第36話 足りなくなったもの
見張り番の救出は成功した。
応急処置を受けながら、彼は何度も頭を下げていた。
「ありがとうございます……」
「よかったぁ」
私は心からそう思った。
ヴァルドも少しだけ表情を緩める。
冒険者たちも安堵していた。
だが。
クロだけは浮かない顔だった。
「どうしたの?」
「……」
「クロ?」
返事がない。
監視塔を見上げている。
その時だった。
「ギルドマスター!」
別の冒険者が駆けてきた。
息を切らしている。
「問題が!」
ヴァルドが振り向く。
「今度は何だ」
「麓の村です!」
空気が変わる。
「村?」
「監視塔が崩れた直後から」
冒険者は言う。
「水車が全部止まったらしいんです」
「は?」
私は首をかしげた。
意味が分からない。
「監視塔と水車は関係ないだろ」
誰かが言う。
「普通はな」
冒険者も困惑していた。
「でも実際に起きてるんです」
ヴァルドが顔をしかめる。
「行くぞ」
その日のうちに村へ向かった。
到着すると。
確かにおかしかった。
川は流れている。
なのに。
水車だけが止まっている。
「なんで?」
私は思わず言った。
村人も困り果てていた。
「急になんです」
「壊れてもいないのに」
「全然回らないんです」
アルヴェインが川を見る。
静かに。
何かを確認するように。
「なるほど」
クロの耳が動いた。
「分かったのか」
「ええ」
アルヴェインは答える。
「流量が減っています」
「でも川は流れてるよ?」
私は言う。
「最低限です」
アルヴェインは続ける。
「水車を動かすだけの力が足りない」
一拍。
「まるで」
その目が細くなる。
「別の場所へ持っていかれたようだ」
クロが舌打ちした。
「やっぱりか」
私は二人を見る。
「何が?」
誰もすぐには答えなかった。
やがて。
クロが言う。
「監視塔だ」
「え?」
「見張り番を助けるために」
一拍。
「何かが足りなくなった」
私はぽかんとした。
「そんなことある?」
「普通はねぇ」
クロは言う。
「でもお前の周りでは起きる」
私は黙った。
村人たちを見る。
困っている。
今度はこの人たちだ。
助かった人がいる。
でも。
困る人もいる。
胸の奥が少し重くなった。
「私」
小さくつぶやく。
「間違えたのかな」
クロがこちらを見る。
初めてだった。
リリアがそんなことを言ったのは。
「助けたかっただけなのに」
私は水車を見つめる。
ぐるぐる回るはずの羽根は。
ぴたりと止まっていた。
アルヴェインが静かに言う。
「それが問題です」
私は顔を上げた。
「え?」
「あなたは善意で動く」
「うん」
「だから危険なんです」
静かな声だった。
「世界は代償を要求する」
一拍。
「しかし君は、それを知らない」
私は何も言えなかった。
夕暮れの川が流れている。
水車は動かない。
助かった人がいる。
困った人もいる。
その事実だけが。
胸の中に残っていた。
その夜。
宿へ戻る道。
私は珍しく黙っていた。
クロも何も言わない。
ただ。
遠くを見ながら小さくつぶやく。
「始まったな」
その声は。
風に消えるほど小さかった。




