13.女/決意と涙
朝、お仕着せのワンピースを着てエプロンを着ける時、エプロンのお腹回りがきつく感じた。動きづらいかもとウエスト調整用のボタンの留め場所を一つずらした。
やっぱり私、太ったらしい。そんな気はしていた。
旦那様は相変わらず狩猟をして食材として獲物を持ち帰って来てくれる。それにたまに王都の菓子をお土産に買って帰って来てもくれる。一日一食の日もあった過去に比べ、かなり充実した食生活だ。寧ろ贅沢な位だ。
旦那様は私を太らそうとしていたのだ。そりゃそうだ。骨女よりふくよかな女の方が抱き心地も良い事だろう。そう考えると納得もする。都合の良い女が現れたのに骨ばった体をしていたから、肉をつけさせる為にあれこれ食べさせているのでは無いだろうか。
肉がついたと感じるのはお腹回りだけでは無い。旦那様に何度も胸を触られ揉まれたせいか大きくなった気がするのだ。元が平らに近かったので大きくなったのも微々たるものではあるけれど。
喜ぶべきか、どうなのか。
もう体を差し出す事に慣れてしまったせいで、痩せっぽっちの体を見られても恥ずかしいと思わなくなった。
お互いがどこか当たり前になっていた。旦那様は未だに私に「良いか?」と確認をする。でも首筋にキスをしながら聞いてくるのだ。まるで私の返事を聞く前に体に聞く様に。一度も拒んだ事が無いのだから、断られる事は無いと分かっているのだろう。
お仕着せのスカートの上から太腿を触る。今日も太腿には短剣がある。
お仕着せの下に潜ませるのは、初めて短剣を巻いた日から日課になっている。でも寝る時は外しているから、夜旦那様の部屋に行く時も外している。
このままでは駄目だ。
私が何故この邸に来たのか。
旦那様に抱かれる為では無い。
でも、より近付く事は出来た。無防備に眠っている姿も何度か見た。
チャンスなんだ。旦那様が私に飽きる前に、この短剣を使う。
今日はジャネットが休みの日。いつもの様に旦那様の部屋の掃除をしている時、太腿から短剣を取り出し、こっそり本棚の一番下の隅に短剣を置いた。
ずっと考えていた。夜旦那様の部屋に行っても服を脱がされたら短剣が見つかってしまう。夜持ち込むのが難しいのなら、昼間の内に隠して置いておこうと思ったのだ。旦那様が滅多に触らず目に付かない場所。本棚の一番下なら普段目にする頻度の低い本ばかりだし、背の高い旦那様には死角になる。そして背の低い私には手が届き易く、ベッドからも近い。
ドキドキしていた。心臓が激しく動いて、収まる気配が無かった。
その後の仕事も普段通りを装ったのに、装えていたか自信は無かった。食事も喉を通らず、全然食べられ無かった。
「今日、あまり食事が取れなかったと聞いた」
一体、どこでそんな事を聞いているのか。
また今夜も旦那様に呼ばれて寝室に入った第一声がこれだった。
「……はい」
「体調が悪いのか?」
「いえっ……」
体調が悪い訳では無い。
ここで体調が悪いからと部屋に戻されては計画が台無しになる。いつまでも本棚に短剣を隠しておく事は難しいだろう。ジャネットが見つけてしまうかもしれない。
いつもの様に旦那様が私を引き寄せて顔や首にキスをする。
「……熱は、無いな」
そういう熱の測り方……?
