124 - くらっとするような日常へ
後日談。
というには、ちょっと近すぎるけど。
結局、学校に復学できたのは四月の二十八日だった。
改めて新しい制服に身を包み、鞄を抱えて、『いつも通り』に洋輔と登校。
実に二十日間ほどスタート地点が遅れてはいたし、失踪していた、しかも事件に巻き込まれていたという性質上、クラスの皆からは割と孤立気味。
孤立というかなんというか。僕と洋輔同じクラスだから独立? なんか違うな。
要するに、僕と洋輔という別の意味での『問題児』に、どう対応していいのかわからない――というのが、クラスメイトや先生たちの考えだったようだ。
そしてそれは僕たちの方も同じで、いやまあ、実際中学校に登校したのは今日が初めてのようなものだったし勝手がわからない。
ちなみにこの日、臨時の全校集会が開かれたのは言うまでもなく、僕たちのせいである。悪いことをしたような、でも別に僕たちが悪いわけでもないような。
で、今日の授業は総合、英語、国語、体育、給食を挟んで数学、倫理であることが判明。教科書とかどうなってるの?
と思ったら、最初の総合の授業の時間に、担任の先生が僕と洋輔の分の配布物を持ってきて、そしてロッカーの使い方とかも改めて説明をしてくれた。ありがたいことだ。
で、その総合の時間は改めてクラスで自己紹介することに。
名前順だったので当然洋輔からだったんだけど、
「鶴来洋輔です。好きなことは、なんだろう。……日常とか?」
それを言うのはダメだと思う。僕と洋輔が言うとシャレにならないぞ。
「渡来佳苗です。好きなことは、猫とか研究とか。ちょっと遅れましたけど、これからよろしく!」
「あ、俺も。よろしく!」
とまあ、そんなあとは質問コーナー。といっても『空白の時間』に何があったのかの質問はダメ、と先生があらかじめ釘をさしたのは僕たちに対する配慮だと思うのだけど、まあ、そんなのを十二歳児、生徒によってはもう十三歳の子もいるかもしれないけど、そんな多感のお年頃の子たちが守り切れるわけもなく、誰かが僕たちのけがについて質問をしたかと思ったらどんどん根掘り葉掘りといったありさまだった。『覚えてない』としか答えられなかったけど……。
で、その後自分の席に戻って、周囲の子たちにけがを指さされて「痛くない?」とかストレートに聞かれたりもしたけど、「そりゃ痛いよ」と答えつつ曖昧に、まあ、適当に流し。
その日の授業はどんどん進む。英語とかね、もうぜんっぜんわかんない。何言ってるのかわからないし。二十日のハンデってでかいな。
国語はまだましだ。読めない字が時々あるけどそのくらい。
体育は残念ながら見学。というか時間割を知らなかったので体育着なんて持ってきていないし、持ってきていたところで今日はやっぱり見学になっただろう。
給食は、なんというか、おいしかった。とても。
あっちの食堂にはかなわないし、自分で献立を選べるわけでもないから不自由な感じはどうしても残るけど、やっぱり慣れ親しんだ味というのは安心する。
で、給食の時間、この学校では班ごとに机をくっつけて島を作るのだけれど、そこでちょっと雑談をしたり。
この二十日間で学校では何があったのか……とか、そのあたりはどのみち誰かに聞かなければならない。
そこで判明したのは、最初のころは『僕たちが事件に巻き込まれて失踪したらしい』という全校集会や、メディアの人たちによる突撃インタビュー、その他諸々。ちなみに二週間ほどは登校班が組まれたんだけど、今はもう解消されているんだとか。
少し過ぎるとメディアは大分おとなしくなって、学業自体は普通に進んだのだけど、どこか浮ついた感じはしていたそうだ。生徒がそう感じるということは、実際に浮ついてたのは先生の方だな。色々と対応に追われていたのだろう。安全対策とか……。
給食の時間のあとは掃除の時間。僕の班は廊下掃除、洋輔の班は教室内掃除。
教室内の掃除は二つの班が合同で、廊下は一つの班。他にも特別室の掃除とかに分散する形だ。
廊下の掃除それ自体はそこまで難しいものではない。掃き掃除に拭き掃除、いつもやっていたことをいつも通りにやればいい。
ましてや、いつもは僕や洋輔が二人でとか、一人でやってきたことなので、班単位でやると早い早い。
掃除が終わると先生にチェックしてもらって、オッケーが出るとお昼休み。
お昼休みは晴れていれば校庭、雨の日は体育館で遊んで良い、そうだ。
他にも図書室で過ごすのも教室でぼーっとしてるのも基本的には自由。ということだったので、お昼休み中に僕は洋輔と一緒に、クラスメイト数人にお願いして学校内を軽く案内してもらった。
この段階になるとすでにクラスメイト達も僕たちに対して距離がだいぶ狭まっている。狭まったと言ってもまだ距離はあるけど。
