帰る場所
「本当ならすぐにでもみんなに協力してもらって術者を探し出したかったんだけど、蘇ってからつい最近まで、とても正体隠しながら南部王領地まで旅が出来るような体調じゃなくてさぁ。誓って私が望んだことじゃないからね? 死者蘇生の魔術なんて与太話が実在してるとは思わなかったよ。誰の企みか知らないけど余計なことしてくれる……あ、セーラ」
ヘンリエッタは顎を落として固まっている親切な案内人を振り返る。
「だから君がここまで連れてきてくれて助かったよ! てなわけでネタばらし、私の正体は三年前に死んだ大魔女ヘンリエッタ・ブラウトで~す! びっくりした?」
「……なっ、えっ、えっ……!?」
怖がらせないようにふざけてみたものの、セーラは口をぱくぱくさせてこちらを震える人差し指で指さし、視線でアイオンとイースレイに忙しなく助けを求めている。うーん無理もない、私ですら我ながら信じがたい事態だしなぁ。
混乱を極めているセーラのために真っ先に動いたのはイースレイだった。はぁと溜め息を落として水差しを持っていないほうの手で彼女の背を押しやり、
「……再会早々ブランクを感じさせない喋りでなによりだ。体調は今はもう良いようだな。セーラ、彼女の言ったことは全て真実だ。後で君にもきちんと事情を説明するから、オリバーと一緒に少し待っているといい」
「はぁーー!? ウソでしょ!? 大魔女ヘンリエッタ!? 死んだはずじゃないの!?」
三年前に比べたらイースレイもずいぶん優しい話し方ができるようになったなぁとしみじみしていたヘンリエッタだったが、見るからにおてんば娘のセーラが改めてショックを噛みしめ、素っ頓狂な声を上げるので感慨が吹っ飛んだ。
彼女は顔色を赤くしたり青くしたりしながら両拳を握りしめ、
「秘密は秘密でも思ってたのと違うぅぅう!!」
「うるさいぞ早く行け!」
なるほどコレは上司のイースレイの苦労が偲ばれるな。オリバーもあんまり圧倒されてないといいんだけど。
叱りつけられたセーラがしぶしぶ退場していくと、イースレイは仕切り直しのつもりか咳払いをしてアイオンが開け放ったきりの書斎の扉を示す。
「立ち話には向かない話になるだろ。中に入ろう」
書斎の家具の配置はほぼ変わっていなかったけれど、道具の散らかり方や置き去られている知らない人の持ち物、カウチの横の空きスペースに設置されたソファセットなどに悲しい新鮮味があった。なんだか全然別の部屋みたいだ。
改めて見てみると、アイオンは背も伸びていれば身体の厚みも増して精悍な印象になり、もう亡きアルフレド王配殿下と瓜二つには見えないし、イースレイだって前より寛容そうというか雰囲気が柔和になった気がする。
対してヘンリエッタは何者かにこの世に呼び戻されてから一年は経っているとはいえ、外見的には三年前とほとんど変わっていない。見た目の年齢で言えばセーラやオリバーのほうが近くなってしまった。
その事実を振り払うようにヘンリエッタはにこにこと口を開く。
「この三年バリバリ仕事してきたんでしょ? めちゃくちゃ評判いいじゃない、南部行政監督庁もアイちゃんも! 離宮までバッサリ予算削らせたっていうからビックリしたよ~」
イースレイがその言葉を受け、
「ゲートルードの吠え面は見物だったぞ。死んでなんかいるから見逃すことになる」
「私だって好きで死んでないわよ! あれはレオが悪いんじゃん!」
懐かしいやりとりの中でヘンリエッタは意図してレオナルド・アルトベリの名前を出したが、アイオンもイースレイも特別な反応は見せなかった。……そっか、良かった。取り繕えないくらい彼のことが未だに生々しい傷として残ってしまっているようなら、死んでもひっぱたきに行くとこだ。
「レオの……アルトベリ家の結末も聞いたよ。まぁそうなるよねって感じだし、私は納得してるかな。やり過ぎだとか国の損失だって言う人がいるのも分かるけど、一族ぐるみで王を殺そうとしたんだからね」
蘇ってからもいろいろ考えはしたが、ヘンリエッタは敵対してもなお自分を友達だと言ったレオナルドの言葉を信じることにした。そのほうが感情的にも一区切りつけやすかったし、死者が持ち去ってしまった答えにたどり着くことは永遠にできない。
