5 第二王子殿下の諒解事情
「一体、どういうことなんですか」
王城に戻る馬車の中で、カルヴァンは義姉に渋い顔で問うた。
「義姉上は……親戚に紹介したい、くらいでろくな説明もなく、今日俺を連れて行ったじゃないですか。それがあんな……」
「あんな大歓迎を受けるなんて、聞いてない?」
あんな大歓迎。言葉は雑だが、言い得て妙だ。
あの後カルヴァンは、夢見心地のまま、ぐるりと庭園を歩いて、令嬢とともに茶席に戻った。カルヴァンの胸元に飾られた花に、やたら生温かい視線が注がれて、居心地が悪かった。
ほどなく茶会はお開きとなり、令嬢は名残惜しそうに玄関まで見送ってくれ、さらには伯爵と夫人と公子がまた馬車を回した門まで送りについてきた。伯爵は「本日のことは、まこと光栄の至り、末代までの栄誉」と声をつまらせ、伯爵夫人に至ってはほとんど涙ぐんでいるように見えた。
あの歓迎と感激の空気は、ただ「王家への忠誠心が強い」だけでは説明できないように思う。
渋面のままのカルヴァンに、ノエリアはふぅと息を吐いて腕を組んだ。……ガーランド夫人の厳しい視線を受けて、すぐに腕をほどく。
「まあ私もね、実際会わせてみるまでは絶対に成功するとは、確信が持てなかったから……。いざあそこに向かってもやっぱりダメって可能性もあった。それで、事前にあまり話したくなかったの。それは悪かったわ」
あっさりと謝られて、少し拍子抜けだ。そして同時に、茶会が始まる前の義姉の不審な呟きを思い出した。――ああ、よかった。出られそうなのね――
「カルヴァン。あの歓迎くらいは、当然よ」
義姉の、強い光を伴う紫水晶の瞳が、鋭くカルヴァンを見すえた。
「あなたは、あの家の救世主なの」
その大げさな響きに、カルヴァンは眉をひそめる。だが、ノエリアは真顔で、冗談を言っている風ではなかった。
そして、続く言葉に、目をみはることになる。
「アイリーン、あの子はね。あなたと同じ。固有魔法持ちよ」
「――えっ」
「由緒正しい伯爵家令嬢。固有魔法持ち。ついでに可愛い。社交界に出れば、本来引く手あまただったでしょうね」
ノエリアが指折り数えたそれは、すべて貴族社会で結婚相手として女性に求められる条件だ。
魔力の素質はほとんどが遺伝に依存する。絶対ではないが、魔力の高い両親からは、魔力の高い子どもが生まれやすい。
だからこそ魔法を重視するセムラート貴族は、少しでも魔力量の多い者を求めるし、子らの魔力が発現するまでは、後継者や婚約相手も決め打ちしないことが多かった。
魔力は、生まれつき備わったものだが、覚醒するまでには成長を待つ必要がある。これは、人体の中の見えない魔力発生器官が、成育に伴って形成されるからだろう、というのが通説だ。多くは、十二、三歳。遅くても十八歳までには、素質があれば何らかの魔力が発現する。女性の方が早い傾向もあり、おそらく第二次性徴の時期に魔力発生器官が形成される、と目されている。
そんな貴族社会において、『固有魔法持ち』は最高峰の素質保証だ。魔力が高ければ必ず固有魔法が発現するわけではないが、逆に、固有魔法は魔力が一定以上なければ覚醒しない。
「でも、あの子は、社交界どころか、家の外にもろくに出られない。……その固有魔法のせいで」
火の吹きそうな怒りを静かに灯した紫瞳は、やはり花や妖精よりは、硬い宝石や鉱石に例えたほうがふさわしい。
「《精霊眼》――私は、そんな名前をつけて魔塔の固有魔法研究室に報告した。魔塔の資料にも、前例が見つからなかったから」
固有魔法はその人独自のものであるが、類例が見られるケースも多い。国のすべての魔法関連資料が集まる魔塔では、その研究記録が詳細に記録されており、カルヴァンも、ずいぶん前の資料に《反魔法》の記録があって、発現時にはかなり助けられた。
それがないほどとは。
息を詰めるカルヴァンとは逆に、ノエリアは深く呼吸を取って、自身を落ち着けたようだった。
「能力自体は、シンプルで単純なんだけどね。ほら、魔法士には、多かれ少なかれ、魔力を感じる感覚が備わっているものでしょう。……ああ、あなたにはないかもしれないけれど」
確かにカルヴァンの魔力感知能はないに等しいのだが、教科書通りの一般論は知っている。
