119 - 前夜
前提に敷かれたルールを無視できる場所。
世界の最果て。
それはきっと、この世界の最果てだから、他の世界のルールが干渉できる……ということなのだと思う。その部分では他の世界と重なっているから、この世界の前提が少し揺らぐ。
揺らぎを利用した、ルール無視。なるほど、それはありうるのかもしれない。
けれど、ニムはその場所を世界の中心とも言った。
それはどう考えても、矛盾することだ。
最果てというのは、つまりもっとも遠い場所。
翻って中心とは、もっとも近い場所。
近いと遠いが同じというのは、なんかこう、ニュアンス的にも通じない――ある困難の終わりが次なる困難の始まりだ、とかならまだ通るだろうけど。
「ニム。確認させて」
「なんだい?」
「僕たちが今向かっているのは、世界の最果て? それとも、世界の中心?」
「どちらとも言えるが、それがどうかしたのかい?」
「あえてどっちかで表現してよ」
「ふむ。ならば世界の最果てだね」
ならば、今は世界の最果てで、そこで僕らの権能を用いることで、そこが世界の中心になるということか?
最果てに中心を移動させる。つまり、『世界の立ち位置』を変更する。
それが本来、僕や洋輔が持ち合わせている権能……か?
だけど、僕も洋輔も、本来はこの世界の存在じゃあない。
地球のごくありふれた中学生に過ぎなかった。
しかし、今はカナエ・リバーとして、そしてヨーゼフ・ミュゼとして――存在を偽る形で、生きている。
そこにはきっとひずみがある。だから僕も洋輔も、本来持ち合わせている権能を行使することができない――そもそも認識することすらできない。
だから、この世界の人間に、その権能を渡さなければならない。だけど渡すも何も、この世界の人間にはできないから、僕たちという異物が招かれたという点を忘れてはいけないのだ。
要するに、この世界の人間に僕たちが持つ権能を渡されたとしても、やっぱり使えないのだ。そもそも渡せない可能性もある。
だから世界の最果てを利用する。
その前提が曖昧になる場所で、僕、洋輔、ウィズ、ヤムナを『マテリアル』として、『錬金』し、別個の固体にしてしまう。
人が変わる――価値観が変わる、世界観が変わるというのは、だから文字通りに人間として『生まれなおす』からなのか。
そして、僕や洋輔をマテリアルにして作られた新しい個体としてのウィズとヤムナだった存在は、きっと僕たちが持ち合わせた権能を行使する。
それによって世界の最果てに、世界の中心を移動させる――凝り固まった概念をほぐし、それによって『癒す』……。
でも……本当にそれで、癒せるのかな。
この世界は、大きすぎる博打に出なければならないほどに切羽詰まってるということか。
どちらにせよ……。
「なるほど。僕もヨーゼフも、この世界がどうなるのか、までは知れないのか」
「…………」
ニムは答えない。
ただ……答えないからこそ、それは答えになっている。
ニムは知っているのだろう。具体的な手段というものを。
世界の最果てに世界の中心を移動させる。
それはきっと、途方もないことだ。
法則が大きく変わってしまうかもしれない――原則が大きく変わってしまうかもしれない。
けれどそれと同じくらいに、『何も変わらないのかもしれない』。
それでも、その世界の場所が変わっているならば、世界の土台が違うということだ。
崩れかけた土台から、まだしも丈夫な土台に置き換えることができる――それによって世界を癒す、ということかもしれない。
でも、僕も洋輔も、その結果は知れない。
なぜならば、それを行うのは僕たちではなく、僕たちを消費して作った別の誰かなのだから――その時、僕たちはすでにこの世界から消えている。
「君たちには悪いと思っているのだよ。授かりの御子などと囃し立てておいて、しかしその実は……よその世界から『拉致』をして、しかもこの世界のために『生贄』としようとしているのだから」
「…………」
ニムは一人歩みを進め、ただ、言う。
