33.男/愛する者と
雪解けの季節がやって来た。暖かい日差しを感じる日と、雪の降る日を繰り返すこの時期、毎年物悲しさに襲われる。
ガブリエルが邸を去ったのも、ガブリエルがこの世を去ったのもこの時期だからだ。冬を思い出したかの様に降る雪に視界を遮られると、どうしてあの時手を離したのかと、何年経っても後悔してしまう。そして今年も後悔する。
俺の毎年現れる喪失感等関係無く、気が付けば日向の雪は地表を露出させ、小さな緑を覗かせていた。
この時期に邸のどの花よりも先に花を咲かせるのが、農道脇や用水路の土手に咲くオオイヌノフグリだ。野花なので自生していた花だ。植えた物では無い。けれど我が邸では春の訪れを告げる花だ。これも青い花だ。小さな青い花。なので花の名前を覚えてしまった。戦場の草原で踏みしめられても咲く強い花。
これから徐々に庭に青い花が咲いていく。
最初に咲かせるのはパンジーだ。庭師が冬の間室内で管理してくれたのを庭に植え付ける。初春の日差しを受けると直ぐに蕾が開く。そして次から次へと花を開かせていく。淡い水色に近い青や、青と言っても少し紫を混ぜたような色の物もある。
邸の東側にあるサンルームからは庭の花が良く見える。なので客人が来るとそこに通して、青に彩られた庭を堪能して貰ってもてなす。さらに庭師が毎年数を増やすので、パンジーの鉢植えはサンルームにも沢山飾られている。サンルームは温かいので早くに開花する為、庭よりも早くに満開となる。
そのサンルームでアイリーンとパンジーで彩り始めたサンルームと庭を見ながらゆっくりお茶をするのが恒例だった。もう一ヶ月もすると他の花も咲き庭が賑やかになるので、庭を見に来た客人に場所を取られてしまう前の今の時期に毎年一緒に眺める。それと、ガブリエルが好きだったネモフィラが満開になる頃になると、気候も良いので二人で散策して花を摘んで部屋に飾り、ガブリエルに捧げるのだ。幼かったアイリーンと始めた親子としての行事の様な決め事だった。
王都の菓子屋の春の新作スイーツを買って来て、客人をもてなす紅茶を幾つか試飲する。それに厨房の者がパンジーの砂糖漬けも作ってくれる。アイリーンが幼い頃に初めて作った時に大層気に入った為、毎年作ってくれるのだ。
毎年温かく穏やかな思い出を重ねて来た日だ。俺にとっては大切な日。
それなのに、今年はサンルームに先に入りアイリーンを待っていたら現れたのはアイリーンだけでは無かった。リューゲン伯爵子息も一緒に登場したのだ。
さも当然の様にエスコートして花に彩られた美しいサンルームに入って来る様は、ハレの日を思わせるもので一気に不快感に襲われた。
以前の様に逃げるにも、サンルームの出入り口は一つしかない。そこを二人に塞がれてしまった状態だ。
「……どういうつもりだ?」
「パパが全然話を聞いてくれないから」
それで俺が逃げないこの日に連れて来たと言うのか。人が大切にしている日を利用された事に憤りを感じてしまう。結局は俺だけが大切にしていたと言う事なのだ。アイリーンにとってはさほど大切でも無く、今は別に優先したい物が出来てしまったと言う事なのだろう。
深い溜め息が出た。
「……話を聞いてどうする?どうせ主張は変わらないのだろう?」
「パパはどうして反対なの?」
「信用出来ないからだ」
「よく知ろうともしていないのに?」
「お前に近付こうとする時点で怪しいだろ」
「私はちゃんと見極めたわ。信用出来ると思ったからパパにもちゃんと知って貰いたいの」
「その男に熱を上げて冷静な判断が出来ているとは思えない」
「そんな事無い!」
声を荒らげて必死な様子の娘を、俺は冷静に見ていた。リューゲン伯爵子息は戸惑う様子も無く、見守っているというスタンスだ。よくここに来れたものだと思う。アイリーンが無理に連れて来たのだろうけれど。
アイリーンの気持ちが本当の恋ならば、恋にがむしゃらになる所は俺と一緒なのかもしれない。
「……どうしたら認めてくれるの?」
どうしたら?
