偶像
寝所の長椅子に座っている王の口から大きなため息がこぼれた。
「お疲れですか?」
その場にいたのは『王の愛人』であるセルビアだけだ。
王は盤上の駒を一つ動かしながら、答えた。
「レーナの考えは分からなくもないが、それではお前に迷惑がかかるだろう」
「むしろ、私は面白いお役目だと思いますけどね」
そう言って、セルビアも駒を一つ動かす。
二人が行っているのは遊戯の一種で、駒を動かして盤上の陣地を取り合うというものだ。
今のところは一進一退だが、二人とも駒の動きよりも会話の方に意識を集中させているので、進みが遅い。
「レーナ様にはつくづく驚かされます。人を見抜く目をお持ちのようで、少々恐ろしい方ですが」
「あの子は昔からそうだ。年を重ねるごとに成長していく」
「本当に残念です。あの方が王子であったなら、ドイット・イジェとかという輩も、馬鹿なことは考えなかったでしょうに」
「ああ、私の不肖の甥だ。あれには私も頭を痛めている」
レーナとよく似た苦笑を浮かべた王は言葉を続けた。
「ドイットは自らが王族だと思っているのだ。自分にも王座に座る資格がある、とな」
「思いあがるのも大概にしろ、と言いたくなりますね」
吐き捨てたセルビアは、盃に手を伸ばす。
「あれは私の妹の影響だろう」
「妹とおしゃっると、ドイット様の母の方ですか?」
「イレーヌだ、イレーヌ・エデス・ライトワイツ。あの者は自らが降嫁したことが気に食わなかったようでな。イジェ家に嫁いだ後も、自分は王族だと言い張っている」
「親子揃って傍迷惑ですね」
傍迷惑の一言で済ませられるようなものでもないが、セルビアにはそうとしか感じられないらしい。
「そのイレーヌ様は、周りの状況を理解なさろうとはしていないようですね。昔に固執して現実を見ようとしない。既に臣下の立場であるというのに」
妹を批判されても、王は何も言わずに盤上を見つめている。むしろ、痛快なセルビアの言葉を面白がっているようだ。
「ふむ…イレーヌは私を嫌っているからな。それもあるのだろう」
あまつさえそんな感想を漏らしている。
「私には馬鹿にしか思えませんけどね。20年以上前のことにしがみついて、何が楽しいんだか」
率直に言い切ったセルビアは駒を進めて、王の駒の一つをとった。今や盤上ではセルビアが優勢だ。
「レーナとの婚姻は認める気はないとさんざん言ったが、一向に諦める気配がない。その内、本人に何かを仕掛けてくるかもしれん」
「腐っても二大公爵家の一つですからね。厄介なことです」
それに対処するのが、セルビアの仕事でもある。
「退屈はしないですみそうですね」
と、本人はいたってのん気に呟いているが、常人にはまず無理な仕事だ。
しかし、セルビアは百戦錬磨の名持ちでもある。これしきのことで参るなどありえない。
「あちゃー、そうきましたか」
セルビアがそう呻いて盤上を睨みつけた。
「これも一種の奇策だな」
対して王は自慢げに笑っている。
遊戯で負けそうになった王が繰り出したのは、駒を犠牲にして無理矢理引き分けに持ち込むという奇策だった。これでは王もセルビアも駒を動かせない。
「大人げないですよ」
「私は勝負事には手を抜かないことにしているのでな」
案外負けず嫌いの王は上機嫌だが、セルビアは悔しげに唇を歪ませて言った。
「次は絶対に勝ちます」
そう宣言したセルビアを王は優しく見つめていた。その眼差しは後悔と懐かしさが入り混じり、しかし、どこか温かい。
「レーナもそうだが、お前も身の周りには注意した方がいいだろう」
「その点はご心配なく。なにを仕掛けてこようと私は大丈夫ですよ」
自分の身を守れるだけの才覚が、セルビアには備わっているのだ。それでこその名持ちである。
「私は私の仕事をするだけです」
それだけ言うと、セルビアは昨日と同じように窓枠に足をのせた。
「また何かあったらご連絡します。その時は絶対勝ちますからね」
「ああ、楽しみにしている」
会話を終わらせたセルビアは、空中へと跳び出した。
セルビアが王女の侍女となって3日目の朝。
