしてベットに潜り込んだのだ。
そして、カーテンから朝日が差し込み、次の日が来たわけだ。睡眠をとることで、自分を取り戻すことにようやくできることが出来た。おそらく、自分の受けた昨日の屈辱は忘れることが出来ないだろう。しかし、この屈辱は繰り返すことになるかもしれない。なぜなら、あの男、俊介は言った。また明日と・・・・。俺はその言葉から必死に逃げたかった。だから、今日は山中の行動に目を配っていた。山中が俺にからんでこなければ繰り返すことはない。
一限、二限、三限、時間だけが刻々と経っていく。山中は授業中も休み時間も自分にからんでくることは無かった。俺は、休み時間も授業中も気が気で無かった。休み時間がくるたびに男友達が周りに集まってきて、何かを話しかけていた気がしたが、あまり耳に入ってこなかった。
「お~い。」
「・・・・・・。」
「おい!」
「はい!」
俺は、達也の声で集中の糸が切れた。
「どうかしたのか?ボーとして。」
俺は、昨日の事の顛末や、今置かれている現状の立場や不安を打ち明けたくなった。瀬川達也、この学校で俺にとっての親友であり、俺の理解者の第一人者でもある。彼は俺と同じ考えでこの学校に入ってきたと思っていたが、どうやら違うようだ。あまり女子に興味自体がないらしい、この学校への女子が男子に対する態度に苛立っているし、女子の悪口もよくこぼす。興味が無いというより、どちらかというと女嫌いなのかもしれない。それは俺も、この学校の女子が嫌いなので分かりあえる部分が多いのだ。二人でよく、目にものを見せてやると、よく言って意気投合している。だから、この彼女ができたら結託から脱退させるという取り決めを一番最初に賛同したのは、達也だった。
「どうしたんだ?今日はずーと、ボーとしてるぞ。」
俺はまず達也だけでも打ち明けておくべきか、冷静に考えてみた。昨日、受けたことは単純に考えて暴力沙汰だ。達也に打ち明けることで達也にも巻き込まれる危険性もある。何せ山中のことだ、この学校の男子全員に不利益な役割を押し付ける可能性も否定できない。とりあえず、今は、今だけは黙っておこう。今日何もなければ、昨日起こったことは自分の墓場まで持っていけばいい。そう考え、俺は言った。
「何にもないよ。ちょっと疲れてるだけ・・・・・。」
「そうか・・・・・、何かあれば、相談しろよ。女がらみじゃなかったら何でも相談にのるからよ・・・・・・。」
達也は俺に、したり顔で笑った。
やはり、今相談するべきじゃなかったのだろう。達也なら、山中に食って掛かかりそうだ。そんなことになったら、俺だけではない、親友の達也にも俺と同じ境遇や惨状を共有することになりかねない。
そう、このまま何もおこらなければいいのだ。俺は普通の生活、元通りの生活に戻りたいだけだ。それ以上は何も望まないし、欲しがらない。ただ、俺の大事なものは取り戻したくても、もう取り戻せない気がする・・・・・。
学校が終わりのチャイムを鳴らす。俺は、山中を注意していた緊張状態がもう少しで終わることで、安心感に浸ることをしたかった。でも、これからずっとこの状態が続くことは、俺は望んでいない。昨日起きたことは、俺はもう自分が望んだ自分でいることができないことを示唆していた。
俺は机の中の教科書やノートを急いで鞄の中に入れ、いつもなら達也や井上、大山田に声をかけるところだが、すぐにその場から離れることをしようとした。
その思いとは裏腹に、山中が昨日の女子をつれて俺の目の前に立った。
「つれねえなぁ、山本君、そんなに急いでどこに行くつもりだい?」
「・・・・・・・。」
俺は、ビックと反射的に左肩が動いた。
ビビッている。完全にビビッている。認めたくないが、山中の存在が恐怖の対象にしか見えなくなっていた。山中を見ていると、昨日の惨状がよみがえってくる。蹴られた方の左足がまたズキズキする。その再発した痛みが、俺の心の中を恐怖させ、山中の後ろに見える俊介の残像が俺を睨みつけて離さない。まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。
そのとき、声がかかった。達也の声だ。
「おーい。涼介!こないのかぁ~」
「・・・・・・・。」
達也は鞄を背中で背負うように持って、ドアの前に立っていた。
それを聞くと山中は
「ごめ~ん。今日は私と用があるんだ。山本君。瀬川君と帰れないよ❤」
若干、達也におべっかをつかった。本当に意地汚い女である。
「ふ~ん。」
達也は俺と山中達を観察するように見て、どこか違和感を感じたような表情を浮かべて言った。
「それじゃぁな、涼介、また明日。」
達也はそれを言い残して、その場から離れた。
俺は巻き込みたくないと思っていた反面、この状態で一人にされるのが嫌で、本当は怖かった。
・・・・・・・・俺を一人にしないでくれ!・・・・・・
それが俺の本心の叫びだった。
山中は女子達と顔を見合わせ。意地汚そうに笑い。そして、俺の顔を覗き込んで言った。
「じゃあ行こうか、山本君。」
昨日、歩いた道を、俺はまた歩いている。昨日は激しい震えと動揺から、どこをどう歩いているか全く検討がつかなかったが、今回はある程度、これから起こることの予想ができているからだろうか?どの方向に歩いて行っているのか分かることができた。と、言ってもやはり予想ができて、落ち着いてきているといっても、恐怖は恐怖、この道がそれを助長させることには変わりはない。これから毎日、地べたを舐める日々を過ごすことになると思うと俺は、俺でいられる自信は無くなってしまう。
そうこうしているうちに、また工場についた。山中達は昨日と同じように談笑しながら化粧をしている。窓から差し込む自分の影を見て、それが消えかかっている様を見ながら、自分の未来を象徴しているように見え、それに自分を投影させていた。
バイクのエンジン音が反響し、それが止まった。ズカズカ力強く歩いてくる音が聞こえる。俊介達だ。蛍光灯をつけて、俺や山中達の前まで歩いてくる。今日はどんな一日を迎えるのだろうか?見えない傷口ができるだけえぐられないことを祈っていた。
「何、やってたの!?こんな時間まで!」
母さんが昨日、今日、二日続けて夜中に帰ってきたので、昨日は心配だったが、今日は怒りの感情に変わっていた。
「・・・・・・・」
俺は、何も言い返すことが昨日と同様できなかった。今日も昨日と同様、みじめな一日だった。彼らに意味もなくからまれ、馬鹿にされて、俺はそれに無理に同調し笑い。そして、みじめなことをさせられ、また笑われる。まるで俊介たちの手下になる生き方に順応してきている。そして、それを自分の周り、大事な両親までにも、知られてしまう・・・。そのことが自分自身許せなかったからだ。財布の中は空っぽに近づいている。
・・・・・・・これからどうやっていこう・・・・・・
俺は、母さんの言うことを聞き流して食事をし、布団の中にもぐりこみながら、必死に唇を噛みしめて泣くことをこらえていた。
・・・・・・・立ち向かう力が欲しい・・・・・・・
痛切にそれが無い自分への不甲斐なさを責めることしかできなかった。
半月後
俺、瀬川達也は山本涼介に最近、不審感を抱いている。そう俺と親友の涼介は女子と一緒に登下校するような奴ではない。それも、あいつが好きな女子、三枝優利では無く、山中裕子とつるむなんて俺には信じられない。山中・・・・あまりいい噂は聞かない。最初に俺との下校を断った時から気付いていたが、あいつは何か俺たちに秘密にしていることがある。なにか、涼介に理不尽な不幸がふりかかっていて、それを俺らに伝播しないよう努めて、自分を押し殺して我慢しているように思える。俺は思い切って、山中、本人に聞いてみようと思う。そうしないと、俺の爪を噛む癖が俺の親指の爪を完全に噛み切ってしまいそうだ。
「おい、何か考え事してるのか?」
爪を噛んでいると、大山田と井上が寄ってきた。
「ああ、ちょっとな。」
「最近、達也ずっとそうしてるよね。親指がふやけちゃうよ。何を考えてるの?」
井上がそう言った。
俺はまた親指の爪を噛む。
「・・・・・・。」
「何があったんや?」
大山田は関西弁を話す。名前はただの山田じゃなく、大山田なのだから、大きい。身長は高くないが、横にでかい(笑)。井上は大山田と比べると、本当に小柄で、気も小さそうな男だ。しかし、二人とも決して薄情者ではない。俺と涼介は特別仲がいいが、二人とも涼介のことを心配しているはずだ。俺は二人にも話して、なにか協力してもらうことができないか、話すことにした。
「涼介のことだ・・・・・。二人とも気付いているだろ?」
「・・・・・・・・。」
二人とも一瞬黙った。そして、大山田は言った。
「山中達とのことか?最近、俺らの誘いを断って、奴らと帰るよな?俺たちとの誘いを断って、山中達と帰ることに特別な理由があるのか?」
「・・・・・・・・・・。」
「そうだよな。どう考えてもおかしい。山中なんて女子、俺たちが一番毛嫌いしてきたような女だ。異性の魅力を感じて、つきあうなんて、どう考えても合点がいかない・・・・・・。」
「おい、聞いてみないか?山中本人に。話しかけるのは嫌だが、このまま涼介をほおっていく訳にはいかないだろ?」
二人は顔を見合わせた。大山田の方はこれといって、怖気づいた風には見えなかったが、井上は完全にビビっていた。その後、大山田は言った。
「まぁ、別にええんやけど、山中、山本の席の周りに集まってバカ騒ぎしてるぜ・・・。」
俺は少し考えた。
「ちょうどいい。両方の意見が聞ける。」
決断した目をしながら言った。井上は俺たち二人のやりとりを見て、オドオドしながら言った。
「会話の邪魔になるよ、何もこんなときじゃなくてもいいんじゃない?」
「・・・・・、タイミングなんて関係ないだろ?いつ行っても一緒だ。友達のためだ。行くぞ!」
大山田は少しシラけた顔でついて行き。井上はビクビクしながら俺についていった。
そして、涼介の席の周りでバカ騒ぎしている山中の後ろに着き、言った。
「ちょっと、いい?」
「でさぁ~俊介が言ったわけよ~!・・・・・・。」
真後ろに立っているのに全く俺らの存在に気付いていないかのようだった。
「ちょっと!!!」
俺は勇気を出して声を振り絞った。山中は振り返り言った。眉間にしわを寄せて言った。
「あん?」
井上は俺の袖を引っ張って、小さい声で言う。
「ちょっと、達也、今はやっぱり、ヤバいって・・・・・。」
俺は井上を無視し、話を切り出した。
「最近、山中さん達、涼介にからんでるよね?どうして?」
それを聞くと山中は、眉間に皺を寄せたまま言った。
「別に、山本君と仲良くしてるのは、あーしらの勝手でしょ?部外者に口だしされたくないわ。」
俺はそれを聞くと、食って掛かるように言った。涼介は助けてくれと、目で訴えているような気がしたから余計に拍車が掛かったのだろう。
「部外者?涼介はずっと俺たちと休み時間も放課後も一緒に遊んでいたんだ。お前らの方が部外者じゃないか!」
俺たちは顔を見合わせた。大山田も井上も、ようやく覚悟を決めたようだ。真剣な目で山中に訴えた。
「あんさぁー、何?あんたら、大事な山本を返せとでも言いたいの?男の友情、ウザいウザい。」
人払いの手で払いながら言った。それを聞いて他の女が言った。
「こんなん、友情の域超えてるよね。束縛してんだから?ホモ?(笑)それとも私ら女子と仲良くしてるのが気に食わないのかねぇ、男同士でなんか取り決めあるみたいだし。」
山中はそれを聞くと、何かを思いついたように言った。
「ああ、そうだ、お前ら部外者だって、さっき言ったよね、私、山本君と付き合ってるんだよ。」
そう言って、山中は涼介の二の腕を持った。涼介はなんだか下を向いている。こんなに涼介とは意志薄弱な奴だっただろうか?涼介には自分の意思がまるでなく、山中に好きに操られているようにさえ思えた。
「確か、グループ脱退だよね❤もうあんたらと関係ないから山本君。」
自分らが取り決めたルールを何故知っているのか?という疑問も浮かんだが、それよりも、それを逆手にとって会話を有利に進める山中に意地汚さと苛立ちを感じて言った。
「そんなこと・・・・・・。」
信じられるか!と言いかけたが、その瞬間、大山田が俺の声を遮った。
「そうだな、山本、お前は俺たちのグループ脱退だ。じゃあな・・・・。」
涼介は下を向いたままだ。大山田はそれを見て、苛立って、俺たちのシャツの脇腹あたりを引っ張って言った。
「もういい、行くぞ。」
「おい!」
俺は大山田の行動が信じられなかった。俺たちは友達ではないのか。友達がこんな状態になっているのに、それを見捨てるかのような行動をとる。俺は苛立ち、大山田についていって、涼介たちと離れた後、言った。
「大山田、なんでなんだよ!あんなのどう考えても口からのでまかせだろ?」
「・・・・・・だからなんやって言うんや?それに、でまかせやのーても、山中達と仲良くやってるのは事実なんちゃうか?俺たちが口出す問題や無い。ほっとけばええんじゃ。」
「お前には、あれが仲良くしてるように見えるのか?涼介は完全に自分の意思で動いているようには見えないじゃないか?むしろ、高圧的な山中達に怯えているように見えるだろ!」
「だから、俺は腹立つんや、助けて欲しいなら俺達に頼ればええやろ?それを自分の意思も無く、ただ、山中達の好きなようにおもちゃにされとる。そんな、なんも自分で決められへんような奴をどうこうする義務なんてあらへん。」
俺はそれを聞くと一回下を向いて、顔を上げて言った。
「・・・・・・違うよ、大山田、多分、俺たちに頼りたくても頼れないんだよ。結託のこともあるけど、それ以上に、あいつは何か隠し事をしてる。きっと山中達とつるんでるのも、俺たちにも降りかかる火の粉をかからないように、自分一人で抱えこんでるんじゃないか?俺にはそう思える。」
「・・・・・・。何か、俺たちには言えない事情があるって言うんか?」
「そうだ。ともかく、学校だけじゃ、あいつらに何されてるか、全容は分からないから、あいつが山中達と放課後、一体何してるのかつきとめる必要がある。それを知った上でお前がそう判断するなら別にかまわない。俺たちに相談できない理由はきっとそこにあると思う。」
「分かったよ。放課後、つけて行く気なんやろ?そこで何が起こってるか分かったら、俺らが助けるかどうか決めたらええんやろ?」
「そうだ。」
俺はゆっくりうなずいた。どうやら、大山田は俺の気持ちを分かってくれたようだ。俺たちのやりとりを見て井上はオドオドしていたが、放課後つけて行くと決まった瞬間、余計ビクビクし始めた、本当に気の小さい男である。でも、井上も俺達を上目づかいで見て、言ってくれた。
