薬師の棲む森02
それから私たちは半年に一度、ちょっとした収穫物や調合したものを交換する仲になった。
私が住むのは街に近い森の中で、それでも人々は私のことを閉ざされた森に住む物好きな女だと言う。人が踏み入るような場所では、いい薬草は採れないのだから当然だ。
この森こそ閉ざされた森だと思うのだけれど。知らない場所に付ける名前なんて、ない。
「ここは相変わらず平和よね」
「そう?」
「最近あんまり穏やかじゃないわよ、どこ行っても」
薬師である私に殺到するポーションの依頼。その数がここのところ尋常ではない。しかも家庭用の低価格少量でそれなりな品質のものではなく、ハンターを始めとする戦闘職用の、高価格高品質のものだ。主に血液増量の効能を持ち傷が塞がりやすくなるもの、また血の巡りを良くして一時的に筋力を向上させるものなど。あまりに不穏だ。
しかしまことに薬師である私のポーションが、他のものより一線を画した効能を持つこともまた事実。薬師を名乗る一般人の作るものは、せいぜい希釈液といったところか。苦みやえぐみを消したポーションの精製は難易度が高い。効果の割に割安だということに彼らが気づいたのならば、単なる杞憂で終わるのならそれでいい。
作ったものを卸しに街へ出ると、武装した人を見かけることも増えた。荷車の検閲は大人しく受けてやるが、タダで渡すわけにはいかない。ポーションが欲しいなら対価交換。私の興味をそそるものか、あるいは金を寄越せというものだ。かさばらないパウダーが欲しいなら、もっとお金を積むべきだ。本来これらが使われないに越したことがない。
今日だって屈強な男たちが広場に集められているのを見た。大して珍しくもない容姿の私なので、町娘を装って自然に様子を伺うと、親切なおばさんが教えてくれた。領主からの命令なのだそうだ。何をするのかは聞かなかった。
領主の上には国がある。領主の独断なのか否か分からない以上は、何とも判断のつけようがない。願わくば単なる杞憂で終わりますように。
「戦争でも起こるのかしらね。もしくは魔物討伐? そんなに湧いてたっけ」
魔物に限らず、時たま鹿だの狼だの野獣が異常発生したときにも、ポーションは良く売れる。鹿と言ってもとりわけ獰猛なやつだ。高く売れる立派な角、貴族の好む大きな毛皮を持った奴ら。一突きでもされれば、運の悪いときには死に至る。繁殖期から子育ての時期にかけての時期は輪に掛けて狂暴になる。我が子を守るためなのだろうけれど、人間に動物の理論は通用しない。そんなときの討伐はまさしく命がけ。
「このあたりでは魔物はそうそう急増しない」
「そうなの?」
「この森に、魔物を浄化する作用があるから」
初耳だ。それっぽい生き物に会った記憶はない。まさかあのけったいな生き物たちが、浄化された魔物たちだとでも言うのか。それよりも魔物って浄化できるのか。
否、魔物が原因でないなら不安が募るばかりだ。
「じゃあやっぱり戦争なのかなー……。戦火がこっちまで来なけりゃいいけど」
森が焼けてしまうわ。
私のその呟きに、クレメンシェトラは首を傾げた。
「貴女の森は護られていないの」
「だって普通の森よ。運よく開拓されなかっただけ」
護るというよく分からない発言はそのままに答える。ふぅんと返事をする彼女は、多分普通の森という言葉がよくわかっていない。
物心ついた時から独りでこの森にいたという。知っていたのは生きる術と自分の名前。生い立ちも謎に満ちているけれど、私と一緒に町へ行くまで森から出たことがないというのも謎だ。
二度目に会ったとき、色々あってそのことを知った。
その日は晴れだった。雨の日の外出は賢明ではない。晴れていても、前日が雨ならば町に行くべきではない。道がまだぬかるんでいるからだ。採取のためならまだしも、ただ出かけるだけで泥だらけにはなりたくない。
