薬師を探索 01
はてしなく続く荒野を一人行く。国の外に出たのは初めてだった。併合と分裂を繰り返しながらも長年の時を経て統一された故国は、今や他国との関わりを一切持たない。
そのことを疑問に思ったことはない。あの国を一歩出れば人外、つまりは、果たして言葉が通じるのかすらも分からない異形の相手、そういうものが棲んでいる。そう習った。そんな奴らとまともに交易しようと言う方が馬鹿げている。祖国の国力は、そこまで落ちぶれてなどいない。むしろ年々繁栄している。
そんな国を出ることを決めたのは直感だった。押さえられない興味、または好奇心とも言う。それらがあまりにも湧いてくるので、素直に従って何の予定も立てぬまま、最低限の荷物と装備を馬に括り付けたのだった。
それもこれも、魔王の話を久しぶりに聞いたからである。と言ってもはるか昔の話だ。おとぎ話とも実話とも付かないその話は、時に悲劇として、時に喜劇として語られる。話の中身に差異はあれど結末は同じ。どこか遠くには今でも、魔王の治めていた国があるのだという。
そして湧き上がったのは、その国を自分の眼で確かめたいという欲求だった。魔王は世界を恐怖に陥れた。そんな王の治めた国が当時と変わらぬ勢力を保っていれば、自国も安泰ではいられまいと考えたのである。
青年は一度冷静になって考えるべきだった。国の外から帰還した者の話が伝わっていないことについて。
しかし青年は旅を続ける。まだ出発して三日目だ。まだまだこれからである。進むべき方向は常に一定に保たれなくてはいけない。一度馬を止めて確認し、再び歩を進めようとした、その時だった。
「こんなところで人に会うなんて驚き! 旅ですかね? どちらまで?」
彼の前に突然現れた若い女は、旅人にしてはやけに軽装だった。食料と天幕くらいは持っていてもよさそうなものだが、ほぼ手ぶらだ。おまけに遮るものは何もないにもかかわらず、接近に気が付かなかった。平和な故国では治安維持組織の一員であった男にとって、人の気配に気が付かないことは致命的な欠点であると言える。
青年が鈍かったのではない、女が異様だった。
長い髪を縛りもせず背中に流していて、薄そうなワンピースドレスを着ていた。砂埃にまみれて荒野を歩いてきたとは思えない清潔感に溢れている。むき出しになった膝は異様に白く、日頃から直射日光を浴びているとは思えない。そんな真っ白な足には革でできた編み上げサンダルを纏わせていた。サンダルについた飾りが光を反射して眩しかった。
腰には短剣と、もう少し長い剣、それから道具袋が下がっているが、少なくとも旅に向いた装いではない。
「そんななりで旅を? 連れが近くにいるのか?」
「いえ、一人よ。あなたは?」
見渡せど見渡せど、乾いて荒れた大地と地面に張り付くようにして生える植物のみ。女が一人旅だというのは事実だとして、青年には自殺行為にしか見えなかった。
「俺はこの荒野を越えて、ずっと遠くの国を目指している」
「ふうん。私も国を探してるの。魔王の治めていた国を」
「俺もだ」
「もしかして同じところを目指してる? ちょっと降りてこない?」
促されてそれもそうだなと青年は下乗した。旅は一人よりも二人のほうが気も紛れると言うものだ。
すると女が馬に歩み寄って、手を椀の形に合わせるとそこに水が湧く。それの意味するところ、すなわち。
「貴様……!」
手になじんだ剣は、今も腰に履いている。治安維持組織では、基本的に人を斬り殺すことは許されていない。ただ刃物を持った人間が暴れていたり、やむを得ないと判断された場合にのみ許可される。
この場合は後者だ。
「魔術士か!」
太陽の光が銀の軌跡を描いて女に向かう。彼女も細い剣を抜いて、そして二本で受けた。
青年にとっては初めての双剣使いだ。目を凝らして見て見れば、刀身から柄頭まで真っ二つに分断されたようなつくりをしていることが分かる。一つの鞘に二本納まっていたというだけで、充分な不意打ちだった。
少女は成人男性の力で押される剣を真っ向から受けることはせず、少し体をずらした。十分に素早い速さで青年の剣に対応している。受けに徹するばかりだが、青年が可能な限り速く剣を突き出しても、刃の上を滑らせて捌かれた。
まともに受ければ取り落とすと分かっているのだろう。パワー、ウエイト、スタミナの差を軽く補って余る動きだ。
女は舞うように青年の剣を受け、躱し、捌き、見事な剣技を披露する。時折地面から土で形作られた剣が飛び出してきたり、火の玉が飛んできたりして青年は少し押され始めた。それでもほぼ互角の争いをしているのは、彼の技術のなせる業だ。