だからあれは、魔女が友人に足をすくわれて一敗を喫したってだけのこと。今後歴史の上でお互いがどう評価されていこうとそれが事実だ。それでいい。
「――とにかく、私を生き返らせるなんてどーせろくでもない目的があるに決まってるんだから、術者を押さえたいの。私がまた死ねたとしてもまた生き返らされて……っていたちごっこになるのは勘弁してほしいんだよね。ってことで、南部行政監督庁で誰か怪しいヤツ捕捉してない? 死者蘇生術が使える実力者っていうと相当限られると思うんだけど……」
「……はぁ、相変わらず一足飛びで結論にいきやがる」
ヘンリエッタと再会しても妙に静かだったアイオンが呆れた様子で首筋に手を当てる。
ていうかいちおう死人が蘇ったってのにふたりとも思ったより冷静じゃない? 実はこの三年でそれくらいどうってことないような修羅場が頻発してたりしないよね。
さらに身長差が開いたアイオンに目の前に立たれると、ちょっとした壁を前にしているような気分になってしまう。
これだけ身体つきがしっかりしてたら体力も充実してるだろうに、三年ぶりに見る彼はどうしてだかやつれているみたいだ。身体と精神のコンディションのアンバランスさが透けて見えるのは、世間に認められてからの仕事がよっぽど忙しいんだろうか。それかもしかして家庭面での忙しさだったり? アイオンだってとっくに婚約者どころか奥さんがいてもおかしくない歳だし。
「正直お前ならそう言うと思ってたぜ。先に言っとくが、術者を捜す必要はない」
ヘンリエッタはきょとんとして、
「なんで? あ、別件でもうそれっぽいヤツ捕まえてたとか? だったら話が早いね!」
しかしアイオンは軽く首を横に振って言った。
「お前に死者蘇生の魔術を使ったのが俺だからだよ」
「……。……、……?」
意味が分からない。
えーと、とのろのろ床に視線を落とし、思考を巡らすための時間稼ぎをする。
アイオンはそれを無慈悲に見下ろしながら、
「どうも父方が死者蘇生術の始祖の血を引いてたらしいんで、遺産と血筋の力をありがたく利用させてもらったんだ。フェザーストーン公爵とワイヤード宮廷魔術師団長も共犯だ。それでも二年がかりでやっとだったみてぇだが、じじいになってもコソコソ亡霊ども相手に儀式やってる未来もあり得たと思えばこれでも早かったと思わなきゃな。冗談抜きで、さっきは一瞬意識飛んだぜ」
幻覚でもなんでもない実物のお前の声が聞こえたんだから。
アイオンはまるでありふれた苦労話でもするようなトーンで言うが、内容にそぐわなさすぎる。
そのちぐはぐさに脳を殴られ、ヘンリエッタは一向に話が呑み込めなかった。
床を見ていても救いがないと分かるとイースレイに視線を巡らせ、
「――どういうこと?」
「ちなみに共犯者はもうふたりいる」
せっかく助けを求めたのに、イースレイは平然とヘンリエッタの期待を裏切った。彼はアイオンを不満げに睨み付け、
「アイオン、俺とオリバーを省略するんじゃない」
「そこまで一気に開示したらさすがにコイツも頭パンクすんだろ」
アイオンはイースレイの苦情を露骨に嫌がって扉へつま先を向ける。
「つまり、この行政監督庁でなーんも知らねぇのは新入りのセーラだけなんだよ。ほっとくとうるせぇから俺から説明してくるわ。……悪いが、今回はお前と喧嘩してでもワガママ通させてもらうからな、ヘンリエッタ」
いまだに唖然としているヘンリエッタにさらりとそう言い残し、アイオンは書斎を出て行った。言い逃げだ。なにもかも言うだけ言って……。
「………………イースレイ」
「なんだ?」
「なんで止めなかったの」
地獄の底から響いてくるようなヘンリエッタの声音にも、このままいけば魔力暴走を起こすんじゃないかという可能性にも、イースレイはちっとも動じる素振りがなかった。彼はヘンリエッタのどんな反応も甘んじて受け入れる気でいるかのように淡々と答えた。
「君は望まないだろうと分かっていたが、アルフレド王配殿下のエクロス家が神官の血を引いているかもというレオナルドの話を、アイオンに伝えたのは俺だ。彼の決断を後押ししたことに後悔も言い訳もしないよ」