あっというまに昼休みは終わり、午後の授業。
数学はとても簡単だった。ぶっちゃけるとあっちで受けていた授業のほうが数段やっていることは先だ。ただ、ちょっと記号の使い方とかが違うから、そのあたりは覚えていかないとダメかな……。
倫理の授業は、まあ、道徳の授業のようなもので、難しいとか簡単とか、そういう類の話ではない。
最後に帰りのホームルーム。
改めて担任の先生から『気をつけて帰るように』と念を押されたりもしつつ、僕たちは帰路についた。
途中、例の野良猫を探しては見たけど残念ながら見つからず。まあ見つけたところで今日ははさみを持ち歩いていないから困ったのだが。
何事もなく無事に帰宅、「ただいま」と言えることに感謝をしつつ、そしてそれを迎えてくれるお母さんにも感謝をしつつ、僕は自室に戻って制服を脱ぎ、普段着に着替えたところで窓から外を見る。
すると、洋輔も大体にたようなことをしていたようで、洋輔は着替えを終えると窓を開けた。それに合わせて僕も窓を開ける。
「そっちいってもいーか?」
「うん」
「うっし、っと」
やっぱり、僕と洋輔の部屋って微妙な距離があるんだけどなー。
洋輔は慣れた様子で僕の部屋に、窓から侵入。
そしてやっぱり慣れた様子で、僕のベッドに座り込んだ。
「あー。なんか日常って感じ」
「本当にね。……いろいろあったような、なかったような」
「だな。あったのかもしれないけど――覚えてない」
ということにしなければいけない。
ただまあ。
あの日々は。
カナエ・リバーとしての僕も。
ヨーゼフ・ミュゼとしての洋輔も。
僕たちはきっと、ずっと忘れないだろう。
…………。
いや美談とか教訓の類じゃなくて純粋に、その時の技術が使えてしまうから、なんだけども。
「洋輔さ」
「ん?」
「さっき着替えてるとき、傷見えたんだけど。やっぱり、結構全身に切り傷あったんだね」
「ああ、うん。お前もだろ」
まあ、その通り。
「見たいのか?」
「何が悲しくて幼馴染の痛々しい姿を見なければならないのだ」
「ごもっともだけど口調が変だぞ」
診断書的には全治二週間。
ただまあ、実際には来週中にはほとんど治っているだろう。
ちなみにお風呂はすでに入ってオッケー。ちょっと染みるだろうけど、清潔に保つためにもちゃんと入るようにとはお医者さんの談。
「そうだ。洋輔、なんか食べる? お菓子とか。ポテチあるよ」
「あ、食う。喰いたい」
「じゃ、サイダーでも出そうか」
「いいね」
なんて話しつつ一階に降りて、ダイニングへ。
お母さんは料理中のようだ。
「あ、おじゃまします」
「あら。洋輔くん、こんにちは」
「こんにちは」
「…………。窓から入ってくるの、落ちないように気を付けてね」
「はぁい」
いやお母さん、そこは落ちないように気を付けてじゃなくて『やめてね』でいいと思うんだけど。
まあいいや。
「おやつ食べていい?」
「ええ」
「じゃ、洋輔、そっちの棚にあるの。好きなのだして」
「おう」
コップはこれでいいか。
あとは冷蔵庫からサイダーを出して、そのまま食卓に。
すでに洋輔は我が物顔で椅子に座っている――いつも通り、って感じ。
これが洋輔の言う、つまらない日常、か、と思いながらも、僕も座る。
洋輔と、視線を合わせて笑いあって、遅ればせながら始まった中学生としての生活を送ってゆく。
とても平和で、つまらない、この国の。
そんな日常に、戻っていく。
ああ、
とても、
とっても、
心地いいな。
◇
こうして、長すぎた白昼夢は過ぎ去った。
白黒昼迄夢現。
白昼夢が去った後、残るは『―黒―迄―現』。
彼らの冒険は『解らないままに何かを成して』終わり、
彼らの人生は『何のためかも解らないままに』続く。
◇
「それでは、次のニュースです。
「今年四月七日の入学式の後から行方不明になっていた中学一年生の鶴来洋輔くんと渡来佳苗くんが、二人ともに学校から百キロ以上離れた山中で四月二十日に保護されてから今日で八日が経過しています。保護された時点でこの二人は、刃物で切り付けられたかのような傷を多数負っていたものの、命に別状はありません。警察は『二人の傷には治療が施された形跡があり、健康状態も良好であったことから犯人が何らかの治療行為を行ったのではないか』とし、保護された二人から前後の事情を聴くなどして事件の調査を続けています。
「今回発見された二人が行方不明になっていた地域では八年前、当時四歳だった来栖冬華ちゃんが行方不明になっており、警察では今回の事件との関連性も考慮しつつ、捜索を強化する方針です。
[EOF]
お付き合いありがとうございました。
次話はあとがきです。