心配しているのか、警戒しているのか。
でも今日は抱かれたいのだ。いつもの様に「良いか?」って聞いて欲しいのに、聞いてくれない。ずっと観察される。
こんな時、娼婦はどう男を誘うのだろう。色仕掛けというものが私にも出来たら良かったのに。自分から服を脱げば良いのだろうか。でも残念ながら脱いでも色気の無い体なんだけれど。
突然旦那様は私から離れて背を向け室内を見回した。暫く無言で考えた後、本棚の前に行き、直ぐに短剣を見つけ出してしまった。
旦那様が本棚の前に行った時点で、呼吸が苦しくなった。やめて、見つけないでと心で叫んでも、私の心の内を見透かすように見つけてしまった。
ずっとチャンスを伺ってきて、今日やっと決心したのに。
この邸に来てから全て受け入れてここまで来たのに。
孤児として辛い日々を耐えて生きて来たのに。
どんな仕事も嫌がらせをされても我慢して来たのに。
旦那様は短剣を持って私の所へ近寄る。もう顔は見られなかった。ただ震えて身を縮こませるしか無かった。旦那様が目の前に来て「ガブリエル」と名を呼んだ。ビクリと体を揺らし両手を強く握りしめた。
「……お前のか?」
はい、と答えたら、私は今度こそ殺されるだろう。
私のではありません、と答えたいのに喉が張り付いてしまって声が出ない。
何も答えられずに無言で居たら、それは肯定と捉えられる事だろう。
旦那様は私の右手を取った。それにもビクリと反応してしまう。旦那様の手は温かかった。私の手が冷え切っているからそう感じるのかもしれない。そして旦那様は私の掌に短剣を載せた。
「……俺が、憎いか?」
短剣を持たされた事に戸惑っていると、旦那様が言った。
「俺を殺したいか?」
旦那様は私に短剣を握らせた。
「……お前になら、殺されても良いかもしれない」
私に短剣を握らせたまま、旦那様自身に剣先を向けた。もう剣先は旦那様の服に当たっている。このまま私が真っ直ぐに力を入れたら、短剣が旦那様の体に刺さるだろう。押し込むだけ。それだけ。それだけなのに……
短剣を握る両手は震えるばかりで、力が入らない。呼吸が苦しくて堪らない。息が上手く吸えない。怖くて、怖くて、手の感覚が無くなって、短剣を落としてしまった。床に大きな音を響かせてしまった。誰か、執事やルーイが音に気が付いてやって来るかもしれない。そうしたら、どうなるのだろう。もう分からなかった。自分がどうなるのかも、旦那様が何故こんな事をしたのかも、力を入れられずチャンスを不意にしてしまった事も。何もかも。
「お前に俺は殺せない。お前は、優しすぎる。人を殺すと言う事はいろんな物を背負う事になる。お前にはそれは無理だ」
旦那様は沢山の人の命を奪った。それだけ沢山のいろんな物を背負っていると言う事なのだろうか。
短剣を落とした後もずっと震え続ける手を、旦那様は優しく包み込んでくれた。
「ふっ……」
何故こんなにも優しいのだろうか。自分を殺そうとした女なのに、何故優しくしてくれるのだろうか。
「あ……ああっ……」
涙が流れていた。
どんな事があっても必死に耐えて来た。涙も我慢した。水を飲むのも大変だった時期があったのだ。涙で体の水分を失うなんて考えられなかった。
なのに、泣いている。私はみっともない声で、恐らく酷い顔をして、吐き出すように泣いた。
旦那様はそんな私を抱き締めてくれて、縋る様に泣き続けた。
私には、この男を殺す事は出来ない。
涙が落ち着いた頃、旦那様は私を抱きかかえてベッドに横たえた。そして子どもを寝かし付ける様に撫でてくれた。今日はこのまま眠るつもりなのだろうか。優しく包み込む様な温かさで私の側に居てくれるのだろうか。
「……だ、旦那様」
「とうした?」
「私を、抱いてくださいませ」
私の言葉に驚いた顔をした。
「……今日は、無理しなくて良い」
「無理では無いのです。ただ、私が抱いて欲しいのです。何もかも、全部を忘れて、夜を過ごしたいのです」
旦那様はじっと見つめる私の目を見つめ返して、何か探られている様だった。こんなに真っ直ぐに旦那様を見つめた事は無かった。いつも直ぐに逸してしまったり、俯いてしまったり。
初めて会った五年前はただこの目が怖かった。でももう本当は優しくて温かい目なんだと知った。
目だけじゃない。
旦那様は私の顔を撫でると覆い被さってキスをしてくれた。その撫でる手も、唇も、そして人柄が優しくて温かい。
今夜も外は雪がしんしんと降っていた。でもこの部屋は温かい。いや、旦那様に抱いて貰い、汗が交わる程に熱く火照る夜だった。
まだ暗い時間に体を起こした。隣にはぐっすりと眠る旦那様がいる。うねる癖毛が可愛らしく見えてしまう。
ベッドから体を抜け出し服を着ると、床に落としたままの短剣を拾う。
またベッドに戻って癖毛の前髪にキスをした。
それから部屋を出た。




