雪国
辺りは静かだ。時計が教えてくれるには凡そ6時に目を覚ましたところだ。吐いた息が白い霧になり散り散りと消えいってしまうくらいに冷たい空気が部屋を覆っているようだから、毛布をかぶっていない顔あたりは今朝まで冷ましたというところだ。
ベッドから足を降ろし、木造りの床がキィと唸る。雪の降る音が聞こえるようだ。静かな宿に私は寝床を借りている。まるで国とは言えない大きな村はこの宿のような木製の家々を連ねている風景を覗かせてくれている。幅の広い道の向こうに、レンガ造りの大きな家があるようだが図書館というらしい。館と言えば館であるが、城のようにみえる上に幾人もの人間が住んでいるのだろう。
私はトットというらしい。どっこい名前がなかったわけでもないし、この国で戸籍を作ったわけでもない。余りに記憶がまだらで私に不信を抱いているのだ。それでも、名前がないまま余生を削った所で余計怪しいものだ。床の唸りが不信の譴責だとしたら、足のついているベッドは置いてもらえないのだろうか。
白い霧が雪になる前に顔を洗うことにした。親切に向こう側の私を映してくれている鏡は立てかけられているが、明かりは薄く少し青い顔肌を覗かせる。ところで、親切なのは鏡だけではないようだ。出てくる水流も私の様に白い息を吐いているが、顔を洗う水に口がついているのは聞いたことがない。宿の主人の真心を有難く感じる冷たい朝を迎えるのは、両の手の指を折っても足りない回数になった。
階段を降りると、ドアの向こうから糸を引いていたコーンの匂いがハッキリとする。奥の方からおはようと主人の声が耳に伝わったのだから、挨拶を済ましておいた。冷え切った胃袋を慰めるために木造りの椅子に座り食事の支度を待つ。椅子は私の不信を許してくれるそうだ。
ベタリと笑顔を張り付けた主人がパンと皿を持ってきてくれたところで、腹の反応が感謝の言葉をかき消してしまった。主人の口端がさらに裂け、目の端とつながってしまいそうだ。恥ずかしい。
さっさと食事を済ませて階段を上ってしまいところだが、私にとって食事をするのは余程大事なことである。今朝鏡が覗かせた青い顔肌は鏡が嘘を吐いているわけでも明かりがごまかしているわけでもない。加えて感覚が酷く鈍く、私に残っているまともな感覚といえば味覚であった。いつからそうというのも語らい難く、兎に角この宿に寝床を借りる前もそうであったのだろうと思う。
私が知っている人間は主人だけではない。国の西郊外に位置するこの宿周りで、交流を経て知り合いは増えたものだ。触れ合った人々は何かを失ったような人間ばかりであった。肉体的なものか概念的なものである。それでも私に似たゾンビを思う様な人間は見当たらなかった。主人も例外ではない。恐らく笑み以外の表情を失っているのだろうが、主人は話そうとしてくれなかった。
食事を堪能し、食器を片付けることにした。これまではただ次の食事を待つだけであったが、主人が雪を除ける仕事を与えてくれた。しかし直ぐに出かけようとしたが、引き止められてしまった。別に寒さなど感じないのだから心配することはない。けれど主人は大切にしているようだったコートを羽織ってくれた。失った一つが、笑み以外の表情であったらと思うほどに暖かく感じた気がする。
一層、白い霧が目の前を覆うほど気温が下がっている。あたり一面家がならび雪が道を作っている。西郊外には宿や酒屋といった建物が多く建造されている。聞くところによると東郊外は肉や魚が豊富に売られているらしい。仕事を与えられる以前、南郊外に趣いていたのだが並ぶ店では衣服やカバン等が売られていた。気の良さそうな店主にやたら怪しく光る本を勧められたが、逃げおおせそれきりだ。
さて、雪を手で除けるのはあまりに非効率的だ。主人は道具を使えと言っていたが、どうやら倉庫にあるらしい。宿の裏に寝床を作れるほどの広さがある倉庫を見つけ、道具を探すことにした。それほど時間をかけず木の棒に鉄の円盤がついた道具を見つけることができた。これが主人の言う道具だろう。
木が引きずる重々しい音が後ろから私を呼んだように感じた。途端に身体が暗闇に覆われた。扉が閉じただけであるはずだのに、厭な雰囲気が鈍い感覚を貫き舌に重く圧し掛かる。舌鼓のような短い音が、まるで命を狙っている警告を発している。
初心者ですが、ちょっとだけ頑張ってみます。
よろしくおねがいします。




