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信じる

 それから三日たった。つまり、事故から四日目である。

 今日のニュースで盛んに報じられていたのが、長崎の豪雨である。詳しいことは知らないが時間雨量が凄まじいそうで、それが狭い範囲に集中して降っているらしい。そのニュースは、俺を黙らせるのに十分だった。


「勘太! この雨のこと夢に出てた?」

 早番の仕事を終えた琴音がぶらっと姿をみせた。俺の言ったことが、ただの夢なのかどうか、きっと外れることを見越したのだろう。

「仕事、終わったのか?」

「うん、今日も一人……、だった」

 琴音の言う一人とは、息を引き取った患者のことなのだ。慣れてしまっているとはいえ、人が死ぬのに立ち会うのは負担のようだ。それが嵩じてくると、琴音は積極的に肌を求める。どうやら今日もそういう気分でいるようだ。


「……そうか、辛かったな。こっち……来るか?」

「えっ? ……そういうつもりじゃないけど……、だけど……、傷、痛くない?」

「なんともないって。月曜から仕事に戻らなきゃいかんからな、準備運動しないと」

 躊躇うようにそよがせている手首をそっと引いてやった。

「……ばか。しらないから……」

 琴音は、憎まれ口を言いながら俺の隣に腰をおろして、肩を寄せてきた。

 何も言わずに頭を撫でてやるだけでいいのだ。つまらない科白など必要ない。それで琴音は満足する……筈だったのに……。



「ところでさ、どうだった? この雨のこと予言してた?」

 身繕いをすませた琴音が、コーヒーを炒れてきた。

 俺は、つけっぱなしにしておいたテレビの音を小さくしながら、カレンダーを指した。


「どれど……、あたってる。勘太、当ってるよ……」

 どうせ作り話とでも思っていたのだろうか、カレンダーの前でじっとかたまってしまった。

「ということさ。どうやら本物みたいだ」

「いやだよ、そんな。そんなことなら鹿児島へなんか行かない」

 不安げに囁いた。

「そうだな、そんなことしたら帰ってこれなくなっちゃうからな」

「ちがうよ、死にたくないよ」

 両手をぎゅっと握り締めて、声にも力がこもっていた。

「それなら大丈夫じゃないかな。ホテルは高台に建っていたし、泊った部屋は四階だったし」

「違うって! それより、その、地震があるのはいつ?」

 俺の返事が呑気に聞こえたのか、目を見開いて小さく叫んだ。

「鹿児島へ着いたのが四日。その次の次だから、六日だ」

「勘太、源太に電話。明日集まれって。場所はここ、時刻は午後三時。私は雅に電話する。

 それで、コピーとってよ」

「明日の三時って、遠山は仕事だろ?」

「なに言ってるの、明日は土曜日だよ。歯医者なんか二時くらいで終りだよ。雅だって銀行は休み。私、早番だから三時に終わる。ああぁーもうっ、集合は四時。今すぐ電話して!」

 きっと職場モードに切り替わったのだろう、琴音はきりっとした顔つきで俺に指図をした。

 連絡をとりおわると、琴音は車の鍵を掴んで表へ出た。そして、助手席におさまってしまった。

「早く! どこかのコンビニでコピーするの!」


 琴音が騒ぐ気持がわからないではないが、自分自身が腑に落ちないのだ。どうしてこんなにピッタリ現実になってしまったのだろう。考えてみたところで答などあるわけがない。だから傍観者になるしかないのだが、琴音の言うように、自分の身に危険があることを予想できるのなら、悪足掻きのひとつもしなければならないのだろうか。せめて琴音の不安を解消するくらいはしてやらねば男が廃る。そんなことを俺は考えていた。



「大事な話って、こんなことかよ。偶然が重なっただけだろ?」

「これだから源太は……、想像力がなさすぎだよ。あんたの自動車って、パンクしたことある?」

 ポコポコと泡を立てていたサイフォンに濃い液体が満たされた。蓋をとってクルクルっとかきまぜていた琴音は、遠山が常識人すぎることに呆れたようだ。

「そうか……。ちょっと不思議だよね、たしかに。東名の事故も予言したの? トンネルの出口で、火災になるって? ……そんなこと、簡単に思いつかないよねぇ。それで豪雨? そりゃあ琴音が騒ぐの、無理ないよ」