「分かったよ。僕も行く!」
そこには、覚悟した井上の意思が乗せられていた。
キンコンカンコン
学校が終わらせるチャイムを知らせる。俺達は視線を集中させた。勿論、涼介の席にだ。そして、山中達がいつものように当然集まってくる。そして立ち上がさせられ(自分の意思ではないという意)涼介は女子どもの中心に囲まれて歩いていった。まるで鳥籠の中の鳥だ・・・・・。山中達(籠)のせいで逃げ出すことができない。
俺達は涼介達が教室から出ると同時に、一斉に立ち上がった。そして距離をとりつつ見失わない程度に跡をつけていった。
学校の近くの工業団地の地域に入った。塀にかくれながら、角を曲がり、また角を曲がる。見失いそうになる。かと言って、あまり近づいたら山中達にばれてしまう。俺達はそのギリギリのラインでついていっていた。
「こんなところに、一体何しにいくんだろうね。」
井上ができる限り、声を殺しながら言った。
「そうだな、ますます怪しい・・・・・。涼介と山中達は一体、こんなところで何をしているんだ?俺達、高校生がどうこうする所じゃないだろ・・・・。」
それを聞くと、大山田が頭を掻きながら言った。
「お前ら、だいたいこんなとこに山中みたいな奴等が行くってことで分からんか?」
「・・・・・・どういうことだ。山中は確かにいい噂は聞かないが、うちの学校の女子だし、ヤンキーには見えない。こんなところでたむろしてるまでは想像できないぞ。」
「人は見た目や評判だけで判断したらあかんのや。」
「・・・・・・。」
まるで大山田は山中達のことを熟知しているように思えた。俺はそれを聞くと、認めたくない未来まで受け止めてしまいそうになった。
「ちょっと、着いたみたいだよ。」
弱弱しい声で井上が言った。
俺達は小さい駐車場がある、少し大きめの廃工場の扉を開けて入っていく、山中達と涼介を確認できた。
「こんな所で何をするんだろうね。」
俺達はそこから離れた塀の影に隠れていた。俺達の予想は悪しくも当たってしまったのだ。井上だけがそれに気付いてなく、間の抜けたことを言っていた。
そうしているうちに、バイクが駐車場に集まってきた。バイクは多種多様で、原付バイクもあれば中型のビックスクーターやネイキッドバイク。色々なバイクがある、二人乗りで来ている奴もいた。そいつらは皆、今どきのガラの悪い学校の、いわゆるヤンキーに見える風貌をした男だった。
「・・・・・・・。」
「俺の言った通りやろ?ほんで、どないするんや?山本を助けに行くんか?」
大山田は俺を試すような口ぶりで言う。こいつはヤンキーが怖くないのか?と疑問を感じた。まるで大山田自身もこういう境遇に慣れているような気にさせられる。大山田・・・・こいつは実は中学のころヤンキーだったのか?という疑問がわいてきた。
井上は見ただけで、具合が悪くなったように顔が青ざめていく様子が手に取るように分かる。が、そんなことを思う俺自身も、自分の動揺が二人に伝心しないようにするのが必死だった。でも勇気を振り絞ってこう言った。
「とりあえず中を覗いてみようぜ。アイツ等に何されてるか、俺達には知る必要がある・・・・。」
自分の動揺が感づかれないように必死に頑張ってみた。
大山田はうなずき、嫌がる井上を引きずって、工場の扉の前まで行き。扉の隙間から覗いてみた。工場の中を見渡してみると、工場の中は夕日が差し込んでいるとはいえ、少し暗がりになっていた。そして、視線を真ん中あたりに合すと、工場の奥側の真ん中あたりで、パイプ椅子が点在しており、そこに集まって談笑している不良どもがいた。そこには涼介や山中達もいた。
山中は、学校といるときとは顔が変わっており、厚化粧になっており、俺達を震えださせるヤンキーの容貌に変身していた。俺はこの学校は偏差値が高い方なので、ヤンキーなどいないと勝手に先入観で決めつけていたのだ。そこには、俺達の知らない、四谷坂学園女子が存在していた。
俺達は扉の隙間から、何が起こっているのか?を知るために覗き込んでいたが、それは見るに堪えない、涼介に降りかかった惨状と俺達にはどうしようもできないと実感させられる恐怖を植え付けられた。
「ハハハ!でさぁ~!」
ある不良男子が笑っていた。そして、皆に言う。
「なんか、腹減らねぇ~?」
「あ、あーしも、あーしも。そだね、お腹空いたよね。」
山中が返した。
涼介はずっと皆に同調して愛想笑いをしていたが、この会話を聞いてうつむき始めた。それを見ると、ある不良男子が言った。
「おーい、山本君?聞いて無かったのかな?早く買い出し言ってきてよ。」
「・・・・・・お金・・・・。」
「はい?お金・・・・?」
「お金がもう、財布に無いんだ。買ってくるから、皆、お金だしてよ・・・・。」
「は?何言ってんの?!お前?」
涼介は震えが止まらないように見えた。
「お金、返してくれるって、言ってたよね?今返してよ・・・・買ってくるから・・・。」
「は?お前、何言ってんの?ぐだぐだ言わずに早くいけよ!」
その男は座り込んでいる涼介の胸倉をつかんで、涼介を睨んだ。
「早くいけよ!」
「だから、お金・・・・・。」
そのとき、遠方から近づいてくるバイク音が聞こえた。俺たちは工場の門の塀に反射的に身を隠した。
やってきたバイクの主は、レース仕様のネイキッドバイクに乗り、バイクから降りると、身長はゆうに185㎝はある長身、ヘルメットを取ると、金髪で左耳にピアスを二つつけている。目に凄い力を持った目をしている男だった。
俺は完全にその姿に圧倒されてしまい、しばらくその男以外のものは視界から消えてしまった。その男は扉に蛍光灯の光が差し込んでいる工場内にズカズカ入って行く。俺たちはまた扉の前まで忍び足で行き、そして、扉の中を覗く。
「おー俊介!来たか。」
「おう。何もめてんだ?」
「あのな、山本君が買い物いってくれないんだよ。お金が無いとか言って。お金返してだってよ。」
俊介とかいう男はその言葉を聞いて、表情がこわばった。一瞬、静寂が工場内に蔓延した。そして涼介を持ち前の凄い目で突き刺すように睨みつけた。
「あん?お金が無い・・・・・。」
涼介はそれを聞くと、全身を震わせる、まるでシャワーを浴びた猫のように震えて立ち上がった。
「もう、本当にお金が無いんだ。何も買いに行けないよ・・・・。」
それを聞くと俊介は、涼介の目の前に行き、高い身長を腰を曲げることで、涼介と同じ目線の高さにして、涼介の顔を覗き込んだ。涼介は目が泳いでいたが、奴がそうすることで、奴の目に釘付けにならざる得なかった。
「お前さぁ、何かと俺に反抗的な態度とるけど、何!?それで俺の意見が変わるとでも思ってんのか?グダグダ言わずにサッサといけよ。」
「お金が・・・・・。」
それを聞くと俊介とかいう男は涼介の胸倉をつかんで自分の身長の高さまで涼介を釣り上げた。その時の表情は涼介しか知ることはできない表情であったが想像に絶する程の顔であったことは考察することは容易い。
「まだ言うか!?お前!?金がないなら、盗んでくるとかなんとかしろよ!」
それを言い放つと、涼介をそのまま、地べたに投げ捨てた。
涼介は、全身を強く工場の床に打ち付けた。そして、海老のように体を丸くした。痛いので身動きがしばらくとれないのだろう。
「さっさと行けよ。」
このやりとりで涼介と俊介の声以外、静まり返っていた工場内だが、他の男が薄ら笑いをしながら涼介を見下ろしていった。
そして、俊介は談笑していた奴等の輪に入って、再び工場内は笑い声などの様々な声が飛び交った。そこに捨てるように、置いてきぼりにされた涼介の丸まった体など、何一つ気にしているものなど、そこにはいなかった。
俺は、全身が怒りと恐怖が交わった、凄い震えが止まらなかった。しかし、大切な友達、涼介が蹂躙されている。それは、俺からもの凄い感情の動きが感知できた。しかし、同時に俊介にこの上ない恐怖を感じていて、そこから身動きできなかった。きっと皆、同じ気持ちなんだろう?井上の気持ちも井上からくる体の震えによる振動で分かることが出来た。しかし大山田からは俺達と同じ心境を感知することは出来なかった。ただ、茫然と扉の隙間から、一連の流れを全く動じず、淡々と見ている。それが俺は不思議でたまらなかった。
俺が身動きをとれずにいた、そのときから、いつまでたっても動かない涼介に皆、感づき、鼻につきはじめる。
「おい!お前いつまでそうしているつもりだ。」
ある男が涼介に言葉を投げかけた。
それを聞いた涼介の体が少し、動いた。
「俺は・・・・俺は・・・・万引きなんてできない。」
打ち付けたところを、手で押さえながら、少し前かがみになった状態になって涼介はゆっくり立ち上がった。
その姿を俊介はゆっくり確認すると、頭を掻きながら言った。
「あーそう、もういいよ。山本君・・・・・、何が何でも俺に逆らいたい訳ね。自分の正義とか、そんなもん守りたい訳ね・・・・・、体で分からせなきゃ分かんないかなぁ=3」
もの凄く憎悪を含んだ顔で涼介に言い放ち、周りの男子達が立ち上がった。そして、拳を鳴らしながら涼介に近づいていった。そしてリンチが始まったのだ。
工場内で、涼介の断末魔のような悲鳴が鳴り響く。
俊介はその様をじっと見て、こう言った。
「もうそれぐらいにしとけ、お前ら。」
「おう。」
「これで分かったろ!?お前に権利なんてもんはねーんだよ。」
と言って、瀕死の状態の涼介に唾を吐きつけ、精神的にも追い討ちをかけたように見えた。
俺はこの一連の出来事を見て。あらぬことに、親友を守りたい気持ちよりも、この者たちへの恐怖が打ち勝ってしまった。体の震えは怯えることしか覚えていない。
それを横で確認した大山田は俺にキツイ言葉を投げかけた。
「どうするんや?あいつら倒しにいって、山本助けるか?」
俺は、大山田の方向に、とても時間をかけて首を動かした。
大山田は俺の表情を見ると。
「これにこりたら、もう山本とは関わらん事やな。帰るで・・・・。」
俺は、涼介を見捨てることを言う大山田への冷たい態度に対しても憤ることを忘れ、もう感情を自分でも正しい方向にもっていくことが出来なくなってしまって、井上の奥襟を引っ張って、その場から離れようとする歩みについていった。
数時間後、俺は自分のベットの上で三角座りをずっとしていた。刻々と時間が過ぎていく、その時間が俺を、心を動揺から開放してくれた。しかし、その後、追い詰められることは良心の呵責から起こる、もの凄い罪悪感から起こる重みであった。その重みが俺を上から踏み潰そうとしてくる。
次の日、俺は決心した。学校に行き、放課後になり、また山中達を隠れてついていったのだ。教室を出る前、俺は大山田に声をかけられた。
「おい!どこいくんや?まさか、アホなこと考えてるんちゃうやろな?」
「・・・・・もう、決めたんだ。昨日、散々自分がとった行動に後悔した。後悔する選択は俺は選びたくないんだ。」
「だからって言うて、お前が行ったところで何が変わるんや?被害者が二人になるだけや、悪いことは言わん、やめとけ。」
「それでも俺は後悔したくない。もうついて来てとは言わないから、ほっといてくれ!」
「・・・・・あっそ。お前もアホやな・・・・・好きにせえや。」
俺は昨日と同じように山中達についていき、工場の中を扉の隙間から覗いていた。やはり、なかなか勇気がでない。扉に手をかけて奴らに自分の姿をさらす。扉に手をかけるだけの動作が自分の運動神経が制御をかける。俺はあんなに大山田の前で啖呵を切っただけに、今に置いての自分の状況に、情けなく、不甲斐なく感じている。
・・・・・・・俺は友達一人も助けられないのか・・・・・・・・
そんな感情が自分の心や体に浸透してきている、動けない自分がいた。そう、俺が出来ることはただ、覗いているだけ。そんなことを考えながら、俺は、じっと工場内を覗いていた。
二日前の深夜
「涼介、アナタ何してるの!」
俺の母さんが驚きの奇声を上げた。母さんは、今、自分の目の前に起こっている事実を信じることが到底信じることが出来ないのだろう。酷く動揺している。
これは、両親が寝室に入って一時間が経ち、二人とも完全に睡眠をとっていることを確認した俺は、リビングのタンスの引き出しから母さんの財布を取り出し、お金を取り出そうとしたことを見られたことに端を発している。それは、寝ているはずの母さんが何故か起きていて、電球のわずかな光しか発していない、暗いリビングにいる俺の姿を確認した母さんが蛍光灯の明かりをつけ、俺の行動を視認したことによって出た口からの声である。
俺は母さんに見られたことで、慌てふためいて、とっさに財布を後ろに隠した。しかし引き出しは空いたまま。もはや、そこには弁解の余地が無いことは分かっていた。
「アナタ・・・・・・。どうしてなの?どうしてなの?」
「何を言ってるんだ。母さん、何もしてないよ・・・・。」
俺は無意味に言い訳をする。
それを聞くと、母さんはみるみる顔が涙くんでくるのが分かった。
「早く・・・・。早く・・・・・、アナタ、隠しているものを出しなさいよ・・・・。」
俺は認めたくなかった。どうしても母さんには知られたくなかった事実だった。でも、これが初犯では無い。バレるのも時間の問題であることは先日承知だった。
「この期におよんで嘘をつくなんて、もう、お母さん、アナタを信用できないわ・・・・。」
母さんはその場に足を崩して号泣し始めた。
俺は、もう、やりきれなかった。何故、あの時、嘘をついてしまったのだろう?何故あのときから、俺は親の財布からお金を抜き取ることを始めたのだろう?何故いつも、夜遅く帰ってきて心配をかけてきたのだろう?母さんの号泣した姿を見て、俺は初めて自分の行動に疑問を投げかけ始めることができた。今まで狂っていた自分の行動や、気持ち、自分の今のアイデンティティさえ否定し始めたのだ。
俺も泣いてしまった。母親が泣いている姿を見て、ただ、泣いてしまった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
もう、溢れる感情でいっぱいだった。その涙は、自分の罪への許しを請うように溢れだし、止めどなく流れていく。そして、全部出終わった後、俺は決めた。
・・・・・・母さん。変わって見せるよ。また、自分に嘘をつかない自分でありたい、元通りの自分でありたい・・・・・・・
そう決心して、俺は明日を迎えることにした。
俺は昨日までの俺とは違う、そうすることで奴等に刃向えるとは思わない。いくら暴力を受けても構わない。だが、俺はもう自分を曲げない。自分が間違った行動をとることはもう二度としない、自分らしくある。そう、今まで押し殺してきた自分を取り戻すんだ!
