01話 異世界生活一日目
三人称にしようとして失敗した感じが多大にありますorz
なんとかしなくては! と、立ちあがったまではよかったが、具体的に何をどうすればいいのかわからずに草子は立ち上がったまま不安げに辺りを見回した。
何度見ても後ろは森っぽく木が生い茂っているし、前方には大きな湖――見た事はないが琵琶湖くらいはあるんじゃないかな――が広がっている。
空には月っぽいものが3つと太陽と雲が浮かんでいるし、鳥のような鳴き声は聞こえるがその姿は見えない。
自分の姿を見れば、着ているものは薄いさらさらとした生地で出来た春用パジャマであり、その下は見るまでもないがスポーツタイプの上下の下着。この上なく頼りない。
学生時代に父に山を登るのであれば有害――刺されたり噛まれると痛かったり毒があったりする――な動植物や虫等の対策に長袖長ズボンで肌は露出させないようにと言われたなと思い出し、少し不安になるがそれでも長袖長ズボンタイプのパジャマであったのは不幸中の幸いかなと思い直す。
今すぐにどうにかできるのであれば悩むのもありだが、そうではないのだから無駄である。
日暮れまでどのくらい時間があるかはわからないが、日が暮れたら風邪っぴきフラグが立ち、風邪をひいて倒れたら人生から退場してしまうのだから、無駄な時間は使う訳にはいかないのだ。
少し考えて、優先順位をつけたらどうだろうかと思い付く。
する事やしたい事がたくさんあるのに何をすればいいのかわからない時は、箇条書きで書き出してから優先順位や条件を付ければ行動に移りやすいよ、とは小学3年生の時の担任の言葉であった。
ありがとうございます先生と心の中で感謝を言い、そこら辺に落ちている木の枝を拾って、湖の側の平らで土がむき出しになっている部分にカリカリと書いてみる。
・ご飯とか水
・服か、防寒具
・安全に寝れる場所
・こわくない人
…こんなものだろうか。
人間は飲み食いしなくては生きていけないので、食べ物と水は必須。
睡眠も必要だが、ここは森の中である。野生の肉食な動物がいるとして、草子は運動不足の34歳。逃げ切れないに決まっている。起きている時ですら見つかればアウトなのだから、寝ている最中に襲われれば睡眠が永眠になってしまう。それはそれで痛い思いをいないなら…とも思わなくもないが、死にたい願望があるわけではなく、どちらかと言えば生きていたい。よって、安全な寝床も必須である。
そして防寒具。寒いと風邪をひくし、風邪をこじらせてしまえばこんな人のいない森の中である。まず間違えなく死んでしまうだろう。凍死するほどではないが、太陽が真上にある今現在でも少し寒いかな?と思える気温なのだ。夜が来る前に何かしら確保したい。
一応成人してはいるし、今までそこそこ健康的な生活をしていたという自負はある。なので、一晩くらいは大丈夫かもしれないが…まあ、必要ではあるが食事と安全な寝床よりは優先順位は低いであろうか。
それから最後の「こわくない人」である。
自分で書いておいて何だが、頭悪いなと思う。思うが、これ以外にどう書けばいいのかわからなかったのだから仕方がない。
つまりなんていうか、ええと。そう。暴漢とかではない、親切な人、とも書けるだろうか。この世界について教えてくれる人。それが欲しい。
とは言っても、対価も何もない。一応女ではあるから、最悪の場合は…というのもあるがそういう行為が違法なのか合法なのかがわからないし、実は未経験なのでそういう行為に抵抗がある。その年齢で未経験なのかよ!とか言わないで欲しい。いなかったものは仕方ないじゃないか。いい感じな人が居た事はあったけれど、いい感じのまま疎遠になるんだよいつも。友人にはなれても、恋人までは進行しないんだ、仕方ないじゃないか。むしろこの年まで守り通してきたことを誇ってもいいはずなのだ!
