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6.?近寄ってくる?

 


「おねがい、おねがい……」


 もう1回、よし、もう1回。

 私は祈りながら、淡い色の塊を老婆の身体に押し戻した。でもその魂はふわふわと漂いながら、老婆の身体には戻らない。地面に落ちる羽毛みたいに左右に揺れながら、私の手の隙間からこぼれ落ちた。


 東のランプ屋のおばあさんが亡くなって、『別れ祈り』の儀式を任せてもらった。夜明けまでもう時間もあまりない。彼女の魂はわりと地面に落ちるのがゆっくりな人だった。

 人の顔を覚えるのが上手で、最期まで息子さんの心配をしていた。心配で心残りだったのかもしれない。

 私はショールを老婆の身体に掛けて、手を組んでお別れを告げる。


 サイン=マキナを生き返らせた時から、私はしばらく精神的に不安定になった。気付くのが遅かったという、後悔の念から。だってもっとたくさんの人を救えたかもしれないのに。


 だから、別の女の子が『別れ祈り』の当番の時も彼女達がうとうとするのを見計らって忍び込んだり、代わる、と告げて入り込んだりしたけど、数年の間に生き返らせることが出来たのは数人だった。ほんの少しの怪我や病気だけがある人、または全く両方とも無いような人で、かつ、突然倒れたような人の内の、わずか数人だった。

 まるで本来死ぬ予定ではない人が、何かの拍子に身体と魂を繋ぐ糸を誤って切られたような、そんな人達だった。


 多分、魂の入れ物たる身体には、その入れ物であることを満たす基準があるんじゃないかと、私は思う。例えば大きな怪我で血を流しすぎたとか、内臓が機能していない、とか。だからサイン=マキナは生き返り、ヘイガ・レーナ・ザルグは生き返らなかった。違いは恐らく、致命傷があるかないか。だから、そういう身体には、魂は再び宿ることはないんじゃないかと。

 でもそれは、私には分からない。生き返るか生き返らないか、決めるのは私じゃない。きっと、その人達自身なんじゃないかと思うことで、私は精神的にやっと落ち着いた。


 だから私は、この街の、手の届く範囲の人の『別れ祈り』には必ず顔を出すことに決めている。それが私に出来ることだから。


「エリオ! またハンカチ落としたでしょ」


『別れ祈り』を終えてお風呂をもらったところで、廊下でメレに声をかけられた。同い年で、同じ時期に孤児院に入って、同時に『祈り・聞き屋』になった。スラッとした身体と金色のつり目が猫みたいな子だ。


「あれー?」

「また気づかないうちに色々失くしちゃうんだから」

「よく失くなって出てこないから、諦めてた」


 ヘラヘラ笑った私を見上げて、メレは溜め息をついた。


「東のランプ屋のおばあさん、あんたに『別れ祈り』してもらいたいってよく言ってたわ。……お疲れさま」

「ありがとう。メレの12の誕生日のお祝い、あのランプ屋さんで買ったランプだったんだよ」

「あのステンドグラスの奴ね。なかなかパンチの効いた色合いだったわ」

「え、そうかな?」


 朝日が差し込む教会の中庭を突っ切って歩いて行く。花壇の横に座った女の子達が、私とメレを見て会話を止めた気がした。


「今日の夕方、そのランプ屋のおばあさんの息子の相談が1件、さっきあんたに入ったわ」

「……色々と不安なんだろうね。わかった、ありがとう」

「相変わらずご指名が多いわね。その前にザルグ=コールからの相談が入ってるわよ」


 こけそうな私を支えた、メレの顔は変化がない。私は喉を鳴らした。


「メレ、あのう」

「……なに。気持ち悪いわよ、顔」

「こ、コール様は、サイン=マキナを捕まえたくて……だから……」


 コール様は違うの、と言いかけた私は腕を離されて、そのまま芝生に「ふぎゃっ」と膝をついた。

 恐る恐る見上げると、憤怒の顔をしたメレがいる。周りの女の子たちがざわざわし始めた。


「あんた、だからあたしを避けてたわけ」

「……さ、避けてない!」

「嘘つきなさい。あたしがザルグ=コールを狙ってたからって遠慮してるじゃない!」

「してないもん!」


 メレはコール様のことが好きだと思う。『祈り・聞き屋』の相談には指名とそれ以外があって、本当にたまにザルグ=コールの名前が指名なしで入ると、珍しくメレは名乗り上げることが多かったから。