 雅は、琴音の言い分に耳を貸している。というより、否定する材料を思いつかないのだろう。

「だけど、これって勘太の夢なんだろ? たまたま現実のものになったかもしれないけど、なんだかなぁ」

 遠山は、それでも納得できないらしく、首をひねったままだった。


「琴音ぇ、これなんだけどさぁ、どうして何もない日があるの?」

 ミルクをたっぷりかきまぜたカップを遠山に渡した雅が、カレンダーの所々にある空白を指した。

「その日は、特に大事件はないんだって。まあ、単に忘れただけかもしれないけど」

 琴音はカップを俺によこして、こともなげに言った。

「ちょっと琴音ぇ、勘太のお世話しないの? 愛想のないお給仕ねぇ」

「いいの。勘太はブラックしか飲まないんだから。大人なんだからね。それに、他人の前でイチャイチャしてはいけないってのが前田家の家訓なの」

「あー、反撃しようとしてるよ、生意気な。……まあ、それはいいとして、この次にあるのは……、月曜日の昼? 銀行強盗……、札幌でたてこもり? これ、本当なの?」

 雅の声が裏返った。カップを持ったまま俺をじっと見つめている。

「うん。そう覚えてる」

 しばらくして雅は、空いた手をヒラヒラさせて小ばかにしたように笑った。

「そんな、銀行強盗だよ。そんなこと、めったにあるわけないじゃない。だってさ、私の店が狙われたら、嫌だよ、そんな。だからね、これはないよ」

「そう……なんだけど……、そう覚えているから……」


「じゃあさ、もし事件がおきたら信じることにする。今はそうとしか言えないよ」

 遠山は、そんな大事件なら簡単に発生しないと考えたのか、顔が完全に笑っていた。

「そ、そうだよね。実際にそうなったら信じるしかなさそうね。それでさぁ、その銀行の名前ってどこ? 覚えてない?」

 雅は銀行員である。それだけに他人事ではないのだろう。それにしては、半信半疑だと自分で言ったばかりではないか。


「いや、覚えてる。だけど、連絡してやっても信用するかな? それが問題なんだ」

 雅でさえ疑っているというのに、見ず知らずの者が発する警告を誰が信じるだろう。


「なあ勘太、ちょっと聞くけど、こうしてお前が未来を予想していることは夢でみたか?」

 遠山が突然割り込んできた。

「いや、それは覚えていない」

「源太、どういうこと?」

 顔をあっちやこっちに忙しなく向けていた琴音が、カップを持ったまま眉間に皺を寄せて問うた。


「うん。こういう話をするとな、雅みたいに事件がおきることを通報しようとするだろ? もし相手が信用したら、事件がおきないかもしれない。つまり、未来を変えてしまうことになるじゃないか」

「あっ、そうか」

「だろう? そうすると、こんどは勘太が嘘つき……」

「源太! どうしてそんな酷いこと言うのよ。それでも友達?」

 遠山の不用意な一言が琴音を苛立たせた。

「違うって。だけど、それが世間じゃないかな」

「そうだよねぇ、勘太は役所勤めだから世間の目に晒されるし、公務員だと何を言われるかわからないよね」


「うわっ、二人とも冷たい言い方ねぇ。それが友達?」

「琴音ぇ、二人ともちゃんと心配してくれているよ。世間の見方を代弁しただけさ」

「……そんなら許すけど……。ねぇ、問題なのは最後の日なのよ。もしこれが本当になったら……。どう思う?」

 なんだかんだと時間をとったが、琴音は肝心の鹿児島旅行をきりだした。


「もし本当になったら、きっと俺は身元確認にかりだされ、琴音は救護の手伝いだろうな。勘太だって、現地の役場に協力しなくちゃいけないかもしれない。雅だけだな、行動が読めないのは」

