122 - つかれた、と言うか
――すうう、と。
息を吸う――息を吐く。
身体を、風が撫でていった。じんじんと、全身が酷く傷む。
恐る恐る……目を開ける。
「…………」
「…………」
「……洋輔」
「佳苗……だよな」
僕の前には、洋輔が立っていて。
たぶん洋輔の前には……僕が立っている。
長かった。
とても、長く感じたけれど。
「終わった、のかな……」
「たぶん、な……はは、よかった。本当に……。しっかし、あれだな。こうしてみると佳苗って、やっぱり学ラン似合わねえな」
「……洋輔も大概だよ。ま、時間が経てば、慣れちゃうんだろうけどね――あっちと同じで」
「違いない」
洋輔の身体は、全身が傷だらけだった。
僕の身体も、たぶんそうだ。見てはいないけれど、ただ、痛みが伝えてくる。
「……こんなけがをしたのは、初めてだ」
「だろうな。俺もこのタイプのけがは初めてだし……回復魔法使えねえかな?」
「ストップ。使えるわけないけど、使えたらすごい困るからストップ」
「なんで」
「なんでかなあ。洋輔もあの野良猫も、なんでこう考えが浅いかなあ……」
「…………?」
事情を理解しない様子の洋輔に、軽く主旨を説明する。
まあ、こっち……地球の日本で、僕と洋輔の失踪は結構な事件となっている。
そしてその事件において、僕たちが大けがを負っていることも推測されているし、それの証拠として大量の血痕が遺されていたことも。
だからこそ、無傷で帰るわけにはいかないのだ……みたいな。
「……なるほど。でも、それを言うならあれだな。俺たち、どんな事件に巻き込まれたって説明すりゃいいと思う?」
「正直に話したところで絶対に信じてもらえないもんね……」
「だよなあ」
「……まあ、全身黒づくめの知らない人たちに斬りつけられて、ショックで洋輔が倒れた。それを見て僕は動けなくなってたんだけど、僕もショックで気を失った。そのあとのことは何も覚えていない。ふと気づいたらここにいた……って方向じゃない?」
「……なんかそれっぽい設定をすらっと思いつくな」
「アニメでよくあるシチュエーションだよ」
アニメというより漫画だろうか。
まあ、どっちでもいいけど。
「……で」
「……うん」
どうしようか、と僕は洋輔と一緒に空を見上げた。
そこには狭い星空が。星はとってもきれいで美しく、あっちの世界で見た星のように鮮やかだ。
…………。
で、星空が狭い理由は、いたって単純。ここ、森である。それも斜面の。
「ここ、日本だよな?」
「まあ、あの野良猫の言うことを信じるならばだけど」
「何県だろうな」
「都だとしても山間部だけど……」
まあ、わかるわけもなく。
やれやれ。
僕も洋輔も、そろって全身傷だらけ……もちろん学ランもズタズタだ。
ナイフか何かでやられた設定で再生成されたのかな。
で、一応手当はしてくれた……の方向なのか、傷が化膿していている様子はないけど、かさぶたはつっぱるように痛い。
あと、いくつかの傷はちょっと深いみたいだ。出血量に合わせてくれているのだろうか? ありがたいような有難迷惑のような……。
治るまでどのくらいかかるかなあこれ。
あと、学生鞄ないし。これは警察に証拠品として押収されてるからか。
「とりあえず、下山するか」
「……だね。普通は動かないで待機するべきなんだろうけど」
「今更だろ。俺たちにとっては無茶な事でも、ヨーゼフやカナエにとっては『授業でやったこと』だ」
ごもっとも。
とりあえず近くの木の枝を手折り、目の前に器を作って木の枝を投げ入れる。
ふぁん、というわけで木製だけどナイフの完……、
「…………」
「…………」
…………。
えっと。
もう一本枝を手折って、器を作って木の枝を投げ入れる。
ふぁん。うん、完成。
「洋輔。どうしよう。なんか錬金術も魔法も使えるんだけど」
「いやいやいやいや……、え? いや、そりゃねえだろいくらなんでも。だって俺もお前も魔法も錬金術も使えなかったぜ?」
「でも使えるよ?」
「……まあ、実を言えば俺も、さっきからベクトラベルの感覚があったりするんだよな」
「…………」
うん。
