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三年後

 セーラ・エトランジェは昨年末から南部行政監督庁に勤務しだした、前途洋々たるレディだ。特技は剣術と大食い、容姿は母譲りの端麗さで、領地じゃセーラに憧れて染め粉で髪をブルネットにする娘たちが後を絶たない、伯爵家の超エリート三女である。


 三年前に起こった護国卿アルトベリ家による女王暗殺未遂事件の後、まだ充分な真相究明もなされていないにも関わらず、女王はみずからの手でアルトベリ家を処刑してしまった。公開処刑にすらされなかったので、彼らが最期になにを言い残したかもどこに埋葬されたのかも分からない。

 族滅の是非、国のとっての護国卿の価値、動機の究明の重要性など、あらゆる論点を無視して処罰感情を優先した女王に反発した貴族のうちのひとりが、セーラの父だ。

 父はあれは必要な諫言だったと言うし、セーラもそうだと思っているが、当時の女王の怒りようは周囲の度肝を抜くほどのものだったらしい。よく人柄を氷や鋼に例えられる女王があそこまで激情をあらわにするとは誰も予想しなかっただろう。

 で、反発した貴族たちまで睨まれかねないと悟って焦った父は、王権への忠誠心をアピールするためにセーラをアイオン第二王子殿下の部下に差し出したワケだ。


 アイオンは南部に送られてからめきめきと頭角を現してきたそうで、今や役立たずとそしられていた過去なんて想像できないくらい。

 以前からの南部行政監督庁長官の職務だけでなく、第二王子として堂々と権力と影響力を行使し始めた彼は、これまで縮こまっていた鬱憤を晴らすかのように物怖じせず活動した。

 女王ですら先王の遺言に配慮して大鉈を振るえなかった離宮の予算をばっさり削らせたり、アルトベリ家が関与していた法案は再度精査する必要があるとして提出にストップをかけたりと、巷での評判はこの三年間うなぎのぼりだ。フェザーストーン公爵やワイヤード宮廷魔術師団長といった有力貴族とも連携している。


 しかしセーラに言わせれば、アイオンという男はどうも不気味だ。

 いや、南部行政監督庁という組織自体が不気味といったほうが正しいかもしれない。

 セーラが思うに、彼らは組織ぐるみでなにか怪しげな儀式? をしている。

 しかも恐るべきことにフェザーストーン公爵とワイヤード団長もグル。

 公爵と団長は謎の文献や資材を持って頻繁に南部に来るし、そのたびにみんなして庁舎の地下へ入っていき、夜が明けるまで出てこないし、その翌日のアイオンは魔力切れを起こした魔術師のようにげっそりやつれて隈を作っている。

 仕事上の秘密ならそろそろセーラにも一言あってしかるべきだろうに、のけ者にされっぱなしということはアレは彼らが個人的にやっていることなんだろう。

 こんなの絶っっっ対に変じゃないか!


 もちろんセーラは勝算も準備もなしに藪を突いたりはしない。万が一にもあの怪しげな地下室で国家を揺るがす事態が起きていたら一大事だし、今は観察に徹するときだろう。セーラだってアイオンたちがそんなことを企んでいるとは考えたくないが、アルトベリ家の一件があった以上どんな地位の人間であれ無条件に信用することはできない。

「この国の中枢はあの魔女のせいでめちゃくちゃだ! あいつさえ宮廷へ潜り込んでこなければ……」

 以前、父が口惜しげにそう漏らしたことがあるが、その魔女……ヘンリエッタ・ブラウトは三年前に死んでいる。

 三年前といったらセーラはまだ十二歳で当時のことは又聞きにしか知らないが、ヘンリエッタは女王に喧嘩を売るわ、王太子を半殺しにするわ、かと思うとその弟――つまりアイオンのことだが――に乗り換えるわ、平民のくせに好き放題に宮廷を荒らし回ったとんでもない悪女だったらしい。

 なのに最期に一度だけ女王への忠誠心を見せたからって、それらの悪行の数々も貴族たちの間では笑い話で済ませてもらえている。

 なんだかよく分からない女だったんだな。どうしてそんな性格のヤツが最期の最期に女王を庇ったんだか。


 そういえば、セーラ以外の南部行政監督庁の面々はヘンリエッタの話題に関しても完璧な連携を見せる。

 アイオンにしても事務官のイースレイにしても下働きの平民・オリバーにしても、セーラが「あの大魔女ヘンリエッタってここで働いてたんですよね?」と一度世間話を振っただけでぞっとするような真顔で見つめてきた。

