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9.!這い出して笑ってる!

 


 死体は大柄な女性で、薄布を纏った身体で器用に私を抱き上げた。私が水を飲まないように抱えながら、運河の端に近寄った。


「エリィ!!!」


 船着場にいるサインに大量の死体がしがみついている。息を呑んだ私を、引っ張り上げる腕があった。


「エリオット!」


 ザルグ=コールだった。彼はびしょびしょになった私に構わずに、運河の端から抱き上げた。


「馬鹿かお前は……!」

「コール様、」

「あれほどちょろちょろ動き回るなと言ったな、俺は」


 コール様は激怒していた。目の縁が真っ赤に染まっている。だけど私はそれどころではなくて、死体に埋まりかけたサインを見て青ざめた。


「エリィ……」


 銃を持った手が、数十もの死体の身体の下に埋もれていく。

 悲鳴を漏らした私をマントに庇って、ザルグ=コールが死体の山を睨みつけた。


「ここでお前は終わりだ。サイン=マキナ。俺の兄を覚えているか?」

「……」

「ヘイガ・レーナ・ザルグ。お前が殺した。だから俺は……お前を殺しにきた!」


 バキン!と死体の山の中から何かが折れるような音がして、私は身を縮めた。まさか。


「サイン……?」

「……」


 サインの手が見えていないはずの私に向かって、正確に狙いを定めた。私はそれをぽかんと眺めたまま。


「!」


 死体の山たちの動きが一瞬止まった。ザルグ=コールが私を抱きしめて、その場でうずくまる。

 何かが蓋の中で爆発したような、くぐもった爆発音が聞こえた。


「……やっぱり……」

「!?」


 銃声は聞こえない。代わりにバタバタと人が倒れる音がした。ザルグ=コールがびくっと身体を引きつらせた。


 死体が雪崩を起こして山から滑り落ちる。

 その中から、血だらけの白髪がぬっと現れた。革手袋をはめた手がこちらに銃を放り投げて、横たわった死体を無造作にどかして山に穴を開けた。


「『棺桶引きの一族』……」


 サイン=マキナが囁くようにして、死体の中から身体を引き摺り出した。ひどくゆっくり立ち上がる。肩を押さえて首を鳴らし、地面に血を滴らせながら。

 私は唇を震わせた。耳を引っ張られて泣きそうになっていたサイン=マキナは、今はどこにもいないんだと唐突に思った。

 ……この人、ほんとうは。


「エリオット。下がれ!」


 ザルグ=コールが立ち上がって腰元の剣を引き抜いた。慌てて地面に這いつくばった私を見て、サインがにたあ、と笑いかけた。それからぐらぐら揺れながらコール様を指差した。


「お前、ザルグ……」

「?」


 コール様はサインが何を言ったのか、聞き取れないみたいだった。顔を歪めたまま片手を挙げて、それに呼応するように周囲に冷気と衣擦れの音が溢れた。


「……!」


 私は身体を震わせた。ザルグ=コールは、一体何人の死体を操れるんだろう。

 製鉄所の塀を乗り越えて、数多の死体たちが現れた。死体たちはあっという間に私をサインから守るように隊を組んだ。コール様は剣を構えて、それが月明かりを反射した。

 そのときだった。


 サインを囲むようにしていた死体の輪から、何人かが吹き飛んだ。欠けた輪の間から、巨大な車輪が2つ連なった奇怪な乗り物にのった、中年の男が現れた。


「あーあー、またやられたなあ」


 多分、この声は、あの日地下牢でサインを逃した男のもの。

 男は不思議な音を乗り物から響かせながら、被った帽子を脱いでサインを下から上まで眺め回した。


「あ? 鎖骨が折れた? まずいじゃん〜も〜。後でゲロ吐くぞ、マジで。も〜」


 そしてそのまま、大柄なサインのコートを引っ張って、そのまま乗り物の後ろに押し付けた。


「逃げる気か……! ソルベント商会!」


 ザルグ=コールの震えた声に、男は帽子を被り直して困ったように笑った。


「自分、全然全然、ソルベント商会とかじゃないですよ。あんな鬼畜集団ちょっともう無理っていうか。というか、特に血の気の多い人にちょっと向こうで捕まって。あ、怖いんで逃げてきましたけどね。見えますか? あそこ、あそこ」

