121 - 白黒と極彩色の狭間で
ふと気が付くと、僕は。
いや、僕と洋輔は、確かにそこにいた。
そこにいるのはわかっているのに、なのに僕たちには身体がないようで……まるで、意識だけがそこにあるかのようで。
僕たちは、二つの景色を見下ろしていた。
片や、白黒な世界。
片や、極彩色の世界。
「ふむ」
どこからか、声がする。
気が付けば僕と洋輔の前に、それがいた。
それ。
野良猫。
あの時の……『何か』。
「満点という訳ではないものの、見事と言えば見事なのだろうね。契りは因果を世界から千切り、何かを成し遂げ戻された。『お還りなさい』、この言葉を伝えることができるのはまさしく幸いだ」
それは笑って言う。
僕は、何かを言おうとして。
しかし言葉を出すことができない――当然だ、身体がないのだから。
洋輔も……同じかな。
「実を言えば、あの白黒の世界からの要請を受けて、こちらは何度も答えようとしたのだよ。ことごとく失敗していただけでね。そろそろ成功してほしいなあと思っていたところで幸いだった――いやあ、適当に選んでみるものだ」
適当で人生を狂わすような大事件に巻き込まないでいただきたい。
僕たちだって人間なのだ。『いい経験だったなあ!』で終わるわけがないだろうに。
「まあまあ。それはさておいて」
さておかないでいただきたい……。
「君たちの行動は、そうだね。最善ではなかったけれど、次善には近かった。百点満点でいえば七十八点くらいかな。十分合格点だ。おめでとう、そして約束は約束だ。君たちとの契りを、今こそ果たそうではないか――とまあ、その前に。ちょっとだけ説明をしてあげるべきだよね。君たちとは何で、この私は何なのか」
野良猫は笑って、僕たちの前に座り込む。
で……毛繕いをしながら。
「君たちのような存在は、世界と世界の契約によって生まれる存在だ。世界によって呼び方は違うが、あの世界では授かりの御子と呼ばれ、我々の世界では『来たりの御子』と、そう呼ばれるのだよ」
…………?
「最終的に君たちが無事に何かを成し遂げることができたのかどうかを調べるにあたり、こちらとしては当然採点役を用意しておいた。君たちもその採点者と同行しただろう?」
採点者?
…………。
野良猫……、猫……?
……ニム!?
「そう。あれには我々の力を貸し与えていたのだよ――君たちと行動を共にして、観察する端末としてね。それが天命の正体さ。まあ、そのことをあの端末自体は知る由もないわけだが」
なるほど……なのか?
だとしたら、えっと、どういうことになるんだ。
ニムはカナエ・リバーとヨーゼフ・ミュゼの最後を見届けて……その後の世界も、観察していた?
「うん。すべてを見とどけた――君たちの存在が消えた後も、その生を終えるまでずっと天命に従って、記録と記憶をつづけることになる……まあもっとも、時差の都合でわかっているのはあれから一か月ほどのことだけれども」
時差……。
「あのあと、あの世界はかつて『ウィンザー・バル』だったものと、『ヤムナ・シヴェル』だったものの手によって、大きくその中心を変えた。これでとりあえず数千年は大丈夫だろうと、かの世界は言っている。よかったね、君たちのお手柄だ。ちなみにこの中心の移動に伴って、多少法則が狂ったようだけれど、そこまで大事にはなっていないから安心してほしい」
……『だったもの』?
「二人してそこが気になるのかい。まあ、そうだろうね。ウィンザー・バルもヤムナ・シヴェルも、外見的にはさほど変化がない。内面的にはかなりの変化が起きているけどね――なにせ君たちという存在と錬金術で合成されたのだから。それだけじゃあない、彼らは『過ぎた』力を持ってしまった。その力は錬金術の影響を受けるものでね……。結果、彼らが何と呼ばれるようになったかは言うまでもあるまい」
錬金術の影響……を、うけた人間。
……魔王か。
「かくしてその二人は、君たちと出会ったあの魔王とともにあの国を離れた。魔王の一族、その一人として、彼らは永くを生きることになるだろうね」
じゃあ、フゥと……ニムは?
「ニムバス・トゥーべスは我々が力を貸し与えている以上、その生涯にわたって、記録と記憶を続けるだろう。天命としてね。けれど、それだけだ。君たちのことは覚えているけれど、魔王と勇者、そして彼以外の誰もが忘れてしまっているから……その齟齬にしばらく困惑はしたようだけど、彼なりに決着したようだよ。そしてフユーシュ・セゾン。彼女は無事、勇者としての役目を終えた」
…………。
終えた?