 普段は女のくせに騎士かぶれのセーラにも分け隔てなく、働きやすい職場だけに、あれは怖かった。ちょっとだけ。

 あとでオリバーにこっそり「ヘンリエッタ様の話をするのは控えて。みんなまだ悲しみが癒えてないんだ」と補足されたが……。

 フェザーストーン公爵やワイヤード団長もヘンリエッタの話は露骨に避けるし、冷酷さと貪欲さで知られた危険人物だったはずなのに、どうして彼らは彼女をああも大切にしてるんだろう。

 やっぱ弟に乗り換えてたって話はホントだったのか……?



 ほかの地域が長引く晩冬に耐えているとき、南部は一足早く春を迎えている。

 白っぽかった日差しがオレンジががり、吹き抜ける風に緑の匂いがかすかに乗り始める頃、行政監督庁は南部のとある領主から「街の治安改善について助言がほしい」と要請を受けた。

 前任者の時代はほぼお飾りみたいなものだったらしいが、アイオンが長官になってからの南部行政監督庁はこんな風に貴族から相談を持ちかけられることも多い。同じ貴族には弱味や恥を晒すような真似はできないから、行政監督庁のほうが安心して頼れるそうだ。

「治安を良くするにはどうすればいいか、ですか……まずは問題の街を視察してみないとですよね。それくらいなら私ひとりで行ってきますよ! みなさんは他の業務が立て込んでますし」

「え、でも女の子ひとりじゃ危ないですよ」

 快活に胸を張るセーラを、オリバーが心配そうに止める。

「オリバー! また敬語!」

 同い年の同僚なんだからと何度セーラが言っても、こうしてたまに敬語に戻ってしまうオリバーに鋭く人差し指を突きつける。彼は心優しいけれど神経が細すぎるのだ、こんなんじゃ将来悪い女に騙されて破滅するぞ。

 するとイースレイも顔をしかめ、

「オリバーの言う通りだ、セーラ。仕事熱心なのはいいが危ないことはするな」

 セーラはむっと眉を吊り上げる。イースレイは仕事はできるが四角張った振る舞いからセーラとは意見が対立しがちだ。

「私はお守りが一緒じゃないと出歩けない幼児ですか? もう十五だし、剣なら玄人はだしなんですよ。イースレイさんだって知ってるでしょ?」

「あぁ知っているとも。アイオンに惨敗する程度の腕前だってな」

 ぴしゃりと痛いところを突かれたが、セーラはそれくらいのことじゃへこたれないきかん気の強いレディだった。というかアイオンと比べるほうがおかしいのだ。セーラに限らずアイオンに武術で勝てる人間なんかそうそういない。

「それはアイオン殿下が異常なんです、私だって下界ではトップクラスです。いいから行かせてくださいよ、どうせみんな手が空かないのは事実なんですから!」

「却下だ。だいたい君ひとりではナメられる」

「ほっとけイースレイ。これも社会勉強ってヤツだ」

 黙って書類を繰っていたアイオンも耳だけはそばだてていたようで、平行線を辿る話し合いに冷や水をぶっかける。

「そこまで言うなら言い訳は聞かねーぞ」

「! もちろんです!」

「振る舞いには充分注意しろ。自分の身の安全が脅かされたら自己判断で剣を抜け」

 イースレイやオリバーと比べると、アイオンはセーラを少女だからといって甘やかさない。というより必要以上の感傷を他人に抱かない、優しさがないわけではないが非常にドライで質実剛健な男という印象がある。仮にも王子様なのに珍しいタイプかもしれない。


 ――普段はこういう態度のアイオンが身をすり減らしてでもなにかの儀式を執念深く続けてるってところが、また余計に不気味なのだけど。


 とはいえ長官から許可が出たならこっちのもんだ。自立心旺盛なセーラは「了解です!」と元気に返事をし、翌日には上機嫌で南部王領地を発ったのだった。



 行政監督庁のマリオネット馬車は最寄りの街道騎士団支部に預け、街へは徒歩で入った。視察という名の立ち入り調査は、住民にそうと勘づかれてしまったら内情までたどり着くのが困難になるからだ。