ヘンリエッタは弾かれたようにイースレイを振り仰いだ。
「だからなんでそれを……!」
「俺は」
イースレイはやり場のないヘンリエッタの怒りを静かに遮った。
「俺はいつか自分が出世したとき君たちに拍手で送り出される想像ばかりしてたし、君とレオナルドが殺し合ったり、君が自分で自分の命を絶つなんて考えてもみなかった。受け入れられないことばかり起こった」
三年前、強気の態度でいながらも常に心のどこかでヘンリエッタの脅威に怯えていたイースレイが、このとき初めて彼のほうから視線をかち合わせてきた。
「エゴでもなんでも、君の終わりがあんなものでいいとはどうしても思えない。俺は君のこともレオナルドのことも友人だと思ってる。ヘンリエッタ、今回だけ、一度だけ俺たちの頼みを受け入れてくれ。アイオンのためにも」
言葉尻にいくにしたがってイースレイの声は平板なものから切々とした掠れ声に変わっていく。
「…………」
イースレイがまさかこんなことを言うなんて思っていなかったヘンリエッタはどうしたらいいのか分からなくなり、こぼれ落ちそうなほど目を見開いたまま立ち尽くした。
明確に敵対してきたレオナルドよりも、アイオンとイースレイのこの暴挙のほうに裏切られたような気分になるのはどうしてだろう。
かろうじてかみ砕けた情報はどれもヘンリエッタにとって寝耳に水のことばかりだ。
ヘンリエッタを蘇らせた術者はアイオンで、四人も共犯者を作ってまで敢行したらしい。そしてイースレイの発言から察するにヘンリエッタがまた死んだとしても彼らは往生際悪くふたたび蘇生を試みるつもりだ。
自分で喉をかき切って死んだときヘンリエッタの遺体は霧のように空気に溶けて消えたと聞いている。ということはつまり、生前からヘンリエッタは普通の人間じゃなかったわけだ。化け物という揶揄がそっくりそのまま真実だったって分かった時点で、そのうち癒える未練よりそんなモノをこの世に呼び戻すリスクを重く見るべきだった。
だいたい、大魔女を蘇生したとバレたら術者のアイオンも色眼鏡で見られるだろう。規格外という箱にいっしょくたに放り込まれてあることないこと噂され、身の危険にさらされることは想像に難くない。ふたりで組んで国家転覆を狙ってるとか本気で言い出す連中がこの世には本当にいるのだ。それくらいイースレイなら予想できたはずなのに……。
いや、イースレイひとりだけを責められないか。
ワイヤード団長とフェザーストーン公爵はいったいどういうつもりで協力したんだ? 本来アイオンやイースレイが感傷的になってるのを止めるべき立場でしょ。
……訳が分からない。
私がみんなの立場ならこんな真似はしない。する理由もないし。
あんまり可哀想だからとか友達だからとか、同情心や友情だけでここまで心血注ぐなんて私には無理だ。だって実際レオナルドが処刑されても私は納得できちゃってるし、彼を蘇生したいとも思わない。長年友達やってたポジションからして私がそうするのが自然なんだろうけど、やろうともしてない。
今に限った話じゃなく、ずっとそうだった。
みんな当たり前のように他人に優しくできるのに――私に対してまでそうなのに、みんなと同じ発想すら私には思い浮かばない。
こんなんだから殿下にも、……、……。
分かっちゃいたけど、バカと冷血は死んでも治らないみたいだ。
◆
夜になり、ようやく気持ちを整理できたヘンリエッタはアイオンを「ちょっと話がしたいんだけど」と外へ誘い出した。
「どこに行くんだ?」
「湖だよ。魔力暴走起こしても被害が少なく済むでしょ」
素直にヘンリエッタの後をついてくるアイオンを振り返り、脅しをかける。
「言っとくけど、私怒ってるから」
「そりゃそーだろうな」
「……」
困ったように口の端で笑うアイオンに、はぁ、と腹立ち紛れに溜め息がもれる。こっちが納得しないことも魔力暴走を食らうリスクも、本当になにもかも承知の上でやったんだな。
心地いい夜風が吹き抜ける林道を抜けて春の湖へ。こういう景色はいろんな記憶を思い出させてくるから苦手なんだけど、今はそんなこと言ってる場合じゃない。幸い三年を経ても湖岸に係留されていたボートが健在だったのでそれに乗り込み、湖の中心にこぎ出した。