そう、思い、俺は今、殴られている。
痛い、痛い、痛い、
その言葉が体中を駆け回る。しかし、体中に脈打つ動脈が知らせる。昨日までの俺とは違う。昨日までの俺は、たとえ血が流れていても、生きてはいない。まるで自分の意思を失った操り人形だ。しかし、今は違う・・・・俺には自分の意思がある。そうした思いが俺を人にしてくれて、それをともなうことで、痛みを本当の痛みに変えてくれる。俺は、どんな環境でどんな状況でも俺は俺らしくある。それが、俺を俺に変えてくれる唯一の存在証明なのだ。
奴等が殴ることに飽きたと思われるころ、俺の体はボロボロになっていた。一体、俺は立ち上がることができるだろうか?と自分に疑問を投げかけたが、なんだが、そんな俺自身も愛らしく感じ、なんだがクスリと笑えてくる。
「これで分かったろ!?お前に権利なんてもんはねーんだよ。」
そんな声が聞こえた。そして、頬に冷たい滴が落ちてきた。どうやら唾液をかけられたのだろう。しかし、そんなことはどうでもいい程に、俺は今日からの俺に満足していた。
・・・・・・・俺は、元の俺に戻ることができた・・・・・・
そのことに安心し、自分を讃えることができたのだ。もう何も怖くない。俺は、俺自身の体を守ることはできないかもしれないが、心は守ることはできるのだ。そのことだけで十分だった。
・・・・・・明日はどんな一日になるだろう?・・・・・・・
前に感じていた疑問も、今になると意味合いが違ってくる。俺は、臆さない、明日に、未来に臆さない、客観的に恐怖と思える毎日も俺にとっては、そんなに恐れることは無い。何があっても心だけは守り通せると証明したのだから。
そう思っていた矢先の次の日、俺は、自分に予想だにしなかったことが起きたのだ。俺自身はもうどうなっても、自分自心を傷つけられることはない。だが、その出来事は俺の周りに降りかかる理不尽であったため、俺の心を再び失墜させることは容易だった。もしかしたら、俺の心境の変化を読まれていたのかもしれない。だからこそ起こることで、それは偶然ではなく、必然だったのだろうか?
俺はいつも通り、工場で奴等に囲まれて地べたに座っている。いつも一番遅れてくる俊介の姿はまだ無く、特にそれに関して注意をしていた訳では無かった。俊介の存在はこのグループでは間違いなく頭であり、奴を中心にこのグループは回っていることは間違いない事実である。奴が白と言えば黒いものも白になり、また黒と言えば白いものも黒になるのだ。だから、一番恐怖する対象はやはり俊介になることは間違いないだろう。奴が口火を切ることでこのグループは操作されている。それが出来るのは、やはり奴からうかがええる、見たものをひれ伏せさせる力であることは間違いない。単に喧嘩が強いだけでは無いだろう、あらゆる者を服従させる力を奴はもっている。
しかし、俺は、昨日、自己証明したとおり、もう臆することはない。というか、もう臆するものが無いのだ。暴力を受けてもリンチを受けても、もう動じない、俺が精神面で抗い続けること、それはこいつらに隷属しないことを意味する。今日も殴られるかもしれない。しかし、もう、心が打ち勝っているのだ、そう思えればずっと楽になれる。そう思っていた。その矢先の出来事である。
扉の向こうで話し声が聞こえた。それはもちろん、これから来るだろう。俊介の声とひどく懐かしい、しばらくずっと聞いてなかったような気がする、普段からずっと聞いていた、どことなしかホッとする声である。
そして扉が開いた。工場の外の暗闇の中に姿を現したのは、俊介と、なんと、奥襟をつかまれた状態でつかまれて引きずられた瀬川達也である。
達也と俺はお互いに見つめあうと、達也は第一声に身を乗り出して言った。
「涼介!助けに来たぞ!」
俺は泣きそうになった。もちろん、達也が俺のために助けに来てくれたことは嬉しかった。でも、どうしても俺の周りの人間を巻き込みたく無かったのだ。俺が被る被害は俺だけが受ける・・・・。だから相談もしなかったし、助けを呼ばなかった。それなのに!それなのに!もう悔やんでも悔やみきれなかった。
「こいつ、山本の友達らしいな、お友達が心配で中を扉からうかがっていたんだよ・・・・健気なこったな。」
と俊介は皆に説明した。
それを聞くと、山中は言った。
「ああ、こいつね、なんて名前いったかなぁ?確か瀬川君?うちの学校のクラスメートだよ、前にこいつに絡まれたんだ、涼介返せだってよ、それで心配が度が過ぎてつけてきたんじゃない?愛されるねぇ、うちのパシリも。」
「それでこいつどーするんだ?」
「新しいパシリ増やす~?(笑)」
周りの奴等が馬鹿みたいにはしゃぐ。
それとは裏腹に俊介は頭を掻きながら少し考えた。そして俺をするどい目つきで睨みつけて言った。
「おい!山本よ、昨日、買い出し行かなかったよな?ここで詫びいれろ?昨日のことはそれで許してやるよ。」
俺はそれを聞いても揺るがなかった。今まででは考えられなかったことだが、あろうことか俊介を睨み返したのだ。
俊介はそれを見ても、態度は変えない。
「何してんだ?土下座で許してやるよ。さぁ!」
「俺は、やらない。謝ることなんて、何もしてない。」
俊介はそれを聞いて不気味に笑った。世の中にはびこる多くの悪といえるものがある。まるでそれを一つに凝縮させたかのような顔だった。そしてポツリと言った。
「こいつ、好きにしていいぞ。」
周りの男達はまた拳を鳴らしながら近づいてくる。しかし今更、もうそんなことは怖くない、むしろ達也にこの姿を見られることが嫌だったが、それももうあまり意味を持たないか・・・・と考え直した。
俺は、いつものようにのたうち回り、声を荒あげた。しかし、こんなことは大した苦痛では無い。数分、数秒、我慢したら済む話だ。俺の心は全くぶれていない。
それを確認した俊介はまた頭を掻いた。
「=3分かったよ、山本君、もう意味無いんだろ?暴力は・・・・。いかに自分が意味の無い反抗をしているか、いかに自分が無力な存在か、分からせてやるよ・・・・。」
それを聞いた俺は、背筋が凍る思いをした。
・・・・・・・どういう意味だ・・・まさか?!・・・・・・
俺は最悪のシナリオが未来予想図のようにイメージとして頭の中に刷り込まれていく。
その瞬間、俊介が怖がっていて、動けずに立っている達也の腹に思いっきりパンチを入れた。達也は腹を押さえてかがみ込み、嗚咽をするような声を上げた。苦しむ時間を許さないと言わんとばかりに、足を蹴り、達也は倒れ込みそうになるところを髪の毛を引っ張って釣り上げた。
俺は反射的に声を上げた。
「やめろーーーー!!!」
俺はすぐ様立ち上がり、走りだそうとした。
・・・・・・俊介、こいつだけは許さない・・・・・・
俺の大事なもの、俺が大事な人まで手をかけやがって。
「ウォーーーー!!!」
そうしようとしたら、俺はすぐ転倒した。足をかけられたのだ。
「山本君❤君の相手は俺たちだよ。」
地面に這いつくばり、唇を血が出るくらい噛みしめた。その後、また腹やら、胸をこいつらは無慈悲に蹴ってくる。
・・・・・・・俺は、親友一人も助けられないのか?・・・俺はなんて無力なんだ・・・・・
俺は再び絶望した。自分の存在の無力さに・・・・・。心だけ強くてもどうにもならない。この世の中には力の無きものには覆すことができない、理不尽がどうしても存在していることを実感し、心に纏っていた俺の核が剥がれ落ちていった。
そう、俺がもう自分自身に絶望し、絶対的な悪にはひれ伏すしかないと、自分自身を信じられなくなったときのことである。
天使が現れたのである。
工場の扉がゆっくり、静かに開き始めた。そして、その音に反応して、そこにいる者全てがそこに視線が集まった。
その者は上から下まで白い服を着ていて、腰のあたりに黒い帯を巻いている。そして、とても、この世の悪を決して許すことができないため、それに対して猛烈な敵意を向けているかのようなとても勇ましい顔立ちだった。
そこには、柔道着を着た、三枝優利が粛然として立っていた。
それは見るものの時間を凍りつかせた。彼女のその雰囲気が、その場にいる者を完全に飲まれたのだ。そして、一旦凍り付かせた時間も溶解して、また時間が動き出す。
「おい!なんだ!お前!」
俺を蹴りたおしていた。一人の男が三枝優利に向かって行った。それを受けて、彼女はこう言った。
「何してるの?あんた達!?うちのクラスメートがボコボコじゃない。警察呼ぶわよ。」
「・・・・・てめえ、こいつと一緒か、助けに来たんだな?女だからといって、手出さないとでも思ってんのか?」
「・・・・・今すぐ山本君と瀬川君を解放しなさい。私は本気よ。その前に私に手を出すと言うのなら、覚悟はできてるのかしら?・・・」
「このアマ・・・・、俺達をなめるなよ!」
その男は右手を握り締めて三枝優利に殴りかかろうとした。その時だった。俺には、一連の速さが早すぎて、目で完全に追うことができなかった。
三枝優利はその男の腕を振り上げる前に後退し、その男が右腕を出しきった後、素早く体を反転させてその男の右腕を両手で抱え込んで、背中に乗せて前に放り投げた。
俺は、三枝優利がどういう動きをして、何が原因で男がアスファルトの地面に叩きつけられたかは分からない。ただ、これだけは分かった・・・・・・。
これがあの有名な一本背負いである。
俺は、目の前に起こった事象があまりにも目まぐるしく、またドラマティック過ぎて、しばらくフリーズしてしまった。その光景を目の当たりにしたものは皆、同じ気持ちだったのだろう?また工場内で時間が一瞬止まった。しかし、俊介の時間だけは、止まっていなかったのだろう?俊介は、固まっている男どもに大声でまくしたてるように言った。
「何してるんだ?お前ら!女一人に遅れとってんじゃねーよ!」
「おう・・・・・。」
男どもはその俊介の言葉に押されるように動いた。まだ、彼らは理解していないようだった・・・・。自分の仲間が瞬間的に倒された意味を。
「おい!ここに来たからには、ただで帰れると思うなよ、覚悟できてんだろうな?」
三枝優利はため息まじりでこう言った。
「あんた達がね・・・・・。」
その場にいた男どもは、女一人に、まるで多勢に無勢である。三枝優利を囲むように林の木々のように連立した。男どもはよもや、女に負けるとは頭では分かっていなかったのだろう?しかし、目の前に放り投げられた仲間がいる事実から、本能的に気付いていた。一対一では敵わないと。
そして、一人の男が三枝に襲いかかる。
今度は、腕を振り上げる時間を三枝は与えなかった。男との距離が一メートル未満の合間に、三枝優利はその男の相手のロンTの袖を掴み、そして、相手の鎖骨あたりの横襟をかんで、一気に相手の距離を縮めて、相手の右横についたと思ったら、右足を前に振り上げて、相手の左足を振り下ろすことで素早く刈った。大外刈である。男はその場で態勢を崩されて真下に叩き落ちた。
男どもはそれを確認した時に初めて頭で悟った。とても敵わないと。皆、それを見て動かない、正確には動けずにいると、男どもは、皆、背筋が凍る思いがしたようだ。男どもは振り返り、俊介を見てみると、もの凄い形相をした俊介がその男達を見ていた。俊介は、三枝優利の登場によって、狂いに狂ってしまったシナリオの歯車が、俊介の機嫌をもの凄く損なわせ、自分にとって真夏の夜の蚊のようにうっとおしく思い、彼女の存在を自分の手下が排除できないことで余計に腹が立ち、その感情は怒りにも到達したのだ。
その表情を見た男どもは悟ったのだ。この女をやらないと、俺達は俊介にやられる。それは俊介を中心に、友達ごっご、不良ごっごをしていた自分たちは所詮は、俊介の強大な力の下に動く、ただの虎の威を借りる狐の集まりだったことを初めて実感させられずにはいられなかった。男どもは俊介の顔から、自然とその横に捨てられたように転がっている、達也に視線を移す。そして、体中から冷や汗をかいている。頭で自分にとって何が有益か?何をしたら自分は被害を最小限に抑えられるか考えてみた。しかし、そんなことは考えるまでもない。この女を倒すことだった。皆、震える手を握り締めて立ち向かう決心をした。しかし、三枝優利が放つ気がそれを鈍らせ、膠着状態は続いた。
三枝優利はその膠着状態から、男どもが動き出すのを待つことをしなかった。柔道という格闘技は基本的に一対一を想定して闘うことが体系化されている。このような、多勢に無勢で闘って全員を倒すことはいくら強くても難しい。そのことを理解していたか、していなかったかは分からないが、三枝優利は固まっている男どもに、三枝優利の方から仕掛けていった。
怯えて動けずにいる一人にさっきと同じように、襟、左腕の袖をつかんで、今度、体を反時計回りに半回転させた、そうした瞬間、その男はその男は体が一瞬中に浮くと、その男から反時計回りに半回転した前方の地点に、背中から落とされていった。後に分かる技だが、この技は体落という。三枝優利の勢いは止まらない、その男が倒されたのを見て、一層怯えが増幅する横にいた男をまた、何かの技で倒していく。
俺は、自分が見ているこの光景を信じることが出来なかった、まるで夢を見ているような感覚に陥った。
・・・・・・・まるで、白い天使だ・・・・・・・
奴等をいとも簡単になぎ倒していく彼女は、俺には柔道着を着た白い天使のよう見えた。しかし、こんなことが本当に起こるのだろうか?何故このタイミングで彼女が現れたのか?さらに何故、彼女はこんなにも強いのか?何故、彼女は俺を救ってくれるのか?浮かびあがる疑問は俺を起こったことを現実として受け止め、受け入れることを容易にはさせてくれなかった。本当に夢のような光景だ。
しかし、これはまぎれもなく現実に起こったことである。人生の窮地ともいえる状況から俺を救ってくれたのは、他でもなく、白い天使、三枝優利である。
三枝優利は囲まれていた、男達の最後の一人を背負投で倒した。なんと、彼女一人で六人ばかりいた、高校生の男達を全員倒したのだ。
俊介はそれを見て、俺は俊介も倒されていった男達と同様に三枝優利に恐怖心を抱いていると思った。
しかし、俊介はやはり違っていた。そんなことは微塵も思っていない。奴は三枝優利に自分の手下共が倒されていった動きを一部始終見たはずなのに、顔には動揺の色が全く見られなかった。
そして、うつむいて大きなため息をついた。
「ほんと、どうしようも無いクズどもだな。こいつらは。」
そう言い放ち、うつむいていた顔を上げると、三枝優利を鋭利の刃物のようなするどい目つきで三枝優利を睨みつけた。奴には、怒りや闘争心がむき出しに出したような雰囲気がまとわりついていた。
一方、その場にいた女子達は、三枝優利の登場によって、彼女の存在が震えだたせる、脅威に感じていた。そう、女どもは自分達にも転がっている男達同様、白羽の矢が立つことを感じずにいられなかったためだ。よくイジメを見て見ぬふりをしていたものは、イジメをしていたものと同罪になる、という言葉があるが、女達は丁度その思いに染められていた。女達は確かに自分の手をわずらわせていない。だけれども、それを見て止めようともしていない、それどころか人が殴られているのを見て面白がっている。まるで高みの見物だ。その行為がどうして無実と言い切ることができようか?そう、女どもは唾液も飲むことができない程、恐怖していたのだ。
しかし、その思いを払拭したのが俊介の存在だった。
「お前、分かってんだろうな?自分のやったことの意味を?多少腕が立つようだが、俺とお前の足元に転がっている奴等を一緒にするなよ。」
俊介は、三枝優利を威嚇し、臨戦態勢になる。
女達はそれを見て胸をなで下ろした。俊介は強い、俊介なら必ず三枝優利勝つことができるだろうと。
しかし、言われるまでもなく、三枝優利は俊介が強いであろうことは分かっていた。強い者は見ただけで敵の力量が分かると良く言われる。そのことはおそらく本当だ。勿論、体格など、見た目だけで分かる情報もある。しかしそれだけでは無く、本当に強い者はその者の自信から生まれる雰囲気を放っている。それは強者と対峙したとき、謙虚に現れ、お互いに感知するのだ。
三枝優利は俊介の雰囲気を感知し、身をこわばらせた。今まで倒した雑魚とは違う。しかし三枝優利はそれを跳ねのけようと、自らの意思を奮いただせた。それは、彼女の正義感であったことは間違いない。世の中にはびこる絶対悪や理不尽を許すことができなく、自らもそれにひれ伏すことが絶対にできないと、心に深く決めているのだろう、覚悟決めた。その覚悟が、彼女に見えない力を増幅させ、殺気と思われる程の敵意を俊介に浴びせて構えた。
俊介はそれを跳ね除けるような気を放ち、ズカズカ歩いて距離を縮める。
三枝優利は、それを受けて身構える。
工場内は二人だけの世界になり、静まりかえっている。そこにいる者、全てがこの勝負に固唾を飲み、全身の神経を尖らせた。
しかし、それを打ち消す事が起こった。それは、淀みがない湖に一点の滴が落ち、この世界に波紋を作りだした。
「優利、代われ!こいつは俺がやるよ。」
突然、どこからか、声が聞こえたのだ。皆、その声に驚いて視線がその男に集まる。その男は一体いつ現れたのだろう?そして、いつからそこにいたのだろう?工場の扉付近の壁にもたれかかって、その男はそう言った。
三枝優利はその男の言葉を聞くと、少しご立腹し、言い返した。
「今頃出てきて何?それに私がこんな男に勝てないとでも言いたいの?」
「嫁入り前の女が怪我なんかできたら心配だろ。」
その男は微笑気味で言った。その男の正体は、三枝優利が知っていたので、三枝優利の知人であることは分かった。しかし、もう一人その男が何者か分かっている者がいた。俊介である。
俊介はフフフと薄ら笑いをして、そして、今までの自分の苛立ちや鼻持ちならない感情を一気に払拭するように、ケラケラとわざと声を立てるように笑っていった。
「全てお前の差し金か?!斎藤勇気!」
斎藤勇気、そう言われたその男は、俊介程、強そうには思えない。彼の身長は俺と同じぐらい、175㎝前後。体格だけ見ると、中肉中背のどこにでもいる高校男児そのものと言い切っても過言では無い。とは言っても、三枝優利の身長は165㎝ぐらい、身長差だけ見ると俊介と10㎝程埋まる。それでも不安を掻き消すことは到底、無理だった。
しかし、彼にはそう思わせられない、自信に満ち溢れている雰囲気をもっていた。彼の外見は上は黒いTシャツ下は青いジーンズ、俊介と同じような格好をしていた。容貌は、普通の女性なら多くの好意を寄せられてもおかしくなく、整った高い鼻に小さい口、目は細い目だが、透き通るような綺麗な目をしている、イケメンである。
大きな俊介との違いは目である。二人ともイケメンには違いないが、俊介は、見るものを飲み込むような、大きな目、それは目に映るものを飲み込もうとする目力を持った目で目の奥は黒く濁っている。それに対し彼の目は、その透き通るような細い目で、物事をすましたように受け流すような感じがする。しかし、彼の目には一点の汚れは無く、その綺麗な目は彼の心を象徴しているかのような目であった。
そう対極に見えるような目を持った彼らはお互いを受け入れ、理解することは不可能に思え、お互いに相容れない存在であることを目が語っていた。それ故に、お互い目があった瞬間から、特に俊介からは強い憎悪をむき出しになった視線を彼に向けている。それに対し、斎藤勇気はそれを上手に受け流している。彼には、いや、彼の方が余裕があるように思えた。
俊介は立ったまま貧乏ゆすりを始めた。とても歯がゆいのだろう?