 街の名はクラッケンベルといい、セーラはまずひと歩きしてみただけでも治安の悪さの原因が開きすぎた貧富の格差にあると分かった。

 なにせ街自体が真ん中でほぼ真っ二つに割れている。片側は富裕層の暮らす華やかで安全な街だが、もう片側は監獄を中心に回っているゴミ捨て場も同然だ。両方を貫いているのは小舟も行き来できないようなドブ川一本。


 思ってた以上にひどい状態だ。ていうかこの規模の街でこんなに大きな監獄なんて聞いたことがない……。


 セーラは潜入一日目にしてすっかり義憤に駆られ、身分を隠したまま安っぽい服を着て貧民街にまで乗り込んだ。

 大通りの路上生活者に「あの、ちょっとお話いいですか?」と話しかけて回り、物乞いが寄ってくるとインタビューさせてくれることを条件に小銭を与えた。

 ものの見事に聞くに堪えないような話ばかりでますます腹が立ってきた。

 そうこうするうち、セーラは目をぎらつかせた貧民たちに囲まれていた。まぁちょっと、ぶっちゃけ良いカモだと思われて危険な目に遭ってもおかしくない状況だ。

 すると「ちょっとごめんよ」と痩せた少年たちのグループが人混みをかき分けて近づいてきて、半ばどうでもよさげな口ぶりで、一応といったように、

「金持ちのモノミユサンならもう帰んなよ」

「たまにあんたみたいなヤツが来るんだよな」

 と小声で言ってくる。わざわざ忠告しに来てくれるとは、なんて心清い少年たちだろう。

「ご、ご心配をどうも! あの、お礼に夕食をおごらせてくれませんか?」

 セーラが感激して思わず能天気なことを口走ると、周囲の貧民たちの気配が殺気立つのが分かって遅れてはっとした。……まずった、この子たちだけ特別扱いは……。

 少年たちはやれやれと溜め息をついてお互い顔を見合わせ、

「ホラやっちゃった……言わんこっちゃないよ」

「しかたない。とりあえずここで唯一って言っていいくらい安全な場所に連れてってやるから、ついてこいよな」

「安全な場所? って、そんなのがあるんですか?」

 セーラは早くもきびすを返して手招いてくる少年たちの言葉を訝しみ、ついていっていいものか迷った。彼らは「いいから早く」とセーラを急かし、この場で説明してくれる気はないみたいだ。

 しかし他の貧民たちは今のやりとりだけでなにか察したようで、諦めたように殺気を引っ込め「あそこか」「あそこへ行かれちゃしょうがない」と言い合っている。いよいよどんな場所なんだ……さらに困惑が深まるが、結局は彼らに従うほかない。日暮れが迫る中、セーラは案内されるがまま早足でついていった。


 連れて行かれた先は今にも崩れ落ちそうな廃教会だった。窓は天窓に至るまで軒並み割られているし、なにかの意匠や彫像などからどの宗教の教会だったのか割り出そうにも、調度品はすでに盗み出されたり破壊し尽くされていて見る影もない。

 ただ、中には数人の男女がいた。全員がっしりと恵まれた体格で、なにか話し合っているのかこちらに背を向けて立っている。

「ねぇ、今いいかい? 危なっかしい金持ちがいたから避難させてやってよ」

 少年が開けっぱなしの戸口で呼ぶと、中にいた男女が一斉にぎろりとこっちを振り返った。荒事に慣れている人間に特有の険しい顔つきだ。

 彼らはセーラが腰に佩いている剣を目ざとく見つけ、警戒心をあらわにして近づいてこようとする。

 セーラも剣に手を伸ばそうとしたとき、

「待ちなさい」

 と涼やかな女の声が言った。

 男女は彼女の声に即座に動きを止め、「大丈夫ですから、下がってくれていいですよ」と付け加えられると兵士のように一礼してから奥の裏口から教会を出て行く。

 人垣の向こうに隠されていた声の主が、夕陽が作り出した陰の中から光のほうへ進み出てくる。

 その全体像が見えるようになると、彼女がまだ少女といってもいい年齢であることがすぐ分かった。華奢な身体にゆったりしたローブをまとい、黒いベールで顔を隠しているので細かな造作は分からないが、こんな場所で安全地帯を作り上げ、荒くれ者に規律を行き届かせている手腕からしてタダモノじゃない。

