アレンside
「あの、アレン……入ってもいいですか?」
冷たくあしらったのに、控えめにドアをノックするユリーシャ。
僕の妻ユリーシャはとても愛らしい。
婚約者として出会ったときは、この世に舞い降りた天使かと思って、思わず“かわいい”と言葉にしてしまったほどだ。
僕の初恋であって一目惚れだ。初恋は実らないというが、ユリーシャを妻にできたなんて光栄なんだろうか。
もちろん、ユリーシャは見た目だけでなく思いやりもあって、にこやかで素敵な女性だ。
男女ともに好かれるそんな女性だ。
しかし、ただ一人だけそんなユリーシャを好ましく思わない者がいる。正式には、好ましく思わないお方と言わなければならないが、愛おしい妻を憎む者だ。人とも思いたくもない。
この国王女で僕達と同い年の、マテリアルだ。本当はマテリアル王女殿下とお呼びしなければならないが、クソ王女と呼んでもいいであろうか。
僕がクソ王女と出会ったのは、ユリーシャと共に参加した初めての夜会……そう、社交界デビューの日だ。
ユリーシャとはぐれてしまった僕は、己の未熟さを悔やみながら、ユリーシャを必死に探していた。なぜかって? 天女の如く美しいユリーシャ。伯爵令嬢といえども、年若い彼女を侮って近づいてくる輩もいるであろう。
ユリーシャは多少名の知れた辺境伯家の婚約者であるが、あの愛らしさに魅了されない男はいない。
実際、一緒にいるときだって、ユリーシャをチラチラ見る視線が不快だった。
「……やめてくださいませ!」
そんなとき、女性の声が聞こえた。さすがに嫌がっている女性に何かしようとしている様子は放っておけない。今思えば、あのとき無視しておかばよかったのだが。
「……嫌がる女性を、って、うぉ!?」
嫌がる女性を口説いているのかと思ったら、ご令嬢が刺客で乱闘中だった。驚きながら助太刀に入り、刺客を追い払う。
ドレス姿なのに、なかなか強い刺客と対等にやり合っていたなんて、なかなかやるな、と、思いながら、刺客を捕らえて警備の者を呼んで、立ち去った。辺境伯領では、武こそ力だ。次期辺境伯と言われる僕はなかなか強い。
王女曰く、“マティの王子様が助けに来てくれたの。王子様は、マティに微笑んでこう言って去っていったの”と。
「なかなかお強いですね。ドレス姿の女性でそこまでお強い方は初めて見ました。しかし、か弱い女性ですから、油断してはなりませんよ?」
さっさと立ち去ってユリーシャを探すために、何か言ったかもしれない。1ミリも覚えていないが。ちなみに、微笑んだ記憶はない。単なる愛想笑いだろう。
そんな王子様にご執心になった王女様。公爵家の長男との婚約も結ばれていて、さすがに僕を婚約者にはできなかったが、ユリーシャを見る目が恐ろしかった。念の為、人前ではいちゃつかないようにセーブした。ユリーシャの愛らしい姿を見えなくなった僕の恨みはなかなかのものであったが、相手は王族。しかも、国王に溺愛されている末っ子王女。
下手なこと言って、責任という形で婚約を押し付けられたら困ると思って、父上と相談の上、当たり障りなく逃げてきた。
「マティはアレンと結婚したい! アレンが他の女と結ばれるなんて許せない」
あのクソ王女は、自分が結婚する前日。そして、僕達が初夜を迎える予定だった日、僕を呪った。
禁断の呪いの禁術を使ったのだ。流石に見過ごすことができないと塔に幽閉されたが、こちとら楽しみにしていた初夜を我慢しなきゃいけなくなって、殺意しか湧かない。
「アレン。あの女を愛することを認めないわ」
「ですから、王女殿下。彼女は我が妻です。王女殿下も夫となられる公爵令息を愛されたらよろしいかと思います」
「いやよ! 私はアレンがいいの!」
「王女殿下……そろそろ帰宅時間ですので」
「いやよ! 話を聞かないと結婚しないわ!」
「仕方ない。代わりに妻を迎えにいってくれるか? すぐに向かう」
「承知しました!」
エドワードにユリーシャを迎えに行ってもらう。愛おしいユリーシャ。残業手当は10倍でつけてもらわないと、割に合わない。
部屋から駆け出していくエドワードを横目に、王女の説得に取りかかろうとすると、足元に変な紋様が浮かび上がった。
「……ならば、呪ってやるわ。そうね……まず、肉体的に接触を許さないわ。あなたが愛し愛される女性を愛したなら、その女性が死ぬようにしてあげましょう」
「な!?」
「そうね……でも、私と結ばれてから私が死んだら困るわ……あなたの子が生まれたとき、その呪いは解けるようにしてあげる。私たちの子が生まれるくらい、私たちの愛が深まったなら、私はアレンと結婚できるわ」
「!?」
「なんの音じゃ!? マティ!? 何をしておるんじゃ!?」
「まぁお父様。私のアレンを呪っているの。今の妻を愛せないように、ね」
「お前という奴は……甘やかしすぎたのかもしれん。マティを塔に幽閉しろ!」
「ふふふ、塔で王子様を待つプリンセスってことね。待ってるわ、アレン」
余裕の笑みを浮かべながら去っていくクソ王女の後ろ姿を見ながら、僕は悩んだ。
「なぜ、僕が王女を愛すると思っているんだ……?」
ぽそりと呟いた言葉は、喧騒に紛れて誰の耳にも届かなかった。
1時間後。
クソ王女幽閉のための書類を整えていたところ、クソ王女が余裕な理由がわかった。
そういう薬、盛りやがったな?
