123 - づくめも終わり
四月二十日。
午前十時半。
一通りの診察を終えた僕は、僕とほぼ同時に洋輔も目覚めていていたこと、そして僕の両親と一緒に洋輔の両親もこの病院に来ていて、ほとんど同じような状況になっていたことを、お母さんから知らされた。
そして、
「ごめん、ごめんねえ、佳苗……私が、私が……」
「ううん。お母さんのせいでも、お父さんのせいでもないよ……」
とか、謝り倒してくるお母さんに対応していたり。
実際、悪いのは全部あの野良猫だ。
やっぱり今度会ったら髭を右だけ斬り落としてやろう。
大いにバランスを崩すが良い。
ちなみにお父さんは、警察の人とお話をしているらしい。
まあ、何をどう考えても僕たちは事件に巻き込まれているわけで、それについての話し合い……ってところかな。
ちなみに点滴は続行。正直大分おなかがすいているので何か食べたいのだけど、食べさせてくれる気配はなさそうだ……。
「……って、あれ? 僕、何にも覚えてない……?」
「佳苗……」
「そのことについて、少し話を聞かせてもらえるかな」
と。
僕とお母さんの会話に割り込んできたのは、見知らぬ男性二人組。
背広を着ているけど……刑事さんかな?
僕の予想はどうやら正しかったようで、身分証……もとい、警察手帳が提示された。
おお。なんかこういうのドラマで見たぞ。
そしてその後ろにお父さんの影。少しお父さんはいら立っているように見える……。
「すまないね、佳苗くん。……君たちを浚った人について、少し話を聞きたいんだ」
まあ、そうだよな。
「……ごめんなさい、僕、本当になにも覚えてない……です。あ、でも」
「でも?」
「最初に、洋輔が切られたのか、なんなのか。それで倒れたの見て、僕も座り込んじゃって」
「ふむ」
「でも、そのあとのことはなんにも……頭が真っ白で」
「そうか……。ところで、傷はどうかな。痛いとは思うけれど」
うん、と頷く。
全部嘘はついていない――事実、洋輔が倒れたのを見てあの時の僕はへたり込んでいる。
それに、『誰に』やられたのかも覚えていない。しいてうならあの野良猫だ。
「そうか、何も覚えていないか……。いや、済まない。辛いことを思い出させてしまうかもしれないが、だが、確認をしなければならないんだ。……佳苗くん。君は、その、乱暴をされたりはしなかったかな?」
「乱暴? ……殴られるってことですか?」
「いや、えっと……もうちょっと、ひどいこととか」
「覚えてないので、なんとも……でも、特に変な感じはしない……ですよ? わからないですけど」
「そうか……」
何その質問。訳が分かんないんだけど。
「いや、済まない。佳苗くん、君も、君のお友達も、怪我は比較的『軽い』。少し傷跡が残ってしまうかもしれないが、縫う必要もなかったと聞いている。……おそらく君を浚った『誰か』が、応急処置をしたのだとは思うが、見事な対処だ。あるいは医療関係者かもしれないな……」
うん……はずれ。野良猫です。
「……退院するまでに、あと何回か、話を聞かせてもらうことになると思う。それと、退院したとも、たぶんね。……十二、いや、十三日間、よく頑張った。君は……洋輔くんも、とても強い子だね」
「…………」
「それじゃあね」
といって、刑事さんたちは去っていく。
部屋から刑事さんたちが出て行ってからようやく、お父さんが近づいてきた。
そして、僕の頭に手を乗せてくる。
露骨な子ども扱いだけど、不思議と今の僕には、嫌な気分じゃあないな。
「……おかえり、佳苗」
「ただいま。……ただいま」
帰ってきたんだな、と。
何度目かの実感をして……。
「四月二十日……か」
「そうだ。……つらかっただろう」
「よく、覚えてないけど……でも」
つらかったのかな。
カナエ・リバーとしての僕は……どうだったんだろう。
「……せっかく、買ってもらった制服。ボロボロになっちゃって」
「いいんだよ。制服なんて買えばいい。お前の命に、お前の身体に代えはないんだ」
「うん……。ありがとう」
「ああ」
お父さんとお母さんを続けて見れば。
やっぱり……ちょっと、痩せている。
「お父さん、お母さん。……ごめんね。ずっと、心配かけちゃって」
しかし……それにしても、だ。
「…………」
