21.男/笑顔を向けて欲しい
今年の冬も雪が多かった。それもあと少し。冬も終わり頃になり、雪解けが待ち遠しい。今年の春は庭に花を植えよう。ガブリエルの母親との思い出のある青い花がどれかを探しながら、多くの青い花を植えたい。
そして晴れの日に少し雪を溶かしながら、またその上に雪が降ったある日、コンスタンがガブリエルの些細な事を報告してくれた。食事をあまり取らなかったらしい。
些細な事ではあるけれど、気にはなる。ただでさえ細く健康的な体付きにさせてやりたいのに、食事を取らなかったらまた痩せてしまわないかと心配になる。それが体調不良からくるのなら仕事を休ませたり、消化に良い食事に変えたりしてやるが、コンスタンの話ではどうやらそうでは無いらしい。仕事はいつも通りにこなしていたし、熱がある様でも無いと。
そんな日もあると気にする必要は無いのかもしれない。それでもガブリエルの性格を考えると、辛くても我慢して何も誰にも言わなそうなのだ。
だから、夜、またガブリエルが部屋にやって来た時に聞いた。
「今日、あまり食事が取れなかったと聞いた」
「……はい」
どこか気まずそうな雰囲気だ。
「体調が悪いのか?」
「いえっ……」
それははっきりと否定した。
いつもの様にガブリエルを引き寄せて顔や首にキスをする。
「……熱は、無いな」
確かに熱は無い。でも何か様子がおかしい。熱くないので熱は無いのだろうけれど、どちらかと言うと血の気の引いた顔色の悪さと、落ち着き無く瞳が動く。俺の顔は見られ無い様だ。部屋の中を彷徨っている。部屋の中……ベッドか?もう少し視線は低いだろうか。
ガブリエルから離れて背を向け室内を見回した。ベッドの奥、本棚?その低い段だ。本棚の前に行き、一番下の段の隅に短剣を見つけた。
ああ、やはり彼女は俺への復讐を考えていたのだ。
そしてそれは何度彼女と夜を共に過ごそうと、決して諦める事も心変わりする事も無かったのだ。
何が絆されて欲しい、だ。
俺の信頼を得て復讐の機会を伺っていたのだ。その為に体を差し出していたのだろう。彼女の心を手に入れる事なんて、不可能だったのかもしれない。
短剣を持ってガブリエルの所へ近寄る。彼女はただ震えて身を縮こませていた。俺が「ガブリエル」と名を呼ぶと、ビクリと体を揺らした。
「……お前のか?」
ガブリエルは答えなかった。違うとも言わない。
ガブリエルの右手を取って、掌に短剣を載せた。
「……俺が、憎いか?」
短剣を持たされた事に戸惑っている様子のガブリエルにさらに続けた。
「俺を殺したいか?」
さらに短剣を握らせた。
「……お前になら、殺されても良いかもしれない」
本気でそう思えた。今の俺の生きたい一番の理由は、ガブリエルになっていた。剣で生きるつもりで鍛錬に励んで、過分な名誉を受けてしまった。今でも戸惑いは完全に消えない。だから彼女との未来が唯一の癒やしであり楽しみでもあり喜びだ。
ガブリエルに短剣を握らせたまま、自身に剣先を向けた。もう剣先は俺の服に当たっている。このままガブリエルが真っ直ぐに力を入れたら、短剣が俺の体に刺さるだろう。
短剣を握るガブリエルの両手は震え呼吸も乱れている。そして俺を刺す事無く短剣を落としてしまった。
「お前に俺は殺せない。お前は、優しすぎる。人を殺すと言う事はいろんな物を背負う事になる。お前にはそれは無理だ」
俺がガブリエルの父親を殺してガブリエルに恨まれた様に、俺を殺したらガブリエルも誰かに恨まれる事になる。俺の死を悲しむ人なんて少ないかもしれないが、ルーイは許さないかもしれない。コンスタンは事情を理解しているだけに復讐心は抱かないだろうが悲しむだろう。それにこの邸の使用人も悲しみながらも職を失う事になる。この邸で共に働いて来た仲間達の職を奪う事に、優しいガブリエルは耐えられるだろうか。奪われて辛い思いを経験して来て何もかも知っているガブリエルが、この邸の者達を同じ目に遭わせ平気で居られる訳が無い。この邸の者達には何の罪も無い事を知っているのだから。
短剣を落とした後もずっと震え続ける手を、握ってやった。相変わらず握り潰してしまいそうな小さな手だ。
「ふっ……、あ……ああっ……」
ガブリエルの目から涙が流れていた。