………むなしくなってきたからこの話題は置いておこう。
まあ、命には代えられないので、保険のようなお守りのようなもので、最終手段だ。うん。そう、最後の切り札的な? うん。そうそう。そういうことで。うん。そう言う事でお願いします。
とりあえず、そういうことで「こわくない人」探しは一番最後でいいだろう。
木の枝でカリカリと箇条書きの横に数字を書き足す。
2・ご飯とか水
3・服か、防寒具
1・安全に寝れる場所
4・こわくない人
優先順位はこんなものでいいだろうか。
まずは安全な寝床。次にご飯と水。そして防寒具か服を手に入れて、最後に人――知識だ。
うん、とりあえずはこんなものでいいだろう。
そして水はこの目の前の湖の水なら、透明度も高いし、魚も泳いでいるようだから飲めるだろうから、安全な寝床を探しながら食べれそうな木の実とかの収集からだな。
魚を捕まえられれば魚を食べてもと思ったけど、捕まえる手段がないし、火の起こし方がわからないから捕まえたとしても生で食べるしかない。
ナイフのようなものもないからさばけない。そうなると捕まえた魚を生のまま頭から丸かじりだ。切羽詰まっているならともかく、そうでなければそんな食べ方はしたくない。
…そもそも捕まえる手段がないのだから、それ以前の問題であるのだが。
とにかく、する事は決まった。決まったのなら行動開始である。
抜き足、差し足、忍び足。
慎重に、足音をさせないように気を付けながら木の幹に身体を隠し、そーっと進行方向をのぞき見て、大丈夫そうなら進む。
野生の獣とかを相手に誤魔化せるとは思っていないが、それでもしないよりはマシだろう。何よりこれ、ちょっと楽しい。影から影へと気配を決して進むのはまるで忍者。
(そう、今の拙者は忍者なのでござる。ニンニン。)
これで忍術用の巻物があれば完璧なのにと考えながら進む。
出発した湖の側に生えていた木から数えて216本目の木の影に来て、次の木…の根本付近を見ると見慣れないがよく知っているものがあり、草子は目を丸くした。
木と木の根元を繋ぐように縄が結わえてあり、その縄には鳴子のようなものが一定の長さごとに1つずつぶら下がっている。
というか鳴子だろう。
よくある、縄に足をひっかけるとカラカラと音が鳴って知らせる、定番の罠だ。
まさかリアルにこの罠を見る日が来るとは思わなかったと、森や田畑の近くに住んだ事のない草子は思った。
いや、そこではない。草子は首を振って、それから考えを整理する。
罠が張ってあるという事は、つまりは罠を張れるだけの知識を持った人が近くに居るかもしれない、という事である。
そして問題は、その人がこわい人なのかどうか、という一点にある。
何しろ異世界。
よくある異世界トリップの小説とかではたしか、山賊だったり暴漢だったり、あと普通の村人だと思ったら信用した所で睡眠薬とか痺れ薬を盛られて奴隷商に売られる…とかではなかっただろうか。
この世界の知識が欲しいし、文明も恋しいからいつかは遭遇したいが、だからと言って今すぐに遭遇するには心の準備が足りていない。
こわい人だったらどうしようかと心配になり、心臓がどくどくと痛いくらいに鳴りはじめる。
落ち着け落ち着け。こういう時こそ冷静にならなくては何も出来ないではないかと自分を叱咤するも、心臓は痛いくらいに早打ち、静まってくれない。
こういう時はたしか友人のYちゃんが言ってた方法で…
(まだ力を出すには早い。暴走する前に鎮まれ、鎮まるのだ私の心臓おおおおおおお!)
と心の中――実際に叫ぶと獣とか怖い人を引き寄せそうなので――で叫びながら、右手を自分の胸に当て、左手で何かを掴むかのように空へ向けて伸ばす。
もちろん、暴走するような力などはないので安心してほしい。
これは一種の儀式なのだ!心を鎮めるための儀式なのだ!他意はないし、効果はある。
実際に先程まで痛いくらいに早打っていた心臓は収まり、草子自身も冷静になっている。
《精神力が10あがりました》
「うおっ!?」
突然きこえてた声に、思わず悲鳴が出てしまう。
慌てて自分の口を押えると、草子は辺りを見回した。
しかし、自分の後ろを見ても前を見ても、上も下も右も左も、誰もいない。
何だったのだろうかと草子は首を傾げ、そういえばと内容を思い出す。
精神力があがったとか言っていなかっただろうか。
精神力。異世界トリップもののテンプレで言えば、ステータス?