いつものように塔へ向かおうとしたセルビアに、後ろから声がかけられた。お世辞にも友好的とは言い難い口調だったが。
振り返れば、そこにいたのは2番隊の制服を身に付けた三人組の男達。
よくよく観察すれば、昨日ドイット・イジェにくっついていた輩だ。
「なにか御用でしょうか?」
とことん冷え切った口調と視線。早く終わらせてくれとでも言いたげな目つきで、前に立つ三人を睨むセルビア。
「き、貴様は王の愛人だそうだな」
口ごもりながら、そう言う男にセルビアは、いい加減に答える。
「親しくお付き合いさせていただいております。それがなにか?」
上手くぼかした言い方だが、男達はそんなセルビアに向かって言い放った。
「貴様のような下賤な女が、陛下に近づくなど恐れ多いぞ!」
「まったくだ。恥をかかぬうちに城から去れ!」
「…」
セルビアはそれには答えず、三人に背を向けた。
「お前!まだ話は終わっていないぞ!!」
「こちらは終わりました」
地位や権力などに縛られていては、旅人など出来やしない。
しかし、男達は自分たちが無視されたことが気に食わないのか、わざわざ歩き去っていくセルビアを取り囲んだ。
「…なんのまねですか、これは?」
軽蔑の目で見られた三人の顔が怒りで赤くなった。男たちに囲まれても、セルビアは怯むどころか、今にも刀を抜きかねないほどの殺気で周りを圧する。
「邪魔です、退きなさい」
これに男の一人が我慢ならなくなったのか、セルビアに掴みかかった。
この場をヴァイツやレーナが見ていたら、無謀すぎるこの行動を止めただろう。もしくはこの男共の愚かさを笑ったかもしれない。
軍人といえど、貴族の地位にぬくぬく居座っていた者に、一癖も二癖もある旅団の中で流れ星とまで言われたセルビアが負けるはずなどないのだから。
セルビアの胸ぐらを掴もうと伸ばされた腕は、空しく空ぶった。
半歩動いただけでその腕をかわしたセルビアは、何気なく拳を作った手で男の鳩尾を殴りつける。女の力とは思えないほどの力で急所を打たれて、男は崩れ落ちた。
セルビアは引き戻した腕で、後ろにいた者の腹に勢いよく肘鉄を喰らわせる。
結果は言わぬが花だろう。
その間僅か3秒足らず。
残った男は何が起こったのか分かっていないのか呆然としていたが、セルビアの一瞥で慌てて壁際まで下がった。よく見れば足は震え、目は恐怖で涙目だ。
セルビアの攻撃をもろに受けた二人は倒れ伏して、当分起き上がる気配がない。
足元で呻いている二人を放置して、セルビアは足早にその場を去った。
塔の一室にセルビアが入ってきたのは、それからすぐのことだ。
既に起きて着替えているレーナに向かって、セルビアは一礼した。
「遅くなりました、レーナ様」
「いえ、時間ぴったりですよ」
いつものように用意されているお茶に口をつけたセルビアは、レーナについさっきの出来事を報告した。
殴りかかられたので返り討ちしたと言えば、レーナはころころと笑う。
「女の方に返り討ちにされるなど、あの方々にとって恥としか受け取れないでしょうね」
「それほど恥に思う必要はないとかと思います。私は名持ちですから」
しかし、レーナは首を振って、嘆かわしそうに言う。
「きっとそうはお考えにはならないでしょう。あの方々にとって重要なのは『名持ち』ではなく『女』という部分なのですから」
そう言われたセルビアは考え込んだ。
女である自分に負けたことを恥と思うのは男として当然だろう。なにせ体の作り自体が違うのだ。
しかし、名持ちという武に秀でた自分に負けたことを恥と思うのはどうしてだろうか。
旅団の名持ちは天才と同義だ。経験も技も見た目からでは推し量れない強さを持つ者でもある。
それに負けて恥という理屈が分からない。
熟考するセルビアにレーナは言葉をかける。
「貴女が倒した方々は貴女が『女』であることに固執しているのですよ。女だからか弱く、何をしても抵抗するはずがないと思い込んでいるのです」
この言葉にセルビアは唖然とすると同時にどこか納得した。
あの3人に声をかけられた時に感じた侮りと蔑みは、その考えからきていたのだ。