「……?」


 何かに気づいたコール様が、その場で合図みたいに剣を振った。わっと死体たちが私の視界を覆い隠した。何か嫌な予感がして、離れた製鉄所の屋根を見た。

 ソルベントの当主らしき人影が揺れる。チカチカと光る何かを持っていた。


「エリオット、伏せろ!」


 コール様の絶叫、それからサインを載せた乗り物が走り去る音、それから地面を揺らすほどの衝撃。私は死体に守られながら、ただひたすら震えていた。









 事件から、2日が経った。


「貴方は短い髪も似合いますね。エリオ」


 朝日が差す修道長の事務室で、私は修道長に髪を切って整えてもらっていた。昔、一度だけ、孤児院からここに来た日にも髪の毛を切ってもらったことを思い出しながら。


「耳もほら、こうして編めば隠れます」

「ありがとうございます、修道長」


 鏡の中には、青白い顔をした私がいた。不安そうな表情は、ひどく幼く見えた。


 サイン=マキナとあの男は、製鉄所から逃走した。

 コール様はソルベント商会当主と思われる人物から受けた爆撃で怪我を負った。彼女もすでに、私達が攻撃をやり過ごした途端にその場から姿を消していた。

 スチームエンデと言われる製鉄所は未だに内部の自動機械の暴走が止まらず、小規模な爆発を繰り返している。

 この事件を受けて、ソルベント商会の貴族としての家格は諮問にかけられた。といっても彼らの持つ技術や武器、ひいては街に建ち始めた製鉄所などは、王城にはもう無視できないほどに強大な力となっている。というわけで議会は紛糾し、2日経った今でも決着が見えない状態らしい。


「大変でしたね、エリオ。同情します。……ですが、また、貴方をしばらくお務めに出すわけにはいかなくなりました」

「……はい」

「噂話では済みません。まだ、しばらく王城の騎士様から事情聴取は続くでしょう。真摯に答えるように」

「はい」


 私の暗殺を依頼したと思われる貴族は、ザルグ=コールが嫌疑にかけた。ソルベント商会と共に追及が始まったところだけど、お互いに嘘を重ねるので騎士たちが頭を悩ませているらしい。もともと貴族が黒だと言えば白も黒になる世界だから、平民の私の命が狙われたことなんて、あまりたいした問題じゃない。貴族同士の蹴落とし合いが始まっただけのことだと、聴取の合間に会ったメレは呆れたように教えてくれた。


 ぼうっとしている私の肩をぽんと叩いて、修道長は終わりだと告げた。それから不意に言った。


「エリオ。貴方、いくつになりました?」

「24です、修道長」

「良い年齢ですね。……人の為、よく尽くしてくれました」


 私は固く背筋を伸ばした。視界の端がピリピリと滲むほど、空気が尖る。


「修道長、私、このお仕事が好きです」

「……知っていますよ」

「人が好きで、話を聞くのも、お別れを祈るのも好きなんです」


 修道長は溜め息をついた。事務机に掛けて、胡乱な目で見つめてくる。


「ええ、知っています。ですがもう、1人の相手のために生きるのも悪くないのでは?」


 私は絶望に顔を歪めて、喉から空気を漏らしてしまった。それから強く首を振った。


「辞めません。私、修道長、辞めません」

「……エリオ」

「ご迷惑をおかけしてすみません。でも、私、辞めたくないです。どうかここにおいてください」


 大変な迷惑をかけた。

 騎士達が私の部屋を調べて、隣の部屋との壁の間に狭い隙間があることを発見した。私の部屋に向けて小さな穴がいくつも空いていて、人1人、やっと入れるくらいの隙間。

 隣の女の子は真っ青になって、それから1歩も自分の部屋に入れなくなってしまった。修道長は城内の別棟の寮に皆を移すことに決めて、皆は気味が悪そうな顔をして慌ただしく荷物をまとめた。

 そう、私は皆に迷惑をかけた。大変な。

 それでも私は、このお務めを辞めたくない。


「困りました」

「!」

「困りましたよ。……エリオ」


 修道長は深く溜め息をついて、私は膝の上で拳を固める。15の頃、初めて髪を切ってもらったとき、同じようにして修道長の言葉を聞いていたことを思い出した。彼女は優しい人だけど、情が深い人じゃない。


「エリオ。貴方は……少し、幼いところがありますね。親御さんがいない故でしょう。そういう子は得てして皆、常に誰かから必要とされることを望みます」

「……」

「たくさんの人に好かれたい、必要とされたいという、身の丈に合わない欲に、貴方が囚われすぎないことを祈ります、エリオ。『祈り・聞き屋』のままの貴方を本心から必要とする人は、多分この世にはいません。……行きなさい」


 私は修道長を半分くらい睨む勢いで見つめ返した。それから頭を下げて部屋を出た。









 ザルグ=コールの屋敷は王城の敷地のすぐ隣にある。貴族の騎士というのは王城の中に自分の部屋を持っているけど、王様から言い付かって治める領地に自分のお屋敷も持っているんだって。

 そしてコール様は特に治める領地を持っていない特例の貴族なので、王城の近くに屋敷がある唯一の騎士らしい。よく分からないけど、いつもは王城の部屋で過ごしているコール様が屋敷にいるのには色々な理由があると言われている。怪我を治すのにゆっくり療養するためだとか、一部の貴族を敵に回して少し、立場が危うくなっているためだとか。

 とにかくその辺の情報を先輩たちに洪水みたいに耳に流し込まれた私は、若干疲れながらお屋敷を訪ねていた。手には先輩達から持たされたお茶菓子と茶葉。持たせてくれた先輩たちは、顔を見合わせて笑っていたけど、見たことのない顔だったと、思う。


