任務の同行者
蝋燭を灯した自室でセルビアは本を開いた。
既に日は落ちて空には星が瞬いているが、明かりの下で文字を目で辿っているセルビアは至極真剣な顔だ。
寛いだ格好だが、傍らには鞘に収めた刀を立て掛けている。
静かな部屋には時たま紙を捲る音以外は何も響かない。
分厚い本を読んでいたセルビアがゆっくりと顔を上げた。そして、視線を窓の方へと向ける。
「止めておいたほうがいいと思いますが。自分の命が大切ならね」
唐突に呟かれた言葉。独り言ではなく、誰かに対して明確に放たれた言葉だ。
セルビアは微動だにせず、椅子に座ったまま外を見ている。
椅子の背に体を預け右手には本を持ち、左手は机の上に置く。なんのことはない、読書の体勢だ。
しかしその姿には一分の隙も無い。
セルビアはそれだけ言うと読書を再開した。
先程までと同じく、本に意識を集中させている。
何十分か経った後、セルビアは蝋燭の明かりを消して寝台に潜り込む。
そして、すぐに眠りの世界へと落ちていった。
「と、いうことがありまして」
朝一番に王の執務室におしかけてきたセルビアは、昨晩の夜のことを事細かに報告した。
つまり何者かがセルビアの部屋を監視していたということを。
「殺意は感じなかったので、様子見だとは思いますが、一応ご報告しておこうかと」
王はそれを聞いて頭を抱えた。
部屋の中には二人しかおらず、本来なら控えているはずの侍従達は、王によって外へと追い出されている。
セルビアが現れた時の侍従達の驚きは並み大抵のものではなかった。
手に持った物を落とすわ、無意識に後退りするわとあわや大惨事となる所だったのだ。
セルビア自身には愛人の意識が薄いので、正しく現状を認識していた王が全員を下がらせた。
「あのな、セルビア。お前はもう少し危機感を持った方がいいぞ」
「そう言われましても、あのぐらいの気配の殺し方であれば、熟睡していても気付けますし…」
と、本人はさっぱり危険視していない。
夜に誰かが部屋を窺っていたということは、今の状況を鑑みても、かなり危険な兆候だ。
「あれはそういうことを生業にしている者だと思います。見抜かれて、すぐに去っていきましたから、引き際は弁えていましたね」
王もこれにはため息をつくしかなかった。
セルビアには怯えた様子など微塵もない。むしろ、面白そうに笑っているだけだ。
「これなら、魔獣に囲まれた時の方が10倍危険でしたし、今更です」
比べている状況が色々と規格外なことに王は気付いたが、それについては聞かなかったことにした。
「それで陛下にご提案が」
「ん?なんだ?」
にやりと笑ったセルビアは、小声でその提案の内容を王に告げた。
それを聞いた王も、セルビアと同じような表情で笑った。
「なるほど、それは面白そうだな」
「でしょう?」
どうも悪だくみのような雰囲気だが、二人の表情は無邪気なそのものだ。悪戯の相談をする子供とでも言うべきだろう。
「分かった、協力しよう。すぐに任命書を書かなければな」
「はい。よろしくお願いします」
それだけ言うと、セルビアは深く頭を下げて部屋から退出した。
それを見送った王はすぐさま白紙の紙を取り出し、何かを書きつけていく。
最後に署名をし、丸めて封をすると侍従を呼んでそれを手渡した。
「これを3番隊隊長執務室へ。重要な書類なので、ヴァイツに確実に渡すようにな」
命を受けた侍従が退出する。
それを見送る王は楽しそうに笑って、小さな声で呟いた。
「すまんな、ヴァイツ」
これを当の本人であるヴァイツが聞いたらふざけるな、と怒鳴りつけていたかもしれない。
微笑む王の呟きを聞いた年嵩の侍従は、3番隊隊長の苦労を思わずにはいられなかった。
アルフレッド・デバイ・ライトワイツは有能で賢明な王だ。
しかし、そんな王にも一つだけ欠点がある。
それは『臣下に対して冗談のような無茶振りをすることがある』という点だった。
それを受け取り、封を切ったヴァイツの表情が文字を読んでいくうちに抜け落ちていく。
3番隊隊長の執務室で、王からの重要な書類ということで侍従から渡されたそれを、ヴァイツは何回も読み返して確認した。
「分かった、ご苦労」
一礼して出ていく侍従には目を向けず、ひたすら一枚の紙を睨みつけるヴァイツ。
傍に控えているクリフさえ声を出せないほどに、異様な雰囲気が部屋の中に充満する。
それを発生させているのは、紙を持ったまま動かないヴァイツだ。
「クリフ」
「はい、何か?」
「少し出てくる」
素気ない一言を残して、ヴァイツは部屋から出ていった。手にはあの紙切れを握ったままだ。
いつもならそれを止めるはずのクリフは、何も言わずに書きかけの書類を整理し始めた。