「旅団の名持ちである前に女であることで私の力を侮った、ということですか」
レーナはそれに無言で頷いた。
「それはこの城にも共通しています。外見で判断し、仮面の下で馬鹿にしあいながら、美辞麗句で褒め称える。ここはそういう場所です。美麗城などと呼ばれていても、中は魑魅魍魎で溢れかえっている」
レーナは窓に視線を向けた。
部屋の大きな窓からは、城下町と城のあちこちが見える。
レーナの美貌が憂鬱の色に染まるが、その美しい顔は色褪せることはない。
「私はそこから16の時に逃げ出しました。肉親で争うなどあってはならないことですから」
それは3年前にこの塔へと移ってきた時のことだろう。
「・・・これを飲み終わったら、私の弟のところへ行きましょうか。セルビアさんはまだお会いになっていないでしょうし」
暗い空気を払拭するかのように提案したレーナは、茶器を卓上に置いた。
セルビアがレーナに連れてこられたのは、城の比較的奥にあたる部屋だ。
扉を叩くと中から入室の許可が返ってくる。
ちなみに今のレーナの服装は昨日と違い、侍女のような地味な女装だ。これがレーナにとっての普段着だと聞いたセルビアは頭を抱えた。
この侍女のような服ではレーナが部屋着として纏っている服の方が何倍も高価なはずだからだ。
レーナにしてみれば、部屋の外に出る際に目立たないことが第一条件なので、こうなってしまったのも仕方ないと言えば仕方ないが、セルビアから見れば、その地味な服装も『国一番の美女』を際立たせるものにしか感じられない。
こうなれば顔を隠した方が手っ取り早いが、それをすれば不審者である。
結果、男装よりも目立ってしまうというおかしな状況に陥ってしまった。
閑話休題。
レーナが扉を開けた。本来ならこれはセルビアの役目だが、どうもレーナにセルビアが侍女であるという意識はないらしい。自然に部屋の中に入っていく。
セルビアもいつものようにその後ろについていくだけだ。
部屋の中には、二人の侍従と机に向かって書き物をする男が一人いた。
豪華な調度で整えられた部屋だが、机の上は書類で埋め尽くされている。
机に向かっていた男は、こちらを見ると声を上げた。
「姉上!」
男は書き物を放り出して立ち上がり、レーナに近づいてくる。
レーナは笑みを浮かべてそれに答えた。
「元気そうですね、シーカー」
セルビアはレーナの後ろで王子を観察した。
王とよく似ている。まるで王自身が若返ったかと思うほどだ。
まだ16歳のはずだが体は大きく、背も高い。
整った顔立ちをしており、後2、3年もすれば、男ぶりも更に増すだろう。
「はい!姉上もお元気そうでなによりです」
レーナは顔を綻ばせたが、すぐに用件を切り出した。
「ご紹介します、こちらはセルビア・ハースさん。今は私の護衛兼侍女をなさっていますが、つい最近までは旅団の方でした」
紹介されたセルビアは丁寧に一礼する。
「お会いできて光栄です。シーカー・ノエン・ライトワイツ殿下」
シーカーは一瞬顔を曇らせたが、すぐに先程までの表情を取り戻した。しかし、どこか固く強張っている口調で返す。
「そうか、貴女が…」
「ええ、とても優秀な方なのです。シーカーにも紹介しておこうかと思いまして」
相変わらずの美しい笑顔でそう言ったレーナは言葉を続けた。
「父上とも懇意になされている方なのです。失礼があってはいけませんよ」
あ、その愛人設定は王子の前でも続けるんですね。
すっかり忘れていたセルビアは、内心で手を打った。
対して王子と言えば、複雑な表情でセルビアを眺めている。
どうもこの王子はレーナとは違い、健やかに育っているようだ。目がとても素直で、心が読み易い。
父親の愛人にどう接していいか分からないのだろう。迷いや不安が見て取れる。
また、セルビアに対しては不信感を抱き、あまり好感はないようだ。
そして、どこか非難めいた視線でレーナを見ている。
一瞬でそこまで感じ取ったセルビアは、レーナの芝居に付き合うことにした。
「レーナ様、私など王に情けをかけていただいている身です。懇意などとんでもありません」
