舌鼓
静かな警告は二、三度聞こえたきり。見えない時間がゆっくりと流れているようだ。依然として警告の主が動く気配は感じられないが、そこにいるのをひたと感じる。後退するにもできず、幾日も経った気分だ。
いくつの朝食を無駄にしただろうかと思い初んだところで、ガラリと重い音が目を覆う程の光を連れてきた。目に慣れたころで、主人の不思議そうな顔が訪ねていた。体感していたほどではなかったようだったが、心配させる程度に時間が経っていたそうだ。
背後の圧迫する気配にハッとした。振り返ると、金髪の大男が扉の向こうに佇んで居たのだ。
誰だと尋ねたが、主人は笑っているだけで大男からは舌打ちが帰ってくるばかりであった。あの警告は私を狙う舌鼓ではなかったのだ。それでは何に腹を立てたのかと尋ねたら、雪ほどに真白な紙を取り出したのだ。
彼は声を失っているらしい。宿の修理や宿泊の対応をしていて、どうやら紙に会話のテンプレートを忍ばせている。舌打ちで反応するのが癖になっているそうだ。なるほど、私に腹を立てているわけではなかったようだった。それを知っていて、私が命でも狙われているような顔をしていたのだから主人は笑っていたのだ。
大男はテマというらしい。用あって倉庫に居た、怖がらせて申し訳ないという事を能弁なペンは書き連ねていた。雪除けをするところだと話したら、手伝ってくれるらしいそぶりを見せてくれた。彼が雪に埋もれてしまったらという心配に、その岩のような体格は必要ないと語っているようだ。彼のおかげで作業が早く終わるだろうから、助かるだろう。
主人が宿に向かっていくのを尻目に、小山程積もっているような雪の除雪作業が始まった。
一日中降るのだからよく積もっている。毎日のように雪を除けている国の住人が、朝早くカーテンの向こうで働いているのを知っているのだが、それほど途方もない作業なのだろうか。
数時間かけて腰まで積もっていた雪山を除けたところで、真っ白だったはずの道に灰色が見え変わった。
ずっと雪だけが道を作っていたのだとばかり思っていたが、固い地面が手にジンジンと衝撃を伝えているあたり西郊外は石造りの道が我々を支えていたようだ。
ガンと大きな音がテマの方から幾度と聞こえているのだが、余程作業が捗っているらしい。エネルギーの消費を見せない彼の身体が羨ましい限りだ。彼のおかげで、それから一時間ほどで除雪作業が終わった。
宿に戻ると、テマは暖炉の前で道のことを教え始めてくれた。
話によると、元々は石造りの道々に添えているパイプが熱を伝い雪を溶かしているはずだったが、数週間も前から全く絶たれているらしい。迷惑な話だと思ったが、雪を溶かしてくれていた親切であったのにハッとした。このような親切を毎朝知っているのだから。
絶たれた原因も、治るのかどうかも定かではないようだ。雪除けが主人の助けになっているのだからあまり気に留めなかったのだが 、「行ってみたらいい」だと。主人が勧めるのだから勿論だ。明日、国の中心部から伸びているパイプの事情を調査するように言い渡された。一人で向かうには余りに不安だので、序でに案内を任せながらテマを連れて調べる積もりだ。
国の中心は人が多く、踏み固められた雪道に像が飾られ、各郊外に向かうレンガの橋が架けられ、凍らない水が噴水を潤しているらしい。橋の下は氷が分厚く張っていて、刃のついた靴で滑られるそうだ。それだけでなく、橋の下に住む人間が居るとも言うのだ。
野ざらしでどう暮らしているのかと驚いたが、扉をつけて壁に空間を作って生活しているらしい。ロマンチックに思うが、氷が解けてしまったらとゾッとした。そして厚い氷の下には魚が無数にいるそうだ。彼らは魚を釣って食料にしているらしい。
場所が離れるだけでまるで違う文化が顔をのぞかせている。調査であるというのを忘れて聞き惚れていた。
けれどテマの表情は訝し気に変わった。治安はそれほど良いものではないらしい。スリ、盗みが多発しているから身の持ち物を気にするべきだと。私は感覚に乏しいので困ったものだ。物を買うなら調査が終わってからにしようと思う。
兎に角、賑やかな中心街を愉快に語ってくれているのだから、楽しみなものだ。
最近暑くなりくたびれています。短い話になって申し訳ないと思う限りです。




