第十玖話 猫が観測した過去
その魔女はゆったりとした服に身を包んでいた。決してボロではなく、だが街で暮らす人が着るようなもののようにしっかりとした作りではない。寒さから身を守れればいい、動きを阻害しなければいい、そんな考えで作られた服だとわかるものだった。
隠者、そんなイメージを抱かせるような雰囲気が彼女から漂っており、俺はこの世界にはいるのか分からない存在であるエルフの事を頭に思い浮かべた。
そんな彼女は俺達の方に一瞥することも無く広場の中心、あの樹の魔物がいたところにある大樹の所へと歩み寄って行く。
その際、俺達の方には一瞥をくれることもない。それは無関心というよりも、それが当然という仕草だった。
『どういうことだ?』
「当り前でしょう。私たちは猫。それは何処にでもいて当然。例え、森の中、山の中、草の中、流石に海の中や川の中に猫がいることは無いでしょうが。そこに居て当り前なのが猫。我々は風景の一部。猫という自然なのです。貴方は人がいて当然の場所で、『あ!人がいる』なんて一人一人に指を指す頭の弱い子を見た事がありますでしょうか?そんな人を見たら『これだから田舎もんは!』と鼻で笑うでしょう、『ハハッ!』とね」
『その笑い方は鼻で笑うと絶対違う気がするな…』
仮にも猫がネズミの笑い方を真似してはいけないだろうに。
俺達がくだらないやり取りをしていると魔女は樹に何かを語りかけている。あの行為が樹を魔物に変えたのだろうか?
そんなことを考えたがすぐにそれは違うと思った。
彼女の表情が見えたが、その表情は慈しみや優しさに満ち溢れたものだった。
この森を愛しているというのがわかるそんな彼女の表情や仕草。そこからどうして魔物が生れると言うのだろうか?
違うだろう。魔女と呼ばれる者達も本質的には人間だ。個人個人で性格や価値観は違う。求めているものさえも違う。魔女と呼ばれているだけで、確かに人よりも力を持っているのだが、それでも彼女たちは人となんら変わりのない存在のはずだ。
少なくとも、俺はそう思っている。
俺の見ている前で魔女、いや、エルフ然とした金髪の女性は樹に背を預けて座る。そして歌を歌い始めた。
それはとても楽しそうで、とても幸せそうで。
その歌声につられてか、森の中から様々な動物達が、魔獣達が集まってくる。
そこに攻撃の意志は無く、ただこの穏やかな雰囲気に身を委ねているようだった。俺達を度々襲撃してきたあの森狼、キャニス・プラトンもだ。
何故ここにあの樹の魔物が生れたのか分からなくなるくらいに、穏やかな空気がこの場を支配していた。
「ここは平和、ここは穏やか。それは『今』の話。『過去』から『今』が平和で穏やかであったとして、『未来』がそうとは限らないでしょう?私達のみたいな足跡のような時間を過ごす猫にとっては理解できないのですが、貴方達のような轍みたいな時間を過ごす人間であれば、飛び飛びではなく、繋がった時間を過ごす者であればそれは理解できるでしょう。時は流れる。貴方が見た『未来』は過去に置いては同時に存在する位置にあるはずです。穏やかな『未来』と荒れ果てた『未来』それは誰かが観測するまでは確定しない『未来』。私はその『未来』を知らないのですが貴方は違う。だから変な気を起こそうとは思わないことです。この『過去』で起きる『未来』は最早確定してしまった出来ごと。貴方がここで何をしようと何を成そうと、その未来は必ず訪れる。バタフライエフェクトもタイムパラドックスなどここには存在しないのですから」
それは一体どういう意味だ、そう訊ねる前に異変は起きる。
鳥が一斉に飛び立ち、獣たちは身を起こす。
獣たちが同じ方角を見つめる。その方角からこの広場にやってきたのは。
『え?』
それは俺がかつて見た顔。
この世界に来る前から見ていた顔。
この世界にも、前の世界に居るはずのない顔。
俺の記憶の奥深くにある、あの少女の姿だった。