水面に映る黄色い三日月を船首で割るように進入し、ふたりは櫂を動かす手を止めた。
「……」
「……」
狭いボートに向かい合って座っているので精神的に圧迫感がある。春の訪れを喜ぶ虫の声や時折鳴く鳥の声がやけに大きく聞こえる。
「……えっと」
ヘンリエッタは唇を湿し、まずは言いそびれたことを伝えることにした。
「みんなにまた会えたのは正直嬉しいよ。そこは……ありがと」
視線を合わせられないままそう言うと、アイオンはヘンリエッタの反応を楽しむように小さく笑う。
「どう考えても俺が礼を言われんのは変じゃねぇか?」
「……心配しなくてもこれ一回きりだよ」
言うべきことは早めに言っとかないと気兼ねなくものを言いにくいから。
アイオンはワガママを通させてもらうと宣言していったが、ヘンリエッタにそれをハイそうですかと諾々と呑む気はない。ここからは変な遠慮は抜きでやると示すためにぱっと視線を上げ、居丈高な笑みを作る。
「で、本題だけど。すごくたくさんの人が同情してくれたみたいだけど、私としては二度目の人生なんか望んでないのよね。どっちかっていうとあの別れ方がキツかったから、お別れだけやり直させてくれたらじゅうぶん満足だよ」
ヘンリエッタの要求に、アイオンは泰然と顎に手を当ててゆるく姿勢を崩した。
「要するに、お前はまた死ぬつもりなんだろ。その上で、俺らに二度と自分を蘇らせるなって?」
「せっかくロマンチックな言い方にしてあげたのに無下にしないでよ」
「言葉を飾り立てたところでどうなるってんだ。……まぁお前ならそう言うと思ってたさ」
アイオンは顎に当てていた手を外し、ほんの少し身を乗り出しながらこちらを手招くような挑発的な仕草をする。
……一瞬、背を炙るような嫌な予感がして、ヘンリエッタはアイオンの態度をこの段階で訝りだした。
いや、でも。アイオンがこの三年で心身ともに成長し、変化していることは明らかだけれど、かといってその三年間死に別れていたヘンリエッタの思考を彼が完璧に読み切り、説き伏せることだってできないだろう。
思えばレオナルドに裏切られたときから、いやその前、ハイラントに本音を明かされたときからこっちヘンリエッタはやり込められっぱなしだ。今度はもうしてやられるわけにはいかない。
「こうなると理由のほうも答え合わせしてぇな。なんでそんなに死にたがる?」
アイオンが絶滅危惧種でも見つけたような目で訊いてくる。なんでもなにもない。
「わざわざネガティブに言わないで、死にたがってるわけじゃないわよ」
「そうか?」
「そもそも人間ですらないんだよ私は。死体が消える面白生物! 人間じゃあり得ない魔力量ってのも納得だよね!」
ヘンリエッタはふざけて声を弾ませる。
「それが生き返ったなんてことになれば、いよいよとっ捕まって実験アンド解剖コースだよ。正中線で開いてみたら内臓がちゃんと一揃い入ってるかも怪しい。蘇生したアイちゃんたちもひどい目に遭うだろうね」
「へぇ、結局俺らの心配か」
いつものテンポで脅かしながらまくしたてようとしていたヘンリエッタは、狙い澄まされた横槍に一瞬呼吸を忘れた。が、すぐに気を取り直し、
「……茶化さないで。私はね、前の人生に満足してるの。やりたいと思えたことだけやってきたし、解剖とかもされずに済んだし、最期まで正気のまま幕を引けた。そんで改めて君たちと綺麗にお別れまでできるんだから完璧じゃん」
「完璧? どこが完璧なんだ?」
アイオンが薄笑いを浮かべて鼻で笑う。
「実際好きな男に振られてもう生きていたくないってだけじゃねぇのか?」
あー、とヘンリエッタは笑顔のまま間延びした声を上げる。
「それでもいいよ」
「ってことにして、『くだらねー女。生き返らせて損した』とかって幻滅してほしいんだろ」
しねーよ、と面倒くさそうに肩をすくめるアイオンに、ヘンリエッタは視線を徐々に尖らせる。
「ひとりで推測してひとりで納得して面白い?」
「面白いよ」
アイオンは間髪容れずに断言した。