誰なら納得出来るのか、正直俺にも分からない。もはや全ての男が物足りなく見えてしまう。
どうしてか。
失いたく無いからだ。ガブリエルを失って突然現れたアイリーンに、俺は心を救われたしここまでやってこれた。ガブリエルに誇れるようにアイリーンを育てようと必死だった。
十年前の戦争で大した戦果を得られなかったけれど、娘が出来て食い扶持を増やさなければならなくなった。俺は騎士だから昇進するしか昇給する方法は無い。だから隊の底上げや、通常の警備で治安改善の為に検挙数アップや見回り強化によって事件発生数の減少に力を入れた。地道な事だったけれどそれなりに評価はして貰えた。特に王都の治安改善に力を入れていた宰相からの好感は良くなった。
そんな時に十年前の戦争が起こった鉱山周辺で、共和国の鉱夫組合が暴徒化し、我が国の町や村が被害に遭っているので鎮圧に向かって欲しいと言われた。長い期間邸を空ける事にはなるが断る訳にはいかずに再び鉱山へ向かった。
鉱山周辺はかなり酷い状況だった。暴動を恐れて様々な店舗が店を閉めて町は閑散とし、村の田畑も荒らされ農作物の今期の収穫は期待出来ない状態だった。鉱山では隣国の鉱夫が採掘作業の邪魔もしているらしく、採掘量が減少していた。怪我人も多かった。鉱山で警備に当たっていた者の多くが怪我を負い、警備が十分で無かった。
先ずは警備を手厚くし暴動を起こした者を捕えた。ここの警備隊よりは王都軍の方が訓練を重ねている為暴動を抑えるのは難しい事では無かった。しかし捕えた者達は隣国の人間だ。隣国に帰さなければならない。しかし帰したらまた暴動を起こすだろう。彼等は戦争で働き口を失ってしまった者達で、鉱山の採掘穴を取り返したかった為に暴力的な行動を起こしたのだ。
なので宮廷に使いをやり戦後の協定を結び直す様に提言した。国王陛下は渋ったらしいが王都の治安改善の件もあり宰相の支持を得る事が出来、会談のやり直しが実現した。そして隣国の鉱夫を我が国の領土内の鉱山でも労働出来る様に改定した。慣れるまでは二国の鉱夫同士での諍いは起きるだろうが、鉱山内での警備と監視を強化する事により大きな被害は生まれなかった。
そうして一応は暴動の鎮圧に成功したので、その功績が認められ鉱山のある領地の隣、後継者不在の為に国に領土を返納した男爵家の土地を下賜された。鉱山で何かまたあれば制御しろ、監視しろといった目的があってだろう事は一目瞭然だった。
それでもこれで俺も領地持ちだ。領地経営によっては収入が増える。アイリーンに不自由ない暮らしを送らせてやれる。
しかし領地経営もそう簡単な事では無く、初めの頃は本当に苦労した。孤児上がりの侯爵が領主になる事への反発もあった。そもそも俺にはやり方が分からないのだ。それでも伯爵の手助けもあり赤字経営から脱却して馬の育成という特色も得た。元々伯爵家に仕えていた頃は馬丁をしていた事もあり、領地の特産品を考えるより馬を育てる方が取り組みやすかったのもある。今では一つのブランド化に成功し顧客は絶えなくなった。
侯爵としての地位をここまで確立出来た。そしてアイリーンはここまで育ってくれた。
それなのに、俺から去ろうとする。本当にこのままリューゲン伯爵子息に奪われて問題無いのか。アイリーンが悲しむ未来が来ないだろうか。もしそんな事があれば、ガブリエルは俺に失望し俺を許さないのではないか?
死してなおガブリエルからの愛、信頼、信用を得ようとする俺は女々しいのだろうか。無意味な事なのかもしれない。それでも愛する者から大事な娘を託された身として、最善を尽くしたいと思うものだろう。
「お前を大事に思うからこそ、そう簡単に認められるものでは無い」
「違う!パパが大事に思っているのは私じゃ無い!ママでしょ!?」
「……何を」
「私はパパがどれだけママを好きか知ってる!死んでしまったママの代わりに私をそばに置いていたいだけよ!勝手に私にママの姿を重ねて他の人に取られてしまうのが嫌なんでしょ!?」
アイリーンの言葉は頭を強く打った様な衝撃だった。
「……そうじゃない。アイリーンは、大事な娘だから……」
「パパに大事に育てて貰った事は感謝してる。危なく無い様に邸の中で守って貰って、息が詰まりそうな時に裏手の丘位ならと抜け出すのも大目に見て貰っていたのも分かってる。私を不自由無く育てる為にパパは出世欲なんて無い人なのに仕事を頑張ってくれたのも知ってる。でもっ……!でも私はママじゃ無いから!パパの大好きなママの代わりになんてなれないから!」
「…………」
言葉が出て来なかった。
リューゲン伯爵子息がどうとか、ガブリエルに失望されるとか、確かにその懸念はあるものの、一番は俺の元を去ってしまうのが怖かったからだ。
俺はアイリーンにガブリエルの代わりにそばに居て貰う事を望んでいた?
