薬師の棲む森03
二人で出かけて以降、結局一人でも買い物には行っているらしい。怯えるには足らない、大丈夫だと言い聞かせたことをよく覚えている。
今やすっかり買い物を楽しんでいる様子は、小屋中から感じ取ることができる。来るたびに小物が増えているし、部屋の隅にえん麦の袋が積んであるのも知っている。
えん麦はオートミールで知られる通りである。栄養価は高い。けれども何を入れようと質素な粥にしかならないのだ、あれは。
砂糖や蜂蜜、植物油とからめて焼けばグラノーラ。パン、クッキー、マフィンに混ぜ込めばふっくらするけれど、それ単体でパンを作ることはできない。基本的に麦というのは湿気に弱いものなので、致し方ない気もする。
「今は近くに住んでるからこうして会いに来てるけど、あそこが焼けたらどうしようかしらね。いっそ町に住もうかな」
と言っても私の住んでいる森は隣国との国境になっているから、笑えない話だ。
国境というのはわりと曖昧なもので、このあたりが被害を受けるとしたら、食料を奪われる程度か。森で暮らす私たちには関係ないし、別にクレメンシェトラの森側の町ではなく、隣国側に移るのも手ではある。私が普段利用しているのはそちらなのだから。
それに一つの街に商品を卸す優秀な薬師は、一人でいい。彼女には薬師を名乗ることのできる実力があるのだ。
「でもその場合ってよくよく考えると、効能落としとかないと強制連行されるかもしれない、ってことよね。それかしばらく町に出るのを控えるか」
「薬師不足なの?」
「薬を買うより薬師囲った方が安くつくでしょ」
好きなように生きていきたいのに、全くもって迷惑な話である。国が私たちに何かをしてくれた記憶なんてない。だから貢献する義務も責務もあったものではないのだ。
「珍しい見た目してるんだから、もっと危機感持った方がいいんじゃない?」
「ここから出なくても生きてはいける……から。大丈夫」
果たして本当に大丈夫なものか。森に引きこもるのがこの娘の本分だったか、賛成ではあるけれど反対もしたくなる。消極的なところはいただけない。
「ま、憶測だけどね」
喉を潤して一息つく。爽やかな香りが喉を駆け抜けて、ふと疑問に思った。
「ハーブティー?」
「町で試飲会開いたら好評だったの」
「あまり目立つことするんじゃないわよ……」
しかしながら人々に触れることでクレメンシェトラの世界が広がることは、私にとっては喜ばしいことだった。私はいつの間にか彼女を妹のように想っているらしかった。
私は出会った時よりほんの少し成長して、顔立ちも大人っぽくなったと思う。クレメンシェトラは変わらない。儚い少女の風貌はきっと永遠のものだ。
毎回滞在時間は長くない。というのも、私は日の暮れる前には町へ戻らなくてはいけないのだ。この森は気軽に来るには少し遠い。それでも費やした時間以上に得られるものが多くある。
クレメンシェトラはお土産と称してちょっとしたおやつを始め、珍しい薬草に、この森の生き物の臓物などを持たせてくれた。臓物だって立派な薬の原料だ。一般に遠ざけられ、禁忌とされるような薬を作るにはもってこいである。……実際に噂されるような効果が得られた試しはない。
空色の、とってもグロテスクで未知の臓腑に今すぐ頬ずりしたくなるのを堪える。採れたて新鮮でもないのに鮮やかさを失っていないオイル漬け。やっぱりこの森のものは特別だ。どう加工するのがいいだろうか。
もちろんおやつだって楽しみである。私はそこまで料理上手ではない。美味しいものが食べたければ町に行けばいい。それで簡単に手に入る。それに私は大雑把な舌の持ち主でもある。何を食べても大抵高い満足度が得られるお得な人間だが、クレメンシェトラが作るものは格別だ。
「ありがと。また今度ね」
私の挨拶に合わせて彼女が右手を掲げると、苔やきのこや木の枝が左右に分かれて、私の前に道ができた。
「……今日は途中まで一緒に行く」
「あら」
珍しいこともあるものだ。二人分の幅に広がった道を並んで歩く。
金や銀の鱗粉を振りまきながら舞う蝶々は、羽一枚で手のひらほどの大きさがある。角の生えた五つ目うさぎ、ガラス細工のような六枚羽で優雅に飛ぶ巨大トンボ。
なるほど、確かにこの森の生き物たちは、魔物だと言われた方がしっくりくる。私の森に棲んでいるようなものは一匹たりともいない。
隣を歩く少女の、絹のような白銀の髪が虹色の光に染まる。しかしいつ見てもさらさらだ。水が違うのだろうか。髪質だとしたら到底どうにもできない。羨ましいことだ。
私の栗色の髪は手入れが面倒で、肩のところで切ってしまっている。たまに外にはねるが、結べる長さなので問題ない。クレメンシェトラの髪はいつ見ても背中をすっかり覆っている。邪魔ではないのだろうか。次は髪紐を持って来よう。
「浄化された魔物はどうなるの? ずっとここにいたら溢れてしまうでしょ」
ずっと抱えていた疑問を、このタイミングで発してみた。
「勝手に出て行く」
「そんなまさか。こんなの外で見たことないけど」
私たちの前を器用なことに八本足で歩く、ふっさふさの猫を指さした。クレメンシェトラのペットなのか、よく一緒にいるところを見かける。私にはなついてくれなくて、一度も撫でることはできていない。可愛くないやつめ、クレメンシェトラのことさえなければマフにしてやるのに。
こいつは足だけでは飽き足りないのか、しっぽまで二倍だ。幸いに眼は二つだけれど、おでこに翠の石が埋まっている。ここまでくると猫と呼んでいいのかも定かではない。顔だけ見れば猫なんだけどな。
「浄化が進むと、街にいるようなのと変わらない見た目になるの」
充分衝撃の事実だ。ここではいかにも魔物を連想させる生き物も、対して普通にどこにでもいるような生き物も目にしたことがない。偶然にか中間しか見たことないってこと。それはあまりにも偶然が過ぎる。
そこからは無言だった。不思議な森を出て普通の森へ。植生も空気感もがらりと変わる。私の体から魔力が抜ける。さっきまでいたところが虚構であったかのように錯覚した。あの森はあまりに鮮やかで生命力に溢れている。手元の袋と、隣に立つクレメンシェトラが非現実的だった。
少したじろいで、表情を作り直す。
「じゃあね」
軽く手を振って帰路に就こうとしたとき、
「イーフィネイア」
唐突に呼ばれて、半身だけ振り返る。
「森が燃えてしまったら、ここに来てもいいのよ」
何の感情も読み取れない、澄んだ朝焼けの空を湛えた瞳。どう頑張ってもその思考は計り知れないけれど――これは私と会うのを少しでも楽しみにしていてくれるものと、受け取っていいのかしらね。
「検討しておくわ」
ひらひらと手を振って、今度こそ帰る。
しばらくして何となく振り返ると、魔物と対面しているクレメンシェトラが目に入った。彼女は私が見ていることに気が付くと、薄く微笑んで彼女の背の二倍ほどの大きさもある魔物を連れて、森の奥へと戻って行く。
魔物は人間と意思の疎通が不可能であると言われてきたけれど、あれは人に恐れられるその片鱗も見えない。その姿はまるで従順なしもべ。
クレメンシェトラ、もしかするとあなたも、あの森に浄化された魔物なのかもしれない。