「どんだけでも喋ってていいぜ、おーコイツ生きてんなーって俺を喜ばすだけだが」
「……」
数拍のこととはいえ、ヘンリエッタはついに黙り込んでしまった。呆気にとられていたのが後から悔しさに襲われて、気分を落ち着けるために小さく息をつく。
「死にたがってなんかないわ」
念押しすると、アイオンは最初からヘンリエッタと言い合う気なんかちっともなかったとでも言うようにけろりと頷く。
「だろうな。お前、欲がないワケじゃねーし」
「……じゃぁなんで無駄に訊いてきたのよ」
「なおのこと悪いからに決まってんだろ」
アイオンはこれまで軽薄でさえあった佇まいに不意に真剣味を帯びさせる。ヘンリエッタは内心思わずぎくりとした。
「生きてりゃしっかり楽しいくせに、お前は自分がこの世に舞い戻ることで起きる問題を取り除くほうを取る。当たり前のことみてぇにな。見上げた心がけじゃねぇか、離れてる間にお前がこの世の責任者を買って出てたとは知らなかったよ」
ヘンリエッタは溜め息をこぼして手持ち無沙汰にボートの縁を掴んだ。誰を見習ったのか、アイオンが三年前とは比べものにならないほど口達者になってしまったせいで、話の流れはとっくの昔に思いがけないものになっている。彼を言いくるめるには、想定よりも少し深いところまで話すしかないらしい。
「別に責任とか大層なこと考えてない。単に好みの問題だよ」
「好み?」
聞き流してくれればいいのに追及の手を緩めてはくれないアイオンに、ヘンリエッタはうんざりと頷く。
「そうするほうが好みってだけ。……殿下と出会って、その……殿下との結婚のおまけに未来の王妃の座がくっついてくるまでは、可能な限りこの世界に自分の影響が残らないようにしたかったから。一大勢力になるとか大破壊で地形変えるとか、やろうと思えばできるし目先の望みはそれで叶うんだろうけど、よかれと思ったことでもどこにどんな影響が波及するか完璧に配慮なんかできないでしょ。だから本当は、……」
よかれと思ってやったことが思いもよらないところで災いを招く――自分が絶対にラローシュと同類にならないなんてヘンリエッタには言い切れない。まぁそれでも、耐えかねてムカつく教団だの悪人だの病気だの麻薬だのを吹っ飛ばしはしていたが、そもそもヘンリエッタの能力は時々の感情で左右されてしまう。根本的に「配慮」なんて概念とは食い合わせが悪い。
「……本当は私、そうしてもらえるもんなら世間には放っといてもらいたいんだよ、傍目には不幸に見えるかもしれなくても。特別扱いや権力も要らない。普通に生きて普通に死にたい。人生の終わりが来たなら、抜け道を探すより普通の人たちと同じように受け止めるほうがやっぱり好きなんだ」
「……」
「気に掛けてくれたことは本当に嬉しいよ? でもありがた迷惑なんだよね。しかも私が嫌がるのが分かっててやったとか言われたら、『そこまで思いやってくれるのになんで私の意志を尊重してくれないの?』って腹も立つ。こんなことしたって誰も幸せになれないって分かったでしょう。お節介はここまでにして、みんなちゃんとそれぞれ自分の幸せを考えてよ」
ヘンリエッタはアイオンが返答に窮していると見て、その隙に畳みかけたつもりだった。もともと彼は思慮深く物わかりもいい。これ以上はさすがに同情心や義理義憤で傾けられる労力を超えているし、アイオンたちの身も危うくなり得ることも伝えたんだ、お互いのためにこのまま押し切られてくれるだろう。
そう当て込んでいたのに、
「なるほど。言いたいことは分かった」
とアイオンは前置きし、
「けど悪いな、お前の望みは叶えられない。言っただろ? 俺は自分のワガママを通したいだけだ。同情? お節介? そんなんじゃねぇ。ハナからそんな高尚な考えでお前を蘇らせてなんかいねぇんだよ。お前が致命的に勘違いしてんのはそこだ」
「勘違い……?」
これだけ言い含めたのに叶えられないと言い切られ、神経がささくれ立っていたせいで、ヘンリエッタはなんの警戒もなしに聞き返してしまった。
アイオンはひたりと視線を合わせて言う。
「俺がお前を呼び戻した動機はもっと単純だよ。お前が好きだからだ」
はい?