 い、今まで対峙したことのないタイプ……。

 身を硬くするセーラをよそに少年たちは「じゃ後よろしく~」とそそくさ去って行き、夕闇に沈みつつある教会に残っているのはベールの女とセーラのふたりだけになった。

 セーラは平静を装いながら切り出す。

「……あなた、ここの人たちになにかと入れ知恵してますよね?」

 ベールの女は柳に風といった態度で小首を傾げる。

「どうしてそう思うんですか?」

「こんな環境で暮らしてる子どもが物見遊山なんて語彙、教わらなきゃ使わないでしょ。それに住民たちにはここは中立不可侵の領域だって共通認識があるみたいでしたし、あなたに手出しすると洒落にならないデメリットがある証拠ですよ。……いったい何者なんです?」

「何者、ですか」

 ベールの女はかろうじて見える口元に笑みを浮かべ、白い指でおもむろにセーラを指さした。

「正体といえば、あなたは南部行政監督庁の役人でしょう」

「――――」

 心臓が大きく跳ねると同時にセーラはとっさに剣に指をかけ、それに気づいたベールの女がさらに言う。

「実力行使に出ようとするのは図星だからですね。言っておきますが私はあなたの心が読めます。どっちから斬りかかるつもりでいるのかももちろんお見通しです。荒っぽいことはやめておきましょうね」

「はぁ? 心が読める? いるワケないじゃないですかそんな人」

「って言われたら、負けん気が出て手は使いたくなくなったでしょう? だからって脚はお行儀が悪いですよ」

 持ち上げかけていた脚がぎくっと強ばる。……ほ、本当に心が読めるのか? いやまさか。

 耳に痛いくらいの沈黙。

 心が読めるという言葉が真実だろうがはったりだろうが、どのみちセーラが行政監督庁の人間だとバレてしまっていることに変わりはない。もうやるしかないのかと思い詰めた矢先、ベールの女が出しぬけに噴き出した。

「あはは、ウソウソ! 心なんか読めないよ~!」

「……え、えっ?」

 急にあはははと明るい笑いを上げ始めた彼女に、セーラはおろおろと無意味に周囲を見回す。

 ひとしきり異変がないか確認し、唖然としてから、

「……やっぱりウソなんじゃないですか!?」

 彼女はさっきまでの得体の知れなさはなんだったのかってくらいのざっくばらんさで「ごめんごめん」と笑い、憤慨するセーラにボロボロの椅子を勧めてくる。

「いやーやっぱ演技してると肩凝るわ! ま、でも超能力抜きでも君の正体は当てられたでしょ? 私にバレる程度の実力でこれ以上考えなしなことするのはオススメしないな~」

「……うっ、……」

「ちゃんと話そうか。質問があるなら答えられる範囲で答えるよ。まず君のお名前は?」

 ベールの女は相変わらず顔を隠したままでそう誘いをかけてくる。もしかしてコイツ、こっちが素か? セーラは悔しさに歯噛みしながらも、他にどうしようもないので差し出された椅子に憤然と腰を下ろした。

「セーラ・エトランジェ!」

「ありゃ、伯爵家のレディだったんだ。確か三女だっけ?」

「……」

 そこまで言い当てられてはセーラのほうも困惑を通り越してドン引きだ。絶対このひと本来こんな貧民街にいていいような人じゃないな。

「ウチのことまで知ってるとか……あなた本当にどこの誰なんです?」

「んーそこはまぁ、追々? 君を信用できるようになったら話そうかな?」

「はぁ~!? むっかつくなぁ~~……!」

 業腹にもほどがあるが、さすがに今回は相手が悪い。セーラはここへ調査に来ただけなんだから、仮にもこっちの身の安全を保障してくれるつもりの相手に意固地になったってしょうがないのだ。

 セーラはふんっと鼻を鳴らして気持ちを切り替え、

「だったら私の質問から答えてもらいますよ。この街、どうしてこんなザマになったんですか?」

「そーね。平たくいうと先代がやらかしたんだ」

 ベールの女は面倒くさがることもなくセーラの質問に答え始めた。

 彼女の語った街の歴史によれば、度を超して厳格な人物だった先代領主の影響で領内で厳罰主義が流行したのが悪かったようだ。

 領主に気に入られようとどこの参事会も罪人を量産し、拡張した監獄に放り込んで劣悪な環境に置いた。拡張工事と維持費がかさんだので街の財政は苦しくなる。当然、監獄を出てももう元の暮らしには戻れず、貧民が一気に巷に溢れた。