その後ろ姿は不思議と。
いつになく、小さく見えて。
「それでも吾輩たちには、それしか手段が遺されていない。かつて『い号大迷宮』が発生した時と……同じようにね」
「……い号大迷宮」
その単語に反応したのは洋輔だった。
「ニム。それはどういうことだ? ……大迷宮ってものには、何の意味がある?」
「『次の中心』の指定なのさ」
中心の指定……。
「その大迷宮の最深部に、世界の中心を移動する。そこが一番『安全』ということだ。そこが一番ほころびが少なくて済むということだ。そこが一番――マシだということだ。迷宮とはすなわち『観測地点』、大迷宮とはすなわち『確定地点』。世界は迷宮を用いて世界中を調べ、大迷宮を用いて新たな中心を指定するのだよ。そしてその時代の勇者らによって、世界の中心点の移動という大事業をさせる。……とまあ、そう言い伝えられている。ヒストリアの記録ではなく、ヒストリアに伝わる伝承。信憑性などほとんどない、噂話の類だがね。おそらく、それは真実だ」
「……じゃあ、い号大迷宮の時に、少なくとも一度は世界の中心が変わってるってことか?」
「ああ。変わっているよ。世界の中心がい号大迷宮に変わったことで、いくつか大きな変化だってあった……まあ、世界はそれを、『時代の流れ』だとか、『世界の成熟』だとか、いろいろな言い方をしていたがね」
それでも変化は変化に違いない。
ニムはそう断言し、とんとん、と足先で床を叩く。
「詳しいことはこの一番奥。当事者に聞いた方がいいだろう。吾輩のようなヒストリア――記録によって世界を識ろうとするものよりも、その当時を記憶として知る存在の方が確実だ。長きにわたり真相を知り、長きにわたり真相を隠し、長きにわたり真相を護り、そして、長きにわたり真相に潜むもの。吾輩たちが、人間たちが、『魔王』と呼ぶその存在に」
そう言って、ニムは改めて進み始める。
僕たちも、それに合わせて歩み始めた。
大迷宮を、ただ、進む。
途中で休憩をとって、そこでご飯を食べたりもしたけれど――最初のころみたいな雑談は無くなった。
一体そこに何が待ち受けているのか、それに恐れているからだろう。
ただ、その恐れは決して己という存在に対するものではない。
これまで知らなかった真実を、知らされるという事に対しての恐れだ。
知らない方が幸せのことも、この世にはたくさんあるのだから。
それでも進む。
恐れていても、怖くても、世界を癒し、世界を救うために進む。
ヤムナもウィズは、自分がなくなるということを知ったうえで。
フゥは、その手を汚すことを知ったうえで。
ニムは、ただ、知ることしかできないということを知ったうえで――何もできないということを知ったうえで。
だから、僕らも進む。
逃げずに進む。
ここから逃げれば。
エスケイプとただ一言つぶやいて、そのあとなりふり構わずに逃げるならば。
きっと、カナエ・リバーとヨーゼフ・ミュゼとして、僕たちは生き続けることができるし――きっと、カナエ・リバーとして、そしてヨーゼフ・ミュゼとして死ぬのだろう。
大人になって。
老人になって。
そして、死ぬのだ。
けれど、それでは何も、僕たちは為せない。
僕たちはあの日常に、帰れない。
もちろん――このまま進んだところで。
そして消費されたところで、必ずしも帰れるという保証はない。
保証はないけれど、こうも思ってしまうのだ。
帰りたい帰りたいと願いながら何十年も生きるより。
さっさと片を付けて、終わらせて、運に身を任せた方が楽かもしれないと。
どうせ終わるときは終わるのだ。
希望もなく長くを耐えるより、希望に任せて刹那に散った方が、まだ楽なのではないか。
そう思う。
でもそれは、どう考えたって前向きな事じゃあなくて。
カナエ・リバーやヨーゼフ・ミュゼという存在が不正であることを知ってしまったが故の、諦めだ。
この迷宮は――階層を進めば進むほど、一つの階層が狭くなる。
