116 - 第一層『アンリゾナブル』
ろ号大迷宮、第一層。
とにかく広いこの迷宮は、第一層が最も広くそこから狭くなっていく逆三角形。
暫定とは言え踏破が成されている今、真ん中くらいの階層まではマッピングは完了しているので、与えられた地図を頼りに進めばそれでよい。
よいのだが。
「おや、カナエくん。どうかしましたかー」
「…………?」
フゥの問いかけに、僕は首をかしげることで答えた。
なんかなー。
思ってたのと違うというか……妙な感覚があるんだけど。
気のせい……か?
「いや、ごめん。大迷宮に限らず、迷宮自体が初めてだったからさ、僕。実物はこんなものか……って思って」
「ああ、それはあるかもしれないわね」
ヤムナは苦笑しつつも首肯で答えた。
「いろいろとおどろおどろしいような表現をよく使われるけれど、実際にはこういう、石造りのことも多いらしいのよ。……ましてや、今回は踏破済み。このあたりは安全が確保されているし、明かりもついているから、なんだか大きな建物に入った感じなのよね」
「あー。確かになあ。なんかこう、迷宮というよりどっかの建築物だわ」
そしてヤムナに洋輔が相槌を打つ。
僕も確かに、そんなことを感じていた……けど……。
まあいいや。
受け取った地図を確認して、道を確認。
『迷宮』の名に恥じぬ迷路っぷりで、右へ左へとぐねぐねと移動しなければならないし、その上で第一層から第二層に降りるための階段までは、入り口からほぼ対角線にあるような場所まで進む必要がある。
よくある、ダンジョンは隅から隅まで歩かせるぜ! のアレだ。
で、少なくとも第一層に関しては、完全踏破が成されているため、行き止まりも入念にチェックされ、罠は可能な限り解除されているし、解除しきれない罠に関しては警告が地図と現場に示されている。
ちなみに最初期に起きた冒険者の全滅というあの大惨事だけど、あれの原因は入り口からちょっと進んだところにあった罠が原因だったようで、その罠を中心にこの層に限って電流が一瞬流れる感じのギミックだったらしい。
なので、それ自体はちょっとしびれてやけどもするけどその程度。
でもまあ、鬱陶しいことは違いないと、その罠に気づいた冒険者が解除を試行した結果大失敗、全エネルギーを一気に放出しちゃったんだとか。
おかげで罠は無事に解除……というか、エネルギーを失って無効化できたんだけど、その時この迷宮にいた全員が電流と、それに伴う熱で死亡した……らしい。
罠の解除を試みるときはより一層の注意が必要、という教訓だ。
閑話休題。
「ま、こっちには地図がある。それに沿って行けばいいんだろ?」
ウィズの言葉に僕を除いた四人がうなずいた。
僕はもう少し注意深く地図を眺めて、一応通路も注意深く観察。
「……何か気になることがあるのかな?」
「ちょっとだけ」
とりあえず壁に触ってみて……で、通路を横切って、もう片側の壁にも触れる。
横幅は三メートルくらい。三人くらいなら横に並んで歩けるけれど、逆に言えばその程度、か。
うん。
「ショートカットしようか」
「え?」
そうと決まれば、ウェストポーチから材料を取り出していく。
使うのはオルトエッセンシア、火薬をほんのちょっと、重の奇石、湧水の石。
オルトエッセンシアは朱色のエッセンシアで、別の液体に混ぜるとその液体と同じものになる。つまり液体を増やすことができるという効果を持つ。で、湧水の石は魔力を通すことで水が出てくる。
湧水の石を除いた材料を空中に作った器に放り込み、最後に湧水の石に魔力を通して水を生成、それを適当に器に入れたところで錬金、ふぁん。
で、完成品は液体入りの瓶が二つ。
一つは手元に残しておいて、もう一個は壁に向けてふわっと投げる。
で、防衛魔法でその液体入りの瓶をくるっと囲んでやって、と。
「おい。一応聞くけど、それは?」
「ただの爆弾だよ。地図からして、壁の分厚さは二メートルくらいだから」
そいて、壁に瓶がぶつかる。
その衝撃が原因だろう、大きな爆発が防衛魔法の内側で発生。爆発の破壊力には防衛魔法によって指向性が与えられ、結果、分厚さ二メートルほどの壁には人が二人並んで通れるほどの穴が開いた。