「は?」
「だからお前が得意の理詰めでどんだけ言葉を尽くそうが、俺は説得されてやれねぇ。好きなもんは好きだから。分かったか?」
いや。分かんない。
あ、あれ?
私の正体も性格もとっくにアイちゃんには知られちゃってる――よね? それなのに? 血にまみれた化け物なのに?
ウソだ。
あり得ない。なんか勘違いしてるのはそっちでしょ?
「おいあからさまに『ヤバイことになった』って顔すんじゃねーよ。傷つく」
アイオンは口ではそううそぶくが、実態はヘンリエッタの反応を楽しむ余裕があるようだった。
凍り付いたまま戻ってこないヘンリエッタに「そんなに驚くことか?」と思わずといったように笑い、
「……ま、俺は長期戦も覚悟の上だ。今さらお前がちょっとやそっと悪ぶったところで幻滅も傷心もしやしねぇからな、好きにリアクションしてろ。勝ち目はあるつもりだしな。いくら追い詰められてたって嫌いな男に遺言残したりしねぇだろ?」
「――や――」
ヘンリエッタは引きつった出来損ないの笑みを作り、かろうじて声を絞り出す。
「やだな、別れ際のインパクトが強過ぎちゃった? 確かにちょっと君の感情がこじれちゃっても無理は……」
しかしアイオンはヘンリエッタの悪あがきを一笑に付した。
「『ちょっとこじれた』程度で死者蘇生に踏み切る男がどこにいるんだよ。自分でも相当重い自覚あるぞ」
「…………」
ヘンリエッタはあえなくまた硬直した。
言われてみればなんでここまで気づかずにいられたのか分からないほど、こちらに向けられるアイオンのまなざしは柔らかく、あたたかく、愛おしそうだった。よく分からない焦りがこみ上げてきて急に心臓がばくつき出す。ていうか誰これ? このひと本当にアイオン?
こっから私どうすればいいの?
