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薬師の行方  作者: きしの
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薬師BCE 03

 荒れた大地を耕し種を撒く。誰も使っている痕跡のない小屋がクレメンシェトラの今の拠点だ。かれこれ一カ月ほど眼下に町の広がるここで暮らしているが、まだ誰かが文句を言いに来る気配はない。ありがたく継続して使用している。小屋の周りには食べられる植物を植えた。季節ごとに果実がなるだろう。


 野菜と果物はどういうわけか錬成できなかった。花が咲いても実を結ぶことはない。町の住民から譲り受けた種を育てているが、こちらは花より脆い。一日中雑草を取ったり、間引きをしたり。野菜のほうが手が掛かる。食べるものなので仕方なしだ。どんな植物がどのような土地で生育可能であるかも知らないので、いくつかの苗は枯らしてしまった。


 自然は無慈悲だ。嵐はすべてを吹き飛ばし、雨はすべてを洗い流す。小屋と畑は何度か駄目になったが、不思議なことに花は根付いたままだった。常識の備わっていないクレメンシェトラはそれが尋常でないことだと認識できない。雨漏りすれば屋根を直す。隙間風が寒ければ壁を直す。あとはただただ自分の錬成した種を撒き、土が乾けば水をやる。虫食いの一つもできないので手入れは楽だった。


 小屋の裏にはハーブが群生している。放っておいても勝手に増えるので、畑が侵食されないよう気を付けておくことも日課だ。それらを乾燥させて調合し、売り物を作ることもあった。それでも欲しいものは花さえあれば手に入るから自分で使う分がほとんどだ。野菜を育てるのは暇つぶしにも等しい。人との交流を減らすための行為。そうして咲き誇った花々が人々を魅了してやまないことなど知りもしない。


 今日も切りたての花を売りに、クレメンシェトラは町に行く。町に出向く頻度は以前よりも多く、週に一度は赴く。人々は金に頓着しないのか、欲しいものは大抵花一輪で手に入った。イーフィネイアのお陰で少しは分かる。この花はよほど価値のあるものらしい。


「今日はうちでは買い物しないのかい?」

「食べるものは間に合っているの」

「珍しい髪飾りができたんだ」

「気分じゃない」


 花が欲しいなら買えばいい。実際クレメンシェトラが買い物せずとも、人々は金子を出して花を買う。逆にクレメンシェトラが金子を出して買い物すると、どこかがっかりした表情を見せるのだ。彼らは金子で買い物するというのに。


「ねえあの花の種はどこから取ってくるの?」

「良ければ植木で買いたい」

「一度にもっと持ってきてくれたらいいのに」


 ご丁寧に要望を聞く必要などない。種の出処など言えるはずもないし、植木を持ってくるのは重いから無理だ。それとも舗装されていない道の上、台車を引いてこいとでも言うのだろうか。そのあたりぞんざいに躱して、今日も食料片手に帰路に就く。いつもと違うのは後をつけてきた人間がいたということだろうか。


「何か御用ですか?」


 町の娘たちだった。町から小屋まではそれなりの距離がある。誰かが見つけるには、ほどよく遠いだろうと考えていた。尾行されてしまえばその意味もない。クレメンシェトラがじっと娘たちを見つめていると、彼女たちは観念した様子で口を開く。


「あの、お花の種を分けて欲しいんです」

「……わかった」


 荷物を探るふりをして種をつくり、少女らに手渡す。一人二つだが充分だろう。

 これが普通でないということは知っている。無から有を生み出すことはできないとイーフィネイアが言っていたから。でもクレメンシェトラにはできているのだから、無から有を生み出すことはできることもあるのだ。他の人々がしようとしないだけ。


「あ、ありがとうございます!」


 現金なもので始めはびくびくしていた娘たちも、クレメンシェトラが態度を一切変えないと分かると、明るく礼を言って引き返していった。もしも二人を無視して小屋に入れば、彼女たちはどうしたのだろうか。クレメンシェトラは考える。花の根を掘って持ち帰り、鉢に植え替えて実を結ぶのを待つのだろうか。それとも戸を叩いて自分を呼んだのだろうか。どちらも起こらなかった未来だ。考えるだけ無駄だと、思考を放棄した。


 その日から種が欲しいという人がちらほらと訪れるようになった。クレメンシェトラは種を与えることを拒絶しない。馬鹿だと影で噂されていることは知っている。それでも今のところ収入は減っていない。物事は単純である。いつか売れなくなれば別の物を売ればいい。それだけのことだ。


 町では植木鉢を見かけるようになった。元々窓辺で花を育てる家はあったが、道の上にも堂々と置かれるようになった。ただでさえ狭い路地は、より狭くなった。素焼きの植木鉢からは決まって白緑(びゃくろく)の芽が出ている。もしくはこれから出ようとしている。


 どれもあんたがくれた種だよ。織工が言った。よくもまあこんなに持ってたもんだな。呆れたように付け加える。彼は羊毛を荷車に乗せて引いてきたところだった。彼の家は小道に面していたが、そこはいつもクレメンシェトラが通る道だ。丘と町を最短距離で繋いでいる。彼が扉に向かって呼びかけると、子どもたちが羊毛を家に引き入れた。これからより分けたり梳いたりするのだ。この町では機織りが盛んなのだった。子どもでも一人前に働く。そうしなければ生きていけない。花という嗜好品を手に入れる豊かさは本来ないはずだった。


 実際職工の妻や娘はクレメンシェトラの売る花をいつも見ているだけだった。売れてゆく花々を黙って見ていたのを職工は知っている。その視線に羨望が含まれていたことも。いつの間にか種を得た彼女たちは毎日せっせと水をやり、芽が出て花が咲くのをそれはそれは心待ちにしている。彼の家には鉢がなかったのだが、気前の良い煉瓦の製造業者が素焼きの鉢をタダ同然で売ってくれた。そういう商売だ。装飾が施されたものや、鮮やかな色が付いたものを買い求める人もいた。実際素焼きのものを買うつもりでも、他人がそういったものを使っているのを見ると欲しくなるらしい。彼らは煉瓦以外の収入源を手にした。


 今や男の妻や娘の艶羨の眼差しは、既に芽の出た鉢の所有者や、美しい鉢に種を埋めることのできた人間に向かっている。男には花の種ごときのために動く人々が不気味だった。正しく言えば、花の種に心を砕く女たちの心情が全くもって理解できない。彼は美を理解はするが、少しも花を欲しいと思わない人間だ。


「流行ってるんですか」

「なにが」


 織工は空になった荷車を前後させて問うた。この一連の騒動を起こした少女を見据える。彼女がこの事態を全く予想していなかったであろうことだけが救いだった。少女の顔にすべて想定内という表情が浮かんでいれば、何がしたいのかと問い詰めただろう。彼の家族は数か月間で様変わりしてしまったのだから。今だけだ。花が咲けばきっと今に元通りになる。誰も花が欲しいとは言わなくなる。男は少女の言葉を待つ。一音たりとも聞き漏らすまいとしていた。


「花を植えること」


 その行為にクレメンシェトラは重要性を感じない。彼女にとっては生きる術を確立するための手段でしかないからだ。すでに職人であり人夫であり、女中である彼ら彼女らは生活のために花を植える必要がない。それがクレメンシェトラの見解である。律儀な織工は答える。諦めの表情は隠そうともしなかった。


「女ってのは花が好きなんだよ。分かるだろ?」


 クレメンシェトラには分からない。

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