もちろん相応の音もあるのだけど、これは防衛魔法である程度軽減している。軽減してなかったら鼓膜がやられる可能性もあるからね。
「うん。やっぱり余裕だね。この調子でどんどん進もうか」
「…………」
「何?」
「えっと……。ヒストリア。これ、反則じゃないですか?」
「吾輩のことはニムでいいよ。……まあ別に、迷宮にルールなんてものはあってないようなものだしね。他のパーティを積極的に邪魔してはならないとか、そういう紳士協定みたいのはあって、その中には『無暗に道をふさいではいけません』というのもあるが、『道を作ってはいけません』というルールは残念ながら無い」
「そうですか……」
とりあえず異論はないようなので、壁を破りながら進む。
どうせお宝があるわけでもないし、最短経路でいい。
「しかし、なんだ。カナエが持ち込んでる火薬には限度があるし、結局は正攻法で通らなきゃいけないところもあるんだろう?」
ウィズの問いかけに、僕は首を横に振った。
「その心配はないよ。火薬は確かに、制限されてるけど。完成品に一度でもできれば、どんどん増やせるし」
「え?」
「錬金術で作れるものに、錬金術の完成品を倍にするってのがあってさ。それを作るのに必要なものは薬草とか毒薬なんだけど、毒薬は液体でしょ。で、錬金術で作れるものには液体を増やせるものがあって、それの材料にも毒薬は要求されるんだけど、それを作って、かつ一個でも毒薬が残ってれば、トータルで五個分くらい儲けになるんだよね」
「……薬草は?」
「二百個とちょっとしか持ってきてないから、そっちはネックかな」
「そうか……」
「でも、本格的に足りなくなったら薬草も作るし。問題ないよ」
豊穣の石もクイングリンも、そのつもりで用意してきてあるし。
「おい、ヨーゼフ。この錬金術師、なんかいろいろと冒険者とか騎士がが泣く事言ってんだけど、どこからが冗談なんだ。わかりにくいぞ」
「残念だが全部真実だ」
「…………」
そして何やら失礼なことを言われているような気がする。
「いや私もどうかと思いますよ?」
あ、フゥにまで呆れられた。
「そうね。耳も痛くなるし」
ヤムナは違う方向で困っているようだ。
「じゃあ、音はちょっと緩和しようか」
「え、できるの?」
「コーティングハルっていうのがあってね」
鶯色のエッセンシア、コーティングハル。
音を振動レベルで遮断するという性質を持っているため、これを塗ったものはあらゆる音を無視できる。
余談だけど、寮の部屋にはこれが錬金術で仕込まれていたらしい。それでどんなに音を立てても気づかれなかった、と。
で、実はこれ、振動レベルで遮断する――というのが、品質によってちょっと変質するタイプの道具でもある。
特級品にもなると、たとえば箱の内側にこれを錬金術で指定していれば、内側の音は外に一切聞こえず、また内側で発生した振動は一切外に伝わらない。
寮の部屋に使われていたのは三級品くらいのものだったようだけど、それでもちょっとした大喧嘩をしてもほかの部屋には一切影響が与えられないわけだ。
ただし逆方向、つまり外側の音や振動を内側に対して遮断するのはちょっと苦手。
そのせいで、あんまりにも大きかったあの大地震は貫通してきた、ということらしい。
尚、寮の部屋でどの程度騒いでもバレないかというと、実はさっきの爆発音は一切外に出て行かないレベル。
ましてや部屋の中で多少暴れても気づかれないのだから便利だと思う。
もしかしたら僕たちが知らないだけで、隣のニムとウィズや上の階の子たちが暴れてたりしたのかもしれない。
「これをこうして、」
というわけで増殖した液体爆弾にコーティングハルを添えて壁に投げつる。
で、ぶつかる寸前にその二つを錬金術で一緒にして、防衛魔法を張ってあげて……。
今度は音もなく、しかし爆発の衝撃はそのままだったようで、壁ががらんがらんと音を立てて崩壊する。
「壁が崩れる音も消せれば完璧だったんだけど……」
「ごめん。むしろそこまでやられると悪用がひどいことになるから、そのままでいいわ……」