「いつからだ、いつから、お前はこのことを知っていて、いつから、こんなことをたくらんでいたんだ?」
「たくらむ?くだらない小細工やたくらみはお前の専売特許じゃないか?俺は別に何もたくらんでいた訳じゃないさ、たまたま俺達は通りかかっただけさ、そして、たまたまイジメ?いや暴力事件だな。こういうの俺達、見過ごせなくてさぁ、一緒に警察行く?今のままだと、優利は正当防衛で片がつくけど、お前とお前の仲間がやったことは、とても免罪できないよな?だけどな、これだけは言える。そっちの方がお前にとっては良い選択になるってな(笑)。」
それを、聞くと、俊介は、また微笑した。
「お前、俺に勝てると思ってんのか?あたかも、お前の方が強いから、選択権は無いような言い方してるけどな、勘違いするのも大概にしろよ、お前らこそただで済むと思うなよ。この場から帰すことも許さねーよ。」
それを聞くと斎藤勇気の方も少し逆鱗に触れた感があった。機嫌を損ねた。
「お前、やっぱり優利にも手を出す気だな、女にも手を出すようなやつは本物のクズだな。どうするよ、どうせお前も俺も、一歩も譲る気ねーんだろ?白黒はっきりさせようぜ、俺がお前より強いってことだっけ?」
俊介と斎藤勇気はそれを聞くと、お互い顔を見合わせて酷く笑った。
ハハハハハ
「この期におよんでまだ減らず口を叩けるか?分からせないとな。覚悟しな!」
「お前がな!」
お互い、吸い込まれるように距離を縮めていって、彼らは闘う準備をしていった。
しかし、俺は今起こっていることを信じることが、まだできずにいた。このことは単に偶然にしては出来すぎている。俊介の言ったとおり仕組まれていたとしか考えられない。今起こっている事の大きさや、そのタイミングの良さ。到底、彼の言い分は納得を買えるようなものでは無い。とにかく俺はこの闘いを一部始終見逃さないため、見ることに神経を集中させたのであった。
俺、斎藤勇気と俊介は同じ学校に通っている。俺達の通う宗明学園は男子校で、外見には体育会系が抜きん出た結果を残してきているので、表面上は体育会系が優秀なスポーツ校に見えている。俺も実際、柔道部の実績に惹かれてこの学校を選んだ。しかし、この学校の実態は不良が多いことが本当のこの学校の姿である。
そう、この学校の裏の顔はこの学校に入るまで知り得なかった。この学校は、スポーツに没頭するものはごく一部で、この学校に通う生徒の大半は怠惰な学校生活を送りながら、堕落した不良生活を送る、不良どもの巣窟のような学校だった。
俺のクラス、二年C組には、その中でも、この学校全体をまとめ上げる存在の不良が存在する。そいつの名前は矢野俊介である。仲間うちからは俊介で通ってきている、その男は入学当時に学校の頭をはろうとしている生徒をかたっぱしから芽を摘んでいった。俺は不良としてこの学校で名を馳せて暮らしていく気は無かったので、ターゲットにはされなかったが、そのターゲットにされた男は無残な姿になっていたそうだ。奴は自分側につかない奴を許せない性質をしており、そんな奴等は、いまや俊介を見ると、とても萎縮した態度をとっており、俊介に従順している男達より惨めな学園生活を強いられている。それでも、反旗をひるがえそうと企てる奴もいるが、皆、奴の目を見た途端に、体が奴にやられたことを思い出させるかのように身をこわばらせて、金縛りにあったように動けなくなる。奴には不思議な力があるのだろう?奴の目に宿っているものは、絶対的な人の闇の顕現であり、奴に噛みつくようなことがあれば、その何倍もの恐怖が待っていることを表している。それを、その行為だけで予見させられるために、そんな状態になってしまう。奴には一種のカリスマ性のようなものを持っていることは確かなことである。
そうなると、奴にまとめ上げることが出来ないのは体育会系の一部の人間である。奴はそういう奴等も自分側にとりこもうとした。実際、野球部、サッカー部などは、奴に刃向える奴は一人もいない、皆、奴に会うと、奴のご機嫌をとるような態度をとる。そう、現状では、この学校では奴の存在がそれだけ大きな存在にまでなってしまっていたのだ。
しかし、奴に従わない奴等がいた。俺は奴がしたたかにこの学校での勢力を広げるのに切磋琢磨している間。我が柔道部はインターハイ出場を果たしたのだ。惜しくも全国優勝を団体戦も個人戦も成し遂げることはできなかったが、我が柔道部はインターハイで良くも悪くも健闘したと言っていいだろう。そう、この学校の表向きの姿に貢献した俺達は、皆から賛美され、歓迎されていた。しかし、それを矢野俊介は良く思わなかったことは言うまでも無いだろう。
柔道、それは、他のスポーツにない特徴がある。このスポーツは格闘技であることである。俺達、柔道部員は皆、腕に覚えがあることは確かであるが、実際のところ、そんなことを周りに鼓舞するつもりは毛頭無いメンバーばかりである。だから、不良ぶることも強がることもしない。しかし、不良たちに従属することも無い。つまり俺達は何者にも属さず、自由気ままにこの学校でのどかに暮らしているのだ。
矢野俊介は以前から、そのことを快く思っていなかった。しかし、そんなことよりも、この学校で表面上は強いと思われる、不良男児を狩ることに必死だったのだろう、高校一年の一学期、そのことに必死だったため、俺達、柔道部員を見過ごしてしまっていたのだ。
しかし、こう実績を残されたら、矢野俊介にとっては俺達のことは目の上のたんこぶでしか無い。そんな矢野俊介との思惑とは裏腹に、俺は三年生の引退後、一年生にして部のキャプテンに選ばれた。本来ならば、俺ではなく二年生がその役を担うことが相応しいのだが、柔道の個人戦や団体戦での活躍や実績、何よりも自分の強さから任せられると判断され、俺は顧問からそう言い渡されたのだ。
つまり柔道部で一番強くて、この団体を取り仕切っているのは俺、斎藤勇気と自他ともに認める存在になったのだ。だが、そのことは俊介から俺をターゲットとして認知されるきっかけになってしまったのだ。
矢野俊介は、俺に周りを使った姑息な嫌がらせや、矢野俊介自身に矛先を向けるように仕向けられたイジメを受けた。それは、俺がイジメを受けることで、精神的苦痛により矢野俊介に闘わずして服従関係をつくろうとした矢野俊介の作戦であり、また、それに痺れを切らして矢野俊介と闘うことで、矢野俊介に負けてきた、他の不良同様、惨めな学校生活を強いるための企みであったのだろう。
しかし、俺はそんなことは無視した。柔道部員、全員そうであるが、そんなことは全くもってどうでもいい。この学校の不良どもの覇権争いなど、全く興味が湧かないのだ。そんなことよりも、今より強く、来年こそはインターハイ優勝、その目標に一心不乱であるため、皆、自分を鍛えることに熱中している。そんな奴らをまとめる立場である俺はより一層、その思いが強く、部員の期待に応えるため、他の誰よりもそれに没頭し、努力していた。
しかし、そういう状態も長くは続かなかった。一年の冬のことである。矢野俊介の方がとうとう痺れを切らした。とは言っても、直接呼出しなどの行動をとらなかったのは、俺を心のどこかで恐れていたところがあったのだろうか?
ある日の朝、俺達はお互い向かい合って廊下を歩いていた。矢野俊介は周りの不良を従えて機嫌よさそうに歩いていたが、遠目で俺を発見し、機嫌が悪くなり顔色を変えた。俺は一人で歩いていて、矢野俊介など通行人の一人としてしか目に映らなかったが、こう、あからさまに態度を変えられては、少しは注目せざる得ないが、それもどうでも良いことのように受け流していた。
奴の周りの男どもも、俺の存在に感づいたようで、矢野俊介の周りに険悪なムードが広がる。しかし、それを見ても全く動じない、または、態度を変えない俺に、今まで溜め込んでいた鬱憤を抑えるのが我慢できなかったのだろう、俊介は俺に、すれ違いざま、強く肩をぶつけてきたのだ。さすがの俺も少しよろめいたが、何事も無かったかのように、通り過ぎようとした。だが、俊介はそれを許さなかった。
「おい!」
「・・・・・何?・・・・ああ、ぶつかったな。悪い悪い。」
俺は少し謝って通り過ぎようとした。だが、しつこく俊介は絡んでくる。
「そんな一言で済むと思ってんのか?ちょっと、ツラかせや!」
周りの奴等も、矢野俊介の思惑を知ってか、やっとこいつの芽も摘めると、不気味にニヤニヤする。
「悪いって、謝ってんじゃねーか?俺にはお前らみたいに時間ねーんだよ、じゃあな。」
俺も少し苛立ったのか、そっけなく返した。そして奴に媚びる必要も気も無いので、この場からすみやかに立ち去ろうとした。しかし、それが奴の鬱憤に拍車をかける、とてつもなく苛立ちを感じ、そう言った直後に俺の胸倉をつかんで壁に押し付けた。
俺も流石に直接手を出されると頭に血が上る。こいつ、この場で投げ飛ばしてやろうか?と思った。しかし、俺には奴とは違い、部の体裁がある。今までも正直、やってやろうかと思ったことはあった。しかし、学校内で不祥事を起こすことは流石にできない。熱くなった頭を冷静にして、そして、奴が俺の胸倉をつかんでいる手をしなやかにそっと握った。そして、静かに言った。
「やめとけ・・・・・・。」
俺のした行動はそれだけだった。しかし、それだけで充分に効力があることを知っていた。
案の定、奴は俺の手をもの凄く気持ち悪いと感じ、嫌悪感をあらわにして、すぐ手を離した。
柔道家の手は、そこに敵意を加えるともの凄く怖いものになる。それは、二流ながら俺の手もそうであると確信している程の自信はある。まして、柔道をやっていない者なら当然、触られたら自然と恐怖感を感じてしまうものになることは、数々の相手とこの二つの手で掴んできたものからすると当然のことだろう。
奴は他の者に分からないように努めていたが、顔を青ざめさせていた。そして、気を取り直して周りのものに、とりあえずの体裁を保つため、舌打ちをさせられ、その場から立ち去ろうとした。しかし、奴が冷や汗をかいていることは分かっていたため、俺は言った。
「これに懲りたら、もう俺に関わらないことだな。矢野俊介くん。」
俺は奴の状況に追い討ちをかけた。
「ふん!」
奴は鼻で笑った。それが奴にとって、できる最大限の反抗だったのだろう。そして、奴等を引き連れて歩いていった。
「いいのか?俊介?」
「うっさい、ほっとけ!」
そんな声が後ろから聞こえたような気がしたが、俺はまた何事もなかったかのように、通り過ぎていった。
それからというもの、矢野俊介が俺に、または、俺達柔道部に干渉することは無くなった。それから半年過ぎた頃である。俺達は二年は同じクラスになった。しかし、俺達の関係は相変わらず相容れなく、お互い意識はしているが、関わりあうことは無く。俺は柔道部、奴は不良としてお互い違った環境に身を置いて生活していた。そして、今から半月前のことである。俺は俊介の話を休み時間に机の上にうつぶせになって仮眠をとっているとき、聞いていた。
「今日、裕子が新しいパシリ連れて来るんだってさ!」
そう、俊介が言った。
「まじかー!良かったな、皆、万引きでつかまって、使い物にならなくなってるからな!」
俺はそのことを知っていた。この学校で矢野俊介達にやられた、頭を張ろうとした、不良共だ。しかし、奴等も奴等で、矢野俊介が入学前、悪さをしていた訳だから警察のお世話になっている。そのことをずる賢くもついていた、矢野俊介の悪巧みである。本当に小賢しい奴である。しかし、それも不良共の抗争の結果だと、俺はそこに干渉しなかった。だが、今回はどうやら違うようだ。
「裕子って言ったら、四谷坂学園の生徒だよな?女か?それは心が痛むな。」
「いや、男らしい。知ってか?四谷坂学園、最近、共学化されたんだよ。それで、授業中に裕子のパンツ、ガン見してたらしい。マジうけるな!」
ハハハ!!!