「…ステータス、オープン?」
試にボソッと声に出してみるが、自分にも周囲にも変化はない。
風がそよそよと流れ、虫の音がりんりんと聞こえるだけである。
異次元トリップテンプレチートへの憧れからきた幻聴か、過度のストレスによる幻聴かなとあたりをつけ、ため息をひとつ。
小説や漫画、妄想ならともかく、これは現実である。
チートもなにも、ゲームのような事がある訳がないではないか。
残念と草子はもう一度溜息をつき、肩を落とす。
『おい』
「ひぇ!?」
またも突然に聞こえてきた声に草子は驚き、悲鳴を上げながら振り返る。
そこには男が立っていた。
男は草子の驚き方に驚いたらしく、目を丸くしている。
「どちらさまですかー!?」
草子は草子で驚きすぎて声が裏返り、もともと高めの声であるのだが、それよりさらに高くなっている。
そんな草子の声に男は何をしようとしたのかを思い出したらしく、困ったように青い目をほそめて、それから口をひらいた。
『それはこっちのセリフなんだけどな』
金髪碧眼で鼻が高く、身長も高い。
しかし残念ながら乙女ゲーによく出てくるような細マッチョで王子様風なイケメンではなく、がっしりとした体格のおっさ……男性である。
『若い娘がそんな姿で……逃げてきたにしては汚れてないからなぁ』
草子を上から下まで見て、男は腕を組み頭をひねっている。
若い娘と言われて気分がいいかと聞かれれば、そうは問屋が卸さないお年頃の34歳である。
若いと言えば後輩から年増扱いをされ、かといって年寄りを自称すれば先輩から若いでしょー!と怒られる、上にも下にも気を使う中間管理職のようなお年頃なのである。
それはさておき、まだ油断はできないが、とりあえずこちらを害する様子には見えないし、なんとなく良い人そうである。
年齢を告げるかどうかは置いといて、困っているアピールくらいはしてもいいかもしれない。
もっとも、草子が油断しようがどうしようが、元事務職の運動不足で女性である草子が、草子よりも大柄で男の身長よりも長そうな棒状の何かを背負っている男性に力でこられたら敵うのか?と言えば、敵わないであろうが。
「逃げる?とかは、よくわかりませんけど、迷子ではあります」
『は、迷子? こんな森で迷子?」
「はい。家がどこにあるのかわからないのです」
草子の迷子発言に男はさらに驚いた声をあげ、続く草子の言葉に考え込むように男は腕を組んだ。
そしてぶつぶつと何かを呟き、ふと何かを思い付いたように草子を見た。
『そうか、迷い人か』
「はい、迷子です」
ニュアンスが違う気もしたが、間違ってはいないので男の言葉に草子は頷いた。
男はそうかそうかと納得したように何度か頷くと、自分のマントを脱いで草子の肩にかける。
驚く草子に男は少し気まずそうに眼をそらしながら言った。
『まあ、なんだ。とりあえずその格好は寒いだろうから、それを着ておけ』
少し生暖かいそのマントに、普通だったら知らないおっさんの温もりの残る衣類なんて気持ち悪く思えるのだろうが、この森に来てから我慢できないほどではなくても肌寒く感じていたし、男自身に嫌な感じがなかったのもあったので、ありがたく借りることにした。
男に言われた通りにマントの留め具をカチリと止めて固定するが、大柄な男に合わせたマントだからだろうか。そのマントは草子には少し大きく、歩こうものならモップのように引きずってしまうだろう。
普通の舗装された道であったり、凹凸の無いなだらかな床であればそれでも問題はなかったかもしれないが、ここは木々の生い茂る森の中。
マントを引きずって歩けば何かにひっかかるだろう。
草子がどうしようかと考えていると、男はどこからか縄を出し、草子にマント少し上に持ち上げるように指示をする。
そして草子の踝くらいに裾がくる高さに草子がマントを持ち上げると、そこで少し止まる様に言い、草子の腰のあたりにその縄をぐるぐると巻きつけ、ぎゅっと結び、固定した。
てるてる坊主の途中を変に縛ったスノーマン風てるてる坊主な恰好になった草子を見て、男は頷いた。
『動きにくいかもしれないが、引きずるよりはマシだろう?』
「はい、ありがとうございます」
不格好ではあるが、マントを取るとちょっと寒いし、たしかに引きずるよりはマシである。
草子は男に礼を言い、そしてアレ?と気が付いた。
少し汚れてはいるがマントの生地は良い物であるらしく手触りがいい。だから、これを自分にくれるという事ではないだろうし、そもそも男が貢いでくれるくらいの美女なのかと聞かれればノーと断言できる程度には整っていない顔だと自負している。