「何をおっしゃっているのですか。父上は貴女を頼りにしています。だからこそ、貴女を私の侍女になさったのではありませんか」
ここでセルビアは困惑した表情の中にちらりと喜色を浮かべる。
レーナと息の合った即興の芝居を見せたセルビアは、駄目押しに頬を染めて恥ずかしがってみせた。
完璧な演技だ。
これにはシーカーの顔も奇妙に歪む。
ここまでレーナとセルビアが言っていることに嘘はない。
わざと誤解するように抑揚や表情を作っているだけだ。
「?どうしたのですか?シーカー」
お前が聞くなと言いたいところだが、それを言う者はここにはいない。
唯一セルビアは突っ込めるだろうが、その本人がレーナに協力中だ。
「い、いえ、なんでもありません」
「そうですか。しかし、無理はいけませんよ」
弟を心配する姉の見本のような姿だが、その弟を追い詰めているのは、当の本人であるレーナだ。
「セルビアさんの紹介も終わりましたし、私達はもう行きましょう。それでは」
「あ、姉上」
呼び止めようとするシーカーの声を振り切って、レーナとセルビアは部屋を出た。
「何故、あんなことをする必要があったのですか?」
図書室で卓を挟んで向かい合わせに座るレーナとセルビア。
セルビアの顔は固く、レーナはいつもの微笑を浮かべている。
「少々からかってみただけです」
セルビアは卓の上に突っ伏した。あまりの理由に脱力してしまったのだ。
王子には災難というほかない。
「というのは冗談です。シーカーにはいい加減父上の後を追うのは止めて欲しいので、ああしたのです」
それを聞いて、セルビアは顔を上げた。
「あの子は父上を尊敬しています。それが悪いとは言いません。しかし、妄信するのはいただけないのですよ」
真剣な表情で姿勢を正したセルビアに、レーナは弱々しい笑みを見せた。
「父上はとてもお強い方です。しかし、同時に一人の人間でもあることをあの子は忘れているのです」
それはある意味厄介だ。
セルビアは何かに縋ったことはない。しかし、縋った者は見たことはある。
まだセルビアがかけだしの旅人だった頃、一人の魔術師に出会ったことがあった。自分の才を過信していたその男は自分に勝てる者などいない、と常々そう言っていた。
しかし魔獣に食われて死んだ。それは油断ゆえのありがちな失敗でもあった。
きっと男は自らの才に溺れ、そして縋ったのだ。
「陛下が愛人を作ることが、王子殿下にとっては、理想が壊れるほどの打撃になると?」
「ええ、あの子にとって、父上は亡き母上に操を立てている高潔な人ですから」
それを分かっていながら、セルビアをシーカーに会わせるとはなんとも大胆な振る舞いである。
(この人の頭の中はさっぱり分からない)
セルビアは穏やかに笑っているレーナの瞳を見つめた。
やはり何を考えているのかは読めない。それほどに感情を映さない目。
凪いだ水面のような瞳を見ていたセルビアにある考えが浮かんだ。
レーナ・マリア・ライトワイツは清らかで慈悲深い聖女だ。
しかしその一方で狡賢く意地汚い悪女でもある。
そんな答えに行き着いたセルビアは、浮かんでくる冷や汗を止められなかった。
まるで得体の知れない魔獣と向き合っているかのような気すらする。
セルビアはそれと分からぬように唾を飲み込み、立ち上がった。
「レーナ様、申し訳ありませんが、本を見繕ってもよろしいでしょうか?借りたい物などもありますし」
「どうぞ。私はここで休んでいますので、お好きにご覧になって下さい」
セルビアは一礼して、その場から離れた。
そのまま遠くにある本棚の陰まで行くと、大きく息を吐く。
あれは危険人物だ。他の貴族や軍人より危険であり、厄介な存在。
それがあのレーナ・マリア・ライトワイツだ。
やはり一定の距離は保たなければいけない。そうでもしなけば、自分の秘密に勘付かれる。
セルビアは本棚に背中を預けて体の力を抜いた。
目を閉じて、集中力を高めていく。ここは一種の戦場だということを忘れてはならない。
まったく分野は違うが、セルビアとて玄人の人間である。
次に目を開けた時には、セルビアの顔はいつもの冷静さを漂わせた顔つきになっていた。