笑い声が飛び交う。俺はそれを聞いていて、少し反応した。
・・・・・・優利が通う学校の生徒だ・・・・・・
だが、俺は別に正義の味方では無い。イチイチやつらの悪巧みに首をつっこんでいては切りが無いのだが、優利の通う学校だけあって、俺は気を引き付けられていた。
どんな男が奴のターゲットになるのだろう?やはり救うべきか?とにかく、当の本人を見てみなければ・・・・。俺は、その時から運命的なものを感じていたのだろうか?その、普段なら聞き流している矢野俊介の悪事も、俺がその男に興味を抱いたことから既に運命の糸で引っ張られていた。
俺は矢野俊介の集まっている場所を知っている。俺の通う道場の近くにある、廃工場だ。もちろん、矢野俊介はそんなことは全く知らないだろうが、俺は道場に通うとき、嫌でも奴らの下品な笑い声を聞いていた。
俺は道場に行くついでに、奴らの集まる工場を覗いてみることにした。奴らはバイクで学校に通っているため、奴らの方が早くそこにつく、俺が来たのは、奴らの着いたすぐ後だった。俺は工場の中を扉の隙間から覗く。
「いやだ!」
その声が静まり帰った工場で反響していた。俺は見る目を疑った。あんなにひ弱そうな男が、矢野俊介に一丁前に反抗しているのは、初めて見たからだ。間違いなく中学、高校とスポーツなどをして体を鍛えてきたことさえ無い貧弱な男の中に入るだろう。噂に聞く、四谷坂学園の男子の象徴ともいえるような男だ。それなのに、あんなに必死になって恐怖心を押し殺すこともできず、それを全身に感じながらも立ち向かう。コイツは見どころある・・・・。俺はどうせ道場に通うついでだ、コイツがどういう経過をしていくか、もの凄く興味を惹かれていたので毎日覗くことにした。
しかし、俺の興味は最初の頃に比べると段々薄くなってきた。コイツは矢野俊介の手下として順応していったからだ。それは、日に日にその色が濃くなってきた。俺はやはり、俺の期待していた、男とは違うと、諦めかけていた。ちょうどそんなときだった。俺はコイツの友達が心配して、コイツの様子を見に来ているところを発見した。そのメンバーは一人を除いてはコイツと同じ、四谷坂学園の生徒らしい、弱弱しい奴らだ。そして一人だけ俺と同じ匂いを感じるようなゴツイ男だったが、それは俺の興味をそこまでひいた訳ではない。それよりもコイツを心配して見に来てくれている。友達から信頼されている男であったことの方が興味をひかれた。
そして、そいつらにもバレるので扉の前には行けないため、少し離れたところで、壁に耳をつけ、聞き耳を立てていた。しかし、そこで聞いていたのは、昨日までとは打って変った、またコイツが俊介にまた立ち向かう姿だった。
「もう本当にお金が無いんだ。何も買いに行けないよ・・・・。」
「お前さぁ、何かと俺に反抗的な態度とるけど、何!?それで俺の意見が変わるとでも思ってんのか?グダグダ言わずにサッサといけよ。」
「お金が・・・・・。」
「まだ言うか!?お前!?金がないなら盗んでくるとか、なんとかしろよ!」
「さっさと行けよ。」
ここまでの時点まででも俺は驚きを隠しきれなかったが、これでそのまま従うような奴なら、それまでの奴だと思った。しかし、実際は違ったのだ。
「おい!お前いつまでそうしているつもりだ。」
「俺は・・・・俺は・・・・万引きなんてできない。」
「あーそう、もういいよ。山本君・・・・・、何が何でも俺に逆らいたい訳ね。自分の正義とか、そんなもん守りたい訳ね・・・・・、体で分からせなきゃ分かんないかなぁ=3」
そして断末魔のような悲鳴が響く、俺は正直驚いていた。コイツが立ち向かうことができない暴力への恐怖心、そういうものがコイツの心には浸透しきっているはずなのに、またそれを受けると分かっているのに関わらず、矢野俊介に立ち向かう姿は、コイツには何かあると直感的に感じずにはいられなかったのだ。
「もうそれぐらいにしとけ、お前ら。」
「おう。」
「これで分かったろ!?お前に権利なんてもんはねーんだよ。」
・・・・・・矢野俊介はおそらく再起不能まで、コイツに追い討ちをかけたのだろう?この日はそれ以上コイツに矢野俊介は何もしなかった。しかし、俺は矢野俊介の性格を知っている。奴はコイツ、山本みたいな奴は、虫唾が走るぐらい大嫌いで、奴が次にどういう行動をとるか予測ができる。
そして、山本の様子が心配で覗きにきている奴等に視線が移る。コイツら・・・・・悪い予感がする。山本が明日も同じような態度をとるとしたら、ターゲットにされるのは、コイツらだ。俊介はこういう人間の価値観の中で善と思われる正義感などの心や、そこから生まれる勇気から行動をとられることは大っ嫌いで、奴は徹底的にコイツの芽生えた心まで完膚無き程まで打ち砕くだろう。俺はついに決心した。コイツが俺の見込んだ男であることはもう間違いない。明日、俺はコイツを助けよう。
・・・・・一応、優利にも事情を話しておくか。優利の学校の生徒がこうなっていることを・・・・・。だが、優利に話すとすると、俺が助けるのを見ていてくれているだけなら助かるんだが(汗)。
案の定、道場につくやいなや、優利にお前の学校の生徒が俺の学校の奴らにイジメを受けていると、それとなく話すと、姿、格好なんて気にせず、一目散にその場所に駆けていった。俺はその跡を追いかける。電話でいっときゃよかった(汗)。
そうして、遅れてやってきた俺は今、矢野俊介と対峙する状況になっている。
この工場で今から起こる、二人の勝負に、皆、固唾を飲んで視神経を集中させている。この勝敗で、自分たちの立場がお互い百八十度変わるからである。もし、この勝負で俊介が勝ったとしたら、俺達はまた惨劇の繰り返しであろう。しかし、この男、斎藤勇気が勝つことがあったとしたら、俺達は三枝優利の言った通り、解放される。また、山中達は女といえどもただでは済まないだろう?そのような不安の色がこの場にいる女達からも感じとれる。皆、この勝敗の行方を双方違う思いで祈っていた。
二人の距離が二mも満たない距離までお互い接近したとき、俊介から一気に距離を近づけて、仕掛けていった。俊介はとても顔が赤くなっており、まるで、初めて勝敗の分からない相手と闘いを挑んだため、緊張感と高ぶる気持ちが奴を包み込んでいるかのように思えた。それがやつの原動力になったのだろう、かつてない程の力が奴の体から放たれているように思える。一方、斎藤勇気の方も距離が近づくにつれ、さっき啖呵を切ったときほど顔に余裕の色が見えない。真剣な顔をしている。お互い、相手の力量を把握し、実感し、対峙することでそれを肌に感じているだろう。
俊介が相手との距離を2mから1mに一気に距離を縮めてパンチを斎藤勇気に顔面めがけて打ち込んだ。斎藤勇気は俊介のリーチの長い手から放たれるパンチを、左足を後ろに下げ、体を反時計周りに90度回って、体を開くことで俊介のパンチをギリギリ避けた。やはり俊介の長身の体格はリーチが長いため有利に働くように思えた。しかし、避けた瞬間、斎藤勇気は相手との距離を瞬時に縮め、右手で相手の鎖骨あたりの襟を掴み、左手で伸ばした手を掴もうとした。その刹那、俊介は右手を素早く引き、バックステップで体を後ろに退けた。このとき、もし掴まれていたら、一瞬で勝敗を決していただろう。俊介はなんらかの投技をかけられた可能性がある。しかし、俊介もある程度は柔道をやっている奴の特徴はつかんでいるようだった。柔道に当身技は基本的に無い。形として一応は習うようだが、試合では基本的には投技や寝技が中心、つまり、実践ではパンチやキックなど、直接殴ることはしないのだ。だから、柔道をやっている人間と喧嘩をするときは、掴ませないことがいかにも重要で、もし掴まれたら命取りになる。それは奴にも分かっているようだった。だから、一見、消極的にも思えるこの行動に転じることになったのだろう。
しかし、驚くべきは、俊介のパンチであった。奴が打ち出したパンチは左足を軸足にし、半身になり、相手から遠い方の右手で腰を回しながら、打ち放っている。このパンチはボクシングで言うところの右ストレートに近い。そのうえ、掴まれまいとした結果としての、行動ではあるが、瞬時にパンチを引く動作は、まるで、ボクサーのパンチのようだと見えても、不思議では全く無い。このパンチがもし避けきれず、当たってしまっていたら、奴の体格から放たれるパンチは破壊的に強いものになってしまっていただろう。しかし、奴はボクシング経験者では無かった。俊介は、数々の喧嘩の場数をくぐることにより、パンチの形が自然淘汰されていき、そしてこのようなパンチになったのだ。奴は自然と、このようなパンチを生み出せたこと自体、奴が百戦錬磨の喧嘩の申し子であることの何よりもの証明だった。
一方、斎藤勇気は、体を奴と向い合う形に戻して、右足を一足長分前に出して、身構えた。彼の表情は、やはりと言っていい、俊介のパンチに驚きの色を示していた。しかし、斎藤勇気は突然、身構えた右手をほどき、ポリポリ頭を掻ききながらこう言った。
「やっばいなぁ~パンチ早いなぁ~~当たったらヤバいだろうな、でもな、避けれるんだよ。」
斎藤勇気は、驚いた表情を見せていたが、顔つきを真面目な顔に変えていた、そして、言い切った後、その真剣な目で俊介睨んだ。俊介はそれを聞くと
「は?避けれる?お前、ギリギリじゃねーか?運良く避けれただけで余裕こいてんじゃねーぞ、次もう一度避けれるか、試してやろうか?」
と言って、意地汚そうに笑った。
そして、言葉を言い切る間も許さない程、奴は速く動き出し、また同じように斎藤勇気との距離を一気につめて、右手を振り上げた。
俺はまたあの当たったら一貫の終わりの殺人的なパンチがくると、瞬時に誰もが思った。その直後、後ろに下げていた右足を斎藤勇気の右足めがけて振り抜いた。しかし、斎藤勇気は右足を瞬時に下げて、蹴りをギリギリかわした。そして、その直後、少し鼻で笑いこう言った。
「バレバレなんだよ、お前の攻撃なんて一発も俺には当たらないぜ。」
柔道には、すかしという足技を防ぐ技術がある。大外刈りなら大外すかし、内股なら内股すかし。柔道という格闘技は手や腰を使って投げる印象が強いが、こうやって、下半身からの攻撃にも瞬時に動けるように、足運びも訓練されている。それも俊介のローキックを防げた理由の一つである。
しかし、俊介の攻撃が当たらないのは、そういった理由だけでは無かった。俊介はさっきの言葉を受け言った。
「あんだと?!さっきからお前、運よく避けれただけで、勝った気になってんじゃねーぞ!全部ギリギリじゃねーか?!減らず口を叩けないようにしてやるぜ!」
俊介はニヤケながら言っていたが、無理やり顔を作っているように思えた。これまで、俊介の攻撃を斎藤勇気がギリギリかわして、防戦一方のようで、追い詰められているのは斎藤勇気の方に見える。だが、実際は余裕が無く、追い詰められているのは俊介の方だった。ギリギリ、紙一重で避けられる。この時、その怖さを一番肌に感じていたのは、俊介の方だったのだろう。実際、あんなに立て続けに攻撃していた俊介が、斎藤勇気に煽られるまで動けなかった。
「さぁ、どんどんパンチでもキックでも俺に打ってこいよ。」
勝ち誇ったような発言をする。しかし、斎藤勇気の表情は全く、油断をしているようには見えず、俊介の一挙手一投足を見る目は真剣そのものだった。
「このやろう!!」
俊介はそう言われて、また、彼に襲いかかる。
パンチ、キック、あらゆるコンビネーションの乱打が続く、しかし、紙一重、そう、紙一重なのだ、紙一重のところで、斎藤勇気の体に、かするどころか、接触することは一度も無かった。
この攻防が5分ぐらい続いたところで、俊介は息をきらして、攻撃をやめて、相手との距離をとって、早くなった呼吸を整えていた。
「ハァハァハァ・・・・・。」
斎藤勇気はそれを見て、憐れみなのか、同情なのか、分からないが、俊介にこう言った。
「お前、さっき、ギリギリかわしているのに、勝った気になるなって言ったよな。そのギリギリ、紙一重がお前と俺との徹底的な差なんだよ。」
「・・・・・また減らず口を、待ってろ、お前を一発でしとめてやるぜ・・・・・。」
斎藤勇気は、また、頭をポリポリ掻いた。そして俊介にこう言った。
「その、一発早く、打ち込んでこいよ!最後に一発、気持ちよく打たせたやるよ。」
「この野郎!」
俊介は、目にも留まらぬ速さの動きで、斎藤勇気にパンチを打ちはなった。
このときの俊介の感情は複雑なものだったのだろう?実感する。初めて自分より喧嘩の強い相手を本能的に受け入れることを。だからこそ、俊介はもう小細工は使わない、自分の全身全霊をかけた攻撃で相手をしとめる。その闘志を自分の拳にまとまりつかせた。だから、彼のパンチは、今までで一番の速さや力がこもったパンチだった。絶対に勝つ、その思いがパンチを速く、そして、強くさせたのだ。
そう、彼の今までの一番の最強のパンチは、見ているもの全てを恐怖させた。しかし、その瞬間、俺達は驚愕の光景を目の当たりにする。
・・・・・・・・・・・・・・・
辺りが静まり帰った。
なんと、その、見るもの全てを恐怖させた、恐ろしいパンチを斎藤勇気は手の平で受け止めていたのだ。
「お前の負けだよ。」
そう静かに言うと、俊介は、無邪気な顔で鼻で笑って言った。
「早くやれよ。」
「フッ・・・・」
そう斎藤勇気は鼻で笑い返すと、俊介の横襟と腕を掴んで、相手の腹に足を突き立てて、後ろに倒れ込んだ。
それは一瞬の出来事であったが、俺には、スローモーションのように見えた。
そう、俺にはよく見えていた。斎藤勇気は俊介を掴んだ瞬間、後ろに後退し、俊介を前に引き出した。そして、左足を俊介の股の間にいれ、右足の膝を曲げ、左足を相手の下腹部に足を乗せ、後ろに倒れ込んだ。斎藤勇気が地面に着地したと思ったら、俊介の体は宙に浮き、前方に一回転して背中から落ちていったのだ。
・・・・・・何という技だったけ・・・・・・
オリンピックもろくに見ない俺だが、この技は見たことがあった。しかし、初めて見た気持ちにさせられた。この技は、俺には今まで見てきたどの技よりもカッコよく、そして美しい技に見え、魅了されていた。
そして二人とも地面に倒れ込んだまま、動けない。俊介は受け身を知らない分、技をかけた斎藤勇気よりもダメージは大きいだろう。
それを呆れ果てた視線で見ていたのは、三枝優利である。そして斉藤勇気に近づいて言った。
「あんた、バカじゃないの?!こんな、硬い地面のところで捨身技なんて、普通する?!」
「うっせえなぁ、何でもいいじゃねーか?技かける前に、イチイチ、技かける後のことなんて考えねーよ。技はかける前に、技がきまるか、きまらないかをイメージするのが大事なんじゃねーか?きまった後のことなんて知らねーよ。」
「この、柔道バカ!」
仰向けになったまま、斎藤勇気は三枝優利と話していた。三枝優利は少しすねているように見えたが、なんだが、嬉しそうだ。
しばらくして、斎藤勇気は尻と背中をさすりながら立ち上がり、俊介の前に立った。そして、俊介の顔を叩いて。俊介を起こした。
「何だよ?」
「完膚無きまで、俺にやられたな。俺とまたやり合う気はあるか?」
斎藤勇気は、初めて意地汚そうにニヤリとした。
「てめー!次は絶対勝つ!てめーの自身もそーだが、てめーの周りの奴等も皆だ。てめーの心やプライドまでズタズタにしてやるよ!」
「・・・・・・・・」
それを聞いて、しばらく斎藤勇気は黙った。そして諭すように言った。
「そんな状態になってまで、まだ分からないか?柔道には心技体という理念がある。その中でも心が一番大事なんだ。心の力とは、その人の運動神経、反射神経などの、その人の持っている身体能力以上の力を生み出すことができる。そうして技や体に繋がるんだ。心が濁っているお前はそれに繋がる技、体までゆき届かない。それを分からないお前には、お前が何やっても俺には勝てねーよ。」
俊介は黙りこんだ。斎藤勇気の言葉を認めることを拒絶しているが、今の自分の状態では、斎藤勇気の言葉で反論することさへ許されず、飲み込むことしかできない。
それから初めて、生まれて初めての敗北により、自分の持っていた脆くて、危なかしいプライドやアイデンティティが崩れ落ちていく。残ったものは、それによって生じた胸にあいた大きな穴。奴がこれから歩む道は行き場を無くすだろう、そのことが怖くて、恐ろしくて、奴は目を閉じて心の中で泣いていたのだ。
「・・・・・さてと、」
斎藤勇気は俊介を覗き込んでいたので、前かがみになっていたが、体を起こして三枝優利と並んで立った。そして二人で山中達を睨んだ。
「おい!」
「ハッハイ!」
山中達は自分達の今まで、そして最後まで拠り所にしていた俊介がやられたため、そのショックともう自分達は二人から逃げられない、そのことが物凄く圧力になり、怯えていた。
その姿を二人は見て
「お前らのやってきたことは当然許されることじゃねーよな?!直接手は出してないとはいえ、こんなになるまで追い詰められ心も体もボロボロになったコイツら、もうちょっとやそっとじゃ立ち直れないぞ!コイツらのこれからの人生まで責任とれんのか?それ相応の覚悟はできてんだろうな?」
と言って、斎藤勇気は脅しをかけた。そして、拳をポキポキ鳴らしながら近づく。そして、三枝優利も一緒に近づいていく。
ポコ!