 遠山は、冷静にそのときのことを予想している。実際、そういう事態になれば、遠山の思い描くとおりになるのだろう。

「そうじゃなくて、鹿児島へ行くの?」

 琴音は、計画の変更なり、中止なりで当日そこにいなければと考えたのだろう。

「うーん、困ったなあ。まあ、式に出席するわけじゃないから早めても良いだろうが、仕事の都合をつけなきゃいかんし、だからって皆も自由に休みをとれないだろ? ……むつかしいかな」

 手帳を繰りながら、遠山はしきりに首をかしげた。


「わかった! いいよ、行こうよ。そのかわり、翌日には帰る。ねっ、そうしよぅ?」

 それでも琴音は粘っていた。なにも鹿児島でなくても良いのである。少なくとも鹿児島から離れ、できれば九州からも離れたいのだろう。


「でもさあ、これって、ひょっとすると大儲けのチャンスだよ。このカレンダーを持っていたら、株で一儲けをたくらむやつがきっといる。うちの銀行だってウハウハ喜ぶよ」

 雅は、カレンダーを追いながら呟いていた。それは、俺たちには縁のない業界の目が言わせたのだろう。

「なんでだよ、馬鹿言うなよ」

 遠山が、困ったように雅をたしなめた。

「だって、何かおきると株価が上がったり下がったりするんだよ。それを先に知っていれば独り勝ちじゃない」

「そんなことは金持ちの話だろ?」

「だけど、突然に持ち株を全部売ればどうなる? わけがわからないうちに株の値段が急落するかもしれないでしょ? そうすると業績に影響がでるわよ。絶対に景気に影響するよ」

 たしかに雅の言うとおりだ。そんな大災害がおきるというのなら、値のいい今のうちに電力会社の株を売ってしまったほうがいいだろうし、復興を担う会社の株を買い占めることもいいだろう。すると、それを狙う奴が必ず現れる。どうすればいいのか、ますますわからなくなってきた。


 そして迎えた月曜日、終業間近に携帯電話がブルブルと震えた。

「ねえ、雅だけど……」

 まだ仕事の最中だろうに、雅が電話をよこしたのである。こんなことはこれまで一度もなかったことだ。だけど、ひそひそ話しではなくて、驚いたときの癖で声をひそめている。


「……あたった、……あたったよう。どうするの?」

「申しわけありません。ただいま来客中でして、その件についてはいつもの場所でうかがいますので」

「ちょっちょっ、ちょっと待って。勘太の携帯番号教えたから、電話がかかるかもしれないからね」

「はい、どちらからでしょうか?」

「道警よ、北海道警察。詳しい話が聞きたいって。じゃあ今夜」

 雅は、言いたいだけ言って切ってしまった。

 なんだよいったい。警察って、あいつどこへ報せたのだろう。あきれて灯りを落とした携帯を見つめたときに、盛んに明滅が始まった。


「お待たせしました。大変申しわけありませんが、まだ仕事の途中でして。終業になりしだい折り返しますので」

 それだけ言うと、有無を言わさず切ってやった。だいたい、琴音は俺の都合を考えないで電話をよこす悪い癖がある。急な話なら職場へ電話すれば良いのに、いくら言っても直らないのだ。


「松永君、電話よ。三番ね」

 キョロキョロ様子を伺いながら携帯をしまったところに、向かいの席から声がかかった。

「お待たせしました、松永です」

「勘太、大当たりだ! 予言的中だよ。でな、今夜寄るから、なっ」

 遠山までが興奮しているところをみると、夢と現実がきっちり重なっているとみえる。いったいどんなことになっているのか知りたくて、早く終業にならないかと気が気ではなかった。


「松永君、盲腸なんか病気ではないのだからね、明日は集中してくれなきゃ困るよ」

 係長の小言を聞き流し、俺は湯沸し室に駆け込んだ。そして、今日のニュースをのぞいてみると、トップにでかでかと銀行強盗の文字が躍っていた。




 なんとも重苦しい空気が漂っている。どうせ琴音が一人で騒いでいるだけだと軽く受け止めていた遠山と雅は、つきつけられた現実に声を失っていた。が、黙って雁首を揃えていたってどうにもならないのは確かなのだ。