あれだな。
「あの野良猫。次に見つけたら髭斬り落とそう。右側だけ」
「佳苗。触らぬ神に祟りなしって言葉知ってるだろ? やめとけ。また訳のわからん世界に飛ばされるぞ」
ありえそうだ。
木製のナイフは改めて錬金術で木くずに変換してその辺に放り捨て、少し大きめの枝を二本へし折る。
傷を負った際に、それでも下山を志すならば、杖が無ければやっぱり危険だ。
ましてや周囲は星空、つまり夜。
視界もちょっと心もとない。
「じゃ、洋輔。先導よろしく」
「おう。設定、忘れんなよ」
「そっちこそね」
こうして僕たちは山の斜面を下りてゆく。
結局二十分ほどだろうか、歩いたところで狭めの道路に出ることはできたのだけれど、道路標識の類は無し。
「……どっちに行く?」
「二車線あるからな……まあ、どっかで車とすれ違うかも。どっちも大差ねえだろ」
「それもそうか」
結局洋輔は、右側を選択。ちょっと下り坂だったので、もしかしたら町か村があるかもしれない。
とはいえ……。
「っつ」
「大丈夫か?」
「……うん。靴擦れした……」
「慣れねえ靴で下山だもんな。俺もだ」
それでも弱音を吐かないあたりさすがは洋輔。
アネスティージャでも使って痛み消そうかな。いや後が面倒か。
「おぶってやろうか」
「いいよ。歩けないほどじゃないし……」
まだ、あとどのくらい歩くかもわからないし。
僕と洋輔は木の枝を杖代わりにしながらも、道路に設置された明かりを頼りに歩く。
「なんか、妙な夢を見たような気分だな……」
「夢だったらよかったんだけどね……いろいろおまけ付きで、現実みたい」
「面倒なことだ」
いや、本当に。
これからのことを考えると憂鬱だ。
「それでも、帰ってこれた」
「……うん」
まだ、実感はわかないけど。
だけど、身体はもう戻っている。
だからきっと……。
さらにしばらく、歩みを進めて。
「おい、見ろ!」
「あ……、」
街が、ある。
日本家屋って感じだ。大丈夫、うん、大丈夫。
いや冷静に考えるとそうでもないぞ。少なくとも僕たちの家がある街ではない。関東平野にこんな山無いもん。
でもまあ、とりあえず日本っぽい。街まで、道路を伝って歩く。歩く。歩く。
途中、見慣れた道路標識。ああ、日本語が書いてある。鹿注意。うん、やっぱり平野部じゃないよな。鹿いないってば。
でも……日本語だ。
よかった。
帰ってこれたんだ。
実感が……徐々に浮かんでくる。
そして、街の隅に到着して。
ふっと、全身から力が抜けた。
僕だけじゃない。洋輔もだ。
「あー……」
「体力切れって感じだな……」
「よくこれまで持ったもんだよ……はは、緊張してたおかげかな」
「だろうなー」
道路に倒れこみながらも、僕も洋輔も苦笑を漏らす。
さてと、防犯ブザーでも鳴らせばだれか出てきてくれるかな……ってブザーないし。
「だーれーかー」
「いーませーんーかー」
なんて、ちょっと大声で叫んでみる。
…………。
リアクション、無し。
日本人気質って感じがひしひしとする。
仕方ない。
「こういう時の対処法は覚えてる、洋輔」
「こっち流のってことだろ? とーぜんだ」
「そ。じゃあ、せーのでいこうか」
「オッケー」
ふう、とお互い深呼吸。
そして、せーの、で。
「火事だー!」
「火事だぁ!」
僕と洋輔の、そんな振り絞る叫び声に、周囲の明かりの消えていたいくつかの建物に明かりがついたと思ったら、近くの窓が開いた。
「火事? どこで? え?」
窓を開けたらしいおば……女性が困惑しながら周囲を見渡す。
「すみません、ちょっと、見つけてもらいたくて嘘つきました。……あの、すいませんけど、警察を呼んでくれますか」
「……嘘? こんな時間に? もう夜中の十一時なのに外をふらふらとした挙句そんな嘘ついて、まったく最近の学生……、え?」
ああ、夜中の十一時……ってことは、実質十二日目が終わる頃か。
最後の野良猫と話してたあの時も、ちょっと時間が進んでたとみるべきかな……。
「ちょ、ちょっと、あなたたち、ひどいけが……! きゅ、救急車……」
「警察を呼んでくれれば、警察が呼んでくれると思います」