が、ここは異世界。美への基準が違う可能性だってある。
「ええと、勘違いだったら申し訳ないのですが」
『なんだ?』
「もしかして、一緒に私の家を探してくれるのでしょうか?」
異世界云々言っても通じるかわからないし、今の所は親切な男を怒らせるのも得策ではないし、家に帰れるなら帰りたいのもあるし、男が一緒に行動してくれるのであれば嫌な人ではないっぽいし心強い。
自分でどうにも出来なさそうであるし、頼れる人も誰もいない。頼っても怒らないだろうかと草子は男を見上げ、返事を待った。
なお、草子はすでに男への人としての警戒心なんてひとかけらも残っていない。
マントを貸してくれた事とその時に嫌な感じがしなかった事で、親切で良い人だな、疑って悪かったな。と心の底から反省し始めているのだ。
ちょろい女である。
「――おいひいです!」
『それはよかった』
こんがりと焼けた魚にかじりつき、草子は笑顔で感想を言うと、男は面白そうに笑いながら頷き、カゴの中に残っている生の魚を手に取ってナイフで魚の肝を取出し、肝のなくなった魚に木の枝を刺した。
その魚をたき火の側の地面へと挿して立たせると、たき火のオレンジ色の火の粉がパチパチと跳ね、その熱気が魚の表面をあぶっていく。
男は何本か刺してある魚の中から、良い焼け具合のものを選ぶとをそれを地面から抜いて手に取り、草子と同じようにかじり付いた。
『この時期のエーファにしてはなかなか』
「えーふぁ?」
『これの名前だ。食べた事はないのか?』
聞いたことのない言葉に草子が首を傾げると、男は手に持った焼き魚を示して聞き返す。
焼いたから当然焦げ目がついてはいるが、全体が銀色で尾びれの部分だけがうっすらと赤茶色をしている、出目金のような目をした魚で、探せば地球にもいるのかもしれないが草子はその魚を見た事がなかった。
「食べるどころか見るのもはじめてです。おいしいんですか?」
『ああ、うまいぞ。食べてみるか?』
「いいんですか!ぜひおねがいします、ひとくちください!」
男が食べかけのそれを草子の方へ向けると、草子はそう言いながら目を輝かせ、そのままかじり付いた。
そのためらいのなさに男が苦笑するが、草子がその事に気が付くことはなく、嬉しそうにもぐもぐと口を動かし咀嚼し飲み込むと、幸せそうにうっとりと口をひらく。
「すっごいおいしいです。なんですかこれおいしいです。エーフォおいしいです!」
『エーファ』
「エーファおいしいです!」
自分の語彙の無さが悔しくなるくらいおいしいですと草子が言うと、男は苦笑したまま手に持った焼きエーファを草子に全部食べていいぞと渡す。
いいんですかと聞きながらも遠慮する気がないらしい草子。男から焼きエーファを受け取ると嬉々としてかじりつき、そのおいしさから満面の笑みになる。
誰が見てもその表情に警戒のけの字もないのは、言わぬが花というものであろう。
時間は少し遡る。
草子の一緒に家を探してくれるのか?という問いかけに、男は是とも否とも答えなかった。
代わりに、草子に逆に問いかけた。『君はどうしたい?』と。
男の質問の意図がわからず、草子は悩んだ。5秒くらい悩んだ。
悩んだがわからなかったし、考えたところでわかる気もしなかったので、素直に答えた。「家に帰れるなら帰りたい」と。
当然だろうと胸をはる草子に男はそれもそうかと頷き『君の家を探す事はできないが、力にはなろう』と言い、しばらくは草子に同行してこの世界の常識や生きていく為に必要な技術を教えてくれると言ってくれたのだ。
“この世界の常識”を教えてくれると言われたという事は、草子がこの世界――レジェンディアの住人ではなく、異世界出身の異世界人であるという事を男が知っているということなのであるが、もちろん草子は気付かない。
気付かない所か、大喜びで男の手を取りぶんぶんと上下に振り、ありがとう!と言っていたくらいである。
最初の警戒心はどこへ落としてきたんだと言わんばかりの喜び方であった。
そんなこんなで日が落ちる前に水場へ行きたいと男が言うと、草子が最初に居た湖まで男を案内し、何だかんだで日が沈み始めたのもあって、(男が)火を起こし、(男が)魚を捕まえ、現在に至るのである。
草子は焼きエーファを食べ終わると名残り惜し気に木の枝に絡まっている頭と骨を見ながら、それをたき火へと放り込み、こんがりと焼けている魚の刺さった木の枝を手に取った。
