即効薬が、心配だったり。
「もう一度聞くよ、アリス。この切り傷は何? 誰に付けられたの? 僕にいえないような相手なの、ねぇアリス?」
淡々と、押し潰すかのように紡がれる声は、どんどん狂気を帯びて、言葉の意味が理解できなくなりそうなほど早口になっていく。切羽詰ったとも言うだろう。
それに比例して、腕にかかる力が強くなっていく。あんな華奢な身体の何処に、こんな力が隠れているのだろう。三月と違って、息を吐き出すことすら出来ない、歯を食いしばるしかない痛さだった。
「っ……怪我の可能性、は、ないの、かなぁ……?」
とりあえず、頭に浮かんだ疑問を口に出す。
でも、そうだ。爪で強く引っ掻いたとか、木の枝で深めに切ったとか、そんなことでも首に傷は出来るんじゃないか。
そんな私の考えを読んだのか、ギラリと目を光らせてヤマネが口を動かした。
「誰が付けた傷か想像ついてるからね、だから怪我の可能性がないの聞かないの、僕は誰が付けたのかアリスに教えてもらいたいんだアリスの口から嘘偽り無く正直に」
機械じみた声は、ミシンを連想させるほど絶え間なくて、首が絞まっている私でさえ、息が苦しくないのか心配になるレベルだった。
それに、ヤマネの言い方からして、「傷つけた人を知りたい」と言うよりは、傷つけたその人を元々嫌っていて“アリスを傷つけた”という大義名分で攻撃したいから、念のために確認している、みたいな印象を抱く。
……少なくとも、私の心配はしていない気がする。
まるで、誰かに嫌味を言う前の女の子のようだと、内心笑いそうだった。勿論そこまで空気が読めないわけでもないし、命知らずでもないから我慢したけど。
とにかく、酸素が必要のないロボットのような状態になるほど、機械が持たない、人間らしい嫌悪や憎悪を煮え滾らせる相手がヤマネには、いるのだろう。
――――――――――――――――――――――――――――――あぁ、羨ましい。
「何で黙るのアリス……ッ!?」
関心が自分から逸れたことに気付いたヤマネが、声のトーンを低くして呻くように言った。慌てて、我に返って……あれ? 何考えてたんだっけ。
「っく、は」
罰のつもりか、無意識か、ギッと骨を擦り付けるような音を立てて、肺が圧迫された。
……にしても、そろそろ命が危険な気がする。このままヤマネが腕に力を込め続けていくなら、骨折か脱臼くらいは出来るんじゃないかな。それは嫌だなぁ。
「ッ~~!!」
目線が動かないから、変わりに手で太もも辺りを叩く。手のひらしか動かないから、ほとんど音は出ない。でも、効果はあったらしい。我に返ったばかりのような、違和感のある声で、三月が呟いた。
「喋りにくいんじゃね、アリス」
そこ!? そこなの三月!!?
もちろん、突っ込めるわけもないから、目を見開いてみた。見えているのかは分からない。
「……あ、あぁ。そうだね」
横槍を入れられたことにヤマネは激昂しなかった。むしろ、冷静になれたらしく、腕の力を緩め、私を開放した。……かわりに手首は掴まれたけれど。
いっそ、つまらなそうに見える無表情で、私の目をヤマネが見つめる。私を見ていない! と言いたくなるくらい、じぃっと、瞳孔をただの点だと思っていると言わんばかりに、身体をねじ込みだしそうなほど、真剣に。
「……あ、ははっ」
「「「――――アリス?」」」
三人の声が怪訝さを伴ってハモる。それも、また可笑しくて、手首を掴まれているせいで距離の取れなかったヤマネの腹部辺りに、頭部を押し付けるようにして身体を折って、笑いを堪える。
うくくっ、とも聞き取れる気味の悪い声が自分のものだと思うと可笑しくて可笑しくて、困惑したヤマネが、さっきまであんなに掴んでいた手首を離して、後ずさるまで、私は笑い続けた。
「あ、ありす? ごめ、気がふれるなんて、まさか、思わなくて」
「へっ? あはは、いやっ、ふふっ……」
嬉しかった。そして、嬉しいと思う自分が可笑しかった。
こんなに気にかけられるだなんて、初めてのことだったから。いや、もしかしたら初めてではないかもしれないけれど、久しぶりで。
理由はどうであれ、私の目をあんなにじっと見てくれたのも、私があんなにじっと人の目を見れたのも、やっぱり初めてか、久しぶりのことで。
「――――ありがとう」
あんな狂気じみた行動にさえ感謝するなんて。よっぽど私は構って欲しかったのか。
