46時限目・その後の世界
さー、授業の時間だぞー
日本史の授業は今日で終わる。
これまで見てきたように、織田信忠による天下統一、そして北と南への拡大によって今の日本が形成されていったんだ。
日本の現在の領土は、太平洋戦争によって確定した。
だが、もし原爆開発が後5年遅れていれば、2度目の太平洋戦争が起きていたって説がある。
あながち間違いじゃないだろう。と、先生は思ってるがな。
アメリカが核実験に成功したのは1947年7月だった。
日本も後を追うように10月に成功した。
この事で、アメリカは戦争を諦めたと言われているんだ。
当時のアメリカには、まだ富嶽を完全に阻止できる力はなかったし、パナマ運河を原爆で狙えば最低でも1年は使えなくなる。
そうなれば、もはや西海岸を守る術なく日本の思うがままになるのは明らかだったからな。
アメリカにとっての懸念は、やはり満州国の存在と漢大陸権益だった。
日本からすれば妨害する理由なんか無いのだが、マッカーサー総督をはじめとする、いわゆる満州派で無ければ実態を理解出来ていなかったんだ。
ずっと東海岸で過ごす政治家や財界人には、日本の立場よりも蒋介石の諫言こそ、自分たちの望む声だった。
そんな東海岸の考えが変わるのは、大漢民国の崩壊によってだ。
1949年には蒋介石による政治は限界を迎え、各地で反乱や暴動が頻発し、完全な無政府状態に陥っていた。
南から新明による浸透が行われたが、漢にはヨーロッパやアメリカから逃れた共産主義者が流れ込み、漢人はその考えに感化され毛沢東一味を支持する様になっていったんだ。
アメリカやイギリスは租界奪取を狙う共産勢力から権益を守るために派兵を行い、新明による北伐を全面支援したんだ。
蒋介石はそうなって自分の身が危なくなると、山東半島へ逃げ込み、半ば政権を投げ出してしまった。
それに合わせる様に各地の軍閥や匪賊は毛沢東一味に靡き、租界や権益防衛に派兵された米英軍との交戦が激しくなっていったんだ。
山東半島にある青島はそんな中でもアメリカ軍の兵站として機能していたのだが、捌ける量には限りがあり、東海岸政治家が懸念したような日本による妨害や横槍など一切なく、逆に九州で順番待ちの寄港すら受け入れている。
イギリスは上海の租借さえ守られるならと1951年には上海以外から撤退したが、アメリカは蒋介石の願うままに派兵を継続した。
この時作られたのが、今では山東の玄関口となっている威海国際空港だ。
威海に広がる街や周辺の村々を蒋介石が武力で奪い、住民達を強制労働させて作られたアメリカ軍の大空軍基地という歴史を持っている。
1954年には山東ラインと呼ばれる防衛線で共産勢力と対峙し、さらに満州国防衛にも軍を送り防衛線を敷いていた。
一時は日本周辺に100万のアメリカ陸軍、20隻にのぼるアメリカ海軍の空母、戦艦も展開していた。
もし日本に原爆が無ければ、日本の占領すら考えたかも知れん。
なにせ、その大軍の維持は満州国や遼東半島の設備では賄いきれず、否が応でも日本に頼る事になったんだから。
核がある現状でさえ、マッカーサー総督の根回しが無ければ、間違いなく戦争になっただろうな。
マッカーサーは対日交渉の成果によって、1957年にはアメリカ大統領に就任する。
マッカーサーは公約通り泥沼化していた大漢介入から引き揚げを行い、山東ラインでの停戦を実現した。
これによって蒋介石の大漢民国は、事実上山東半島のみを統治する勢力となり、漢大陸の大半は毛沢東一味が打ち立てた中華民主主義人民共和国が支配する事になる。
新明の北伐も沿岸部こそ順調に進んだが、結局は鄭成功の二の舞になる直前、何とか旧領維持だけは成し遂げる状態にまで追い込まれてしまったんだ。
この新明による北伐は、日本に漢大陸というものを再認識させた。
やはり、織田信匡や鄭成功が言った通り手を出してはイケない魔境だと。
この北伐の結果、新明と蘭芳公司の力関係まで逆転した事は認識しておくポイントだ。
現在の東南アジア連合で蘭芳公司がリーダーなのは、新明が北伐によって国力を著しく疲弊させたからなんだ。
1958年に建国された中華民主主義人民共和国は大漢民国を排して誕生した国のため、大漢民国や清が結んだ条約を一切履行しなかった。
その事でモンゴル、満州とも紛争を抱えたが、ヨーロッパを中心に毛沢東を支持する共産主義者が存在し、ロシアやアジア各地に共産革命の輸出まで行うテロ国家に成長してしまった。
アジアではオランダ領東インドやフランス領インドシナで共産主義者が勢力を拡大して革命闘争を始めた事で独立闘争が深刻化し、フランス領インドシナは阮やシャムを中心に蘭芳公司や日本も介入する事態になった。
フランス領インドシナの紛争は資金や武器の供給が続かず5年で鎮圧し、阮の支配下に復帰したが、オランダ領東インドはオランダがなかなか手放さなかった事で10年続く泥沼になった。オランダは主にイギリスに支援を求めた事にも原因があったのだろう。
そうなったのは、ドイツ内戦に巻き込まれて本国にマトモな経済力がなく、イギリス頼みで独立を回復したって経緯があったからだ。
中華による革命輸出の影響を一番受けたのはロシアだった。
共産革命の輸出で中央アジアに火種が撒き散らされ、ロシアは中央アジアを維持出来なくなってしまったんだ。
こうして、中華系共産国が中央アジアに複数誕生してしまった。
これが、ドラッグベルトと悪名高い危険地帯へと繋がっていく。
共産革命の拡散はヨーロッパの共産主義者にとっても夢ではあったが、彼らに世界中の革命を支える資金は流石になく、資金源として麻薬に目を付けた中華系マフィアが中央アジアで麻薬栽培をひろめ、マフィアの巣窟となってしまった。そうした事もあって、今でも中央アジアではロシアが泥沼の麻薬戦争を強いられている。
満州国へと返還された遼東半島は、今やアメリカ大陸へのドラッグゲートに成り果て、アメリカによる麻薬戦争の第二戦線になっている。
第一戦線は言わずとしれた反アメリカ連合を組む中米カリブ海沿岸諸国だ。
パナマ運河を除いて中華マフィアと手を組んだ中南米マフィアや国そのものが、アメリカとの麻薬戦争に勤しんでいる。
つい先日も、アメリカのカード大統領が南米の指導者を逮捕し、北京を爆撃して中華主席を爆殺したのも、麻薬戦争の一貫だと言う話だ。
おかげで山東や満州どころか朝鮮や高山にまで中華の攻撃が行われているのは勘弁して欲しいな。
さて、さっぱり話題に出ないヨーロッパだが、ドイツ内戦が終結した後は極端な平和ムードが広がり、緩い社会主義が主流派となった。フランスなどはかなり共産主義者が幅を利かせているがな。
フランスはアフリカ経営にド嵌まりしてアジアから遠ざかり、上海を有するイギリスだけが居残るに過ぎない。
唯一マトモな国はスペインだけじゃないのかって状態だな。
まあ、確かにドイツやオーストリアの経済成長はすごいんだが、理想ばかりで行動しないんじゃなんにもならん。
今じゃフランス植民地帝国とアンシュルス平和連合による対立まで起きていて、ヨーロッパも揺り戻しが来ているらしいし、まだまだ平和って奴が訪れるのは先の話になりそうだな。
おっと、そろそろ時間だ。
じゃあ、またな!