見た事のない紫と青の混ざった毒々しい色の魚ではあったが、男が食べれると焼いてくれたのだし、お腹はまだ八分目にもなっていない。贅沢を言える身分でもないので、思い切ってかじりつく。
すると見た目に反してとてもおいしい。焦げた皮は香ばしく、脂がのって適度に歯ごたえのある身は噛めば噛むほど味がでてくる。
「おいしい幸せ」
思わず草子がそう呟くと男が不思議そうに草子を見た。
『おいしいと幸せなのか』
「もちろん!おいしい食事は全ての基本ですよ!」
『そうかそうか。幸せで何よりだ』
「ふっふっふ、任せてください!何よりも誰よりも幸せな自信があります!」
草子がいいだろうと胸をはると、男はこらえきれないように吹き出し、声を出して笑い始めた。
何で笑われたのかわからない草子ではあったが、嫌な笑い方ではないし、何より楽しそうな男の様子に怒る気は起きず、逆に草子自身も楽しくなって笑顔がこぼれる。
知ってる人がいない、生まれ育った国どころか世界ですらない、家に帰れるかどうかもわからない、ないない尽くしの現状ではあるが、いやこの現状だからこそであろうか。じめじめと暗く悩むより、楽しく一緒に笑ってくれる人がいるだけ、とても幸せな事であると草子は理解していた。
ないものを嘆くよりは、あることに喜びを感じるべし!というのが早田家のモットーであり、草子自身もそう思っているので、男と笑い合えてる現在がとても嬉しいのだ。
だから、心の底から幸せだなぁと思ったその時、前に幻聴かなと流した声が聞こえて驚いたのだ。
《幸運が10あがりました》
「はい?」
目の前で笑っている男の声ではなく、昼間に聞こえた声と同じ…飛行場や電車で流れるアナウンスの女の人の声で機械のような話し方をする、頭の中に響く不思議な声。
草子が驚いて目を丸くすると、男は草子の様子に疑問をもったらしく、笑いをひっこめた。
『どうした』
「女の人の声がしたのですが、ここには私と貴方以外いませんよね?」
また空耳かなぁと草子が首を傾げながら言うと、その言葉で男は草子が何を体験したのかわかったらしく、なるほどと頷いて草子に向き直った。
あらためてまっすぐに自分を見る男の様子に草子は何だろうかと不思議に思ったが、男が変な事をするはずがないと思っているので、草子は食べかけの魚を手に持ったまま、男をまっすぐに見上げた。
おそらくだが、と前置きをして男は口をひらいた。
『君が聞いたのは、世界の声、と呼ばれるものだろう』
世界の声。世界の意思。世界の祈り。世界の嘆き。
国や大陸、宗教等によって呼び方は違うが、それらは同じものであるという。
本当に世界の意思や祈り、嘆きの声であるのかどうかはわからないが、その声が聞こえる時は2種類、あるのだそうだ。
ひとつは世界の根幹に関する変化が起きた時に、この世界にいるすべての生き物に聞こえる声。
ひとつは声が生物自身の能力に変化が起きた時に、その変化の起きた本人のみに聞こえる声。
前者の“世界の根幹に関する変化”とやらが何なのかは諸説ありあるが、地震や戦争等で大陸の地形が変わる分には声は聞こえないそうで、ここ数百年は世界の根幹に関する変化とやらは起きていないそうだ。
後者の声はたとえば、この世界には技能や魔法があるのだそうだが、技能は持っていなくとも毎日料理を続けていた主婦がある日“料理という技能”を習得した時、その主婦に世界の声は聞こえるのだそうである。
ちなみに魔法は能力として持っていないと発動すらしないのだそうだが、技能の方は持っていなくても手順さえ知っていれば誰にでもできる技術でなので、持っていなくても特に問題はないらしい。実際、その技術を使う職人であってもその技術を技能として持っている者はほとんどいない。
ただ技能として持っていた方が――技術の種類にもよるのだが――いろいろとその技術に補正がかかるようになるそうで、持っていないよりは持っていた方がいいそうだ。技能持ちの職人の技術は、持っていない職人とは一味も二味も違うものであり、違いがわかるくらいにあるだけに、やはり技能持ちは優遇されるのだそうだ。
そんな技能の習得方法は3種類ある。
ひとつめは、技術の腕を一定以上まで磨く。
つまりは職人の中の職人になる、という事だ。一定以上の技術を持っているという証明でもあり、わかりやすい。
ふたつめは、先天的にその技能を持って生まれる事。
どういう仕組みかはわからないが、学ばずともその技術を使え、その腕は職人の中の職人と言っても過言ではない、天才型ということである。わかりやすい。