「こういう結果を見せつけられたら、信じないわけにはいかんよなぁ」

 遠山は、ぼそりと呟いてラーメンをすすった。


 ザザーッ、ゾッゾッ、ズルズルズルズル、チュルチュル……


 四人で麺を啜ると賑やかだ。箸の触れ合う音や、ドンブリを置く音も加わり、話も弾むのである。なのに今日は、元気者の雅でさえ黙って箸を動かしていた。


「ところでなあ、雅。警察ってどういうことなんだ?」

 額に滲む汗を拭いながら、俺は雅に矛先を向けた。


「そりゃあ、事件のあった銀行に報せたよ」

 思ったとおりの答えが返ってきた。

「銀行な。で、どうだった? 少しは話を聞いたか?」

「……いや、胡散臭そうにされただけ。そんな夢の出来事をまともに聞いていられないって……」

 雅は悔しそうに言った。

「それで?」

「……警察に」

「警察に電話してどうだった。少しくらいは話を聞いてくれたか?」

「あれは……、怪しんでいたんだろうね」

「そうだろ? だいたい、何て言ったんだ?」

「だからね、銀行強盗があるから警戒してほしいって」

「警察はどう言った?」

「住所と名前と、それに勤め先や連絡先を訊ねられてさ。どうしてそんなこと知っているのかって……」

「うん」

「だから、夢で見た友達がいて、もう何度も言い当てているからと」

「それで俺の連絡先を教えたわけだ」

「だけど、そう言えば警戒くらいするだろうと」

「期待するよな。ただ制服の警察官を貼り付ければすむことだから。だけど事件はおきちゃった」

「……そうなんだよねぇ。……それと、もう……一箇所」

 そう言う雅の口が急に重くなった。

「警察だけじゃないのか?」

「誰も信用してくれないから……、テレビ……」

「テレビ? まったくお前は……。馬鹿みたいに騒ぎだしたらどうするんだよ」

「騒いだら信用する人だって出てくるだろうし、一気に広まるし……」

「まさかお前、俺のことを言ってないだろうな?」

「そんなことは言ってないよ。こうした予言があるとしか」

「お前に渡したコピーは返せ。それと、書いてある内容は全部忘れろ。じゃないと、とんでもないトラブルに巻き込まれるそ。いいな!」

「勘太、携帯光っているよ」

 ベッドの上に放り出してあった携帯が着信したのに、琴音が気付いた。


「お待たせしました」

「不躾ですが、松永さんの携帯でしょうか?」

「そうですが、あなたは?」

「松永さん、ご本人とお話がしたいのですが」

「松永は私ですが」

「松永勘太さんご本人ですね?」

「そうですが、あなたは?」

「申しわけありません。北海道警察の木下といいます」

「ああ、雅が話していた」

「はい。加藤 雅さんから通報を受けたのに、本気で受け止めなかったものですから大きな事件になってしまいました。それで、少々お訊ねしたいことがあるのですが……」


 十分ばかり話しただろうか、犯人との関係はないかとクドク聞かれただけである。最後に、なるべく近い将来に何かあるかということだったので、カレンダーを見ながら答えたくらいで電話は終わった。

 結局その日はそれ以上を考えることができず、お開きになった。


 その翌日、昼の休憩を終えて席に戻ると、メガネをしきりに磨いていた課長がチョイチョイと手招きをした。

「ちょっと話があるから……」

 すると部長も加わり、警察から在籍の確認電話があったことを知らされた。警察からそんなことをされる理由を説明しろというのである。こういう職員が、確かに在籍するかと問うだけで、別段不審げなことを言うでもなく切れたそうだから、何事かと驚いているらしい。どう説明して良いか困ってしまった。洗いざらい話せば、きっと心の病気と思われるだろうし、下手をすれば如何わしい薬物使用を疑われかねない。