「魔力の込められた場所や魔法が使われるときには、特有の音がするとか、圧を感じるって言う人がいるわよね。五感のどれか、もしくはいくつかを通して知覚する。魔力視、魔力聴、魔力触、魔力味、魔力嗅。その中でも多いのは、やはり視覚。魔力が光になって見えるとか、もやみたいに見えるとかね。私も、感知能はそれほど高くないけど、魔力の痕跡はうっすら影みたいに見える」
カルヴァンの知る教科書通りの説明をすらすらと述べる姿は、彼女が王太子妃であると同時に、魔塔の研究者なのだと思い出させるものがあった。
「アイリーンの固有魔法は、ただ、その魔力視の強力なやつよ。固有魔法だから、他の魔法は一切使えない。見えるだけ」
ノエリアの言い捨てた能力は、確かにシンプルで単純だった。
一瞬、それだけか?と思ってしまったカルヴァンに、ノエリアが口元を歪める。
「あの子はね、魔力がそれぞれの属性の光に見えるんですって。私は、まぶしくて直視できないような、七色の光の塊なんですってよ」
『七色の魔女』――魔法の全属性への適性を備え、魔力量も豊富なノエリアに、魔塔で付けられた異名だと聞いたことがある。
苛立たしげにまた腕を組んだ彼女を、今度はガーランド夫人も咎めなかった。
「もしかして、義姉上――」
「アイリーンは、固有魔法に目覚めた十三歳のとき、アディンセル領にうきうき遊びに行った私の目の前で、ぶっ倒れたのよ。太陽を見続けたひとみたいな症状で。……それ以来、五年間。私は、あの子と直接顔を合わせて話せなかった」
彼女は。カルヴァンは思い出す。
茶席が始まるときの彼女は、テラスから、何かを確かめるように慎重に歩いてきた。カルヴァンを見て、驚いたような反応をして。席に着いてからは、妙に感慨深げに義姉と言葉を交わしていた。――またこうしてお目にかかれて嬉しいです。お綺麗になられましたね――
それから、家族の顔を順にじっと見つめて……。
「義姉上、アディンセルのご一家は……」
「由緒正しい伯爵家ですからね。叔父様も叔母様も、もちろん跡取りのウォルターも、相応の魔力量よ。貴族家としては本来喜ばしいことでしょうけどね。私ほどでなくても、目や頭が痛む程度にはまぶしいらしいわ」
では彼女は、家族とも五年間も。
沈思するカルヴァンに、ノエリアは表情を緩めて苦笑した。まるで、カルヴァンが心を痛めたことが、逆に義姉の心を軽くしたようだった。
「幸い、叔父様も叔母様も、娘に優しい人達よ。アディンセルではそれ以来、魔力のない使用人を増やして、魔遮布を大量に購入した。遮光布が光を遮るみたいに、魔力を遮る薬剤を塗った布ね。衝立、カーテン、ヴェール、あらゆるものを駆使して、顔を直接見られないまでも、同じ部屋で食事を取ったり話をしたり、できるようにした。王都には魔力の高い貴族があふれているから、とても貴族街のタウンハウスには娘を滞在させられないって、先祖伝来の館はひとに貸してしまって、郊外に家を買って、娘が過ごしやすいよう手を入れた」
ノエリアの説明が徐々に頭で組み上がり、カルヴァンは理解する。今日見た何もかもが、実にあの令嬢のためのものだったのだ。
「……カルヴァン。もう二年前かしら。リシャールとの婚約が正式なものになって、そのうち義弟になるあなたを、能力の説明と一緒に紹介されたのは。私ね、あのとき、まず期待した。腹の底から力が抜けるような感覚を味わいながら、喜んだ。この状態なら、またアイリーンの笑顔を直接見られるんじゃないかしらって、そう思った」
今日、それがかなったのよ。そうささやく義姉は、門外に見送りに出たアディンセル一家と同じ表情をしていた。
「……その。もっと早く言っていただければ――」
今日のカルヴァンは、それこそ『あの場にいただけ』だ。こんなことでいいなら、義姉の親族を助けるために出向くくらい、何でもなかったのに。
思わずそう言うと、ノエリアは、高貴な麗しい顔を盛大にしかめた。元が良すぎて、腕のいい細工師が刻んだ怒りの仮面彫刻みたいな、奇妙な完成度になっていたが。
隣席のガーランド夫人が、気絶しそうな顔をしている。