「何か気になるの、佳苗?」
「……外から、なんか僕とか洋輔の名前が聞こえてるような気がして。気のせい?」
「…………」
お母さんはお父さんに視線を送る――そして、お父さんは静かにカーテンに近づくと、ちらりとそこから外を見て、そしてため息をついた。
「しばらく……、生活は、騒がしいかもしれないな」
「……そっか。ごめん」
「佳苗は悪くないよ。お前が謝る必要は、どこにもない」
「……うん」
――そして二十日の午後二時過ぎ、改めて診察を受けつつ、僕は僕自身が受けた傷の説明を受けることになった。
いろいろと専門的な言葉が飛び交っていたのでよくわからなかったから、その旨を正直に伝えると、
「つまりほとんどが、切り傷。一部深いものもありましたが、すでに傷口はふさがり始めているので、手術の必要はありません。ただ、こまめに消毒して清潔に保つ必要はあるのと、少し経過を見たいこと。最後に、少し時間をおいたほうがいい……というのが、刑事さんたちの考えです」
「時間……」
「知らない大人に囲まれてパニックを起こす、かもしれない。そういうことです」
……なるほど。
状況としては確かに、僕は大人に拉致されていた……って恰好なんだろうしな。
実際は異世界に神隠しだけど……。
でもまあ、存在しない犯人なんて捕まえようがない。警察はかなり困るだろうな。
僕も洋輔も『覚えていない』と言い張るし、それは揺るがない。
となると……。
「人の噂も七十五日……か」
「ええ。七十五日間……夏休みが始まるくらいまでは、かなり、周囲が騒がしいでしょう。……とりあえず、二十四日までは入院してもらいます。それで異常が無いようならば、お家に帰れますからね」
「……はい」
「ほかに質問は?」
「……洋輔、えっと……、鶴来くん、とは、会ってもいいんですか?」
「もちろん。隣の部屋ですよ。……ただし、消灯時間と点滴の交換、それと、明日からはご飯の時間は、自分の部屋に居てください。ちなみにお手洗いはどちらのお部屋にもあるので、それを使ってくださいね」
「わかりました」
そういってお医者さんは去っていく。
ううむ。思った以上に面倒なことになってるなあ……。
で、お医者さんと入れ替わりに入ってきたのは……あ。
噂をすればなんちゃらだ。
「洋輔!」
「佳苗。よかった。どうだ、やっぱり痛むか?」
「ちょっとね。……洋輔はどう?」
「俺も、ちょっと」
そっか、と頷く。
洋輔はからからと点滴をひっぱりつつ、そのままベッドの足元に座ってきた。
勝手知ったるどうたらこうたら、というか、あっちでは同じベッドでねてたようなもんだしな。くっつけてたし。
「洋輔の両親は?」
「さっき、警察の人と話にいくって。そういう佳苗の方は?」
「ちょうど診察があって。そのとき、警察の人がきた……から、たぶん今頃は洋輔の両親と一緒かな?」
「ふむ。何日まで入院って言われた?」
「とりあえず、二十四日まで」
「俺と同じか」
あ、洋輔もか。
いや、そりゃそうだよな。傷の度合いは同じくらいだし、同じ日に保護されたのだから。
「……なあ、佳苗。ちょっと、頭こっちに」
「ん」
なんだろ。
と、身体を倒して洋輔に向けてみると、こつん、とこめかみに拳があたる。
で、例の矢印視界。
「どうだ?」
「見えてる」
「そうか」
「…………」
「…………」
僕も洋輔も、あっちで習得した技術は使えるまま、か……。
「そっちの、えっと、集中力の感覚はどうだ?」
「そういえば、まだ試してないな……えーと」
……うん。
やっぱり紙の面積のままだな。
「変わってないみたい。そっちは?」
「俺も……」
「…………」
「…………」
つまり……あっちでできたことはこっちでもできるってこと?
「……薬草とか、あったらいいんだけどね。怪我、治るし」
「そのゲーム脳をどうにかする薬はねえな」
「違いない」
茶化しあいつつも、その本質はお互いに理解している。
そう、あっちでできたことはこっちでもできる――技術的には可能だ。たぶん。
だけど、洋輔のそれは技術によって完結するけれど、僕のこれは特定のマテリアルが無ければならない。
そしてそのマテリアルの、特に重要なものにはことごとく薬草が必要だ。
こっちの世界に薬草があるか?