だから、移動距離もどんどん減っていき、自然、後半につれて階段を下りる頻度も増えていく。
騎士さんたちが制圧をする駐屯地――そこで僕たちは一晩、休憩をとることに。なった。
迷宮の中の駐屯地には、テントがいくつかおかれていて、僕たちには三つのテントが割り振られた――自然、寮の部屋割り通りに、テントに入り。
「僕たちは、まだ幸せなんだろうね」
寝っ転がって、僕は言う。
「何がだよ」
「結果を知れないってこと……」
「…………」
僕も洋輔も、この世界がどうなるのかは見届けることができない。
僕たちは材料として消費されるから――そこに意思は残らないだろう。
だから、その時点で皆とはさようなら、だ。
その後、この世界がどうなろうとも。
その時の僕たちがどのような状況であれ、おそらく、関係はない。
「材料として消費されて……僕たちは、少なくともカナエ・リバーとヨーゼフ・ミュゼは、この世界で消える。死ぬのか、それとも死とは違った形なのかはわからないけれど」
「まあ、消滅することに違いはない、か」
うん。
「それに、僕たちはそうして消滅した後のことは、幻想するだけでいい」
「……帰りたいと願うだけか」
「そう。帰れれば、それでよし。帰れなかったとしても……その時、僕たちは消えてるんだから、僕たちは悲しむこともない」
帰れなかったと嘆く暇がない。
だから、マシだ。
少なくとも可能性を信じて、終われる分だけ。
「……それは、ウィズとヤムナもそうかもしれねーな。あの二人も……どうせ、『変わる』」
世界が救えようと救えまいと、今の二人にはもう、関係のないことになっているだろう。
あんまりにも……あんまりな考え方だけれど。
でも、それを言うならば。
「一番つらいのは、どっちだろうね」
「さあ。俺には想像もできねえよ」
どうなるか予想もつかない、世界の改変をしなければならない張本人。
どうなろうと世界の改変をただ、見守ることしか許されない、記録人。
平和になるならばいい。
世界が安全になるならばいい。
フゥもニムも、それならば――きっと、自信満々に続けるだろう。
でも、平和が消えてしまったら?
世界に危険がもたらされたらば?
他ならない自分のせいで、世界が壊れてしまったならば。
その時、フゥはどうなるのだろう。
その時、ニムはどうするのだろう。
フゥも。
ニムも。
どちらもあれで、責任感はひときわ強い。
そんな二人だからこそ、そんなのっぴきならない状態になったときの行動が読めない。
それでも希望を見出すのかな。
それとも絶望へと沈むのかな。
「たださ、カナエ……たぶんお前もわかってないわけじゃねえと思うけど、それでもまあ、一応指摘しておくぜ。お前のその懸念が的中するには、一つ大きな問題がある」
「問題?」
「そう。『フゥたちが失敗しなきゃいけない』って問題だよ」
洋輔はそう言って、僕のこめかみをこつん、と拳で押してくる。
「少なくともあいつらは失敗するためにやるんじゃねえ。成功させるためにやるんだ。成功させて、そして世界を救うために頑張ってるんだ。全力を尽くして……その先に、きっとあいつらは成功させることを考えているし」
こめかみに当たる拳に力が入る。
少し、痛い。
「俺だって、『成功』させるつもりだ。帰るって目的をな。カナエ。お前は違うのか?」
違わない。
僕だって、帰りたい。
「夢を見るんだ」
だから僕は答える。
「あの日からずっと」
あの日。
『君が知りたがっていること』と題された、あの本を読んで以来ずっと。
「僕は、あの夢を見続けてる」
それほどまでに僕は、帰りたがっている。
帰るということを成功させるために僕は、だから努力を続けている。
努力を続けて、続けて、続けているつもりで。
だけど、なんにも進んでいなくて――不安で不安で、仕方がないんだ。
そうして夜は更けてゆく。
こうして僕は夢を見る。
見たくもないような夢を。
見たくて仕方がない夢を。
――それが、カナエ・リバーとヨーゼフ・ミュゼにとって、最後の夜だった。