三枝優利は斎藤勇気の頭を叩いた。斎藤勇気はムッとして、
「何だよ!」
「コラ!女の子まで手を出さない!確かにアンタの言う通り、この子達がやったことは決して許されることじゃないわ、一生のトラウマを背負って二人は生きていくのよ。だけど、二人のことは私に任せて頂戴!」
「分かってるよ!ちょっと脅しをかけて荒療治しようとしただけだ。そして、コイツに関しては始めから俺もそのつもりだ。」
そう言って、俺に二人の視線が集まる。
・・・・・・・・何を言ってるんだ?!二人とも・・・・・・
そしてまた山中に視線を戻して、今度は三枝優利が女達の目の前に立ちふさがった。
「そういうことだから、もうアンタ達に何もしないわ、でもね、金輪際、山本君や瀬川君に一切、関わらないって約束できるかしら?それができないなら、本当に覚悟してもらうわ!」
三枝優利は相手を圧倒する目力で相手を縛りつけた。もしかしたら、俊介や斎藤勇気よりも強いのかもしれない。そう思わせる程の力のある目だった。
山中はその目の呪縛からしばらく身動きできなかったが、視線をそらして、ワザと強がってみせた。
「わったよ!コイツらともう、関わんねーよ!それでいいんだろ?正義の味方ごっごは楽しかったかよ!?この偽善者!」
と言って、三枝優利と目を合わせることなく立ち上がり、そして残っている女どもにこう言った。
「何固まってんだ!行くぞ!」
そう言って、固まっている女どもに発破をかけて、引き連れて歩いて去っていった。
そうすると、工場にいるのは俺達四人になった。(意識があるものの意)そして三枝優利は大きなため息をついて言った。
「一難去ったはね!」
「そうだな・・・・・・道場に帰ーるか?!でも、その前に・・・・・。」
斎藤勇気が俺の目の前まで歩いてきて手を差し伸べた。三枝優利も後ろにいる。俺はその手を取った。
「一人で帰れるか?」
「ああ・・・・・。」
そして、俺の体を手で引っ張って持ち上げる。
「お前、柔道やらないか?」
突然、思いがけないことを言われた。それをすぐ飲み込むことはできない。しばらく固まった。そして、ハッと気が付き、手の平を相手に見せながら横に振って言う。
「できないよ!俺、体つき、貧弱だし、力だって無い。それに、今までろくにスポーツなんてしてきてないのに、格闘技なんて・・・・・。」
そう言ったら、斎藤勇気と三枝優利は顔を見合わせて、その後、言った。
「言ったろ、ココが大事だって!」
そう言いながら、自分の胸を叩いた。
「きっと才能あるよ!山本君!」
三枝優利が身を乗り出してきた。
俺は、憧れの三枝優利がこんなに近くに顔を近づけられたこともあったかもしれないが照れてしまって、頬が赤く染まった。
しかし、その姿を斎藤勇気はジーと嫌らしい目つきで見ていた。
それによって、俺は我に返ったが、そんなことを感じている場合では無いと気付いた。・・・・・断らなければ。俺は、色々、言葉を探すため考え、目の焦点を二人に合わせていなかった。
その姿を斎藤勇気は見て、俺の考えが分かったのか、こう言った。
「強くなりたくないか?」
「えっ・・・・・。」
「強くなりたくないのか、聞いている。俺はお前の心が強いのを知っている。しかし、この事を通して打ち砕かれたことも知っているんだ。このままじゃお前は、こいつらみたいな奴らに食い物にされて生きていくことになる。それもいいと思うなら、それでいい、でもお前が今、変わりたいと思うなら、俺らについてこい!」
俺はその言葉を聞いて、今まで頭で考えていたが、感覚的いや体感的に、体が正直に反応を示した。自分自身、驚きで、自分の『強くなりたい!』その思いが俺の体を駆け回り、体温を上昇させた。俺は熱くなった自分の掌を見てみる。そして、握ってみた。
「俺でも、強くなれますか?」
三枝優利と斎藤勇気は顔を見合わせて、笑った。
「おう!ようこそ、高心円道場へ!」
その姿をじっと見ている者がいた。達也である。当然、三枝優利と斎藤勇気も達也の前にいった。
「大丈夫か?」
三枝優利も斎藤勇気も、心配そうな顔で見つめる。
達也は俺ほどの外傷を受けた形跡は残っていなかった。しかし、精神的ダメージは俺よりも強いものだったかもしれない。あの俊介に直接殴られたのだから。達也はまだ怯えが残っているようだった。まだ体を震えさせている。
その姿から達也の心境を察したようで、二人とも難しい顔をした。とても軽はずみで道場に誘うことを言い出せない。そんな状態だった。
「・・・・・・瀬川君、もう怖がること無いんだよ・・・・・。私達がもう、山本君も君もついているから。」
しかし達也は外見で分からない心境を心に持っていた。それは二人を驚かせる。
「私達がついている・・・・・・。今まで何にも気付かず、涼介を放ったらかしにしといて、後からポッと出てきて、何が私達がついているだ!コイツが今まで、どんな思いをして、一人で闘っていたか知ってんのか?俺はお前らなんか守られないし、信用するつもりなんて毛頭無いからな!」
そう強く言い放った。そして、鞄を肩にかけて持って。
「涼介!帰るぞ!」
そう、まるで、強く二人を威嚇するように言った。
「俺は・・・・・。」
俺は達也の態度や言動に戸惑った。俺も意に反されていたのだ。そして何も言い返せず黙っていると。
「・・・・・・。」
達也は何も言わずに、工場を出て行った。
俺達はしばらく無言になったが、しばらくして三枝優利が言った。
「瀬川君も分かってくれるよ。きっと!」
「・・・・・・・・。」
「そうだな、とりあえず、お前、なんて名前だ?山本何?」
「山本涼介・・・・・。」
「涼介!今日、そのまま帰るか?それとも、俺らの道場に寄っていくか?」
「うん。」
俺は静かにうなずいた。
「よし!この近くにあるからさ、皆で行こうか!」
俺達は暗い夜道を歩いている。本来ならば、体が軋んで痛くて歩くのもままならなく、辛いはずである。しかし、あまり痛みを感じることは無い。街頭しか光を照らすはずの無い夜道、暗いはずの道場までの道のりは、道場から俺に眩しいばかりの光を浴びせられている気がしていた。前を向いて歩く一歩一歩、それは、俺に生きているという活力を与え、その一歩が重くて大きいもの、でも、その一歩の足取りは軽やかだった。こんなにも、前を向いて歩いていくことは希望を持てるものなのだと実感した。
そして、道場についた。『高心円道場』と大きな木に墨で書かれた看板は、俺の歩く動作を鈍らせ、ためらいを感じさせた。
・・・・・俺は、本当にここで、柔道を始めるのか・・・・・
その躊躇を二人は見抜いていて、俺に優しくこう言った。
「何も怖がること無いよ。行こう!」
三枝優利は手を差し伸べた。俺はゴクリと唾を飲み込んで。その手を掴んだ。その手はとても優しい手で、守られて引っ張っていってくれる気がした。顔を上げると。道場の扉の隙間から光が差し込んでいる。俺はその光の中に、三枝優利に手を引っ張られながら、吸い込まれるように、歩いていった。
道場の中はとても明るくて、眩しいように感じた。道場内を照らす蛍光灯はそんなに明るい訳ではないのだが、俺にとってはこれから始まるという思いが光の明るさに助長したように感じた。しかし、眩しさに目が慣れた頃、目下に広がっていたのは、老若男女問わず険しい顔で必死に相手と相手を掴みあっている者たちの姿だった。
俺はその光景に驚きを隠しきれなかった。やはり、自分は場違いな場所に来ていることを改めて感じさせられる。俺が扉の近くで後ずさりをしていると、扉とは正反対の位置で組手の稽古を見ている、この道場の主みたいな男が俺達に気付いて駆け寄ってきた。
「何しとったんや?お前ら?」
「まぁ・・・・ちょっとな・・・・・。」
斎藤勇気が、気まずそうに苦笑いをした。
「突然、血相変えて飛び出して行ったさかい、心配したんやで、ほんでなんや、帰ってきたら、気まずそうな顔しやがって、お前らもしかして何かやらかしたんちゃうやろな?」
「何もして無いぜ。ちょっとイジメを止めにいっただけだ。」
「・・・・・・・・。」
ガツン
その関西弁を話す男は二人の頭の上にげんこつをした。
「お前ら喧嘩したやろ?あれほど柔道を喧嘩に使ったあかんって、いつも言ってるやろ?警察沙汰になったら破門にするからな!」
それを聞いて、黙っていた三枝優利が言い返した。
「だって、ボロボロにされてたんだもん。それを黙って見過ごせって言うの?それこそ、師範の柔道の精神に反すると思うわ!」
その男は俺の姿を見て腕組みし、難しい顔をして一回うなずいた。
「それでもや!今度限りって約束せえ!」
「はい。」
二人は罰悪そうに言った。
「ごめんなさいは?」
「ごめんなさい。」
「よろしい、ほんでその子連れてきてどうするんや?うちの門下生にするんか?」
「そのつもりだけど。」
俺に三人の視線が集まる。ここの師範は外見は髭を生やした、体のごつい、強面のオッサンだが、なんだが包容力があるような気持ちにさせられた。それは三人のやりとりを見ていると分かる、時には、優しく、時には厳しくする、優しさと厳しさを兼ね備えた人のようだ。師範は俺をじっと心配そうに見つめて、そして俺に話しかけた。
「大丈夫か?こんなんになってまで・・・・難儀なことにあってたんやな。その後、二人に引っ張られてここまで来たんか?無理矢理か?」
そう言って、二人を睨みつけ、矛先がまた向かう。
二人は戸惑っていたが、俺は慌ててすぐ言った。
「違います!自分の意思です!」
「ハハハ。面白い子やな。まぁ入門せえとは、すぐには言わんから今日は覗いていくだけ見学しとき。体さえ、まだ動けるんやったら、なんやったら体験もやってあげるで!」
「ハイ!」
俺はとても緊張して、声が裏返った。
「名前なんていうんや?」
「山本涼介です。」
二人は、その師範とのやりとりを見ていると。ハッと気づかされたように気付き、そしてまず三枝優利が俺に言った。
「あの、私、分かるよね?!」
「三枝さんだよね。」
「そう、同じクラスの三枝優利、私のことは優利って呼んでね。私は涼介君でいいかな?」
「うん。」
俺は嬉しかった。自分の憧れていた女子と会話をして、あまつさえ、下の名前で呼び合うことができる。そのことは俺にとって初めての経験であり、幸福感を感じずにいられなかった。そしてその後、自己紹介したのが斎藤勇気だった。
「俺は勇気、斎藤勇気だ。よろしくな。俺のことも勇気って呼んでくれ、涼介!」
こいつは勝手に俺の下の名前を呼んでくる。しかし俊介よりも強い男が俺を対等に相手をしてくれて、友好的に接してくれる。俺は助けに来てくれたこともそうだが、俺はこの二人に愛されていることを実感できることが、ただ、とても嬉しかった。
「なんや、お前ら自己紹介もして無かったんかいな。」
師範は呆れている。そして師範は俺に言った。
「優利と同じ学校の生徒か?ということは高校生やな。俺は高堂伸太郎、この道場の主であり、師範や。よろしくやで。」
と言って、手を差し出した。
俺はその手を取って握手した。師範は少し驚いて。
「けっこう大きな手やな!武器になるで!とりあえず、その怪我やし、無理はあかん、今日は見学だけにするか?」
「・・・・・・」
俺は、俺を含めた四人のやりとりで緊張はほぐれたとはいえ、さすがに不安だった。三人の後ろの世界では、皆が真剣な顔で、相手を投げ飛ばそうとしている。そんな光景を見て、どう頑張っても自分は場違いな所にいているようで不安をかき消すことはできなかった。
そんな状態を見て、三人はにっこり笑って。
「大丈夫や!涼介君!あんな小っこい子でもやってるんやで。なんも怖がることあらへん。それに柔道の本質は喧嘩が強くなることや無い。心技体。技や体を育成して、心を成長させ、昇華させることにあるんや。これを通して強くなった心は必ずこれからの人生においてどんな場面においても役に立つ。まぁ小難しいこと言うてもーたけど、世の中にどこにいっても恥ずかしくない、堂々とした立派な人になることが目標ということや。」
「・・・・・・・・。」
そういえば勇気も同じようなことを言っていた。『心技体』それが、柔道では基本理念なのか?そう言われても、あんなに必死に闘っている人たちを大勢、目の前で見せられると、腰が引けるのも当然だ。俺は柔道をやることに躊躇いを感じずにはいられなかった。
「師範、そんなこと言っても、今の涼介の背中を押すことはできないぜ。俺に任せとけ!」
「あ、あ、私も私も!」
「怪我人なんやから、あんま無理させた、あかんでー!」
「分かってるって!」
二人はノリノリだ、俺に柔道を始めてもらうことがよっぽど嬉しいらしい。
そして道場の隅の俺達以外、誰もいない場所に連れてこられた。
「さてと、基本教えてもつまらないと思うから、投げてみようぜ?」
勇気は突然、無茶なことを言い出した。俺は正直、困惑した。そんなことできる訳が無い。そんなことは断固としてお断りだ。
「できないよ、そんな急に言われても、そんなことできる訳無いよ!」
「いいから、いいから!お前、柔道でどの技が一番カッコいいと思う・・・・。」
「・・・・・・・俺、あんまりオリンピックとか見ないから・・・・。」
「いいから、言ってみ!」
「・・・・勇気が最後に見せた技・・・・・。」
二人はそれを聞いて、顔を見合わせた。二人にとって、それはとても意外な発言だったのだろう?