「この通りの重さだからな、俺がお前を好きだってバラしたのにもしお前が逃げ出したり死を選んだりしたら、さすがに傷つくなんてレベルじゃ済まねーな。そんなに嫌かよって文字通り死ぬほど凹む。なぁ、そんなひどいことしねぇよな?」
「…………っ」
大魔女として広く認知されるようになってからこんな風に脅しをかけられたのは初めてだ。ましてや自分の命を盾にしての脅しなんて。
ヘンリエッタは衝撃から立ち直れないまま、あのハイラントでさえ恐怖した自分の実情を知っていてなお好意を向けてくる変人の思考回路を見通せないことが猛烈に不安になってきた。アイオンの言葉を、そうは言っても本当に後追いなんかしないでしょと確信を持って笑い飛ばすことができない。万が一にも彼がそんな絶望に陥る可能性があるなら……あるなら、そんなの絶対……。
「ほらな。お前はそういうヤツだ」
アイオンはヘンリエッタの心の中の天秤がどっちに傾いたか完璧に見透かしたように言い、皮肉っぽくも白けてもない、純粋に嬉しそうな微笑みを浮かべた。
「この三年、お前がまた俺を置いていこうとするならなにがなんでも引き留める準備してきた甲斐があったな。……やっと心置きなく言えるぜ。おかえり、ヘンリエッタ」
「……。突っぱねにくい言葉選びやめてよ……」
前はろくに名前も呼ぼうとしなかったくせに突然直球投げるじゃん。なんなんだよもう。
やっぱり意地があるので素直にただいまと返せもしないし、アイオンの変わりっぷりにもついて行けないしで、ヘンリエッタは拗ねた呟きを落とすしかできなかった。
◆
「――なんかもうふざけた話ばっかり聞かされて頭回らなくなってきた」
ヘンリエッタとアイオンが湖へ出掛けていくのを庭からこっそり見送った後、セーラは半ば呆然とぼやいた。
「せっかく死んでた大魔女をアイオン殿下が生き返らせたって時点で完全にヤバイし。実は噂されてるみたいな稀代の悪女じゃなかったんです~とか言われてもそれで『なら良いか……』ってなるわけないでしょう」
「それはそうだろうな」
イースレイが平然と相づちを打つ。彼とオリバーもセーラと一緒にふたりの様子をうかがっていたのだ。
「しかもみんなグルって、バレたら行政監督庁丸ごと沈没案件じゃないですか。私が告発したらどうするんですか?」
疲労困憊でぶつくさ言うセーラに、オリバーが不安げに訊く。
「……告発するの?」
「……父上は大魔女のせいで宮廷がメチャクチャになったって」
恨みがましく言うと、イースレイがこちらを見下ろす視線がわずかに険を帯びたのが分かった。セーラはやれやれとため息をつく。
「しない、しないに決まってるでしょう? そうなったら私も道連れだし。十五にもなれば、父上は常に正しくて間違うことはないなんて幻想からも醒めてる」
そのぶんアイオンとイースレイに対しては思う存分幻滅させてもらったが。なんやかんやで頼りにしてる尊敬する上司ふたりが実は黒魔術に傾倒してましたなんて知りたくなかった。
イースレイとオリバーは無言でセーラに話を続けるよう促している。
まったくしょうがないな。そんなに疑り深いなら馬鹿正直に事情を打ち明けたりしないで、私をのけ者にしたままでいればよかったものを。
セーラは唇を尖らせる。
「……それにまぁ、オリバーの恩人なんでしょ?」
「う、うん」とオリバーがこくこくと必死に頷いてみせる。
「だったら……ただの平民のちっぽけな子どもだったオリバーを助けてくれたんなら、悪人じゃないっていうのは本当なんじゃないの。貧民街でも魔力暴走抜きで上手くやってたみたいだし、むやみに怖がる必要はなさそう。信用はできると思う」
オリバーが目を瞠り、セーラに強く視線を注ぐ。そんなに驚かれちゃ心外だ。同年代の同僚の恩人をノータイムで売ったりするほど薄情じゃないし、騎士を目指す人間として騎士道に反することはしない。
「それが結論でいいのか?」
イースレイが腕組みしながら静かに確認してくるので、セーラは顎を引くようにして頷いた。
「なんか聞いてる限り、善人じゃないにしても甲斐性が服着て歩いてるような女みたいですし。いいから死んでろ! って問答無用で殺しにかかるのは騎士道に反します。……本人がそれを受け入れる気満々だっていうならなおさらです」
「……甲斐性……」
「現実に生き返っちゃっていま生きてるものはもう仕方ありません。厳密にはそうじゃないかもしれなくても、人の形をして言葉を喋り、分かり合える生き物の命を奪えば殺人は殺人です。私が個人的に手出しすることはないので安心して下さいよ」
「甲斐性か」
いや話聞いてます? かなり良いこと言ってるのに甲斐性か、甲斐性ねなるほど、となにか腑に落ちたように繰り返しているイースレイにムッとする。
そこへオリバーに「ありがとう、セーラ」と心底ほっとした様子で感謝されて、セーラはようやくちょっと溜飲を下げた。あの魔女とアイオンのおかげで今も彼が無事に生きているというのなら、情けをかけるのもやぶさかではない。