「君たちも魔王からその名前を聞いたと思うけれど、彼女はまたの名を『来栖冬華』という。君たちよりもずいぶん前に来たりの御子……ああ、つまり授かりの御子の候補としてかの世界に送ろうとして、けれど失敗した存在の成れの果てだ。彼女はついに、その記憶を――来栖冬華としての自分を思い出せなかったように、ね」
……僕たちの、同類。
「そう。ま、彼女が成功していれば、君たちが授かりの御子として新たに契約することもなかったわけだが……それはそれだ。勇者としての役目を終えた彼女は、その使命から解放されている。安心していい、彼女は生きているよ。カナエ・リバーの錬金術と、ヨーゼフ・ミュゼの魔法のすべてを引き継いでね。それを利用して、ニムバス・トゥーべスは君たち二人が成した功績を、彼女に押し付けたようだ。忘れ去られるくらいなら、せめて君たちと関係のある誰かに功績を渡したかったのだろう」
…………。
「さてと。補足も終わったことだし、そろそろ我々の世界に戻ろうか――君たちはよくやってくれた。改めて言おう、お還りなさいと。……さて、君たちの身体をあらためて生成するわけだが」
あ、ちょっとまった。その前に聞きたいことがある。
これは絶対に答えてもらうよ。
「……ふむ。ちょっとまってくれ、鶴来陽介。渡来佳苗は、質問があるらしい」
僕が見ていたあの夢。
『地球』についての記録。
あれを用意したのは、君なの?
「…………」
野良猫は答えない。
ただ、頭を軽く伏せるだけだった。
それで十分だ。
……ありがとう。
「どういたしまして。ああ、鶴来洋輔。君はあれだ、あとで渡来佳苗から今の質問内容については聞けばいい。じゃあ今度こ」
待った。もう一個。
「……結構図々しいね、君は。で、何かな」
いや。体を再生成すると言ったけど。
「言ったよ。まあ、我々は神様ではないけれど、世界そのもののようなものではあるからね。体を作り直すくらいはちょちょいのちょいだ。まあ、君たちが真だという記録が世界に刻まれていたらちょっと難しいのだが、今回は契りによって記録を千切っているからね」
うん。それは良いんだ。そっちの都合だし。
で、確認。その再生成される身体っていうのは、えっと、寸分たがわず渡来佳苗と、鶴来洋輔のものなんだよね?
「もちろんだ。あの時あの路地に入ってくる直前の君たちを再現する形になるね」
それ問題だよ。大問題だ。
「なぜ。そのあとに時間を進めると、あれだよ。君たちの身体、ばらばらだよ。それじゃあせっかく我々の世界に戻ってきても即死じゃないか」
いやそれはそうなんだけどさ。でも君がくれたあの本には書いてあった。
『遺留品。学生鞄。血液の遺伝子型は渡来佳苗、鶴来洋輔のものと一致。内容物の確認済み。鞄に損傷はなく、争った形跡は無し。中から特別なものは発見されていない。鞄の外側から血液は染み込んだものと思われる。現場の血溜まりは広範囲に及び、両名ともに少なくとも大きな怪我をしているはずである。』って感じに。
「……確かに書いたけれど」
で、あれから十二日しか経ってないんだよね、僕たちが帰るその時って。
「それが何か?」
それが何かって。
十二日で回復するような傷じゃないって見られてるわけでしょ、それ。
そこに万全の状態で僕たちが帰ってみなよ、なんかすごい面倒なことになるよ。
事情聴取すっごいされそうだし。
「あ。」
あ。って……。
「……うん。じゃあこうしよう。えっとだね。…………。よし。君たちの身体は地球時間で十二日前に傷をつけられた、という設定で再生成しておこう。えっと、状況を合わせて……あと化膿しないように簡単に応急処置がされたって設定で……うん、まあ、これならば大丈夫だろう。ちょっと傷跡が残るかもしれないが、君たちは男の子だしね。そこまで気にするまい?」
いやえっと、できればそれは避けてもらいたいなあというか。
「可能な限りはやっておくよ。じゃ、そろそろ身体を、きちんと日本に再生成するとしよう。……君達への報酬は、君達という命の再開だ。君達という生の再開だ。さあ、目を閉じて――そして、思い出してごらん」
「君たちの、名前をね」