近づいたら分かるから、と言われていたので、なんの前触れもなく彼女の下へ出かける。町を挟んで向こうの森というのは近いようで遠い。私は町で前泊した。いくら森で一人暮らしていようとも、町の人々とのかかわりを一切断った生活というのは考えられない。私は文化風習に馴染めないだけで、人間嫌いではなかった。
森に入ってしばらくすれば、秋晴れの空を木々がすっかり覆ってしまう。アケビ、オニグルミ、山葡萄。この季節だけの珍味に気を取られながらも約束の場所まで行く。前回私が森に入ることができたのは偶然で、本来は彼女の迎えがなくては叶わないことらしい。
指示された場所で待っていると、やがて彼女が現れる。
「……来たのね」
「来ないと思ってたの?」
「少しだけ」
興味深い森へ入る機会をみすみす逃す私ではない。クレメンシェトラに続いて森に入る。突然空気が変わって、体内に魔力が流れ込んでくる。私は森とひとつだった。
「貴女は普通の人間じゃないみたい」
「薬師はみんなこうよ」
小屋に入った私は、持っていた袋から箱を取り出してを机に置く。
「はい、お土産」
「お土産?」
「誰かの家を訪ねるときは、こういうのを持っていくの」
私はクレメンシェトラが箱に触れ、蓋を開けるまでのゆっくりとした動作を見守った。収められているのは主にガラス製の道具で、私がポーション作りに利用しているものである。名付けて薬師入門セット。
円錐状で細くまっすぐな口がついた容器、細長い筒状の容器、それを立てておくための木製のスタンド。そのほかにも用途に応じた様々な形状の容器と道具を詰め合わせている。
クレメンシェトラはガラスの容器を一つ取り出して言った。
「これは貴女が作ったの?」
「そういうのは専門外。買ってきたの」
正しくは頼んで作ってもらったと言うべきか。貴族の中には錬金術なるものに没頭する人間がいて、こういうのをよく使うらしい。専門の工房まで足を運び、一部は私が使いやすい形状になるよう依頼している。
「買ってきた……」
ガラス同士が触れ合って涼やかな音が鳴る。
「気を付けて、衝撃が加わると割れることがあるから」
「私にも買える?」
「……え?」
あまりに唐突だが、彼女は至って真面目だった。
どうにも浮世離れしているという印象は受けていたけれど、まさか町に行ったことがないとは考えもしなかった。単に記憶にないだけだろうか。彼女の細腕でこんな立派な小屋が建てられるとは思えない。あるいはかつて交流のあった誰かが、彼女に服や住居や家具を与えたのだろうか。
何かの飾りに使おうと思っていた髪紐が袋の底にあった。クレメンシェトラの髪を編んで結んでやる。
「布はある?」
「何をするの」
「せっかくだから町に行こうかなと思って」
途端に体をこわばらせるので、なだめすかす。
「大丈夫、少し覗くだけだから。すぐにここに戻るわよ」
彼女の頭に私のショールを巻いて、髪を隠した。珍しい色の髪に整った容姿。あまり目立つのは良くないから必要な処置だ。ヘッドドレスを貸しても良かったけれど、私も髪を隠さなくてはいけない。
短い髪は世間一般において好ましくないのだ。それに私のは毛量を誤魔化すために不自然に膨らんだ造りになっている。
私はクレメンシェトラを連れて小屋を出る。彼女の気持ちはちゃんと森の外へ出ることに向いているようで、私たちはすんなりと町の外れまでやって来た。
「林檎でも買おう」
特に何を買うか考えていなかったので、とりあえず消耗品を提案する。彼女はよく分かっていないようで、特に反応は帰ってこない。そのまま店に足を運ぶ。
果物特有の甘い香りに包まれた店内で、クレメンシェトラは所在なげにしていた。目的の赤い果実と引き換えに小さなコインを渡す。
「今のは?」
「お金。あれがあれば町で生きるのには困らないよ」
二つ買ったうちの一つを渡し、手元に残ったもう一つに齧りつく。鼻孔を抜ける甘酸っぱい香りが、私は好きだ。
彼女も私の真似をして林檎に歯型をつけていた。