(七)文化祭前夜:賊!?
「ふぅ〜、冷たくって気持ちいいな」
生徒会室を出ると、顔を軽く洗う。冷たい水が頭をシャキッとさせてくれる感じがした。
「さてと。最終巡回行ってくるか」
矢茨の調子だと何も起こってないようだが、まあ、決まりだし仕方ない。
すでに明るくなっている時間帯、ってことで、最後はなぜか俺一人の担当になっている。ハノンやユリルや副会長は、きっと理事長室でゆっくり寝てることだろう。
双破は「『ピーワン』『ピーツー』に混沌反応とグァルディオール反応マイナスの検知魔術を掛けておいたので問題ないでしょう」とか言ってさっさと帰っちゃうし。
そんなことをボンヤリ考えながら、階段を降りる。部室棟を出て、隣接するグラウンドを見ると、チラホラと生徒たちの姿が見えた。
どうやら、早朝の出動部隊らしい。
「みんな元気だな〜」
言いつつ大あくびをして、もう一度グーッと伸びをする。
「ナツトくん」
「……お?」
呼びかけられて声のした方を振り向くと、ユリルが小さく手を振りながらこっちへと向かって来ていた。
「おはよう、ちゃんと起きたんですね」
「ああ、矢茨に蹴り起こされちゃって。それより、ユリルはどうしたの? 巡回の担当じゃなかったと思うけど」
ユリルは俺の前で立ち止まると、小首を傾げながらニコッと微笑んだ。
「一度、お屋敷に戻ろうと思って。お父さんとお母さん、それにイヅルも起こして回らないと」
「そっか」
「ナツトくん、ちゃんとシャワーは浴びました?」
言いつつ、俺の胸元辺りに顔を寄せて、くんくんと匂いを嗅ぐ仕草をしてみせた。
そしてチラッと上目遣いで俺を見上げてくる。
「あとで部室棟のシャワー借りるから大丈夫」
「そうですか」
ユリルは姿勢を正すと、再びにこやかに微笑んだ。
◆
「しかしみんな早いよね」
「運動部は、普段から朝練の時間だったりするみたいですよ」
「あ〜、そういうこと?」
屋上からグラウンドを眺めながら、そんな何気ない会話を交わす。
部室棟を出てからグラウンドの外周を回って、第二校舎裏の自転車置き場を通り、中庭に回って、そこから屋上に上がってきたところだ。
本当なら一人で巡回するところだったが、校門前までユリルが付き合ってくれるらしい。ちょっとした気遣いだが、それが何より嬉しい。
『重要監視地点ピーツー』の屋上だが、今のところ問題は無さそうだ。双破の検知魔術もかかってるしな。
そんな人気の無い屋上でひとしきり、緩やかで暖かな朝日を堪能すると、ユリルを伴って階段を降りていく。
ユリルは楽しげな様子で、文化祭準備の話をしている。お店で出すクッキーや紅茶の味にはたくさんの候補があって絞り込むのが大変だったとか、レシピを永嶋さんと一緒に考えてクラスの女子と一緒に作って食べ比べをしてみただとか。
「食べ比べって、どこでやったの?」
「朝早くに、学校の家庭科室をちょっとだけ借りたんですよ」
「そっか、なるほどね」
ユリルの話に適当な相槌を打ちながら、辺りを眺め回してみる。
「(ひとまず、異常はなさそうだな……。何か起こるとしたら、やっぱり機密車両が通る時だけなのかなぁ?)」
そんなことをボンヤリ思いつつ、学生食堂の横から塀に挟まれた裏道──重要監視地点ピーワン──へと入っていく。ここも双破の検知魔術が掛かっているはずだ。
ユリルは今、昨夜の理事長室でハノンと一緒に寝ようとした時の話をしているところだ。ハノンが「パジャマに着替えないと寝付けませんの!」とかわがままを言ってたらしく、急遽、副会長が自宅に連絡してハノンのパジャマを取ってきてもらったらしい。そのパジャマがふわふわのもこもこで着ぐるみのようで可愛いかったとかで。
「ハノンちゃん、大きな耳をしてるじゃないですか。だから……」
薄暗さの残る細道を、体育館と学生食堂の間に差し掛かったちょうどその時だった。
「『わかってる! 何度も言うな!』」
前方から突然の、怒鳴り声。
楽しげにしゃべっていたユリルも「ハッ」として口をつぐむ。そっと俺の方に身を寄せて、腕に手を添えてきた。
俺たち二人の精霊プリズムも、雰囲気を察知したかのように、寄り添い合って小さく揺れていた。
前方の、体育館の角あたり。よく見ると、人の背中らしきものが見えていた。
俺は慌てて、身を隠すように体育館と学生食堂の間にユリルを促した。体育館の外壁にピタリと背をつけ、建物の端から裏道の様子を覗き見る。
「『俺をなんだと思っている!? ああっ?』」
怒鳴り声は男のようだ。自転車置き場の方に向かって怒鳴っている。
