異変(1)
神崎修司 東都新聞記者(主人公)
森本亮太 東都新聞記者(後輩)
休日の朝、国家が神崎修司の頭皮を心配し始めた。
もっとも、本人はまだ眠っていた。
東都新聞政治部に勤めて二十年近くになる。世間が休んでいる日に働き、世間が働き始める頃に眠る生活には、とうに慣れていた。
昨夜も、与党幹事長の資金管理団体、省庁OBの再就職先、来月の内閣改造観測を追い、締切直前には原稿の差し替えまで入った。終電はなくなり、タクシーで帰宅したのは午前三時を回っていた。
だから今日は休みだった。
昼近くまで眠り、起きたらコーヒーを飲む。あとは新聞もテレビも見ず、何も考えずに過ごすつもりだった。
その予定は、午前10時20分に崩れた。
枕元でスマートフォンが震えている。
一度ではない。
止まったと思えば、また震える。
「休ませろ……」
神崎は布団の中から手を伸ばし、スマートフォンをつかんだ。
森本から未読メッセージが七件。
『神崎さん、起きてます?』
『今日、休日ですよね?』
『でも起きてください』
森本亮太は政治部に入って7年目の若手記者で、神崎と同じ班の後輩だった。普段は軽口ばかり叩いているが、どうでもいい用件で送ってくる男ではない。
だが今日は、四件目から様子が違った。
『国会中継、見てください』
『神崎さんに関係あります』
最後の一行で、眠気が少しだけ引いた。
『朝から何言ってるんだ』
そう返信してから、神崎はようやく布団を出た。
洗面所の鏡に、寝起きの自分が映っている。
四十五歳。腹はまだ出ていないし、目元にも政治家を追い続けてきた人間なりの鋭さが残っている。スーツを着れば、それなりには見える。
問題は、その上だった。
額は年々後退し、頭頂部は照明を正直に反射するようになっている。
三十代の頃は抵抗した。育毛剤、頭皮マッサージ、専門クリニック。効くと言われたものには一通り金を使った。
成果は薄く、髪と共に財布の中身も減っていった。
今では、必要以上に鏡を見ないことにしている。
神崎は髭だけを剃り、キッチンへ向かった。
コーヒーを淹れながらテレビをつけると、休日昼の情報番組が始まっていた。普段なら芸能人の結婚か、行列のできる飲食店を紹介している時間だ。
しかし今日は、画面いっぱいに赤い文字が躍っていた。
【国会騒然! 新たな薄毛支援策とは?】
【SNSで“ハゲ禁止法”が急上昇】
女性アナウンサーが、笑ってよいのか迷っているような表情で原稿を読んでいる。
「政府は、薄毛に悩む方を対象とした新たな支援制度について、検討を進めていることを明らかにしました。SNSでは早くも“ハゲ禁止法”という言葉がトレンド入りしています」
神崎はコーヒーをひと口飲み、顔をしかめた。
苦かったからではない。
「なんだ、これは」
寝起きの頭が、まだ情報を受け入れきれない。
画面がスタジオから、衆議院厚生労働委員会の中継映像へ切り替わった。
緑色の机が並ぶ委員室では、議員たちが資料をめくり、その後ろを秘書官や官僚が慌ただしく行き来している。
神崎はマグカップをテーブルへ置き、リモコンで音量を上げた。
見出しだけなら、いつもの悪ふざけに見える。
だが、映っているのは本物の国会だった。
ハゲ禁止法。
文字として並んでいるだけで、質の悪いネット記事みたいだった。
司会者が笑いをこらえた顔で言う。
「いやあ、朝から衝撃ですよねえ」
コメンテーターの女優が口元を押さえる。
「これ、冗談じゃないんですか?」
神崎はテレビに向かって小さく頷いた。
その感想だけは一致した。
スマートフォンが震える。
さらに森本からメッセージが届く。
『国会でハゲ始まりました』
『完全に神崎さん案件です』
『テレビ見てください』
『時代来ました!』
最後の一文だけ開いた。
(時代来ました)ろくな時代ではないことだけはわかった。