彼女が泣いているのを初めて見た。感情を露わにして泣いている。いつも彼女を抱き、攻め立てても声をあげないのに、身体の奥底に閉じ込めていた感情を吐き出している様だった。
そんな彼女を抱き締めた。俺の腕の中から抜け出す事も無く、嫌がる素振りも無く、縋る様に泣き続けた。
涙が落ち着いた頃、ガブリエルを抱きかかえてベッドに横たえた。泣き疲れたのかのか瞼が重そうに見えた。寝かし付ける様に頭を撫でた。愛おしくて仕方が無い。さっき俺を殺そうとした女なのに、愛おしいのだ。
彼女をこうしてしまったのは俺だ。彼女は何も悪く無い。悪いのは俺なんだ。彼女の人生を奪った俺なんだ。
「……だ、旦那様」
まだ涙が浮かんで潤んだ水色の瞳を向けてきた。彼女から話し掛けてくるなんて、珍しい事だった。
「とうした?」
「私を、抱いてくださいませ」
一瞬、言葉を理解出来なかった。こんな事を言うとは思いもしなかったからだ。
「……今日は、無理しなくて良い」
もし懺悔のつもりで身を差し出すのならやめて欲しい。確かに彼女を抱き続けて来たから体が目的だと思われても仕方無いかもしれないが、俺が欲しいのは、ガブリエルの心なのだから。
「無理では無いのです。ただ、私が抱いて欲しいのです。何もかも、全部を忘れて、夜を過ごしたいのです」
ガブリエルが抱いて欲しいのだと言う。
それは俺を求めていると言う事なのだろうか。
それとも快楽に溺れ忘れてしまいたいと言う事なのだろうか。
ガブリエルの本心を探る様にじっと見つめると、逸らす事無く見つめ返してくる。綺麗な水色の瞳だ。触れたくなって手を伸ばしてしまう。
どちらかなんて、もしくは何が理由かなんて事より、彼女が望むのなら俺は応えよう。
ガブリエルの顔を撫で涙を拭うと覆い被さってキスをした。
ガブリエルはいつもと違った。積極的だった。
俺が何も言わなくても両手を伸ばして首に抱き着いて縋ってきたし、いつもみたいに我慢せずに声を聞かせてくれた。俺の腕の中で乱れる彼女にさらに興奮した。
いつもは壊れてしまいそうな体を心配して一度で終わらせていたのに、今日はおさまらずに何度も繰り返した。
キスを強請る様に俺の顔を手でなぞる。求められているのが嬉しくて、彼女の気持ち良い所を探す。こんなに反応を返してくれた事が無かったから、ずっとどこの何が良いのか分からなかった。
もっと啼かせたい。もっと、もっと。
こんなに満たされた気持ちになったのは初めてだ。俺ばかりがこんなに幸せな気持ちで良いのか。
ガブリエルを幸せにさせてやりたい。
どうしたら幸せにしてやれるのだろう。
この邸の中で寒い思いをする事無く、食に困る事も無く暮らさせたい。
美味しい王都のお菓子が好きなら沢山買ってやりたい。
可愛い服、華やかなドレスが好きならいくらでも買ってやりたい。
青い花が好きなら庭一面に植えてやりたい。
欲しい物があるなら手に入れてやりたい。
やって欲しい事があるなら何でもやってやりたい。
そうしたら笑ってくれるだろうか。幸せそうに、嬉しそうに、俺に笑顔を向けてくれるだろうか。
ガブリエルが気を失うまで欲を吐き出した。これで目を覚ますまで何も考えずに済む。全てを忘れて眠れるだろう。きっと初めて抱いた宿屋の時の様に朝遅くまで眠るかもしれない。もしそうなら朝コンスタンに言って午前の仕事を休めさせれば良い。
そしてガブリエルを抱きしめて眠った。温かく、心の満たされる思いだった。
ふと、目が覚めた。朝だろうか。昨夜から降る雪がまだ止まず窓の外は薄暗い。
隣に居た筈のガブリエルの姿が見えない。
どこに、行った?
いつも彼女がベッドを出る時、目を覚ましていた。俺が先に目を覚ます事もあったが、彼女が先に目を覚まして抜け出ようとすると、それを感じて目が覚めた。そして「部屋に戻ります」と言っていた。こうして何も言わずに部屋を出て行った事は無かった。
不安になる。
どうして気が付かなかったのだろう。俺が安心しきって眠ってしまっていたのだろうか。昨夜の行為に俺も疲れていたのだろうか。
確か床に落としたままだった短剣も見当たらない。
俺がそんなにも熟睡していたのに、ガブリエルは俺を短剣で刺さなかった様だ。
不安が大きくなって行く。
どこへ行った?
自分の部屋に居るのなら良い。それを確認しなければ不安は消えそうに無かった。
簡単に服を羽織って部屋を出た。




