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異世界迷い込み

 陽の光のまぶしさを遮る様におでこに手をやり、空を見上げる。

 澄み渡る空色の中に浮かぶ、白を基調とした薄い灰色や薄い紫色の混ざる大小さまざまな形の雲たち。

 その雲の間に見える、大中小と並ぶ3つの月(・・・・)


 大きな月はぶつかるのではないだろうかと思えるくらいに大きく、色は白い。

 小さな月は日頃から見慣れている、地球の昼に浮かぶ月(・・・・・・・・・)と同じサイズ。ただし、色は赤い。

 大きな月と小さな月のちょうど中間くらいの大きさの月は、土星のような輪っかを持った、薄いクリーム色であった。


 夢だろうかと考えて自分の頬をつねる。痛い。

 それ以前に頭はすっきりとしている。

 そもそも自分は夢の中で夢を夢と認識できたことがないのだから、そう疑問に思った時点で夢ではないだろうとわかる。

 それではこれは、今の状態は何なのか。


「…夢じゃない感じ?」


 小さな虫の音や遠くから聞こえる鳥の声や、魚でも跳ねるのか目の前に広がる湖からぽちゃりという水の音以外の音のない、静かな森に声が響く。

 場違いではないかと思えるほどよく聞こえた自分の声のリアルさに驚き、黒髪の女性はその場で腰を抜かし座り込んだ。

 ズボン越しにわかるくらいに土はひんやりと湿っていて冷たいが、それどころではない。



 女性の名前は“早田(そうだ)草子(そうこ)”。

 地球と呼ばれる星の日本という国で生まれた、現在34歳の独身。


 彼女は今、生まれ育った日本どころか、親しみ慣れた地球と呼ばれる星にすらいない。

 神世界(しんせかい)レジェンディアと呼ばれる世界にある大陸のひとつ、魔大陸(またいりく)レフロムの辺境も辺境、ゴートの森と呼ばれる広く深い森。

 その森の中心から少しだけ人里に近い場所にある湖。

 その湖の前で早田草子はパジャマ姿のまま、信じられないとでもいうような表情で座り込んでいた。



「…異世界トリップは二次元だけでおなかいっぱいです?」


 まだ現実だと受け止められない草子がつぶやいた声も、静かに響く。

 さっきまではたしかに実家の自分の部屋に居たはずなのにと草子は頭の中で考える。


 大学を卒業してからずっと勤めていた会社が一年前に倒産し、仕方ないので次の勤め先を探すも見つからず、面接に落ちに落ちて心がやさぐれてきたので、貯金はまだあるのだからストレス発散も兼ねて少しぐーたらしようかなと実家へ帰った1日目。

 そうだ1日目だ。引っ越し屋さんに少なくない荷物を実家へ運んでもらい、それらを母親に手伝ってもらいながら片付けて一段落し、母特製の引っ越しソバを食べた。そして明日もあるのだからと片付けの続きはは明日以降にしようと思って、寝るためにお風呂へ入ってベッドに布団を準備をして。

 さあ寝るぞと布団に入ろうとしたその時、気が付けば自分はここの――よくわからないが森の中にある湖?の前に立っていたのだ。

 見上げれば見た事のない大きさと色をした月のようなものが3つも浮かんでいる。

 そのうちの1つは太陽かなと思いもしたが、太陽は太陽で3つの月のようなものとは別の場所でまぶしいくらいに光っている。だから、太陽ではないと思うし、そんな天体があるだなんて見た事も聞いたこともない。

 プラネタリウムのような場所に夢遊病のように迷い込んだのかとも考えたが、たまに通る冷たい風にひんやりとした土の感触。周りに生えている木々と土のにおいに、目の前に広がる湖と魚のようなちょっと生臭いにおい。

 自分が知らないだけでそういう風に作られた室内設備があったりもするのかもしれないが、自分の知っている範囲でそんな施設なんて知らないし、実家周辺にそんな設備のある怪しげな施設があると聞いたこともない。


 だからと草子は考える。

 考える範囲、知っている範囲、今の状況が当てはまりそうな状況と言えば「ここが異世界であり、自分が地球の自分の部屋から異世界のよくわからないこの場所に転移してきた」という、よくある異世界トリップ小説のような状況のみである。

 それも気が付いたら転移した後であり、この世界の知識もなく、転移するための準備なぞしていないのだから荷物もない…それどころか寝るつもりでいたので薄いパジャマを着ているだけでカーディガンなども持っておらず、今ですら少し寒いなと思っているのだから、日が落ちたら凍えて風邪をひくのではないだろうかと、どこか他人ごとのようにぐるぐると考える。

 風邪をひいたら、知り合いも居らず、医者がいるかもわからず、医者がいたとしてもお金もなく、それ以前にこの周辺に人はいるのだろうかと思った所で、はっとなる。


「…風邪ひいたらそのまま死んじゃうんじゃないの、私」


 よくわからなくても、思った言葉を口にするだけで、それは現実味を帯びていく。

 それは、今自分が頼れるのが自分自身しかおらず、体調を崩せば…この世界からは脱出できるかもしれないが、同時にあの世行き…待つのは死であるという事である。

 現実逃避はしたかったが、だからと言って死にたいとは思っていない。


 草子は両手を開いて、パンと自分の頬を叩いて気合を入れる。


「とりあえず、ご飯と安全な寝床と着替えがいるよね」


 だれともなくそう呟いて、よいしょと立ち上がった。



 早田(そうだ)草子(そうこ)、34歳独身。地球の日本出身の女性。

 後に“癒しの隠者”として知られるようになる彼女の最初の一歩は、こうして踏み出されたのである。

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