あんな鏡をみるような目さえ嬉しいだなんて。よっぽど私は見てて欲しかったのか。
私がこんなに幸せな気持ちになる即効薬が“心配”されることで、それが即効薬だということが心配で。
……我ながら子供じみていて情けないと思うけど、夢だからって言い訳をして誤魔化した。
変にすっきりとした気分になった私は、笑いすぎて、痛くなったお腹を押さえて、目尻にたまった涙を拭きながら、続けた。
「チェシャにね、噛まれたのよ。そのときにちょっと切れちゃっただけ」
「「チェシャ猫?」」
その瞬間、全てが静止した。
ヤマネだけでなく三月さえも、表情が固まった。少しはマシになったはずの空気も再び凍りつく。
明らかにおかしい二人の様子を見て、説明を求めようと、帽子屋のほうに目を向ける。
そこには、頭痛を起こした人のように額を押さえて、ため息をつく彼の姿があった。
私と目があうと、帽子屋が疲れたように笑って手招きをする。
「え、なに……?」
固まって動かなくなった二人の元を離れて、帽子屋のほうへ向かった。
なぜか帽子屋は、こちらに来ようとはしなかった。むしろ、後ろに下がっている気がする。
手を伸ばせば触れられる距離になったとき、静かに帽子屋が言った。
「アリス。ネズミの捕獲方法って知ってますか?」
「……ネズミ捕りとか? あの、チーズ取るとバチンッてなるやつ」
私は、小さい頃見た絵本や、アニメを思い出して答えた。ネズミを見る機会がめったにないから、捕まえ方なんて知らない。今はゴキブリのように捕まえるのかもしれないな。
惜しい、と呟いて帽子屋が指を立てた。……指を立てる癖でもあるのだろうか。
「猫を使うんですよ」
「あー」
思わず、間延びした声が出た。
確かに、それもあった。私がテレビで見たのものでは、猫がネズミ捕りを使っていた気がする。苦手と言うよりも、遊び相手のようにも見えたけれど……、猫がネズミを捕獲して、主人のところに持っていく、というのは聞いたことがあった。
でも、なんで急にそんなことを言い出すのだろう。
そういう思いを込めて首を傾げると、帽子屋が困り顔になって、私の後ろを指差した。
「その影響と、あのバカの性格のせいで、三月まで猫嫌いになったんです」
そこで、ようやく理解が出来た。
私は、地雷を踏んだ。もしくは、爆弾を投げたと。
「かなり本気で攻撃する程度に、ね」
苦笑いの顔のまま、目線を私から外して帽子屋が遠くを見る。
目線を追うようにして、恐る恐る後ろを振り返ると、キラキラが見えるくらいにまばゆい笑顔をした二人の姿があった。
ヤマネの手に、テーブルに置かれていたはずの果物ナイフやフォークがあった以外は、まぁ何もおかしなところはない。
「アリス。僕たちちょっと出かけてくるね」
「悪いなアリス、野暮用が出来た」
私に笑顔を向けたまま、二人が凶器をどこかへしまい、靴の紐を結びなおしたり、服を着なおす。手元を見ずに行えるのはとても器用だと思うけれど、別の生き物が勝手に動いているようで気味が悪かった。
「あ……うん。いいの、気にしないで」
そう言うと、更にニッコリと笑い、二人は森のほうへ向いた。私とチェシャ猫が、歩いてきた方だ。
カチンッ、と何かを開くような音がして、帽子屋がため息交じりに尋ねる。
「いつ頃、戻ってきますか?」
その声と同時に、二人は僅かに前傾姿勢になった。
まるで、リレーの合図の声だったかのように。ただ、銃声は鳴らない。そして、彼らは銃声を待つほどルールを遵守するタイプではない。だから、好きなときに走り出すのだ。
銃声の代わりなのか、同じ言葉をニヤリと笑いながら、同時に。
「「六時のお茶会までに」」
「仲良くケンカしなー……だっけ?」
うろ覚えな歌詞を口ずさみながら、冷えた紅茶を啜る。
二つしか埋まらないお茶会のイスが、やけに寂しげに見えたのは、私の気のせいなんかじゃないだろう。
……そういえば。私が窒息死しかけてた件はアレだけで済まされてしまうのだろうか?
「まぁ、いっか」
代わりに“心配”をもらったのだから。
今回は、やけに長くなってしまったなぁ、としみじみ思います。
他の話でもそうですが、あと逆に短すぎたりする話もあるのは反省点です(汗)
一話、一話、同じくらいの長さを目指したいと頭の片隅では考えているのですが……。
あと、漢字を使うのか統一もできていないし……うーん。
いつか、総まとめで一気に書き直しをしなきゃいけないなと思う今日この頃でした!




