羨望の裏、その実態②
「おい夏生」
なんとか気まずい帰り道を耐えた夏生だが、残念ながらこれで解放されたわけではない。
いつものように夏生は、冴の部屋に連れこまれていた。
冴の両親がこの時間に帰ってくることはない。つまり、今この閉鎖空間には、冴と夏生のふたりきりだった。
ベッドに足を組んで座り、腕組みをして睨みつけてくる冴は、まるでこの城の女王様。
家来の夏生は、怒れる主に黙って首を垂れるしかない。
「あたしが怒ってるってわかるか?」
「ご、ごめん冴」
「ごめんじゃねぇよ。怒ってるかわかるかって聞いてんの?」
その表情も、話し方も、何もかもが学校での冴とは別人だ。
これが夏生だけが知る冴の本当の姿。
機嫌の悪さで拍車がかかっているが、ふたりきりのときの冴は、基本的に暴君だった。
「わかるよ。ごめん。わかります」
「じゃあ、なんであたしが怒ってるか言ってみ?」
「それは、僕が生意気なこと言っちゃったから」
冴が不機嫌になってしまった原因は、明らかに学校での帰り間際の会話だった。
親離れなんて、冴の友人がふざけて言っていた言葉だが、あのときの夏生は、その言葉に同意してしまった。
冴にはそれが気に食わなかったのだろう。
冴は常に夏生を束縛していたから。
普段はまるで、夏生の面倒を見ているような冴だが、その実態はまるで逆だった。
わがままで夏生を困らせ、むりに言う事を聞かせては、夏生を顎でこき使う。
機嫌がいいときでさえ、ふたりきりになれば学校での姿は鳴りを潜め、機嫌が悪いときは、手が出ることだってあるのだ。
夏生と冴の有り様は、まさに暴君と家来の関係。
夏生は自分が冴から、便利な道具のようなものとでも思われているのだろうと考えていた。
だから束縛して、常に手元に置いておこうとするのだろうと。
夏生が離れようとする兆候を少しでも感じると、冴はすぐに機嫌が最悪になり、怒鳴り散らしては恫喝し、無理矢理いうことを聞かせようとするのだ。
ただ一つの失言で、たった一つの行動の間違いで夏生は、急変した冴に胸ぐら掴まれることだってある。
そんな生活をおくっているうちに、夏生には一つの癖ができた。
夏生は元から穏やかな性格の子供だった。そんな性格を表すかのように顔つきも温厚で、体型も小柄。争いごとなど、一目でまるで向いていないとわかる外見の通りに温和な夏生は、冴にものすごい剣幕で詰め寄られると、どんなに理不尽なことだとしても、自然と謝ってしまうようになっていたのだ。
びくびくと冴の機嫌を伺いながら過ごす毎日。
酷いストレスにさらされる日々。
逃げ出したいと思うことはもちろんある。それでも夏生が冴に恨みをむけることはない。
どんなに変わってしまっても、冴は夏生にとって大切な幼馴染だから。昔の楽しかった日々を、夏生は嘘なんかにしたくなかった。
夏生と冴の関係は、なにも最初からこうだったわけではない。そう、出会った頃はこうではなかったのだ。
けれどだんだんと、気が付けば今のような関係になってしまっていた。
夏生だって、誰かに相談しようと考えたこともある。けれど、二面性があるかのような冴は、人前では完璧に面倒見のいい幼馴染を演じていて、夏生以外にはこんな姿を見せることはない。
だから誰もが夏生を羨むのだ。綺麗な幼馴染に構ってもらえてよかったねと。
それほどに冴の印象操作は完璧だった。一度それとなく友人たちに話しをした夏生だったが、案の定冗談だと思われて、軽く会話は流れてしまった。
家族には相談できなかった。もし冴の本性が周りにバレてしまったら、冴がどうなってしまうのかが怖くて、夏生は本気になって悩みをうったえることができなかったのだ。
ただ、そんな夏生の葛藤も、冴にはどうでもいいことなのかもしれない。
「わかってるならさぁ、その態度おかしくない?」
「え、ごめん、なさい」
「違うだろ、謝るときどうすんだよ?」
厳しくなる視線。冴に睨まれるだけで、夏生はまた反射的に謝ってしまう。長年一緒に過ごしてきて染みついた習慣だが、今回はただ謝るだけでは、冴は満足できなかったらしい。
「土下座だろ? いつまで突っ立ってるわけ?」
そんなことも分からなないのかと、冴はにらみを利かせてくる。
夏生は大抵のことならすぐに冴の言葉に従っていた。
そうした方がいいと経験でわかっているからだ。
変に逆らって、冴の機嫌がさらに悪くなると、もっと自分が苦しむことになると知っているから。
だから要求されたことには、なるべく抵抗せずに答えてきたのだ。
けれど、この程度のことで土下座まで強要され、さすがの夏生も、今回はすぐに頷けなかった。
夏生は幼い頃から冴と長年一緒に過ごしてきた。
はじめはこんなことを言なかった冴は、いつの頃からか、だんだんとマウントを取ろうとしてきて、夏生に言う事を聞かせようとするようになった。
はじめのうちは、かわいいわがままレベルだったそれ。けれど冴の言うことは、だんだんと理不尽なものになっていった。
まるで夏生を試すかのように、要求レベルが上がっていったのだ。それはいつの間にか、家来をこき使うかのような、不当だと言える水準にまで達していた。
もちろん夏生も、最初からイエスマンだったわけではない。
理不尽に顎で使われるようなことを言われても、きちんと拒否を示していた。けれど冴は納得しなかったのだ。
癇癪を起し、物に当たり、罵詈雑言で夏生の心を傷つける。
元々気弱だった夏生は、冴に負い目もあり、強く拒否することができなかった。
そうして気が付けば、今のような関係になっていたのだ。
冴を怒らせないように、機嫌を損ねてしまわないように、冴の言う事に、二つ返事を返すのが当たり前になってしまっていた夏生。
けれどそんな生活を長い間続けてきて、最近はさすがの夏生も限界を迎えていた。
こんな状況に耐えていたのは、ひとえに昔の冴に戻ってほしかったから。
だがしかし、そんなことを願い続けても、状況は一つもよくならない。むしろ悪化していく冴の態度に、夏生の心は擦り切れていってしまう。
だからこれまでなら、言わないように気を付けていたことも言ってしまう。この生活から解放されたいという本音がこぼれだしてしまう。
そんなところまで、夏生の心は傷ついていたから。