「そう?」
ヤムナは意外と謙虚らしい。
「地図によると、ぶち抜く壁はあと三十枚くらいだし。この階層はそんなにかからなさそうだね」
「迷宮が泣いてるぜ。せっかく頑張ったのにって」
「床をぶち抜かないだけ感謝してほしいくらいだよ」
「…………」
床の分厚さにも限度あるし。
たとえコーティングハルとかで保護されてても、性質変える凝固体があるからな。
そんなこんなで壁をぶち抜き続けて三十二枚、ようやく階段に到達。
「……まあ、目的地の方角がわかっていて、かつ安全が確保されているからの力技なんだろうけど、やっぱりこう、達成感がないよな」
「バカなことを言わないでよ、ヨーゼフ。まだ一層目だよ。こんなところで体力使ってたら、最下層まで何日かかると思ってるの」
「…………」
そうだった、と洋輔は表情を歪める。
他の四人もそれぞれに沈鬱としているように見えるのは、まあ、気のせいではないだろう。
「……現実逃避しても仕方ないんだからさー」
やれやれ、と。
僕は地図に目を通す――地図が書かれた紙束を、否、ろ号大迷宮の『地図本』に目を通す。
そう。
本である。
社会の授業で使うような地図帳、あれがものすごく似ている。
「あえて言うけれど、ろ号大迷宮は全百二十一層だ。下に行くほど狭くなるから、移動距離は減ってくけど……。それでも正攻法で行きたい? それなら、僕も無理に道は作らないけど。移動にすっごい時間かかるよ?」
どうする、と改めて五人に問いかけると、五人はしばらく押し黙り。
「……踏破済みの迷宮だものね。新しいお宝が見つかるとも思えないし」
「そうだなあ。まあ、ちょっと、参考になんねーけど。でも参考にならないって言ったら、大迷宮の経験自体が参考にしようがないし」
「経験という意味では、私とヒストリア以外には微妙ですけどねー」
「あっはっは、吾輩もたぶん二度と迷宮には入らないだろうからね。吾輩にも微妙だよ、実際のところはね」
「お前らなあ……」
ヤムナ、ウィズ、フゥ、ニム、そして洋輔の順で視線を泳がせながらそんな答えが返ってきた。
百二十一層。
下に行けば行くほど狭くなるタイプ、とはいえ、やっぱり驚きの数字だよなあ……。
第一層、この場所の天井までの高さは通路幅よりちょっと短いから、三メートルはないくらい。
床と天井にあたる部分がどの程度の厚さなのかにもよるとはいえ、それでも縦、地下四百メートルまで潜らなければいけないわけで……。
「ちなみにさ。僕、ここに来るまでに散々思ってたんだけど」
「なんだ」
「いや。僕はご飯用意してきたけど、みんなはちゃんと持ってきたのかな? って」
「え?」
「だって、騎士さんが制圧してるの、完全踏破が終わってない七十八層からでしょ。少なくともそこまでは休憩用のスペースはあっても、ご飯はおいてないと思うよ?」
まあ、乾パンくらいはあるかもしれないけれど。
「ああ。だからカナエ、そんな大荷物なのか……」
「うん。みんなはご飯食べないでも大丈夫なのかなーって、ちょっと不安だったんだけど」
「おう。まだ第一階層だ。一度帰るか!」
洋輔はすがすがしく言うと、他の四人もそれぞれに頷きだした。
これはだめっぽい。
「……大丈夫だよ。一応、僕たち六人で分けても七日分のご飯は持ってきてるから」
「え、本当に?」
「水は水でいくらでも作れるし。まあ、このペースで進めば七日分で足りるでしょ」
「カナエ・リバー。お手柄だね。……荷物を持とうか?」
そしてニムが露骨に下手に出始めた。
なるほど、食を握るというのはこういうことか……。
「大丈夫だよ。変に気を遣わなくても」
「そう?」
「うん。まあ、僕の手持ちでも足りなさそうだなあってなったら……」
その時は、その時。
「騎士さんが制圧してる七十八層まで、床ぶち抜くだけだしね」
「そう……。カナエなら本当にやりそうね、その暴挙。やらせるわけにはいかないし、先を急ぎましょうか」
「そうですね」
ヤムナが首を振りながら階段を降り始めると、フゥもそのあとに続いた。
暴挙って。
帰りは帰りで緊急脱出すればいいだけだしいいじゃない。