 長い時間をかけてようやく納得させたのだが、とんだ迷惑だった。


 終業になって電話をよこした木下に、俺は不満をぶちまけてやった。

「どうして職場に電話をかけたのですか。嘘をついているとでも思ったのですか?」

「申しわけありません。仕事柄、どうしても疑り深くなってしまって。反省はしているのですが、騙そうという奴が多いものですから」

「それなら言わせてもらいますが、私だって同じことを感じているのですよ」

「そうそう、ごもっとも。ですから、北海道警察本部へ電話いただいてかまいませんよ。それに、ちゃんと身分証明をお見せしますから」

「わざわざ北海道へ来いとでも?」

「いえ。じつは明日、そちらへ出張になりましたので、ぜひお目にかかりたいのですよ」

「明日ですか?」

「はい。ご迷惑でしょうが、夕方にお邪魔して、いろいろと教えていただきたくてね。で、できればお友達ともお会いしたいのですが、なんとかお願いできないでしょうか」

「なんのことか知りませんが、それくらいならかまいませんよ。でも、私の自宅はご存知ないでしょう?」

「ですから、役所へ出向いて、勘違いさせたことをきちんと説明しますので」

 そういうことならありがたいが、いったい何を知りたいというのだろう。

「昨夜教えていただいたことですが、ええ、ヘリが送電線にひっかかって墜落した事故。ご存知ないですか? 中央アルプスで今朝。ですからね、どうしてそれがわかったのか知りたくて」

「あらぁ、落ちましたか……。それで会いたいということですね」

「えっ? ……ええ、まあ……」

 というようなことで不満が吹っ飛んだ俺は、明日の集合を皆にふれたのだった。



「ただいまー。かんたぁ、タオル貸してよ。もぅ、急に降ってくるんだから、まいっちゃう。ねえ、かんたぁー、いないの? お母さーん、タオルー」

 本当に騒々しい奴だ、琴音は。玄関を開けるなり、見慣れぬ靴に気付かず大声を上げている。母親にしたところが、他人にお母さんと呼ばれて嬉しそうに足音をたてているのだから滑稽なのだが、来客に気付いたのか、急に静かになった。


「勘太さん、入るわよ」

 俺の部屋でぎこちなく断っているのが聞こえた。苦笑している木下さんに声をたてないよう合図する俺は、ポリポリと頭を掻きながら照れていた。


「あれ? いない……。勘太さん、どこ?」

 広くもない家をあちこちうろついた末に、客間におずおずと顔をのぞかせた。


「……ごめんなさい、お客様だとは知らなかったので……」

「ごまかすなよ、全部つつ聞こえだったんだよ。いいから来いよ、北海道の木下さんだ」

 琴音と、笑いをかみ殺した木下との、それが始めての対面だった。


「松永さん、立ち入ったことをお訊ねしますが、前田さんとはどういう関係ですか? こんなことを言ってはなんですが、未成年者との不純交友ということはないでしょうね」

 木下が真顔で言うものだから、俺は呆れ、琴音は有頂天になってしまった。

「やめてくださいよ、幼馴染の同級生なんですから」

「……松永さん、嘘はいけませんよ、どう見ても高校生ではないですか。まさか、からだの関係はないですよね。もしそうなら、青少年保護育成」

「違いますって。琴音、免許証出せよ、また勘違いされてしまう」

「そんなに若く見えますか? 嬉しいなぁ。でも、本当に同級生なんです」

「ほう? では、お仕事はなにを?」

「淫乱看護婦です」

 琴音が口を開く前に、俺は正体をばらしてやった。


 しばらくそんな雑談をしていたのだが、遠山も雅も現れないので、二人して事の顛末を説明することにした。


「そういうことですか……、それでよく意味がわかりました。ところで、そのメモというのを見せてもらうことはできませんか?」


「はいはい、お待ちどうさま。殴り書きだから読み難いだろうけど」

 若く見えるとおだてられた琴音は、カレンダーをテーブルに置くと、聞かれもせぬのに説明を始めた。


「なるほど……。この赤丸が現実におこったことですね? そして、最後は八月六日ですね。それにしても、よく覚えていたものですね。いえね、私も夢は見るのですが、目が覚めてしばらくすると忘れてしまいます。それと、これはいつ書いたのですか?」