「貴族なら何だって良かったのよ、あたしは。ザルグ=コールじゃなくたって」

「嘘だもん! メレ面食いだもん!」

「うっさいのよ!」


 くわっと口を開いたメレは、私の肩が外れそうな勢いで引っ張り上げた。


「要らない遠慮で機会を逃すなんて、ただの馬鹿よ。あんたがコール様に気に入られたなら、それを使ってあたしだってもっと良い男を捕まえられるかもしれないじゃない」

「……痛いよ〜」

「知らないわよ。とにかく! 気持ち悪いからちらちらちらちら『ごめんね〜』みたいな視線送ってくんじゃないわよ。迷惑よ」

「……心が痛いよ」

「知らないわよ」


 私はほっとして、なんだか泣けてきた。鼻をすすった私を冷たい目で見て、メレは肩を貸してくれた。








 コール様は、特に相談はないらしい。


「順風満帆だからな。鬱陶しいソルベント商会もナリをひそめているし。言い寄ってくる貴族のご令嬢も減った」


 実は3回目のご指名。『祈り・聞き屋』の女の子たちに相談する場所は、男性なら2人きりにならない場所で、という条件はあるけど、それを満たせば何でも大丈夫。

 というわけで私は王城の貴族達が使うお城の中のサロンで、ふわふわのソファで肩身狭く編み物をしていた。コール様はちょっと距離を空けた隣で、さすがの堂々さで本を読んでいる。