「そ、そうね。わかったわ!」
女性が窓から顔を部屋に戻したのをみて、僕は洋輔と笑いあう。
状況は決して笑えないけれど、それでも、日本に戻ってきたという実感が、あの『つまらない日常』に帰ってこれたのだという気持ちがわいていたからで。
それから三分もせずに、見慣れた紺色の制服に身を包んだ男性が二人、自転車にのってやってきた。
ああ……なんともいえない、安心感。
「君たち、は……、大丈夫かい、気をしっかり。自分の名前と、年齢は言えるかい?」
「渡来佳苗。十二歳です」
「鶴来洋輔。十二歳」
「…………!」
もう一人の警察官が、無線か携帯かわからないけど、何かでどこかと連絡を取り始めた。
僕と洋輔の名前を、連呼しつつ。
「……なんだか、とても」
「疲れたな。眠ぃや」
「そう、だね……」
安心したからか、何なのか。
僕は、そして洋輔も、一緒に目を閉じる。
眠くて、とても、眠くて目を閉じて。
そして――
――目を覚ますと、ベッドの上だった。
白い天井、白いカーテン。外から差し込む朝日の光はまばゆく、ベッドの上で、僕は周囲を眺める。
ここは……病院、の病室だろうか。一人部屋だな。
棚にはテレビとか、花瓶とか。色々なものが置かれている。
時計も、カレンダーも、どこか見覚えのあるものばかり。
それと、←腕になんか妙な感覚……、なんだろうと思ってみてみたら、点滴が。
点滴の管をたどっていくと、ぽたん、ぽたんと定期的に落ちていく滴。で、さらにさかのぼると、点滴の袋。
袋には『ワタライカナエ』と書かれていて、よかった、通じているらしい。
改めてカレンダーに視線を戻す。印が正しければ、今日は二十日……。
入学式は七日だったはず。そこから十二日経過で、十九日。その翌日だから、二十日。合ってるか。
えっと……どうすればいいのかな、これ。看護師さんを呼べばいいのかな?
あ、ナースコールがある。
ぽちっと押してみる……と、
『七番……え? 七番? カナエ君。あなたは、ワタライカナエ君ですか?』
「はい。えっと……」
『すぐにお医者さんが行きますから、ちょっと待ってくださいね』
「あ、はい……」
看護師さんは何も言わせてくれなかった。
とはいえ、看護師さんの言葉に偽りはなく、一分で看護師さんが数人入ってきて、そのほとんど直後にお医者さんらしき人が。
ぽかん……としていると、お医者さんが僕に視線の高さを合わせてきた。その手元には何かのファイルが握られている。カルテかな?
「はい。まず、自己紹介をしてくれますか」
「渡来佳苗、十二歳です」
「じゃあ、ここに名前を、書いてくれますか」
差し出されたファイルに、漢字でちゃんと、渡来佳苗と記入。
ついでなので家の住所と電話番号、あとは通って……いると言っていいのか? まあ、入学したばかりの中学校の名前に、クラスもだ。
「これでいいですか?」
「はい。十分です。意識ははっきりしていますね。記憶も、とりあえずははっきりしているようだけれど……簡単に、今の君の状態を説明します。ここは、東京警察病院です」
東京警察病院?
……あれ?
「君は昨晩、少し遠く、群馬県の山間部にある町で、君の同級生、鶴来洋輔くんと一緒に発見されました」
群馬から東京まで救急車……?
それすごい大変じゃない?
ヘリ使ったのかもしれないけど。
「ちなみに、この病院に君が到着したのは、つい三十分前です」
あ、やっぱり時間的にはぎりぎりだったらしい。
そりゃそうだよな。
「そして、君が病室に入った時点で、佳苗くんのご両親に連絡がついています。もう、すぐにでも到着するでしょう」
あ……、
やばい。
なんか、すごく――
「佳苗!」
ばたん、と。
扉が勢いよく、開かれた。
この声は、いつも聞いていた。
そして、この頃ずっと聞けていなかった。
「おかあ、さん……お父さんも」
その後、視界が一気にぼやけて。
周りのことなんて考えず、僕はただ……やっと帰ってこれたんだ、と。
年甲斐もなく、声を上げて泣いてしまったのだった。
強く抱きしめてくるせいで、傷が痛んだけれど。
そんなことは、気にならないくらいに、うれしかった。