 今さら彼らを抜本的に救済することもできない富裕層は臭い物に蓋とばかりに街の片側に隔離し、貧民たちは貧民たちで、困窮の度合いがある一線を超えてしまうと普通に日銭を稼ぐより犯罪を犯して監獄に入ったほうがまだいい暮らしが出来ると気づき、犯罪率が急激に上昇。領主が代替わりする頃には街の治安は取り返しのつかないほど悪化してしまっていた、ということだった。

 そりゃ貧富の差も開く。

 セーラは呆れかえり、

「そんなの、犯罪しないで生活していけってほうが無茶じゃないですか!」

「かもねー。でも少し前に比べればこれでもまだマシになったんだよ」

 女が妙に感慨深そうにするので、セーラはおやっと前のめりになる。

「あなた、なにかしたんでしょ?」

 尋問するようなつもりで訊けば、彼女は肩をすくめた。

「あの川を見た?」

「見ましたよ、ひどい汚れようでした」

「あの川が街のど真ん中を貫いてるのは幸運だったよ」

 幸運? セーラの目にも焼き付き、鼻にも強烈な悪臭を残すくらいのひどいドブ川とはふつう結びつかない表現に首をひねると、彼女はそれを見透かしたように続けた。

「川のおかげで上流から下流へ色んなモノが流れ着くからね。泥の中から見つかる釘一本、ロープ一本どころかその泥そのものすら意外なところで意外な需要があって、街の外にまで目を向ければ買い取り先はいくらでもあるのよ。……ただ、足元を見られずにまともな値段で買い取ってもらおうと思うと、業者に伝手がないといけない。私はそういう業者の信頼を得るために使える符牒をいろいろ知ってるから、ここの人たちにそれを教えたワケ。結果的にはみんな収入が上がったよ」

「……へぇ~……」

 思わぬ話が聞けて、セーラはちょっと感心した。住む世界が違うなんて簡単に言いたくはないが、そういう経緯があったなら道理でこの女が聖域じみた住処を構えても住民たちがいきり立たないわけだ。新たな収入源を開拓するにせよ、勉強を教えるにせよ、この女のそういった実際的な知識を買っているからこそ、彼らは勢力問わずここを不可侵の領域にしているらしい――さっきの連中みたいにガチの信奉者も生まれちゃってるっぽいけど。

 と、感心してばかりいては会話の主導権を奪われてしまう。セーラはこほんと咳払いし、

「とはいえ微々たるものでしょう。生活が向上したとまではとても言えない」

「そのへんは金銭感覚の違いだね。ここじゃ親子ふたりで計算しても君があげた小銭で二週間分の生活費になる」

「……へぇ~……」

 ってまた感心してしまった、くそっ。

 なにもかも思うようにいかなくてひとりで百面相しているセーラにベールの女はくすくす笑い、試すように白い手を伸べる。

「んじゃ今度は私から質問ね。この街の現状を知って、行政監督庁はどういう手を打つつもりかな?」

「……」

 そう言われても私は騎士を夢見てきたような人間だし……とは言い出せない空気だ。そもそもそんな敗北宣言に等しい真似は意地でもしたくない。

 セーラはしばらく考えてから、自信に満ちた口調で言った。

「大々的な公共事業を行って雇用を創出するよう領主に促します。農地の開拓とか治水工事とか……財源や移住者の問題などはつきものですが、やり方さえ間違えなければ悪くない策です」

 間違えて破滅したパターンで有名なのが先代ラローシュ侯爵だったが、アイオンとイースレイが助言と監督を行う以上そんなヘマはさせるまい。

「救貧院や貧民学校を作らせたり、臨時でも富裕層からの税収を増やしてお金を再分配するのも重要です。あとはそう、あんな大きな監獄も過剰ですよね。治安の改善という観点からは逆効果に思えるかもですが、先のことを考えれば早いところ縮小して無駄金を減らすべきでしょう。……どうです?」

