5.?見られてる?
私は2人が載せられた石台の横で跪いて、そのふわふわした小さな塊が浮かんでいるのを見つめていた。そして白髪の騎士の名前だけを聞いて、彼の懐中時計に刻まれていた文字の意味を考えていた。
『サイン・テッセ・ソルベント……』
全く覚えがないけど、この人は私のことを知っていた。何故だろう。分からない。何故。
と、そこで、白い塊が、私の耳のあたりをふわふわと漂い始めたことに気がついた。なんだかくすぐったくてあったかいような。サインという騎士の魂は、彼のふわふわの髪の毛によく似ていた。
その時に気がついたのだ。私は。それに触ることが出来るということに。
そして、白い塊をサインの身体に押し戻すと、彼がビクッと痙攣したことに死ぬほど仰天した。自分のしたことが何かとてつもなく大変なことだと思う前に、必死で、もう1つの真っ赤な魂を押し戻そうとした。黒髪の騎士の身体に。……戻らなかったけれど。
真っ赤なふわふわは、泣く私を嘲笑うかのように手から離れて逃げ回った。私はどうしても捕まえたかった。生きられるなら、死んだほうが良い人なんか、この世にいる訳がないんだから。
『待って、違う!』
でも、そこで、その塊は何故かサインの身体に入ろうとした。
悲鳴を上げた私はそれを掴んだけど、確かに、一度、黒髪の騎士の魂は、サインの身体に入り込んだ。そして私が指を広げたときには、細かく散った羽毛みたいに、どこに引っかかることもなく石床に落ちて溶けた。
……なんてこと。
ガタガタ震える私は夢から醒めたみたいな心地でいた。ようやく自分がしでかしたことに気がついた。
『わっしょい!!!』
『ひい!』
サインがくしゃみをしたことに、心臓が痛くなるほど驚いた私は、もうどうしたらいいか分からなかった。
儀式に使ったレースのショールだけを未だ目を開けないサインの身体にかけて、生まれて初めて、『別れ祈り』の最中に部屋から逃げるように駆け出した。教会でパイプを吹かしていた当主に声をかけたところで、記憶が途切れている。
それから当主は秘密裏に色々と暗躍したらしく、城内の騒ぎはそこまで大きなものにはならなかった。斬られた子供が何とか一命を取り留めたということも大きかったと思う。そしてサインという騎士が、あの黒髪の騎士から子供を守るために正当な防衛をした、という事実だけが皆に浸透した。それからサイン=マキナの名はどこか怯えを含んで、皆の囁きに混ざるようになった。
あの、黒髪の騎士の詳細は一介の『祈り・聞き屋』には教えてもらえず、察するに留まった。
ある日、手紙が届いた。あの夜のことは口外してはならない、と。ソルベント商会の当主からだった。
私としても、あの夜にあったことは、誰にも話すことは出来なかった。何かとても大変なことをしてしまったのだと、それだけを理解していたから。
「ヘイガ・レーナ・ザルグ……」
あの人が。
あの、遺体を欲しがり、子供を殺しかけ、サイン=マキナを一度殺した男が、ザルグ=コールの兄だったのだ。
「知っているか? 我がザルグの騎士位が剥奪されかけた原因の、愚鈍な男だ」
陽だまりの庭で、腕を組んだコール様が、感情の読めない目で私を眺めている。首を振った。
ヘイガ・レーナ・ザルグがサインを殺害したことを、コール様は知らない。そして彼の『別れ祈り』を担当したのが、私だということも。
「奴のせいで俺は酷い状況のなか当主にさせられ、それはもう筆舌に尽くし難い仕打ちを受けたわけだが……それはまあいい。あんなでもたった1人の身内だったんだ」
「コール様……」
「サイン=マキナが正しいのは事実だ。俺の兄は子供を殺しかけ、更に続けようとした。止めたサインが正しい」
でもな、とコール様は気軽な様子でティーカップを揺らした。
「まあでも、許せん俺がいる」
決めているような顔だった。だからこその穏やかな声だと思わせるような。
ぞっとした私は、ますます手を握り込んだ。
「ですが、そんなことをしたら……」
「俺はどうなる? とでも思っているのか?」
コール様は急ににやにやと笑い出した。
「心配してもらって悪いが、上手くやるに決まってる。そのための今の地位だ」
「……」
「せいぜい利用させてもらうぞ、エリオット・コンスタンス。昼食と菓子ぐらいは差し入れしよう」
「……いや、いいです……」
「……そんなに俺が不満か?」
窓枠に肘をついて、ザルグ=コールが上目に覗き込んできた。恋人に会いに来たみたいに。
「『祈り・聞き屋』が天職だな、エリオット。お前になら何もかも話しても後悔しなさそうだ」
私はくらくらして、ぎゅうぎゅうに手を握りしめた。こうでもしなかったら色々と耐えられなかったから。
沈黙した私を見て、コール様は息をついて笑ってから、「ごちそうさん」とティーカップを窓枠に置いた。かちゃ、と軽やかな音がした。
「また来る。死体を見張りに付かせる」
「え!」
「嫌とは言わせない。ザルグ現当主、コール・スール・ザルグの決定だ。……大丈夫。あまり目につかないようにさせるよ」
「え、あの」
結局コール様はそれだけを言って、棺桶を引きずって庭から出て行ってしまった。
ぐったりと溜め息をついた私に、ペトロが尾羽を揺らして楽しそうに鳴いた。
「オレガフマンカ? エリオット。ソンナニオレガフマンカ?」
「……不満とかじゃなくてね……。……」
鳥籠を突いた私は、甘い匂いを漂わせる紙袋を見て、頭を抱えてしまった。