ヴァイツは元々の性格は温厚で、その度量は大きい。そのヴァイツが薄ら寒いほどの殺気を漂わせながら怒りに震えるなど、尋常では考えられないことだ。
クリフはそんなの彼の副官であり、部下でもある。
何があったかは分からないが、クリフは自らの隊長を信じて、自分の仕事を再開した。
来客など滅多にないレーナの塔の部屋にやってきたのは、悪鬼もかくやという顔をしたヴァイツ。
邪魔する者ははねのけ、扉を突き破るほどの勢いで乗り込んできた男を出迎えたのは、裁縫をしている二人の女性だった。
白い敷布に花を刺繍していたレーナは驚いて針を止め、服のほつれを直していたセルビアは平然と作業を続ける。
ヴァイツはレーナには目もくれず、縫い針を持ったセルビアに詰め寄った。
「お前…、これはどういうことだ?」
剣呑な口調に顔つきだが、それを向けられたセルビアは刺繍をしている手は止めない。そして、顔も上げずに答える。
「書かれている通りです。ちなみに私も細かい内容は知りません」
「じゃあ教えてやる。『本日づけでセルビア・ハースを3番隊特別隊員に任命する』。ご丁寧に陛下の署名入りだ」
吐き捨てて、手に持った紙を横にある机に叩きつけるヴァイツ。
セルビアは手を止めて、ヴァイツを見上げた。
「その命令にご不満がおありなようですね」
「ああ、当たり前だ」
「それなら陛下の元へ行かれた方が賢明でしょう。私にそれを取り消す権限はありません」
「…よくもまあ、そんな戯言を言えるもんだな」
「戯言ではありません。真実です」
「!これはお前の差し金だろうが!」
激昂したヴァイツがセルビアの胸ぐらを掴んで無理矢理持ち上げた。
セルビアもあえて逆らわずに、立ち上がる。
怒りに燃え盛った茶色の瞳と、氷のように冷たい銀色の瞳がぶつかった。
「そこまでです!!」
一触即発の二人を止めたのはレーナだった。
「ヴァイツ様、セルビアさんを離して下さい」
レーナの命令に従ってヴァイツは胸ぐらを掴んでいた手を放したが、眼光は鋭くなるばかりだ。
セルビアもヴァイツの言動に相当苛立っているらしく、今も腰にある刀に手をかけている。
何かあればすぐに抜き放つだろう。
「お二人ともここは室内です。暴れるのでしたら、外でお願いします」
この諍い自体を止める気はないようだ。注意している箇所もかなり的外れだが、ヴァイツとセルビアは真面目に頷いた。
「今聞きましたが、王命によってセルビアさんが特別隊員に任命された、ということでよろしいでしょうか」
「…ええ」
レーナは二人を落ち着かせると、椅子に座らせた。自らも座って事情を聞く。
「王命であれば、臣下はそれに従うのが正道というものです。しかし…!」
ヴァイツはそこで言葉を切って、セルビアを睨みつけた。セルビアも睨み返す。
視線だけで敵意を交換する二人に挟まれて、レーナはそれとわからぬようにため息をついた。
「先程から申し上げている通り、何故それを私に言いに来るのですか?抗議ならば、陛下にするというものが筋です」
「お前が陛下に働きかけたんだ!それ以外にこんな物を出す理由がどこにある!!」
怒鳴ったヴァイツに、セルビアはまったく動じない。平生と同じように冷静な眼差しでヴァイツを観察している。
「しかし、特別隊員というのはどういうものなのですか?私は不勉強ゆえ、詳しくは知らないのですが」
「簡単に言えば、任務の選り好みが出来る隊員のことです」
レーナの疑問に答えるために一旦怒りを収めたヴァイツは、特別隊員について説明した。
「元々は人員不足の時に作られた決まりです。引退した兵や腕の立つ男達の善意に頼り、任務を行ってもらう。経費だけはこちらで払いますが、ほとんど無償に近いので、今は誰も任命されていません。制度だけが残っている状況です」
「それをセルビアさんが?」
「…そういうことになります」
不承不承といった風情で言うヴァイツの顔を見つめて、セルビアは言った。
「私としても任務が選べるというのは、ありがたいです。レーナ様の護衛もありますし、あまり長い間お傍を離れる訳にはいかないので」
深読みすれば、どうとでもとれる発言だ。
元から本心を喋る気などないのだろう。どんなに問いただしても、のらりくらりと煙にまかれるのがおちだ。
「突然失礼しました。申し訳ありませんが、私はこれにて」
唐突に立ち上がったヴァイツは、レーナに向かって頭を下げた後、セルビアに向き直った。
「今日の夕方に俺の執務室に来い。見せたい物がある」
「分かりました、必ずお伺いしましょう」
その返事を聞き終わると、ヴァイツは一度も振り返らず部屋を出て行った。