「巴投ーーーー!!」
二人は大きな声で合わせて言った。そして勇気は腕組みをする。俺は初めて思い出した。そうだ、巴投である。あの美しい技の名前は。
「ん~~~いきなりハードル高いな。」
そして優利を見る。優利も難しい顔をしている。あの技はけっこう難易度が高い技のようだ。
「ん~~最初だし、怪我してるし、捨身技はねえ~~~。おいおいでいいんじゃない。」
二人は相談を始めた。なにやら談義をしている。そして決まったようだ。
「体落っていう技をしようか?この技もカッコいいよ!」
そう優利は言う。
「うん。」
俺はどういう技か分からないまま承諾した。
「それじゃあ、勇気!投げられて!」
「は?!お前がやれよ!」
「身長同じくらいなんだし、練習には私よりちょうどいいの!それに、涼介君!?勇気みたいな強い男、投げ飛ばしてみたいよね?(笑)」
そう言って、目で俺に語りかけた。
「分かったよ。俺でいいよ。その代わりちゃんと指導しろよ。崩されてやるけど、動き難しいんだからな。」
「はいはい。」
「ほんじゃあ、俺、着替えてくるな。」
勇気が着替え終わった後、俺達は向かい合った。勇気は闘う訳でもないのに、凄い圧力を感じた。俺は、また怖気づいた、そんな姿を見て。
「あのなぁ~、俺は何もしないって。何も怖がらなくていいから、優利の言う通りに動けばいいんだ。相手を崩す感覚と技の感覚を感じてもらう。」
「・・・・・。」
「そうだよ。だから、ちゃんと私の言う通りに動いて!その感覚を覚えたらちゃんと投げれるんだって思ってもらえるし、柔道の楽しさも分かると思うの。はい!まず、前になれ!」
俺はその声に驚いて、焦って、前になれをした。そしてお互い前になれの状態で向いあった。
「まず、基本的な組手の形ね、涼介君は右利き?」
「うん。」
「勇気も右利きだから『相四つ』ね!もし、左利きの人と組む場合は『ケンカ四つ』っていう組手になるの。それで相四つの場合は、まず袖から取るのが基本なの。袖を取る手を『引手』って言うんだけど、引手の左手は、相手の右手の肘の外側部分(外中袖)を持つのが一番オーソドックスだわ。」
そう言って、優利は俺の手と重ねて、勇気の右袖を掴ませてくれた。
「そして、次に襟を持つんだけど、襟を持つ手は『釣手』と言うの。釣手の右手は相手の襟を持つの、相手の右の鎖骨あたりの襟(横襟)を持つのが基本だわ。」
俺は言われるがままに、勇気の襟を掴んだ。勇気は掴まれたら、俺と向かい合った状態で俺と全く同じようにつかんでいた。
「よし、この形をまず覚えて!相四つの基本的な形よ。そして釣手を上に引き上げて、引手を自分の左後ろに引っ張って!」
俺は奇妙な感覚が、初めて腕に染み込んできた。まるで、掴んでいる勇気の体勢が崩れていっているような気がする。
「そのまま!二人とも体勢キープして。」
そう言われた後、視線を下に落としてみると、勇気がつま先立ちをしていた。
「次の足運びが難しいんだけど、まず、右足を軸に左足を右足の方向に回して、その後、すぐに、右足を相手の右足外側に踏み込んで!」
俺は言われるがままに、優利の指示どおり、動いた。
「あとは、遠心力を使って、釣手を釣り上げて、引手を引っ張ったまま、反時計周りに半回転して、相手を引き落とすイメージで投げて。」
そう言われるがままに、動いた後、勇気は俺の引っ張っている左手に引き付けられるように落ちていった。勇気は畳に落下すると同時に畳を叩いて受身をとった。
「できた!!」
優利は俺が技をきめられたことをうれしく思い、はしゃぐように喜んでいる。
その後、勇気はスッと立ち上がり
「できたな!おめでとう。」
と言った。俺はまだ、勇気を投げられた実感は無かった。自分は腕を引っ張って、優利に言われたとおり、足と体を動かしただけだ。ただ、それだけのことなのに、勇気は俺の目の前で体勢を崩れて倒れていった。俺はそれが不思議でたまらなかった。
「まだ実感して無いようだな。」
そう言って、優利と勇気は顔を見合わせた。
「こう、これが柔道なんだよ、涼介君!」
優利は嬉しそうに言った。そしてその後、勇気も続けて言った。
「柔道は、未経験者にとって相手を力づくで投げているように見えるが、実は投げるのにそんなに力はいらない。相手を投げやすいようにバランスを崩す『崩し』相手を投げやすいように、体勢をつくる『作り』、そして、その後一瞬で最後の決め手を施す『掛け』この三つを順番にクリアーしていって、相手を力ずくでは無く、技術で投げる。これが投技の秘訣なんだ。それを涼介はこの技を通して実感したんじゃないか?」
俺はまだ、自分が勇気を投げられたことを信じられなかったが、確かに、腕や体で感じた初めての感覚は残っていた。そのことが勇気が言ったことを実感に変えた。そうか!投げるということは力任せで投げるのではなく、相手のバランスを崩してそこから、投げやすいように体の体勢を変えて相手を投げる。力ではなく、技術で投げるのだ。
俺は、そのことが頭で理解したとき、初めて、投げられたことが喜びや楽しさに変わった。
「非力な俺でも投げることはできるんだね!」
「そうだ。でも力はあった方がいい。素人はともかく、試合では相手は簡単に崩れてくれないからな・・・・・。でもお前なら大丈夫と思うがな。決して負けたくない、心、それがお前の体に力を与えてくれる。その心がある限り、簡単には力で負けないさ。」
勇気は少し物悲しそうな顔で言った。その表情の意味を後々知ることになるのだが、俺はそのことにそのときは気付かなかった。
その後、優利はこう言った。
「柔道の楽しさ、分かってもらえたかな?涼介君!?次は何したい?」
「えっと・・・・。」
そのやりとりを聞いて、勇気は頭を掻きながら言った。
「あのなぁ、あんまり技ばっかりかけさせても、逆に柔道を簡単と勘違いしてしまうだろ?今のは涼介に柔道の楽しさを体験してもらうためにやったんだ。それで、どうだ涼介?柔道は楽しいか?やっていけそうか?」
俺は言葉を選んだ。もちろんYESなのだが、そう簡単にYESの言葉を表現できない。
「・・・・・・・うん。やってみるよ。」
単純な表現になってしまった。しかしその簡単に答えた言葉が、その後の勇気の表情と言葉によって、寒気に変わった。
勇気は嫌らしい顔になって言った。
「よく言った。これからとことんしごいてやるぜ!」
なんだがよく分からないが、俺は背筋が凍る思いにさせられた。
「師範~~~!涼介、うちの道場入るって~~~~!!」
師範は他の人たちの稽古を見ていたが、瞬時に切り替えて俺に駆け寄ってきた。
「おお、そうか、涼介君!お前らよくやったぞ!」
また、三人、同じ顔になってニタリと笑う。
なんだか薄気味悪い。俺はまた、自然と三人から距離をとって後ずさりをする。
その姿を見て、師範が焦ったようで。
「うちの道場が経営不振とか、立地が悪いとか、門下生がもっと欲しいとか、なんとしても入門してもらわなとか一切あらへんから安心せえ、悪徳商法やないさかいな!」
「師範・・・・半分本音出てる。」
二人は、白い目で師範を見ている。
「まぁとりあえずやな、今日投げ技一つ、やらしてもらったんか?次からは、同じようなことはせんから、まず、自分が怪我せんように、受身な、受身の練習してもらうわ。地味な練習なるけどこの練習は大事やからな。後は、体さばきから、組手の方法、寝技の基礎の動き。地味なことばっかなるけど、これも大事なことやさかい、頑張って取り組むんやで。強くなるには大事なことやからな。」
「はい。」
やっぱりスポーツは何でも、基礎が大事なようだ。地味なことの積み重ねが上達の近道なんだろう?そんなことは分かっていたが、今日の俺の腕に染み込んできた感覚を早く、もっと体験したかった。俺は心の中でため息をついた。
そんなことを思っていると師範は言った。
「ほんなら今日はここまでにしとこか?勇気送っていったれ!」
「おうよ・・・・なんで俺が・・・・・。」
「涼介君、まず怪我治してから来るんやで!健全な体をつくることも練習の一つやさかいな。ええっと、ちょっと待ってな。」
そう言って、師範は倉庫に走っていった。
「服のサイズMでよかったかな?」
「はい!」
「君の柔道着や!」
そう言われて、ポッと差し出して両手の上に置かれた。優利と勇気と同じ柔道着だ。しかし、二人と違うところは帯が白いところだった。最初だから当たり前だが、少しがっかりした。しかし、俺はこの自分の柔道着ができたことは俺はとても嬉しかった。高まる気持ちを抑えきれない。
「おーい、そろそろ行くぞ!」
勇気が俺を扉の前で手招きしている。
「うん。」
俺は、急いで走っていった。
帰りの暗い夜道、俺は勇気と並んで歩く。なんとなく気まずい、何を話していいか良く分からない。勇気はまっすぐな性格で正義感が強いイメージを持つが、時々、何か物悲しく、うつろな目をしている。それが俺の喉から出る言葉を妨げている。何を話していいか考え、もじもじしていると。突然、勇気が話かけてきた。
「おい!」
「はい!」
「何、緊張してるんだよ。お前、今日の事、不思議に思わないか?」
・・・・・・・そういえば・・・・・・・・
俺は今頃、今日、俺に何が起こっていたか、フラッシュバックのように思いだした。この二人に俺は助けられたのだ。しかし、何故?勇気はもしかしたら俺があんな目にあっていた境遇を前から知っていたかもしれない。そんなことを思わせる口ぶりだった。しかし、まずは感謝である。助けに来てくれたことの御礼を言わなければ。俺は、その思いを言葉にしようと思った。
「ありがとう!」
「何を感謝してるんだよ。」
勇気は少し微笑んだ。
「二人が助けに来てくれなかったら、俺も達也もあのままひどい目にこれからも遭い続けていたよ。」
その言葉を聞いて、勇気は少し考えを巡らせた。その後また頭を掻きながら言った。どうやら頭を掻くのが勇気の癖のようだ。
「実は、俺はお前に感謝されるような人間じゃないんだ。」
顔は笑っていたが、勇気はまたうつろな目をしているように感じた。
「どうゆうこと?」
俺はやはり勇気は俺の境遇を前から知っていて、見過ごしてきたように思えた。しかし、それでも、勇気が助けに来てくれたことに変わりはない。俺の感謝の気持ちは変わらなかった。
「また、そのうち話すよ。色々な・・・・。」
?一体何を話す気なんだろう?俺には皆目見当がつかない。
「でも俺は勇気と優利に抱いている感謝の気持ちは変わらないよ。ありがとう。」
勇気はフッと笑って。
「ありがとな。お前のそのまっすぐな気持ちが嬉しいよ。でもな、涼介、俺のこと嫌いになる程俺のしごきは厳しいからな!覚悟しとけよ!」
俺はまた不安にさせられた。しかし鞄の中に入った柔道着が俺に覚悟するのを助けてくれる。
「・・・・・・もう不安は無いようだな。強くなれよ!」
そう言って、俺の胸に拳をなすりつけた。
その胸になすりつけられた行動は、俺にとってすごい嬉しかった。勇気の拳から伝わるものが俺の心臓(心)を強くしてくれている気がする。
「うん!いつか、自分の力で本当に勇気を投げ飛ばしてみせるよ!」
「言ったな!こんにゃろう!」
勇気は、俺の頭を抱え込んで右手でグリグリしてくる。
ハハハ
俺達は笑った。そうこうしている間に俺達は最寄り駅に着いた。
「涼介、明日、道場来る気か?」
「うん!」
「あのなぁ、師範に言われただろ?怪我治してからだって、受身だって、お前の打ち身に響くぜ。自分のタイミングでいいから、待ってるぜ!」
「うん!」
俺は強く言った。
「それじゃあまたな!俺が怖いからって逃げ出すんじゃないぞ!」
「分かってるよ!」
「ハハハ、またな!」
「おう!」
そう言って、俺は改札を通った。
一週間後
俺は、太陽の光を大量に浴びて登校している。もう何も怯えなくていい。そして、一歩一歩確かめるように歩く。俺は変わる、一歩ずつでいいんだ。自分で道を切り開く、この一歩が俺の未来を切り開く、それを実感できる足取りになっていた。
教室に入る。あれから一週間、山中達の態度は一変したように変わっていた。今まで、なにかと俺と目をあわせれば、嫌らしい顔で俺を顎で使ってきたあの日までとは違い、俺に見向きもしない、それどこか俺と視線を合わせないようにしている。それは優利に対しても同じだった態度だった。
俺はとりあえず自分の席に座り、両腕を挙げて伸びをした。そこはかとなく気持ちがいい。俺の特等席で窓の風景を見てみた。美しい晴天の日である。かすかにある巻雲が太陽の光をいっぱいに浴びて反射している。その眩しさは今の俺にとって、眩しすぎたかもしれない。少し目を細めてしまった。
少しすると優利が俺の席に近づいてきた。
「涼介君、おはよう。」
「おはよう・・・・・三枝さん・・・・・。」
俺は照れてしまい、下の名前で呼ぼうとしたが呼べなかった。
「何?!他人行儀な!優利でいいよ。」
優利は少しすねた。
「怪我の方はもう大丈夫。」
「うん、もう痛いと思えるところは無いと思うよ。」
・・・・・・・・・
優利は少し間をおいて、俺に顔を近づけて耳打ちした。