王城の門から出てすぐの街角に、カンナさんのパン屋さんは構えている。街の人だけじゃなくて、王城の兵士や侍女、私たち修道士もよく利用する、隠れた人気のお店だ。お昼の混み合う時間を避けたのもあって、良い匂いの店内に客は誰もいなかった。
「エリオ! 聞いたよ! 大変だったね」
「カンナさん」
短い謹慎も今日で終わりだ。その間『別れ祈り』の儀式が行われないか何度も隠れて教会に様子を見に行ったけど、幸運にもそんなことはなくて、一安心しているところ。
「ソルベントのサイン=マキナだって? やっぱり頭がおかしい奴だったんだね。可哀想に」
カンナさんは情報通だ。隠し事をしても意味がないと分かっている私は、特に驚かない。けれど、やっぱりちょっと尻込みしてしまう。皆、どう思っているんだろうって。
いつもので良いかい?と聞かれ、頷いた私に、カンナさんは眉を顰めた。
「やつれてるよ。ろくに寝られてないんじゃない?」
「そうかも。カンナさん、あの、ソルベント商会ってどれぐらい有名なの?」
カウンターに身を乗り出して、私はいつものようにカンナさんに甘えた。私が長居したがってるって、察しのよいカンナさんはすぐに分かって、温めた牛乳を出してくれる。
「超有名じゃない」
「武器をいっぱい作る技術があるから?」
「武器だけじゃなくて、これとか。火力が良くて助かるよ〜」
そう言ってカンナさんは奥の窯を指差した。どうやらソルベント商会が開発した新しい形のパン焼き窯らしい。もともとを知らない私はよく分からなくて首を傾げた。
「助かるけどソルベント自体に良い噂は聞かないよ」
カンナさん曰く。
ソルベント商会は、最近のこの国の鉄鋼業の発展の立役者で、最近街にぽんぽん建ち始めた製鉄所の所有者でもあるらしい。もともとは国の端っこの小さな武器商だったのが、隣国の『機械』とかいうものを作る技術を得たことで、どんどん大きくなっていった、まさに成り上がり貴族だと。
そして素行の悪い傭兵隊や、ごろつきばかりのギルドもどんどん配下に収め始めた。頼めば何でもやってくれる、と噂が立ちはじめたのも、その頃。
「当主がかなりの野心家らしいよ。自分の家の力になるなら何でもやるって。……なかなか賢いみたいね。王城の騎士様たちも尻尾をつかめないんだって」
「……へえ〜」
「今回の件を受けてサイン=マキナをあっさり廃嫡しちゃったしね。あんたに言うのもまあアレだけど。でも、まあ、……人の情ってものがないのかもね。そのうち自分達でサイン=マキナを始末し始めそうじゃない? 面倒事を起こすな、って」
怖いわあ、と呟いてカンナさんはカウンター奥の椅子に掛けた。これは一転して、彼女が聞きたがる時の姿勢。
「それよりエリオ。聞いたよ。あのザルグ=コールと仲良くなったんだって?」
「うわあ」
「うわあってなに! ねえ、気になるよ。教えなさいよ」
いくらなんでも早すぎるなあ、と思った私は当たり障りのないように返事をした。私の近くにいればサイン=マキナを捕まえられるから、ただそれだけでコール様に他意はないと。さすがに彼のお兄さんの話をすることは出来なかった。
「なんだ、つまらないね」
「言い方!」
「でもコール様って、エリオにぴったりだと思うよ。ちょっと闇がありそうだから。包容力がある人が良さそう」
「それならカンナさんのがぴったりじゃない」
「なに拗ねてんの。でもまあ、苦労人だし、貴族サマっていろいろありそうだし、愚痴くらい聞いてあげたら?」
意外と悪意のない顔をして、カンナさんは笑っている。
「良い人だったら結婚したら良いじゃない。『祈り・聞き屋』も卒業して、良い奥さんになれば良いの」
「……」
「そうすれば変な男と心中させられずに済むし、旦那さんの愚痴を聞くだけで済むじゃない。……疲れるじゃない、たくさんの人の愚痴をただ聞くのって。人間嫌いになりそうな時、私にもあるよ」
「カンナさん……」
『祈り・聞き屋』の女の子達は、だいたい若いうちに結婚をして教会から離れていく。たくさんの人と接するから出会いの機会も多いし、精神的に弱った時にただ無条件に話を聞いてくれる存在に、一生そばにいて欲しいと思う人は意外と多い。
そして何より、ほとんどの女の子はこのお仕事が嫌いになり、早く辞めたがる。人が嫌いになる前に辞めたかったのだと、女の子たちが必ずそう言うのを、私は悲しく思いながら何度も聞いた。
「さ、ほら、そろそろ帰んな」
「うん、頑張ってね」
カンナさんと取り留めのない話で盛り上がったあと、置き時計が音色を奏でて、夕方の仕込みの時間を教えた。
席を立った私に、カンナさんはいつもの紙袋を押し付けた。
「ほんと、売れ残りをいつも助かるよ。皆ほとんど食べないんだもの、このパン」
「美味しいのになあ」
「久しぶりに味見したら涙が出てきたよ。辛すぎたわ……。うん。味音痴以外は最高なのにね。エリオ」
「これが好きなだけだもん。……じゃあね、カンナさん。お金ここに置いとくから!」
店を出た私は雑踏の中で、紙袋を抱えたまま立ち止まった。
店に入る前にもいた、首の詰まったケープを着た、帽子を目深に被った紳士が、相変わらずベンチに腰を掛けてじっと佇んでいる。
「……」
やっぱり、と溜め息を吐きかけた私に、その人は無表情のままひらひらと手を振った。
私を見張ってくれている、ザルグ=コールの死体だった。