「おぉ~。すごい、優秀なんだね!」

 女は素直にセーラのアイデアを称賛し、ぱちぱちと惜しみない拍手を送った。こんなもんよとセーラはにまにまする。アイオンやイースレイのようにはいかなくたって、いくらなんでも貧民街でお山の大将してる相手に負けるわけはない。

「さっきからそうだけど、自然と貧しい人や前科者に寄り添って考えられる君みたいなお役人さんは、そうそういないだろうなぁ」

 えぇそうでしょうそうでしょう。

「だから、この上さらに庶民から言えることがあるとすれば」

 とベールの女が人差し指を立てた瞬間、セーラは雲行きの怪しさを感じ取って笑みを引っ込めた。

「監獄の縮小が領主の『治安を改善したい』って要望に反するなら、代案はあるよ」

「……………………。なんですか」

 セーラはたっぷりの間を置いてから唸るように訊いた。せめてもの抵抗だ。

「監獄は監獄だから問題なんだ。収監したらハイ終わりで、その間ずっと学びも仕事も教化もなし、死のうが構わないなんて人の命を腐らせてるのと同じだからね。刑務所にしてなにか売れるようなものを作らせて、作業したぶんだけ報奨金を出せば、刑期を終えても無一文で放り出されることもないし財政にも優しい上に治安の向上にも繋がるワケよ。ね、こっちのほうが合理的じゃなーい?」

 へらへらと笑ってイースレイあたりが言いそうなことをのたまう女にもう我慢がならず、セーラは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。

「……あなたを行政監督庁に連行します」

「ん?」

「あなたを連、行、します!!」

 セーラはもはや憤懣やるかたなく、女の細い肩に掴みかかった。さすがに焦った彼女が両手をホールドアップし、

「うわ待って! 暴力は……」

「あなた絶対こんなところにいていい人じゃないでしょ!? どう考えても怪しい!! 監督庁で名前も正体もあらいざらい吐いてもらいますからねッッ!!」

 剣さえあれば向かうところ敵無し、これくらいの仕事ひとりでやり遂げて大手を振って帰るつもりだったのに、この女には剣を抜くことすら阻まれた上に口でも勝てないなんて異常事態だ。やっぱりこの女にはなにかとんでもない正体があるに違いない。それにここまでコケにされたんだ、アイオンとイースレイに理詰めでボコボコに言い負かされるこの女を見ないことには腹の虫が治まらない。

 息巻くセーラに、ベールの女は掴みかかられたまま苦笑する。

「……オーケー、行政監督庁が介入するならここももう大丈夫だろうしね。君が連れてってくれるなら願ったり叶ったりだよ」



 宣言通り、セーラはベールの女を伴ってマリオネット馬車を飛ばした。

 どういう経歴なのか女は南部王領地の景色を見慣れているようで、セーラがあれこれ窓外を指さしてガイドしてやっても余裕の表情だった。なんなんだよもう。

 その態度はついに行政監督庁の門前に立っても変わらず、春めいてきた青空の下で黒いローブを風になびかせている。

「わ~これこれ、庁舎はこれくらいボロくなくちゃ! なつかしー!」

「失礼なっ、アットホームと言いなさ……って前にも来たことあるんですか?」

 バカめ口を滑らせるとは油断したな。

 セーラはすかさずそこを突っつくが、セーラの指摘にベールの女は期待したような動揺を見せてはくれなかった。

「そんないちいち追及しなくてももうすぐドカンとネタばらしが来るからさ、安心してよセーラ」

「ネタばらしぃ?」

 セーラは思い切り馬鹿にした顔と声音を作り、

「はっ、道中私の尋問をはぐらかし続けた女がなーにを今さらバラしてくれるんでしょうかね。せいぜい楽しみにしてますよ」

 あぁもう一刻も早くこの女をアイオンたちに押しつけてしまいたい。おふたりにかかればそんな風にふざける余裕もなくなるに決まってるんだからね、覚悟しとけよ……。


「セーラ・エトランジェ、ただいま戻りました!」

「あっ! セーラ、おかえり!」

 玄関の掃き掃除をしていたオリバーにまず遭遇すると、彼は「良かった……怪我とかはないみたいだね」とセーラが無事に戻ったことにほっと胸をなで下ろした。セーラはふふんと顎をそびやかし、