互角のやや劣勢寄りを維持する青年に、少女は不敵に笑う。
「術士という点は当たってますけど私、近距離戦もまあまあ得意な珍しいタイプなので。あなたに勝ち目、ないですよ?」
彼女が左手の剣を投げ捨て、空いた手を空中に掲げると、小さな光の玉が出現した。それは動きを追う間もないほど素早い速度で青年の後ろに回り込み、膝裏にぶつかって強い衝撃を与える。
「そこやられると立っていられないでしょ。別に怒ってないし、危害を加える気も無いのでさっさと剣を収めてください」
青年は膝をついたまま、静かに剣を置いた。近接戦のできる魔術士になど、勝てる気がしない。
術士は術を扱うことのできる人間の総称だが、それは邪悪な力であるとして迫害されていた。差別する言葉として、魔術士と呼ばれることもある。彼らは長い歴史の中で、時に権利を求めて暴動や反乱を起こしたが、どれも即座に鎮圧されていた。特に青年の暮らす国では顕著だ。彼らは人として見られない。
いくら弾圧されようとも術士の血が絶えない理由は簡単だ。術士とそうでない人間を外見で判断することは困難を極めるからである。ひっそりと世間から身を隠すように暮らす者たちが、術士でないとは言い切れない。しかし証拠もない。故に青年にも分からなかった。
一見非力な女は問う。
「えっと、目指してるずっと遠くの国というのは?」
「魔王が治めていた国だ。お前ほどの力がある魔術士がいるということは、まだあるんだろう?」
魔術士はかつて魔王の下に集った者たちでもある。だから自然と魔術を使って見せた女は、魔王の国から来た。そう直感していたが女の答えは違った。
「確かに私の国では術士は普通に生活していましたよ……ですが別に魔王の治めていた国ではありません。私も魔王の治めていた国を探してここまで来たんです」
「どういうことだ……」
「魔王が何なのか、再確認が必要ですよね」
予想外の事態に、お互い疲れ切った顔をしている。青年は伝承の内容を簡潔にまとめた。
「魔術士を束ねていたから魔王だと伝わっている」
「悪魔に憑りつかれたかのようだったから魔王なのではなく?」
つまりかつて、世界には二人の魔王がいたことになる。
「えーっと、あなたの出身は?」
「ウェリデナだ」
「聞いたことがあるような、ないような。あ、私はユノスの出です」
少女は唸った。
「お互い自分たちの王がなんと呼ばれたかを知らないのが不思議ですね。誰かが何らかの意図を持って広めたものなのでしょうか」
「それは一理ある」
青年は深く頷いた。
「ところで術士というのは剣術も修める者なのか?」
「いえ、私がちょっと特殊なだけですよ。鍛えている者はそう多くないです。術で身体強化すれば済みますし」
「では……なんのために?」
「魔王の治めていた国探しは名目で、新しい生活を国の外で始めようと思ったんです。私、国内ではちょっと有名だったので」
風になびく髪は、彼女の笑顔を老けさせる灰色。黒でも白でもない艶のない髪は、若い女のものとしては異様で不気味だった。有名だったと言うのは、その実力はもちろん容姿によるものでもあるのだろう。
「畏怖され忌諱されるんですよ、同じ術士なのに」
「……実力者というのは大変だな」
だから他の人と対等に生きるために、術を捨てて術を持たない人々の国に行こうとした。
「でも術って使わないことはできても、完全に手放すことはできないんですよね。私の生活に染み付いたものですし、とても便利なのでどうしても」
そう言って微笑む少女の瞳には、推定年齢にそぐわぬ哀愁が浮かんでいる。
「俺だってはぐれものだ。学業も剣術も期待されていない第四皇子だからな」
「それでも魔王の子孫ということは、つまりあなたも魔王ですね」
「それならお前は魔女だ。魔術を極めた女」
「術を極めることなんて、できっこありませんよ」
「俺だって王ではない」
そして魔女と魔王は、笑った。
かつて魔王と呼ばれた男がいた。その男は術士を人と認めなかった。悪魔に憑かれたかのごとく残虐で残忍な仕打ちをした。それが魔王と呼ばれる所以である。
迫害された術士を束ねて国を創った男もまた魔王と呼ばれた。魔を束ねるもの、すなわち魔術士の国の王であるからだ。
二人の魔王は激しく争い、周辺諸国に限らず世界中を恐怖に陥れたが、自国の民には圧政を敷かなかったために高い支持を得ていたという。
長い争いの果て、お互いに干渉しないことを条件に二国は平和を手にする。お互いの正義に乗っ取った平和の裏では様々な思惑が渦巻いていたが、やがて全ての真実を知る人もいなくなった。