 周りには同じように政務の途中でひと休みにきた騎士や、ハープの練習をする淑女がいる。場違いすぎて帰りたい。


「あちらの淑女から」


 給仕の女の人からグラスに入ったワインをもらったり。帰りたい。ぜったい怪しい。

 でも受け取らないと、と伸ばした手の前を、長い指が遮った。そのままグラスを追った私は、上下したコール様の喉元を見て、ちょっと引いた。


「可愛い毒だな」

「え、何で飲むんですか……?」


 扇子を口元にやって遠くで笑っていた淑女達が、コール様を見て目を丸くしている。


「穴という穴から強烈な臭気が出るようになる毒だ」

「……」

「何で離れる。解毒の抗体が身体に入ってるから大丈夫だ」


 ビビっている私に、にやにや笑ったコール様がグラスを傾けた。


「こういうのが欲しかったんだよ、俺は」

「……ええ……」

「毒じゃないぞ。その目をやめろ! ……完全に恋人を守る紳士だろ。こうやってお前は俺と結婚するしかなくなる訳だ」


 真顔になった私に、コール様も真顔になった。


「……相談がないから暇つぶしに何でもして良いと言ったが。さっきから何を編んでるんだ?」

「……『別れ祈り』に使うレースのショールです。『祈り・聞き屋』の女の子達はまず一番最初にこの模様と、込める思いを決めるんです」

「お前は何を」


 私は悩んだ。私の模様はサイン=マキナを生き返らせた日から変わっている。


「どうぞ安らかに、と」

「ありがちだな」


 まあ、そんなもんだ、とコール様は笑って、本を膝に置いて目を閉じた。


「人間誰しも穏やかには死ねんからな。最期にお前みたいな穏やかな人間に祈ってもらえるだけ、幸運だ」

「……」

「眠くなってきた」

「え?」


 私はビシッと固まった。肩にさらさらの黒髪が触れる。


「順風満帆で仕事が捗りまくった。昨日あまり寝てない……」

「こ、困ります」

「匂うか?」

「いや、そうじゃなく」

「じゃあ肩ぐらい貸せ。半分はお前の見張りに死体を割いてるせいだ……」


 コール様の語尾が揺れた。


「サイン=マキナは異常な男だ。いつ狙ってくるか分からん。あまりちょろちょろ動きまわるな」

「……す、すみません」

「1人で動くな。何かあったら誰かを呼べ。だが、たとえ何も出来ない時にも、俺はいる。死体を使ってお前を見ている……」

「……コール様」


 目が合った。瞬きをした私に、コール様は片目だけ瞑って笑っている。


「エリオット」

「は、はい」

「お前、ちょっと慣れたな。俺に」

「……」

「嬉しい。頑張れ」


 私は肩口をかちこちに固めたまま、呆れたようにこっちを見る紳士淑女の視線を避けて、無心で編み物を開始した。







 東のランプ屋を継いだ息子さんは、30を過ぎた頃の穏やかそうな、線の細い人だった。げっそりした顔で色々なことに不満をこぼしていた。取引先の試すような要求に神経がすり減る、とか、上手く引き継ぎ出来てなくてあの色の硝子の在庫が見つからなくて焦った、とか。でも、たぶん本当の不安の原因は、一番近しい人を失ったことから来るのかな、と思った。

 でも私たち『祈り・聞き屋』の仕事は話を聞くことだけ。解決の手助けや助言をすることではない。それでも、尊ぶべき人間たちは、話すことで自分の気持ちを整理して、また前を向くことが出来る。

 だから私は人が好きで、この仕事が好き。


「ありがとう、エリオさん。また来るよ」

「はい、頑張ってください」


 王城の中の公園は、夜になると池にランプを浮かべる。それがとても幻想的で人気があり、家族連れや若い男女で賑わっている。

 手を振ってランプ屋の男性と別れた私は、足元にランプが揺れながら移動するのを見つけて首を傾げた。池からちょっと離れた公園の隅だったからだ。


 それは足元に車輪がついたブリキの人形だった。小さなランプを手に提げて揺らしている。チキチキチキ、と音を立てるそれに、思わず腰を落とした。どういうカラクリなんだろう。世の中の技術はどんどん進歩して、王城からあまり離れない私には知らないことばっかりだ。


 その人形はパカパカ腕を上げ下げしながら、踵を返してそのまま公園から移動した。『祈り・聞き屋』の女の子たちの寮の方向へ、レンガ道を揺れて滑る。途中で貴族の子供が蹴っ飛ばしそうになったので慌てて止めた。


 なんだか気になった私は帰りがけについていくことにした。寮までは人通りも多いし、もし途中で逸れたらそこまでにしよう。

 カンテラを提げてついていく私に、兵士や騎士が物珍しそうな顔をする。


「ん?」


 気づけば寮の中まで入っていく。何やら車輪の内側から鉄の足が出てきて階段まで昇り始めたので、私は眉を顰めた。まさか。

 そして嫌な予感は的中して、ブリキ人形は私の部屋の扉に侵入しようとして出来ず、ガンガンと追突し始めた。ゾッとした。


 思っていたことがある。

 サイン=マキナは私のことをどれぐらい知っていたんだろう。ずっと見ていたって、いったいどこまで。


 震える腕で、私は自室の扉を開いた。

 進んだブリキ人形は、月明かりが差し込む私の部屋の真ん中で、首を傾けて動かなくなった。キュー、という不気味な笑い声みたいな音を立てて。


「オケーリ、オケーリ」


 ペトロの鳥籠に、白いレースのショールが掛かっている。あの模様は、と思った私は言葉を失った。


「メレ、カエシテホシイ? カエシテホシイ?」


 私を見て、ペトロが止まり木の上で跳ねた。楽しそうな鳴き声を発しながら。


「ヒトリデオイデ。ダレニモダマッテ、ヒトリデオイデ。スチームエンデニマッテル。マッテル」


 そこで急に、床にいたブリキの人形がボン!と音を立てて崩れ落ちた。よく見るとメレと一緒の高い位置で髪を括ったような頭をしていた。

 私は尻もちをついた。


「カワイーネー、カワイーネー」

「……」

「カワイーネー、オレノエリィ、エリィ」


 思っていたことがある。

 サイン=マキナは、いったい私の生活のどこまでに浸食していたのだろう。そして子供を助ける一面の裏に、どんな残忍さを隠し持っているのだろう。


 私はしばらくしてから立ち上がって、ブリキの人形を力の限り蹴っ飛ばした。それから革のバッグを背負い、ブーツに履き替えて部屋を出ることにした。



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