微妙なところだよな……。探せばあるかもしれないけど、探すって言ってもかなり大変そうだ。
「……ま、いつかは何とかなるでしょ」
「いつかはな」
「うん。むしろなんでこうなったのかとか、考えないといけないことは多い」
そうだな、と洋輔はうなずく。
報酬。それは僕たちの『死の打ち消し』、『僕たちの生の再開』だと、あの野良猫は言っていた。
が、実際にはこういう、この世界においてはおかしいことができるようになってしまっている。
何か意味があるのか。
それともそういうものなのか。
あるいは――誤ってそうなってしまったのか。
考えても考えても、結果は出そうにない。
「ちなみに。洋輔は泣いた?」
「身もふたもなく聞いてくるな、おい」
洋輔は苦笑交じりに答える。それもある意味、想定通りの反応だ。一周回って素直だなあ。
そして二十四日。
午前の診察で、傷に悪化がなかったこと――全体的に治癒に向かっていることと、縫うほどの傷もなかったことから、これ以上の外科的な治療は積極的に行う必要がない旨が伝えられ、ようするに、退院が決まった。
ちなみに入院中の食事はおかゆとかそういうものが多く、まあ、なんていうか味気ないというか。
でもとっても久々にお米が食べられて満足。おにぎり食べたい、の訴えは残念ながら却下されたけど、退院した後にいくらでも、とはお母さん。
「それでは、これからは毎週、カウンセリングは行いますが。退院、おめでとう。君たちにとってはこれからが、ある意味試練かもしれないけれど……頑張ってね」
と、お医者さん。
その言葉の真意を僕はつかみかねながら、会計を済ませる僕と洋輔の両親をロビーで眺めていた。
ちなみに洋輔はすでに僕の隣に座っている。
結局この病院で目覚めてから、取り調べというか事情聴取というか、何人かの刑事さんが訪れてはいくつかの事を聞いてきたりしたんだけど、あらかじめ口裏を合わせていた上、僕も洋輔もあっちで大概な目に遭っていたこと、そしてなにより刑事さんたちが『遠慮』してくれていたため、結構簡単にごまかせてしまった。
今後も気を付けて対応すれば、まあ、大丈夫だろう。万が一変なことを言っても、どうせ『犯人は存在しない』のだ、検挙のしよう検証のしようもない。そういう意味では、まあ、無駄働きをさせていることになるんだけど……仕方ないな。
とか考えていたら会計が終わったらしい。
僕と洋輔の両親と知らない男の人たち、あわせて八人が僕たちを取り囲んだ。あれ?
「それじゃあ、帰ろうか」
「……えっと?」
その男の人たちは誰?
という疑問に答えたのは男の人たちで、それぞれがみんなして警察手帳を取り出した。なるほど、刑事さん……?
「君たちを『家』まで送ることが、我々のお仕事です。そのためにも、二人には一つだけ、お願いがあります」
「お願い、ですか?」
「はい。いいですか。外にはメディアの人々がいます。ですから、君たちは『お辞儀』をするだけで、何も言わず、こちらで用意した車にすぐに乗ってください。その後、車を『囲われる』可能性がありますが、車の後部座席でご両親の間に座って、じっとしていてください。大声を上げられるかもしれません、シャッター音がひっきりなしに聞こえるかもしれない。それに、フラッシュもね。だけれど、君たちは少しだけ、我慢してください」
…………。
なるほど。
「わかりました」
「がんばります」
僕と洋輔の回答に、刑事さんたちはうなずいて。
そして、いざや病院の表から、僕たちは出る。
案の定――病院の正門周囲には、メディアの人たちがわんさかと。
それに向かってお辞儀をして、両親についていく形で僕と洋輔はそれぞれ車に乗り込んだ。
……なるほど。こっち側はこんな気分なのか。
四月二十四日、十六時四十二分。
僕は本当に久しぶりに――僕という意識としては、それこそ十二年ぶりくらいに感じつつも玄関をくぐり、靴を脱いで、
「ただいま」
と、やっと言えたのである。