「ごめんください」


 コール様の屋敷は広かったけど静かだった。誰もいないみたいに静まり返っている。本当に誰もいないんだろうな、帰ろうかな、とうろうろしていたら、扉が開いた。

 小綺麗な格好をした、紳士然とした初老の死体がいた。

 それから見えるホールの真ん中にある階段から、何かが転がり落ちてきて私は目を丸くした。


「うわっ!」

「ーーこ、コール様?」

「……」


 シャツ1枚だけ羽織ったコール様は、よろよろしながら起き上がった。それから何でもないふうで手を挙げた。


「どうも、エリオット・コンスタンス。調子はどうだ?」

「……こ、コール様こそ、だ、大丈夫ですか」

「ああ。あの成金貴族まがいから受けた傷など、俺にはたいした問題ない。ほら、塞がってる」

「いや、今の、階段の……」

「……」


 コール様は背中をさすりながら私を屋敷の中に招いた。どうやら彼は屋敷の中でも死体を使役しているらしい。廊下はぴかぴかだったけど冷え切っていて、肩を震わせた私を見て、コール様は咳払いして黒いストールを貸してくれた。


「来るとは思わなかったから、たいしたもてなしは出来ん」

「いえ、急にすみません。ご迷惑をお掛けして怪我までさせてしまって、謝りたくて。すぐ帰ります」

「別に帰れとは言ってない」


 来賓用の客間に座ったコール様は、シャツの釦を留めながら私を盗み見た。その間に執事みたいな死体が、手早くお茶を淹れている。

 嘘みたいに静かな部屋だった。本当にザルグ=コール以外は死体しかいないのかもしれない。


「コール様、今回の件、……」

「座れ。ちょっとは付き合え。どうせ謹慎中だろう」


 コール様は言ってから頭をぐしゃぐしゃにした。


「あー、悪かった。違う。急ぐな、ゆっくりしていけ」

「はあ……」

「俺が好きなの知ってたのか? これ」


 椅子に座った私の、机を挟んだ反対で、コール様はお茶菓子を指さした。私は曖昧に頷いた。

「ふうん」と目を逸らしたコール様は、何だかとても慌てているようだった。いつも折り目正しく整っているトラウザーズは皺が寄っていたし、さらさらの髪があっちこっちに跳ねている。実は体調が良くないのかもしれない。

 私は早々に謝罪をすることにした。


「コール様、あの、今回の件、ほんとうにすみませんでした。私の浅慮で怪我をさせてしまい、お仕事にも迷惑をお掛けして」

「……。エリオ」


 目を瞬いた私を見て、コール様は頬杖をついて身を乗り出した。ひどいしかめっ面だ。


「王城の外にはしばらく出るな。お前の保護は俺に一任されている。出たら怒る」

「は、はい」

「気が塞ぐだろうが我慢しろ。サイン=マキナの異常さは今回の件で俺も骨身に染みた。あれは……お前と心中するなら何でもする男だ。本当にな」


 私は頷いて、血だらけのサインに思い馳せた。それから目の前の男を見つめ返した。視線が合ったコール様は何故かぎょっとした。


「……お前、髪、切ったな?」

「え? はい。今ですか?」

「髪型が変わっただの耳が半分欠けただの、俺は実はそのへんどうでも良くてな。身なりが良い方が貴族共にウケが良いだけで家の中ではいつもこうだ。ガッカリしたかもしれんが……。とにかく。まあ、似合うよ」


 最後だけビシッと語気を強めたコール様に、私はまた、曖昧に頷いた。彼に言いたいことがあったことを思い出した。


「ペトロが、いなくなりました」

「……へえ」

「逃げる子じゃありませんでした。籠の蓋が間違って開いても、逃がそうとして外に出しても、私のそばを離れる子じゃなかったんです」


 昨日、最後に私の引っ越しだけを残した寮の窓際。王城での聴取から帰ってきた時にはもう、ペトロはいなかった。もう二度と会えない気がして、それは私のせいだとも思った。


「それでそんなにしけた顔をしてるのか。探させよう」

「……ありがとうございます……」

「泣くか?」


 袖のカフスを触ったコール様に、私は驚いてから首を振った。


「なんだ、泣かないのか。慰めてほしいんじゃないのか?」


 コール様は拍子抜けしなような顔をしてから、またしかめっ面をした。


「皆に泣いて縋られる『祈り・聞き屋』が……泣きたいときは誰に縋るのか、最近、疑問だ。エリオ、お前が泣きたいときはどうするんだ? 拠り所は誰だったんだ。あの鳥だったのか」

「……」

「俺が代わろうか」

「え?」


 思っていたことがある。サインがあのとき、コール様に何を言ったのか、私には分かっていた。


「俺が愚痴でも泣き言でも聞いてやる。ついでに屋敷の部屋も一室貸してやる。もうどこに引っ越そうが安心出来ないだろうが……俺のところならまた、幾分かマシだろ」

「……」

「なんだよ。ちなみに下心はわりとある。結婚しろ」


 私はお茶を飲むふりをして、顔を隠した。

 コール様はますます不機嫌そうに窓の外を眺めた。何かとても珍しいものが庭に咲いているかのように、熱心に。


 嘘をつくな、とサイン=マキナは言いたかったんだと思う。


 ーーザルグ、お前、本当は俺を殺したいんじゃないだろう。


 笑う彼の薄い唇は、たしかにそう呟いていた。




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