「それは当然、私もそう思っていたわよ。あなたを紹介された翌日にもアディンセル家へ引っ張っていきたいくらいだったわ。でも、あの頑固者の叔父様に止められたの。私の最高の提案の手紙に返ってきたのは、『あなた様はいま、近く王太子妃となることを国民に公布された重大な時期です。そんなときに、ただ一親族の私事に、まだ縁が定まってもいない王族を巻き込むなど、もってのほかです。己の責務に真摯に向き合い、足場を固め、公正無私であることを周囲に知らしめることに注力してください。当家は断じて、このような私事で王子殿下を煩わせる暴挙に参与できません』って感じの、便箋三枚にも及ぶ長々した説教よ」
アディンセル伯爵の乱れのない服装や厳格な顔つきを、カルヴァンは思い出す。……確かに、そういうことを言いそうだ。
「……まあ、叔父様の言うことにも一理あったけれど。だから私は、機会を待った。そうしたら、リシャールがノコノコ……じゃない、渡りに船……じゃない」義姉はガーランド夫人の顔色で言葉を選んでいる。「まあとにかく、あなたの婚約者探しが難航してるって話を持ってきた」
この義姉が、好機、と目を光らせただろうことは想像に難くない。
「あなたの婚姻は、王家の一大事よ。王室は第二王子の相手を探していて、良家の伯爵令嬢たるアイリーンも候補の一人として会わせたい、両陛下や王太子殿下の許可も得た――これなら、王家大事の叔父様は絶対拒否できない」
今度のノエリアは、ドヤ顔を作るようなへまはせず、高雅な微笑を口元に刻んだ。眼光が強すぎて、罠にかかった獲物を見る猟師の冷笑、みたいになっている気もしたが。
「そして、実験は大成功。あなたの《反魔法》は、周囲の魔力を根絶する。その影響下でなら、アイリーンの《精霊眼》は魔力の光を捉えない。私たちは五年ぶりに、笑顔のアイリーンに会えた」
ありがとう、と改めてノエリアが口にした一声には、万感がこもっているようだった。
「でも、だからと言って――」
と、ここで義姉は、すらりと背を正して視線を改めた。
先刻までの『怒れるアイリーンの従姉』はたちどころにかき消えて、『セムラート王太子妃』が現れる。
「あなたに、あの子を選んでくれだとか、あの子を任せたい、などとは言いません。あなたの婚姻は、実に王家の一大事よ。相手の決定に、私情や私事など入り込む隙間はない。あの子以外の候補のご令嬢のリストも、ちゃんとリシャールに渡してあります」
この一瞬の切り替えが、この義姉の怖いところだ。きっと二年前も、この切り替えの速さで「翌日にもアディンセル家へ引っ張っていきたかった」ところを、待つことにしたのだ。
「あなたの婚約者探しに協力するのは、王太子妃の私としても打算がある。……『いいお姉ちゃん』ばかりじゃいられなくて、ごめんなさいね」
それは不思議と、義姉としてより、アイリーンの『リアお姉様』としての言葉に聞こえた。
第二王子として、カルヴァンには王太子妃の打算が少しは理解できるつもりだ。
婚姻からまだ一年。されど一年。いまだ懐妊の気配がない王太子妃。
王宮や議会では、早々と「側室を入れるべきでは」とか「魔塔勤めなどやめさせて、王太子妃の務めに専念していただくべきでは」なんて話が飛び交っている。
ここでカルヴァンの婚約、ひいては婚姻がまとまれば、そうした気の早い言論は若干だろうが下火になるだろう。
魔力の量や適性次第では、カルヴァンの子をリシャールの養子に立てて次の後継者とする、といったやり方も、セムラート王室では例のある事だから。
そうして手段を増やし、保険をかけ、王家の責任と臣下からの期待を分け合う――それを悪いことだとは、王室育ちのカルヴァンには全く思えない。
「ただ、あなたの仕事と婚約者探しの合間、時間があるときだけでいい。あの子に会いに行ってあげてくれないかしら。時々、外に連れ出してくれるともっと嬉しい。あの子ったら、せっかく王都にいても、夜会にも、観劇にも、買い物にも、恩賜公園の散歩すらまともに行けないから」
それは、貴族令嬢なら当たり前に赴く社交場で……当然、高魔力の貴族が多く集う場所だ。アイリーンの眼には苦しい場所だろう。
ふと、無意識に胸に飾られた花を指先で撫でた。ノエリアが、そんなカルヴァンを見てくすりと笑う。
「……以前、聞いたことがあるわ。ラティムスは、花房付近に魔力を帯びた花なの。私たちにとっては、ただの白い花だけど」
カルヴァンは、続く予感に、目を瞬いた。王家特有の『セムラートの雫』と言うには少し暗い色の目を。
「アイリーンには、花の中央部分が、美しい紺碧に見えるそうよ」