第25話 学問の国
フュトゥーヌ王国、マトュ港。波止場で船は碇を下し、荷下ろしを他の船乗りに任せたアドマイヤが見送りに来てくれた。常に指か口の隙間に挟まっていた煙草を、今日は珍しく手放していた。
「アドマイヤさん、送ってくれて助かりました。またいつか」
レイドが差し出した右手を暫し見つめていたアドマイヤ。その手を握るかと思うほど手を伸ばしたのも束の間、軽く叩いて彼の手は再びポケットの中に納まってしまった。
「こっちの件を解決してくれたら送ってやるって話だったろ。まぁ、そうだな、オレはもう会いたくはねぇが、お天道様がヨシとは言わねぇだろ。……っと、こんな時間だ行かねぇと。次会う時にはちったぁ貫禄見せつけろよ」
アドマイヤは時計を見てわざとらしく驚いてみせた。背を向けたアドマイヤは頭の後ろを少し掻いて、活気のある声を出す若い衆の下へ歩き始めた。そのくたびれた背も、今は頼もしく思える。
「お世話になりました」
温かい風が吹く。後方からの声が届いたのか、アドマイヤは足を止めた。そして、何かを思いだしたかのように振り返ることなく一言告げた。
「……レイド。オレの方こそ世話になった。だが、一つだけ警告だ。その剣、明らかにヤバい気配がある。使い方には気を付けるんだな」
それだけ言うと、手の甲を見せながら軽く手を振って歩いて行った。かつては海軍で指揮を取っていた男は、老いても貿易商の長として衰えることなくやっているのだ。
「レイドの剣が危ない? アドマイヤさんが言うとなんかそれっぽく聞こえるけど」
「警告はちゃんと聞き入れる。俺も、なんとなく尋常じゃない気配は感じてるんだ。だから、ちゃんと見張っておく」
「では、私たちも行きましょうか」
フュトゥーヌ王国の街並みは、どこを切り取ってもドリザルト王国とは異なる。あちこちに水路が張り巡らされ、それに沿うかのように赤いレンガの住居が並び立つ。
「かわいい街だね。あっ、あのお店行ってみようよ」
「わっ、腕を引っ張らないでください!」
この街はどこを切り取っても絵画のような彩りを持っている。右を見ても左を見ても、外術の中に人が住んでおり、その営みが一級の作品を仕上げている。
「ん……なんだかいい匂いが……それから、音楽?」
レイドは匂いと音が同じ方向からしていることに気付いた。釣られるように向かった先は酒場。人々は陽気な音楽を奏でながら歌い、色とりどりの食事と酒に囲まれて談笑する。できることなら混ざりたいが、レイドはそこをぐっとこらえる。
レイドもユウリたちを追いかけようとした時、背後から声をかけられた。低く、威厳のある声に、振り向かないという選択を取ることはできなかった。
「失礼仕る。拙者、東国のヒヅルミヤより参ったのだが、未知の土地ゆえ右も左もわからぬのだ」
男は目が隠れる笠を脱ぎ取った。着流しに付袴、見るからに外国の装い。何なら匂いさえ、独特な雰囲気がある。レイドの目を最も引くのは、腰帯に挟んだ二尺五寸の業物である。
こちらの言葉を流暢に話し、伏し目がちに言を紡ぐ。
「……やはり、東国の者は珍しいか」
「あ、いや、俺もこの地の人間じゃ無いんで。でも、何か手伝えることはあるかもしれない」
「有難い。実は拙者、人を探しておる。拙者と似た装いの女子を見かけてはおらぬか?」
人探しをしているということで、レイドは親近感を抱いていた。男も剣を佩いている。何か因縁があるのかと思わせるくらいに似ていると感じていた。かなり必死な様子で、相当大事な存在を探しているのだろう。しかし、心苦しいが見ていないものを見たとは言えない。
「申し訳ないが、見てない」
「左様か……。もとより、この街での調査は既に終えている。故に次なる地へと赴く必要があるのだが、どこへ行けばよいかと悩んでいてな」
「それで俺に声をかけたのか」
「うむ。……汝はこの地の者では無いと言っていたな。何処より参ったのだ?」
「俺はドリザルト王国から来たんだ」
「ふむ、存ぜぬ国だ。行ってみる価値はあるか。汝の旅が順風であらんことを」
男は独りでに何度も頷くと、レイドに向けて恭しく頭を下げた。笠を被りなおすと、刀の鍔に親指を押し当て、波止場の方へと向かって行った。
「また会えるといいな」
短い時間ではあったが、レイドはあの男を通して自分を見ているように思ったのであった。レイドと同じく、途方もない旅路であるのだろう。レイドも心の中で男の旅の平安を祈るのであった。