しばらく沈黙が訪れたかと思うと、やにわに男が振り返ってザクザクと足音を立てながらこちらに向かってくる。慌てて顔を引っ込めると、口元に人差し指を立てて、ユリルに向かって「しいーっ」と合図する。
ユリルはそっと頷くと、ゆっくりと腰をかがめた。俺もそれに習って腰を落とす。
ゴクリと生唾を飲み込むと、もう一度、慎重に裏道の方を片目だけで覗き見てみる。
男は上半身をすっぽりと覆い尽くす、フード付きの黒いマントを着込んでいる。マントの裾からは黒の長袖を着た両腕が覗き、手には指先の出る手袋をはめている。黒の革ズボンに黒のブーツ、まさに黒づくめといった出で立ちだ。
薄暗がりに紛れて、顔はよく見えない。体つきは、がっしりしているように見て取れた。
その後ろからもう一人、小柄な人物が付いてきている。怒鳴られていた人物だろう。
フード付きの黒いマントに黒づくめの恰好は同じだが、細くて白い手が見て取れた。細くてしなやかな腰つきも、女性のそれだ。
もしかしたら俺たちが警戒していた不審人物かもしれない。もっとしっかり観察したいところだが、みるみるうちに二人がこちらに近づいてくる。スッと顔を引っ込めると、今は二人をやり過ごすことにした。
2mほどの幅のこの横道だ。建物の影に紛れてじっとしていれば、きっと見つからない。
その時、まるでスローモーションのように、二人が俺たちのそばを横切った。小柄な人物の背中を追うように漂う精霊プリズムが、キラリと小さく光を反射する。
「……ゲート開放と同時に突撃、体育館を出て車道へ……」
横切ると同時に耳に届く、ブツブツと呟くような、か細く冷たい透き通るような響きの声。やはり女だ。
しかし……この声はどこかで聞いたことがあるような……?
「黙れ!」
やにわに、男が振り返ると、語気を荒らげて女に詰め寄る。ハッとして身を固くするが、男はこちらに気づいていないようだ。
「何度も言わせるな! 襲撃ルートの現地確認だけで十分だっ! ブツブツ言わなくていい、黙ってろ!!」
襲撃ルートの現地確認、だと……?
そう思ったその時だった。
いきなり俺の精霊プリズムが、ふわ〜っと黒づくめの二人に向かって近づいていった!
ハッとする男の、フードの奥の瞳と視線が合う。
「散開!!」
言うやいなや、黒づくめの二人は懐から何かを取り出した! なにか紋様の描かれた紙切れのような物だ!
「あれは……術符!?」
驚く俺の目の前で、二人が口早に何か呟く! 瞬間、二人が手にした術符の周囲に黒い靄が渦巻いた!
ビィーッウゥーーーーッ! ビィーッウゥーーーーッ!
黒い渦が渦巻くと同時、警報音が鳴り響き、細道全体が青い光を放って点滅し始める! 双破の検知魔術が作動したんだ!
「悪魔術か!」
「ヒイイイイイイイッ」と悲鳴のような声が上がったかと思うと、ザッと地面を蹴って、二つの影が塀の上まで飛び上がった!
慌てて立ち上がるが、もう遅かった!
超人的な身のこなしで、黒づくめの二人が塀の向こうへと姿を消す。
塀に駆け寄る俺の耳に、「タタタタッ」と走り去る足音が聞こえた。
「くそっ、待てっ!」
焦る心に突き動かされるように、塀の上に飛びついて手を掛ける。
「ぐぐぐっ! っと」
足をばたつかせて塀を蹴りあげると、なんとかフェンスにへばりつくようにして塀の上に身体を持ち上げた。片足を塀の上にかけ、通りに視線を走らせる。
しかし、黒づくめの人影が二人、T字路をそれぞれバラバラに走り去る後ろ姿がチラリとだけ見えたのが精一杯だった。
「逃げられたか!」
思わず舌打ちをする。しかし、はっきりしたことが一つだけある。
国際魔術評議院の機密車両を狙う怪しい集団が、本当に存在するということだ。しかも術符で悪魔術を使う相手だ。
それはきっと、俺がユリルと出会ったあのミストの時と同じ……!
「(ガフィレフ……!)」
その言葉が頭をよぎり、体中からブワッと冷たい汗が滲み出てくる。
「ナツトくん」
「ごめん、逃げられた」
塀の下まで駆け寄ってきたユリルに向かって、首を横に振る。ユリルは不安げな表情で俺を見上げていた。
警報音はまだ鳴り響いていて、細道が青く点滅し続けている。その青い光の中、2枚の淡黄色の紙切れが落ちていた。
遠くから「何事だぁッ!」と叫ぶ矢茨の声が聞こえてくる。
「とにかく、副会長にすぐに報告するよ。……ユリルは、屋敷に戻った方がいいと思う」
俺の言葉にユリルが頷く。
どんな相手かはまだわからない。ただ、最悪の事態だけは避けないと……。ユリルをこれ以上巻き込むと、よくない気がする。
徐々に強くなる朝の光。真っ青に晴れ渡る空の下、楽しいはずの文化祭が、急激に暗雲に染まっていく気分だった。
<第四章(七)文化祭前夜 終>
サクッと逃げられましたな~