こんな状態で帰宅したら、我慢できずにユリーシャを殺してしまう。そうならないためには、手頃な女を抱かなければならない。自分に好意を向けているクソ王女ならちょうどいいだろう、という目算か。結婚前日に考えることじゃないな。本当に頭がぶっ飛んでいるあのクソ王女。というか、この遅効性。帰宅して落ち着いた時間帯。ユリーシャを狙っていやがったのか? いや、あんなにも別の女を愛することを嫌がっていたのに、ありえない。身体で篭絡しようって魂胆だ、クソ王女。
言っておくが、愛おしいユリーシャはそのあたりも最高……それは置いておいてだな……。エドワードなら、解毒魔法が得意だから、解毒できるだろう。まだ家にいるはずだから、早めに帰って、エドワードに解いてもらおう。家に入る前に、公務用のテレパシーの道具を使って呼び出せばいい。
エドワードがユリーシャと共にいると思うと、許せないが、あの様子のクソ王女を見たんだ。護衛に走るのは当然だからな。
その辺りを汲み取れるエドワードに行ってもらってよかった。
『おい、エドワード。クソ王女に呪われた。ついでにそういう薬も盛られた。解毒してくれ。詳細を話したいから、家の前で待っているぞ』
『何されてるんすか! わかりました。すぐに行きます』
「アレン様! 何されてるんですか!? とりあえずすぐに解毒しますよ……って、今日は初夜なのに、解いていいんですか?」
「ユリーシャを愛したらユリーシャが死ぬ呪いをかけられた。愛し愛されるものを愛したら死ぬらしい。あのクソ王女頭が逝ってやがる。ちなみに、塔に幽閉されたから、事後処理は自宅で続きをやろうと思う」
「腐っても王女なんで、不敬に問われるとまずいっすよ。ただ、アレン様のされたことを思うと、不憫でならないっす。せっかく奥様とお茶したことを自慢しようと思ってたのに……」
「お前。ちなみに、さっき提出してきた書類、不備を全部指摘して、机の上に戻しておいたから確認しろよ」
「うっへぁーーーー」
追い返し、ユリーシャに思ってもいない「愛せない」というセリフを告げた。愛せないだけで、やはり愛したいんだがという気持ちは伝わっただろうか。呪いはユリーシャに言えないからな……トラウマを刺激して失った痛ましい記憶を取り戻すことになるかもしれない。
そして、冒頭の控えめなノックに戻るのだ。
持ち帰った仕事を片付けながら、入室を許可する。
「あの、アレンが私を愛せないのはわかりました。ただ、家族の義務としての後継を残すということは、必要ではないかと思いまして……ご不快だったら申し訳ありません」
入室してきたユリーシャは、自分では選ばないようなネグリジェを着ていた。見え……あれは侍女ミリアの仕事だろう。普段なら褒めるところだが、今日は……だめなんだ。
思わず、ユリーシャの姿を凝視してしまい、ユリーシャは羞恥のあまり、顔が赤く染まっていく。いや……素晴らしいな。ではなく、なんで言って断ろうか。
愛せないと聞いたら、普通感情の方で想像するよな。あのクソ王女、頭が本当にイカれてやがる。
「すまない。ユリーシャ……その、夜の方も愛せないんだ」
「……殿方は、愛していない女性とも、そういうことができると伺いましたが……それ以上に受け入れられないということでしょうか?」
「いや、ユリーシャは何も悪くないんだ。俺は、愛している女性のことしか愛せないんだ……」
「そう……なのですね。申し訳ございませんでした。あ、お仕事もしていらっしゃったのに……私ったら……。失礼します」
ユリーシャの泣きそうな横顔を見て、自分をぶん殴りたくなった。ただ、下手に慰めると自分を抑えきれなくなってしまいそうで、ユリーシャとの関わりを徹底的に減らす方向でいきたいと思ったのだった。