みっつめは、後天的に技能を習得する事ではあるが、ひとつめの技術をみがいて習得とは違い、神様の祝福やスキル習得アイテム等による、第三者的な何かしらの要因で技能を習得できる事があるのだそうだ。
神様の祝福とやらは稀にではあるが、ある事らしい。ここ最近では3年前にどこかの国の魔法使いが大災害の被害を最小限に抑えたとか何とかでその国を守護する神様から何かの技能を与えられたのだとか何とか。神様が実際に居ることや、住人に祝福という形で恩恵を与えている事に驚いたが、それはそれとして、これもわかりやすい。神様に褒められることをしたからご褒美に、である。
スキル習得アイテムの方も、どういう仕組みなのかはわからないが、そのアイテムを使えばその中に保存されているスキルを習得できるらしく便利なものであるが1度使えばアイテム自体は消えていまう使い切りのものであり、製造方法を知っているモノはほとんど居らず、滅多に出回らないモノなのだそうだ。
なので、アイテムでラクして技能習得は現状不可能であり、アイテムを入手できたとしても下手をすればそのアイテムを狙って色々と事件が起こったりもするので、なるべくなら入手しない方がいいし、入手してしまったとしたら速やかに誰にも知られないうちに内緒で使ってしまう方がいいのだそうだ。
何とも罪作りなアイテムである。ちょっと欲しい。
「なるほどー。でも世界の声とやらはスキルを覚えました、なんて言っていませんでしたよ?」
男の説明に納得しながら、それでも自分が聞いた世界の声は能力を習得したとも獲得したとも言っていなかった事を思い出し、草子は男に疑問をぶつけた。
そんな草子に、わかっていると男は頷き、説明を続ける。
『能力は何も技術だけの事ではないだろ。筋力や体力、魔力だってその者の能力だ。それらの能力は数値で表され、普通は種族レベルか職業レベルに変化があると同時に増減する』
「え、減る事もあるんですか!」
『そりゃそうだ。いくら鍛えたところで……たとえば肉体を鍛えたとしてそれを使わずに1年も寝るだけの生活をしていたら衰えるだろう?まあ、余程の事でなければ滅多に数値は下がらないし、一度でも鍛えた事があるのなら、怪我で障害が残ったとかでなければ鍛え直せば元の数値に戻せるからそこまで気にしなくてもいいけどな』
「なるほどなるほど。という事は私の種族レベルか職業レベルのどちらかに変化があったのですかね?」
『俺が知る訳ないだろう?世界の声はなんて言っていたんだ?』
「たしか1回目が精神力?が上がりました?で、2回目が幸運が上がりました?」
『なぜ疑問形なってるのかが気になるが、能力値が直に上がったんだな。精神力は聞いたことがあるが、幸運が上がるのは珍しいな』
「珍しいんですか」
『そりゃな。神の祝福や呪いでの変化ならともかく、幸運なんてどう鍛えればいいのかわからないからな』
「そういえばそうですね。筋力とかは運動すればいいでしょうけれど、幸運なんて目にも見えないし実感もしにくいですもんね」
言われてみれば今回もなぜ幸運が上がったのかわからない。ただ楽しく笑っていただけなのに。まあ、上がる方向への変化は大歓迎だ。幸運があって困るという事はないだろう。
幸運の上がった原因はわからないが、精神力の方は予想がついている。きっと、Yちゃんに教えてもらった例のおまじないの効果が出たのだろう。あの時の緊張具合いをなんとかする為のおまじないによって精神力が上がったから、その後は緊張せずに冷静でいられたに違いない。きっとそうだ。そうに違いない。
草子が当たっているとは言えないが的外れとも言い難い部分に納得をしていると、男はところでと切り出した。
『話を始めた俺が言うのも何だが、魚はもういいのか?いいなら全部食べてしまうが――』
「――まだ食べます食べます!おなかすいてます、待ってください、今食べますから!」
草子はそう言うと慌てて手に持った食べかけの魚をかじる。
そんな草子の様子に、足りなければ追加で焼くから、子供は食べてこそだから遠慮するなよと男が笑う。
誰が子供だと言いたかったがそれより魚だ。焼き魚。
火に当てずに話の間ずっと持っていた為、すっかり冷えてしまっている。が、それでもおいしい。
塩すら使っていないのに、このおいしさ。
一人暮らし時代のまだ会社が順調な時に出たボーナスを使い、奮発して食べたお高い焼き魚を思い出し、あれよりもおいしい気がしてなんとなく理不尽だよなーと誰にともなく思ってしまった草子なのであった。
何だかんだで自己紹介をしないままな大人二人。