「山中さん達のことなんだけど、何かあったらまた私達を頼ってね!」
「うん。でも俺、強くなるよ!優利や勇気に頼らなくてもいいぐらい強くなってみせるよ!」
「何?!その発言は柔道やりたい宣言と受け取っていいのかしら?」
「ハハハ!」
「でもそれだけじゃないよ!優利や勇気みたいに本当の意味で強い人になりたいんだ。自分ももちろん、大事な人も守れるような立派な人に。」
「うん。きっとなれるよ!涼介君なら、そして柔道も素質あるんだから。」
「もーなんでも柔道の話にする!」
俺と優利は笑いあった。
「今日こそ道場に来てくれる?涼介君!」
「うん。俺も今日から行こうと思ってたんだ。柔道着も持ってきたよ。」
「やった!放課後一緒に行こうよ!」
優利は飛ぶようにして喜んだ。俺のことを自分のことのように喜んでくれる優利、こうやって自然と話せるようになって、俺は優利を好きだと思う気持ちは同じ好きでも、前に抱いていた気持ちとは違っていた。前は、優利を遠くから眺めることしかできず、ただの憧れと自分とは全く関係のない現実感の無い恋愛感情だった。だけど、今は優利の気持ち、心に直接触れられる。それは俺にとって、俺の心の間に直接入ってきて、俺の気持ちを彼女は変えてしまう。そのことによって俺はますます優利を好きになってしまう。今の気持ちは本当に好きだということを実感していているものだった。
俺が優利と談笑していると、そのやりとり遠くから白い目で見ている者達がいた。達也達、俺の前の男グループだ。大山田、井上そして達也、彼らとは前と同じようにまた一緒に教室で話したり、放課後遊んだりすることは無いままだった。俺は、新しく優利との繋がりができたのだが、実際、学校では孤立した存在のままだったのだ。
・・・・・・・達也・・・・・・
この前のこともある。俺はあの時、達也にとった言動や行動がまだ理解できないままだった。なんとしても俺達は元通りの仲に戻らなければ、それは、やっぱり達也のことが俺にとって大事な存在であったからだった。達也は俺のことを誰よりも理解してくれて助けてくれる。あのときも、俺は達也達に対してあんな状態だったのに、心配して助けに来てくれた。俺は今度は俺が達也を守りたい。それぐらい大事な親友なのだ。どうにかしてまた一緒に笑い合いたい!俺は快く思われてないことは分かっているが、達也が抱いている感情や誤解を一刻も早く解きたいのだ。
・・・・・・話してみよう、自分から歩みよるんだ・・・・・・
そのことは大変勇気がいることだった。でも、もう後ろ向きな感情や行動はいらないんだ。そう思って次の休み時間、俺は達也の席に行った。
「達也、ちょっと話があるんだ。」
そう言うと達也は無視した。
「達也!」
「なんだよ?!なんか用でもあるのかよ!?」
嫌な物を見るような目で俺を見た。俺は心臓がドキンとした。達也のこんな顔は見た事が無い。
「達也、あのとき助けに来てくれたこと、ごめんね、ずっとお礼を言いたかったんだ。ありがとう。」
俺は初めて感謝の意を示した。なんでもっと早く言わなかったのだろう。もっと早く言えば簡単に元の仲に戻れていたかもしれない。
「あ、あ、気にしてねーよ。」
「ありがとう、またよろしくね。」
と言って、手を差し出した。俺はこれでまたこの学校の男達と仲良くできると思った。しかし、達也は手を握り返さず、立ち上がった。
「気にしてねーって言ってんだろ?用が済んだら早く行けよ!」
達也は俺の手を振り払って背中を向けて歩いていく。俺はたまらずこう言った。
「俺は前みたいに達也と仲良くしたいんだ!」
達也は少し振り返る動作をしたが、途中で止めて歩いて行った。
放課後
俺は休み時間、達也と話してから達也の態度や言動を思い出しては、ずっと悩んでいた。俺はあの日、助けに来てくれた達也の思いを裏切ったのだろうか?あの日、優利や勇気に連れて行かれた道場、道場に行かず、達也とともに(俺達のあるべきところに)帰ってきたら良かったらのだろうか?そんなことを思いを巡らせては悩んでいた。そんなとき、優利が後ろから声をかけてきた。俺は突然のことなので思わず反射的に後ろに振り返った。
「道場にいこうよ!」
「ハイ!」
「ハハハ!何驚いてるの?それにさっきから難しい顔してどうしたの?」
「・・・・・達也のことを考えていたんだ。」
「・・・・・瀬川君ね、まだ仲直りしてないんだ。」
優利は視線を落として考えた。
「私も瀬川君がどうしてあのとき、あんな態度になったか分からない。でもきっと、分かり合えると思うよ。大切な友達なんだから。」
そうは言っても、俺達は実は喧嘩なんて一度もしたことが無かった。喧嘩する程仲が良いという言葉があるが、俺達は喧嘩しない程仲が良い関係だったのだ。それは、お互いのことをお互いに理解し合えるから喧嘩などの摩擦がこれまで起こることは一度たりとも無かったのだ。だから、今回、達也が何を思っていて、何に不満を思っているか全く見当がつかないため、お互いの気持ちが分からない、そのため理解し合えないから起こる摩擦であったのだ。
俺は元気に歩く優利と一緒に、引き連れて行かれるまま、高心円道場まで向かった。そのときの心境は達也のことでいっぱいで、心そこにあらずの状態だったのだが。
道場に着いた俺に、師範の歓迎の言葉が待っていた。
「おーやっと来たか、涼介君!待っとたんやで、怪我はもーええんか?」
「はい。」
「何や?あんまり元気無いやんけ?具合悪いんけ?」
「いや、なんでも無いです。」
俺は作り笑いをした。
「元気が一番なんやからな!強くなるにも、まず元気出さんと!」
そう言って背中を手の平で叩かれた。その力で俺は少し身を前に出された。少し揺らめき、そして体勢を整えて、後ろを振り返ると、師範は口をイの形にして笑っていた。
「元気出たか?体治ったんやったら、今日からビシビシいくでぇ!勇気がエライはしゃいどったから、勇気に今日は見てもらおか?もう少ししたら来るさかい、ちょっと待っててな。」
「はい。」
また俺は空元気で答えた。その後、柔道着に着替えて、皆の稽古しているところを見学していた。師範は扉の反対側の壁際の真ん中あたりに立って、「エビ始め!」と言った。そしたら皆、寝転がって体を丸めながら前に進んでいる。これは一体何の練習なのか?分からなかった。多分、強くなるために必要な基礎練習なのだろう。しかし、俺はそれを分かっていて、その動きに集中して見学しなければならないはずなのに、それをただ、呆然と見ていただけだった。皆が基礎練習をしている間、刻々と時間がたっていく。そんなとき、また扉が開いた。
「ちーす!」
「遅い!」
優利や師範、そして、小学生から大人の人まで口をそろえて言う。どうやら勇気はこの道場の皆から支持を得ているようだ。
「基礎練大事やといつも言うとるやろ?遅れて来るなよ!」
「だって部活あるんだからさ、遅れて来ても仕方がないだろ?それに基礎練はいつも部活でやってるぜ!」
それを聞いて師範と優利は呆れた顔になって。
「お前がキャプテンの部活なんて信用できるかいな?!」
そう言うと、皆笑った。
「それに今日は待たしとる子が来てるさかいな、今日から来とるで、涼介君。」
「えっ!」
それを聞くと、手の平をおでこにかざし、周りを見渡した。そして俺を発見したら、飛ぶように一直線に俺の前に来た。
「やっと来たのか?涼介!待ってたぜ!」
「待ってたのは涼介君!」
そう優利が言うと、また笑いが起こる。
「茶化すなよ。それで涼介、怪我はもう大丈夫なんだな?」
俺はコクリとうなずいた。
「それじゃあ、こっちに来い!ビシビシ行くぜ!」
「まず、着替えなさい!」
「わーてるよ!」
勇気はまた頭を掻いた。
勇気が着替えた後、また道場の隅っこに俺は連れていかれた。
「まあ、前も師範に言われたとおり、まず受身な、受身の練習してもらうぜ。」
「うん。」
「・・・・・・。」
勇気は少し何か考えたようで、眉間にしわを寄せた。
「まず、後ろ受身な。俺の動き、良く見とけよ。」
そう言って、立った状態で両手を前に出し、前になれの形になった。
「ここから膝を曲げて後ろに倒れるんだ。」
そして勇気は膝を曲げてしゃがんで後ろに倒れこんだ。柔道着の帯あたりが畳に着いた瞬間、畳を両手で叩いて、下半身をゆりかごのように足を頭上までもっていって、その足を戻して仰向けの状態になった。
「倒れたら足を頭上に上がるんだ。そして、背中の帯のあたりに着いたら、両手で畳を叩く。このとき、注意しなければならないのは、後頭部を打ったら危ないから、ちゃんと顎を引く。分かったら俺の動きと同じようにやってみ!」
俺は言われるがまま、その動きをするように試みた。まずは前になれをして、膝を曲げ、しゃがんで、後ろに倒れ込む・・・・。
「・・・・・・畳を叩いてない!顎も引いてない!」
勇気に怒られた。
「もう一回やってみ。」
「・・・・・・・」
俺は何度もやり直しをさせられた。注意したところをなかなか直さず、同じ動作の繰り返し、そんな俺に勇気はしびれを切らしたのか、頭を強く掻いた。
「お前、最初から何か別のこと考えてるだろ?この動き、ちゃんとマスターしないと、大外刈がきたとき知らないぞ!何を考えてるんだ?」
「・・・・・別に何も考えてないよ。」
俺は平静を装った。
「・・・・・・別のこと考えながら練習されても困るんだよ。何悩んでるんだよ?いいから言ってみろ。」
俺はそのとき初めて気付かされた。俺は練習に身がまるで入っていないことに。達也のことが頭から離れないのだ。
「・・・・・実は、前の友達のことなんだ。あの助けに来てくれた友達がまだ俺に心を開いてくれないんだ。それどころか俺を避けて、拒絶しているように見えるんだ。それが、俺にとって凄い辛いんだと思う・・・・。」
「だからそいつのことが気になって、初めての練習だってのに、身に入らなかった訳か・・・・・。」
俺はコクリとうなずいた。
勇気は少し呆れたような顔になって言った。
「お前、女々しいな、でも友達を大事に思う気持ちって大事だからな。まぁ気持ちが分からない訳でもないな・・・・・。そいつとは、ちゃんと自分から話かけたよな、自分からぶつかっていかなければ始まらないぜ。」
「うん、ちゃんと勇気を持って話しかけにいったよ。でも、話かけたら嫌な顔されて、仲良くしようって差し出した手を振り払われて、俺から離れていかれた。」
「・・・・・・難しいな。あいつは俺達が助けに行く前にお前を助けに駆けつけていた。だから俺達が助けたことによって、鳶に油揚げを攫われた気分になったのかもしれない。でもな、助けに来てくれたことは、間違いなく、お前のことを大事に思ってるんだ。絶対分かり合える。心配すんな。」
勇気は笑顔を見せた。その顔を見てると、俺の方もモヤモヤが洗われたような気がした。
「人に話すと少し楽になるだろ?練習中断したから、すぐ始めるぞ、いいか?」
「うん!」
俺も笑顔を取り戻した。
しばらく後ろ受身の練習を続けた。それを見て、勇気がうなずく。
「まあ、まだまでだが及第点はやれる。実践やってみるか?」
「実践!?」
「この受身がどういうふうに役に立つか?だ!」
「はい?!」
「いくぞ!」
そう言うと、俺の横襟と外中袖を持ったと感じたら、なんだか、後ろに体勢が崩れていると感じているさなか、俺の右足を勇気が、右足で刈ってきた。俺はバランスを崩して倒れていく。俺はとっさにさっきまでしていた受身をとれという脳からの信号を感知し、畳につくやいなや、腰に着く瞬間に畳を両手で叩いて足を頭上に上げた。
両手で俺の横襟と袖を持ちながら前かがみになって、上から見下ろしている勇気はこう言った。
「実践でもできるじゃん、お前!?ちゃんと言ったとおり顎引いてるし、投げられても痛くないだろ?!これが受身なんだ。」
俺は勇気に大外刈りをかけられて、反射的に動いた自分の動作に驚きを感じずにいられなかった。しばらく頭が真っ白になる。そして、ハッと気が付き、勇気の言葉が後から耳に入ってくる。確かに言われた通り、畳に落下しても痛く無い。受身の練習は前の投げの練習とは違い、決して楽しいものでは無い。しかし、技をかけられたとき身を守るには必要な技術であることを俺は体感させられた。
「ちゃんと出来たんだね!俺!」
俺はスッと立ち上がり、勇気に言った。俺の姿を見て勇気は言った。
「嬉しそうだな。飲み込み早いじゃん。じゃぁ次の受身もマスターしようか。」
「え~!次は投げ技教えてくれよ。」
俺は少しすねた。受身が大事なのは分かっているが、勇気にかけられた技、自分が受けた技に興味を抱かずにいられなかったのだ。
「駄目だ。次は横受身だ!」
「分かった。まずは受身からなんだね?受身、全部マスターしたら投げ技も早く教えてね。」
勇気はポリポリ頭を掻いた。
「まぁ、そのうちな・・・・・。はやる気持ちは分かるけど、基礎が大事だからな。地味な練習の積み重ねが大事な。」
「はいはい。」
不服そうな俺を見て勇気は俺に喝を入れるように言った。
「はい!俺の動きをまた良く見とけよ、横受身は~~~~~~。」
この日は、俺は勇気がつきっきりで受身の練習をとことんしていた。