「当たり前でしょう。オリバーも毎回毎回そんな全力で心配したり全力で安心してくれなくていいんですけど?」

「なに恐ろしいこと言ってるの……僕すらそうしなくなるのは君が行き着くとこまで行ってしまったときだよ」

「え? 意味分かんない」

 きょとんとするセーラにオリバーは「うん、そうだよね」と謎の度量の広さを感じさせる微笑みを向け、それからセーラの斜め後ろに追従しているベールの女を怪訝そうに見た。

「……そちらの方は?」

 セーラはむっつりと唇を尖らせ、

「あぁこれ? 仕事先で見つけた不審者」

「……不審者?」

「貧民街にのさばってて仕事の邪魔になりそうだったし、妙なことばっかり知ってるんだ。絶対ただの平民じゃない。背後関係を洗ったらアルトベリみたいにヤバイ秘密が出てくると思う」

 顎で示すと、ベールの女はよく回る口を笑みの形につぐんだまま控えめにぺこりと頭を下げる。声すら出さないってなんだその殊勝な態度?

 オリバーとの対応の差が引っかかったが鬱憤晴らしが待ちきれず、セーラは不可解そうな彼をよそに「とにかく殿下のとこに連れてくね」と女の肩を押しながら歩き出した。

 お世辞にも設備が充実しているとは言えない南部行政監督庁は、アイオンの書斎が執務室を兼ねている。

「……あの子、オリバーっていうんだね」

 オリバーから離れたとたん女はまた元通り喋るようになった。まさか人見知りってことはないだろうになんなんだ。

「それがなにか? これからウチのトップの第二王子殿下と事務官に会ってもらいますけど、逃げだそうなんて考えないでくださいよ」

「そんなことしないよ~」

 廊下を進んでいくと、前方にイースレイの姿を見つけた。水差しの水を入れ替えてきたようだ。

「イースレイさん!」

 セーラの声に気づき、イースレイがこちらを振り返る。と同時に一瞬遠い目になり、直後しかめっ面になった。

「ただいま戻りました」

「挨拶してる場合か? 誰だその女性は。君を採用係に任命した覚えはないぞ」

 セーラだってそんなつもりは毛頭ない。さっきオリバーに話した内容にもう少し肉付けして説明すれば、彼はこめかみを押さえながら溜め息をつく。

「……そうか分かった……いや実際ちっとも分からないが。部下を持つとこういうこともあるんだな」

「なんですか?」

「お説教は後だ。まぁ、もう連れてきてしまったものは仕方ない……」

 イースレイが言いながらすっと視線を動かし、ベールの女を無遠慮なくらいにじろじろと見るので、セーラはあれっと目を丸くした。観察にせよ尋問にせよ、形式的でも礼儀を尽くそうとする融通の利かないイースレイがこんな行動をするのを初めて見た。やっぱり彼の目から見てもこの女は怪しいってことなんだろうか。

 セーラがいち早くイースレイがこの女の奇妙さにメスを入れてくれるかもと期待に満ちた目で見守っていると、彼はつくづくと女を観察した後、咀嚼しきれない情報を持て余すように首をひねっていき、

「………………君は……」

 お、もしかして心当たりでもあった?

 ますますセーラの期待が高まる。

 ベールの女はほんの少し微笑みながら黙ってイースレイの射るような視線を受け止めている。こんなに間近で役人に睨まれて動転しない平民がいてたまるか。なんてふてぶてしさだ。

 女はそっと口を開き、

「い」


 と語頭を発声した瞬間だった。

 バンッ! と書斎の扉が内側から開き、中からアイオンが現れたのだ。

 ただごとではない超反応にセーラは「えっ?」とたじろぐ。イースレイだけがはっとなにかを察したように目を瞠り、真っ向から向かい合っているアイオンとベールの女を交互に見た。

 この場を埋め立てるような重たい沈黙。

 それをものともせず、女が自分のベールに手を掛けて、取り去った。

 セーラの周囲で息を呑む音が重なる。これまで膨らませていた想像とは似ても似つかない花顔が、バツの悪いのを誤魔化すようにえへっと笑い、

「なんか生き返らされちゃった~! 大魔女の蘇生なんかやらかした犯人を野放しにしとけないからさ、捜すの協力してくんない!?」


 ……………………だいまじょ??


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