「……パパ。これ……」
叫ぶ様に訴えていたのと正反対にアイリーンは静かに言って取り出し、拳を突き出す様に俺に見せて来た物を目にしてはっとした。
「どうして、それを……」
「パパが大事に寝室に仕舞っていたの、知ってるから」
それは、ガブリエルの短剣だった。あの雪の夜、俺を刺そうとした短剣。でもガブリエルは刺さなかった。短剣を手に握らせ俺の腹に向けてやってもガブリエルは刺さなかった。そして抱いて欲しいと俺に縋り、雪の中で俺を愛してしまったから刺せないと言ったんだ。
その短剣は俺の寝室のサイドチェストの引き出しに仕舞っていた。アイリーンが邸にやって来た時に持っていた少ない荷物の中にあるのを見つけてから、ずっと俺が持っていた。ガブリエルの私物は何も持っていなかったから、形見として大切に保管し、時々眺めたり手入れをした。ガブリエルは剣の手入れ方法等知らなかった様で、かなり錆び付いたり刃こぼれしていたりした。
俺が輝く様に手入れした刃を、アイリーンは鞘から抜き出し露わにした。
「私はエッケンベルク侯爵の一人娘だから、婿を取ってこの邸でずっと暮らしていく覚悟は持ってた。それでもパパとママみたいな恋に憧れて、一度で良いから恋をしてみたかった。そんな中ジェイデン様に出会って心を惹かれた。その方に求婚されて嬉しくて、それにとても素敵な人で言葉に噓が無くてこの人なら信じられると思って、伯爵家の三男で婿にもこれ以上無い位の好条件な筈なのに、パパは全然認めようとしてくれない。私はジェイデン様をお慕いしております。私はこの方と結婚したいのです。結婚出来ないのなら私は家を出て行きます」
「何を言っている!そんなのは認めない!」
「それなら私を縛り付けるの?それとも監禁するの?そんな事するのなら私は死んだ方がマシよ!」
アイリーンは露わにした刃を自身の胸に向けた。
「結婚出来ないだけで死ぬなんて馬鹿馬鹿しい!剣を持った事も無い女のお前に剣の重みが分かるか!お前が持つべき物じゃない!」
「元はママの短剣でしょ!?女だからって馬鹿にしないで!」
「どうせ脅しだ。お前に剣を突き刺す事は出来ない」
「出来るわ!それだけ本気で好きだもの!パパなら分かるでしょ?ママに今でも執着しているパパなら、愛でここまで本気になれるのだと……!」
こんな所ばかりが似てしまう親子なんだ。
ああ、分かるとも。ガブリエルの為ならなんだってしてやりたいと思っていた。でもそれはガブリエルが笑ってくれるのなら、だ。
「……お前は残された側の気持ちも分かるのでは無いのか?愛する者に先立たれた者の悲しみが分かるだろう。お前は愛する者の目の前で死んで悲しませたいのか?共に生きたいとは思わないのか?」
短剣を握るアイリーンの手が震えていた。動揺しているのだろう。
「……アイリーン嬢。短剣を離しましょう」
ずっと黙って行く末を見守っていただけだったリューゲン伯爵子息が、短剣を握るアイリーンの手に自身の手を重ねた。
「エッケンベルク侯爵の言う通りです。私は愛する方とは共に生きたい」
アイリーンはリューゲン伯爵子息の言葉で短剣を持つ手を下げ、リューゲン伯爵子息が短剣を取り上げるのに大人しく従った。
俺の言葉よりも、アイツの言葉の方がアイリーンには届くらしい。悔しい事に、それが現実だった。