「たしか、退院した翌日に東名事故がおきました。前日に琴音に事故のことを話してあったので、驚いた琴音に聞かれるままに話しましたから」

「それにしても、ずいぶんたくさん書いてありますね。北海道での事件や事故はどうでしょうか?」

「北海道ねぇ、……ここに一件。それと、ここにも一件あります」

「ふぅむ、函館本線で脱線ですか……、それと? 根室で漁船が転覆……」

「それより大事なのは、八月六日の地震です。もしこれがおこってしまうと東北の二の舞です。いえ、それが南海地震を誘発するかもしれません。東南海や東海地震を誘発したら、それこそとんでもないことになります。だから……」

 俺の言うことに、木下さんはしきりと頷いていた。頷きながら手の平を下に向けて落ち着くように何度も振った。

「たしかにそのとおり。そんなことになったら東京から西は壊滅でしょう。だからといって、誰がそれを信じるか。そこが問題です」

「……」

「……」

「……とりあえず、これまでの経緯を上に報告しましょう。そして、管内の事故を教えます。でも、それはまだ一週間以上先の事故ですから時間を無駄にしてしまいます。ですから、直近の事件や事故を二つほど教えてもらえませんか。それが現実となればこちらの言うことに耳をかしてくれるかもしれません」

 木下は真剣な目をしていた。さっきまでの冗談を交わしていた時とはまるで違う、厳しい眼差しである。

「信用……してくれるのですか?」

 意外だった。銀行強盗を通報したことで縁ができ、ヘリの墜落を報せただけなのである。ほかにはこれといって実績はなく、派手さもないのだ。なのに木下は、軽視正という身分にありながらすぐに俺を訪ねてきた。

 それらしく様子を探るつもりだったのかもしれない。だが、琴音をまじえてすっかり打ち解けている。木下は、もう定年が近いように見受けられるが、かくしゃくとしている。それに、くったくがなかった。俺とくらべると親子ほどに違うというのに、年齢差をまったく感じさせないのだ。じっくり言い分を聞き、冗談を交えながら納得できるまで訊ねる。相手の地位も年齢も度外視しているような態度はとても好感がもてた。


「厚かましいお願いですが、北海道の分と、直近の二件くらいをメモさせてもらってかまいませんか? 上司を説得する材料として……」

 遠慮がちに言ったのは、ほんの少しだけでも写させてほしいということだった。

「いいよね、勘太。木下さんなら心配ないよ、きっと私たちにできないことをしてくれるよ」

 琴音が何をしようとしているのか、俺には十分わかった。コピーを渡そうというのだろう。それはかまわないが、ただ一つ、雅が言った経済への影響が心配であった。

「そんな、書き写さなくても、コピーを差し上げますから。しかし、ひとつだけ懸念があります」

「なんでしょうか? 決して悪いことには使いませんよ」

「実は、将来の出来事がわかっていればぼろ儲けできるそうなのですよ。そんな情報が漏れたら株が暴落するかもしれませんし、急騰する株もあるでしょう。そうすれば日本の経済はムチャクチャになってしまいます」

「あっ、なるほど……。では全面的に公開できないのですね?」

「いえ、たった一つでも同じだそうです。事件や事故の内容によっては、それだけで儲かるそうで、つまり、未来を知っていることが莫大な財産だそうです」

「なるほどねぇ……。警察なんかにいると、経済なんぞ外国のことのように考えてしまいますが……、いや、そうですか……。だとすると、どう説明するか、説得できるかですね」

「そうなんです。特に最後の地震なんか、あんな津波が押し寄せたら、きっと原発は被害を被るでしょうし、鉄道はズタズタになるでしょう。もし三連動地震を誘発すれば、太平洋岸に巨大津波が押し寄せます。地震による被害だけでも甚大でしょう」