「レイド~ごめんね、先行っちゃって」
「ああ、俺の方こそすまないな。道を聞かれてたんだ」
「そろそろサゲーザ行きの舟が出るころですね」
主な交通手段も、水路に浮かんだ小型の船のようだ。サゲーザ大学行きの船があったので、三人で乗り込む。
「おや、お客さんは旅人さんかい?」
船頭は手足の一部のようにオールを漕ぎながら世間話をしてくれる。
「はい。ワケあって旅してます」
「いいね! そういや前にも旅人を乗せたんだ。それにしても、千夜戦争の前までは魔物討伐を仕事にしてる『冒険者』ってのももっといっぱいいたんだけどなぁ」
「今は魔物退治よりも国の復興の方が大事ですもんね。討伐も、国の仕事になりましたし」
「そうそう。ただ昔乗せたお客さんはね、山に出る巨大なハーピーを剣で倒しに――」
船頭は軽快な語り口で、聞き手を飽きさせない心躍る物語を紡ぐ。聞き心地のよさと船の揺れに気持ちよく酔いながら、サゲーザ大学まで水路を進む。
※
レイドたちの小舟が出発点と目的地の間を通る頃、アドマイヤも輸入品の荷下ろしを終え、ようやく一息ついていた。
港にずらりと並べられた木箱。中身は食品から建材まで様々だ。取引は口の上手い部下に任せ、アドマイヤは陽光を照り返す宝石の海を前に、煙草に火をつけようとマッチを取り出した。手に持った時の軽さで察しはついたが、それでもと一縷の望みをかけて箱をひっくり返す。
「……チッ、使い切っちまった」
しかし、覗いてみても振ってみても、マッチが入っている様子はない。折角の楽しみが台無しになったことを恨みながら立ち去ろうとした時、アドマイヤの眼前にマッチ箱が差し出された。
「火をどうぞ」
「おぉ気が利くな……ってテメェは!」
アドマイヤは差し出した相手を見て思わず距離を取る。相手はヘラヘラと笑いながらも尚、マッチ箱を渡そうとしてくる。
「困ってるようでしたんで……おやァ、どちらさんかと思えばストックアンカーの旦那ァ、久々ですねぇ」
胡散臭い声に、長身の癖に腰を曲げて物腰低く振舞う男。両手を擦り合わせ、背中には巨大な木箱を背負っている。
「あー、あー、テメェからは買わねぇぞ! オレだって商人の端くれだ。テメェの品が穢れてることくらいわかんだよ」
アドマイヤは加えていた煙草を無理矢理箱に押し込んだ。相手の男は困ったように笑っているが、その裏にはどこか楽しそうな色が見える。
「いやぁそれではこちらも商売あがったりなんですがねぇ」
「だとしてもだ。儲かってるくせに白々しい。で、霊狩りギルド四大幹部の一角が、しがねぇ支部長に何の用だ?」
「そうご自身を卑下なされんな。あっしが欲しいのは、ロストマンの子が率いる一団のことですよ」
「……どうしてテメェがアイツらのことを知ってんだ?」
アドマイヤはナイフを抜いて男の喉元に突き付けた。それでも男は顔色一つ変えずに続ける。
「あいや、怖い怖い……。落ち着いてくだせぇよ旦那。あっしもグリマーベリーで彼らと会ってましてねぇ。彼らに免罪符を破格の値で売ったんですが、中々面白い動きを見せてくだすったんでさぁ」
「俺がアイツらのことを知っているのは認めてやる。だが、煙草100カートン積まれても何も話さねぇぞ。アイツらは自由に航海させといてやるべきだ。俺やテメェみてぇに、決まった航路だけを走る貿易船になったらダメだからな」
「おっ、流石海の男、イイこと言いますねぇ。あっしも本意じゃねぇんですわ。ただ、グリマーベリーであったことをギルド長に報告したら本部に連れて来いと言われちまって」
「ケッ、これだから本部の人間は……オレ以外を当たるんだな」
アドマイヤは口から吐いた煙草の煙を男の顔に吹きかけた。男は仰々しく顔の前を仰いで咳き込んだ。
「そうですか……旦那にしちゃ珍しいですなァ、誰かのことを売り渡したりしねぇとは。まァ、こちらも対価を用意してませんでなぁ。唯一の希望だったマッチも断られちまっちゃ仕方がない」
「……オレが本部嫌いなのは知ってんだろ。あばよ、ペテン師。オレはマッチを買いに行く」
アドマイヤは逃げるようにその場を後にした。後に残された男は終始笑みを崩さずにアドマイヤの背を眺めていた。
「ほんじゃア、あっしもこの街でちょいと稼いで行きますかねェ! イヒヒヒヒ」
男は荷物を背負いこむと、街の人混みの中に、溶けていった。
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