「失礼します」
言われた通りに3番隊隊長の執務室を訪れたセルビアを出迎えたのは、10人以上の男達だった。
若者はおらず、一番若く見えるのは30代のヴァイツで、どう見ても60を越えている者もいる。
揃いの黒っぽい制服を着ている点から見て、3番隊の人間であることは間違いないだろうが、何故こんなに集まっているのかが分からない。
大勢の人間が集まっているせいで、部屋の中は息苦しいしく、汗臭かった。
セルビアが部屋に一歩入った時点で回れ右をしたくなったほどだ。
「よく来たな」
奥には座っているヴァイツがおり、その斜め後ろにはクリフが控えている。
他の男達は壁際に並んでいるが、その視線は険しいなんてものではない。身の危険を感じるほどだ。
セルビアは無表情でその殺気を浴びていたが、数歩歩いてヴァイツの前に立った。
ヴァイツは座っているので、自然とセルビアを見上げる形になる。
「こいつらは3番隊の千騎長だ。これからは同じ隊員同士だからな、挨拶ぐらいしておけ」
千騎長とは、3番隊の中では隊長と副隊長に次ぐ役職で、常時10人が在席する地位のはずだ。
今ここにいるのは、ヴァイツとクリフを除いて10人。千騎長全員が新しい特別隊員の顔を見に来ているらしい。
そこまで考えて、セルビアはヴァイツの台詞に言葉を返した。その言葉は周囲の予想を斜め上に裏切るものだったが。
「軍は暇なんですか?それとも千騎長っていうのは、暇な役職なんですか?」
一応、これは馬鹿にしている訳でもなければ嫌みでもない。
セルビアは純粋に疑問に思ったことを聞いただけだ。それ以外の他意はない。
ただ、聞いた状況がまずすぎただけの話である。
「ふざけてんのか、てめぇ!!」
「ふざけていません。それに煩いですから、もうちょっと声を落としてくれませんか?」
千騎長の一人が声を荒げるが、セルビアはどこに吹く風だ。
「それでヴァイツ様。なんの御用ですか?」
「あ、ああ」
ヴァイツは慌てて手元にあった紙の束をセルビアに渡した。
「特別隊員の任命書だ。こっちは近場で済むような任務の一覧になる」
「分かりました、明日には返事を出します」
それだけ言うと、風のようにセルビアは去って行った。なんとも素早い動きだ。
残されたのは、呆然となった男達だけだった。
自室でヴァイツから渡された紙束を捲るセルビアは、20枚以上あるそれを読み終えて、机の上にまとめて放った。
どれもこれも似たり寄ったりな内容だ。
ただ一つ気になることがあるとすればこれだけ、と心中で呟きながら、セルビアは一枚の紙を束から抜き取った。
それはダレバから馬の足で一日の距離にある森に魔獣が出没するという報告だった。
問題なのはその魔獣だった。
吸血蝙蝠というのが、その魔獣の名だ。空を飛び、牙で人の血を吸う魔獣。
魔獣としては最弱の部類に属し、名持ちだったセルビアからすれば、雑魚と言い切ってもいい類だ。
その吸血蝙蝠が活発化しているという報告に、セルビアは首をひねった。
吸血蝙蝠は弱い。言い換えれば、臆病な魔獣だ。
人が油断している隙をついて、首に牙を突き立て血を吸う。蝙蝠の唾液には麻酔効果があり、人は痛みに気付かず反応が遅れる。その間に逃げるのが、吸血蝙蝠のやり方だ。
その為死者が出ることなどほとんどないはずなのだが、この報告書に寄れば、すでに何人かの犠牲者が出ている。
なによりセルビアの勘が大きな警鐘を鳴らしていた。旅をする内に磨かれたセルビアの勘は、この違和感は危険だと言っている。
「ふーん…」
組んでいた腕を解いたセルビアは一人で頷いた。
「で、なんであなたがここにいるんですか?」
まだ朝日も昇らない時刻に城門の前まで馬の手綱を引いてきたセルビアが出会ったのは、3番隊隊長ヴァイツ・ダミヤだった。
こちらもセルビアと同じで馬を引き、旅支度を整えている。
「俺もこの任務は気にかかってたんでね。お前の監視もしなきゃいけねえからな」
「監視、ですか。仕事はいかがされたんです?」
「ある程度は終わらせてきた」
山積みの書類を机の上に残したままで、ある程度とは言わない気がする。
机の上に残された『ちょっと気になるから出る。残りはよろしく』という書き置きをクリフが見たら、怒りのあまり卒倒しそうだ。
王に休暇届けを出しているところを見ると、中々用意周到だが。
セルビアは肩をすくめたが、そのまま馬に乗った。ほとんど同時にヴァイツも馬に乗る。
「じゃ、よろしくお願いします。早めに終わらせて帰りたいので」
それだけ言うと、セルビアは馬を走らせた。ヴァイツも少し遅れて、それに続く。
二人の姿はすぐに遠ざかっていった。