「うぅむ……、そのとおりだ……」

「たとえば、被災する人を全員避難させられたとしても、どこに収容するのですか? いつまで?」

「……」

「その間、水や食べ物を支給できるでしょうか? 太平洋岸が軒並み被災したら、すさまじい人数の避難民がでますが、そんなに大量の非常食なんてありませんよ」

「だったら増産しておかねば」

「急場はそれで良いでしょう。でも、一瞬でなくなってしまいます。工場が被災すれば、もう生産できません。……つまり、壊滅と同じことなのです」

「……」

「お金持ちなら外国へ避難できるでしょう。しかし、貧乏人は? 鉄道や道路が使えなくなった。生産設備が役にたたなくなった。さあ、どうやって復興するのです? 資金は?」

「いや、だからといって何も教えないのは……」

「そういう側面があることを友達が教えてくれました。もう来るはずなのですが」


 遠山と雅が連れ立ってやってきたのは、それから三十分もしてからだった。

 無遠慮な雅は本当の警察官なのか怪しみ、身分証明の提示を求めたのだが、木下は嫌な顔一つせず、皮ケースに収められた身分証明を見せてくれた。

「あのう、警視正というと、どのくらいの階級なのですか? 警察なんて、警部くらいしか知らないし……、偉い人なんですか?」

「署長くらいの人じゃないのか?」

「いや、たいしたことはありませんよ。所轄の署長は二度経験しましたが、本当に役立たずなので本部に戻されたくらいですから」

 木下は、首筋に手をやって照れたように笑った。

「あなたが電話をくれた加藤さんですね? あのときは失礼しました。真面目に対応していたら未遂ですませたはずなのに……、申し訳ない」

「いえ、私だって信じていなかったことだし……。だけど、飾らない人ですね、木下さんって」

「いまさら見栄張ったところで、得なことはひとつもありません。それより、松永さんが言っておられた経済への懸念ですが、とても興味深いことです。私に理解できるよう教えていただけませんか」




「おかげでよく理解できました。とすると……、これは道や県のレベルで考えることではないですね。松永さんの考えが当っていれば、いや、そうでなくても国レベルの対策が必要です。となると、国を動かさなきゃ話にならない。しかも、極秘に……」

「何か方法がありますか?」

「危機管理室……。真面目に対応するだろうか……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「わかりました。明日、連絡をとってみます。残りは一ヶ月しかありません、急がねば。ただし、皆さんにも協力してもらうことになりますが、よろしいですか?」

 しばらく考えていた木下は、何かを決断したかのように歯切れの良い言い方に変った。


「協力って、どういうことでしょうか。全員仕事がありますので」

「ですから、当分の間、仕事は休んでいただきます」

 方針を決めたのだろう、木下はきっぱりと言い切った。


「そんな無茶な、できませんよ、そんなこと」

「仕事先には政府から要請させます。疑ってかかる者では話になりませんからね。それに、すべての情報を統制します」

「どういうことですか?」

「そうすれば、地震学者や火山学者を動員できますし、緊急物資の備蓄もできます。実際におきると想定して準備していれば、被害を限定できるかもしれません」

「そんなことをしたら経済がボロボロになります。政府なんて信用できませんよ」

「わかります。でも、皆さんが考える政府は、ただの国会議員です。警察だって、国を壊すようなことを政府が企むのなら、遠慮なく取り締まりますよ。ここは現場を信じてください」


 堅い話はそこまでだった。集まった四人と打ち解けるうちに俺たちの関係を察したのか、木下はニヤニヤしていた。

「それにしても珍しいですなぁ。小学校からの幼馴染ですか? こっちの二人と、そっちの二人。なるほどねぇ……。ものの言い方、気配り、仕草。それ、その視線。羨ましいなぁ……。それなのにまだ苗字は元のままですか? 呑気に構えていたら愛想つかされますよ」

 そう言い残し、翌朝には東京に行く必要があると言って夜行バスで帰って行った。


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