6 第二王子殿下の家族会議事情
王城に戻ると、カルヴァンとノエリアは、国王の書斎に呼ばれた。前もってその予定ではあったが、国王、王妃、王太子、が居並ぶそこは、家族会議と言うにはあまりに重厚な空間だった。自分の婚姻は、王家の一大事。義姉の言葉が思い出される。
「ただいま戻りました」
入室し挨拶したカルヴァンに、今日も目にまばゆい金髪に光を散らした兄が、海色の目をにんまり細めた。
「やあやあ、おかえり。ノエリアもご苦労様」
「縁故のある家に遊びに行っただけです。疲れるようなことは何もありませんわ」
兄に手を取られてソファに座らされながら、義姉も、白金と大理石でできたような輝く笑みを返す。
「それはよかった。そして、そんなきみたちを追い越してのお土産がこちらだ」
リシャールの示したセンターテーブルには、銀盆の上に一通の封書が置いてある。
今日もまさに邸宅の門扉にも掲げられていた、アディンセルの家紋。それが刷り込まれた封筒に、同様の紋が刻まれた封蝋。
「……まさか、今日の礼状ですか?」
「きみたちが辞去するなり、書いて早馬を飛ばしたんだろうねぇ。アディンセルは、数は減らされたとはいえ伝統的に領軍騎士も抱えている。騎馬で馬車を追い越すことは、まあ無理ではない」
「……さすが叔父様」
ぽつりと小さなノエリアの呟きが、隣に座ったリシャールの耳には届いた。
表向きは王太子妃の私的訪問だが、裏では王家の意向として、第二王子と令嬢の顔合わせをさせて欲しいと伝えてある。
こうした場合、臨席した臣下からの王族への返書は、「本日は大変ありがとうございました」という趣旨の肯定の礼状しかあり得ない。少なくとも建前上は、貴族が王家の意向に反することがあってはならないのだ。であれば、見合いの諾否はどう伝えるのか。
それが、礼状を送る『早さ』である。
早く返書を送れば、『大変光栄です。当方としてもぜひと考えています』ということになるし、遅らせれば遅らせるほど、あまり乗り気ではない、ということになる。
ちなみに、今までカルヴァンが他の令嬢と顔合わせした過去の五回は、いずれも、ぎりぎり非礼に当たらない二日後くらいに返書が届いた。中身には美辞麗句が連ねてあっても、明確な『できればこの度のお話はなかったことに……』である。
それが、今日は、自身の馬車を追い越される速度である。
「どうも大歓迎を受けたようじゃないか」
兄が、朗らかに笑いながら自分の上着の左襟をとんとん、と叩く。……ちょうど、カルヴァンが花を挿したままのボタンホールの場所だ。
「アディンセル伯は昔から、忠義一徹……というか、物堅い男だからなぁ。まあ悪い返事は送ってこないだろうとは思っていたが、それにしても早いな」
父国王も、穏やかに微笑んで続ける。
「とりあえず、せっかくだ。中はこの場で確認しておこう。いいな?」
父に言われて、カルヴァンは当然頷いた。宛名にはカルヴァンとノエリアの名が入っていたが、これが『アディンセル伯爵家から王家への返信』であることは疑いない。
すると、父の侍従が進み出て、封書を軽く改めてから、ペーパーナイフで開く。中身もそのまま改め――悪い細工があるとは思えないが、王室の書簡取扱いルーティンである――問題なし、と銀盆に封書と書状を戻した。
中身は、書状が一枚と、空色のカードが一枚。
国王は、一瞥して書状を取り上げ、カードはカルヴァンとノエリアの方に回して寄越した。
「そちらは、おまえたちが最初に確認するのがよかろう。こちらは……ははは、まあ堅苦しい堅苦しい。さすがアディンセル」
父が書状の内容を声に出して読むと、それは、王族来駕の光栄を述べ、家門の誉れとする旨を綴り、国家安寧と王室の繁栄を願う、仰々しく古風な修辞に満ちていた。
「内容は堅苦しいが……文字は相変わらず、古風だが美しいな。さすがだ」
王の言葉に、王妃が、カルヴァンに受け継がれた銀髪を揺らして、首を傾げた。
父母の並んでいるところを見ると、カルヴァンはいつも、父の色彩は兄にそのまま宿り、母の色彩は自分に劣化して引き継がれたな、と思う。カルヴァンの髪は、銀というよりくすんだ灰色なのだ。もっとも、幼い頃にその話をすると、母には「それは、わたくしが銀髪に見せる努力を重ねているからよ」と凄まれたものだ。美容についての話は、女性に軽々しくしてはいけないと学んだ一件だった。
「さすが……と仰いますと? あなた、アディンセル伯爵の手跡をご存じなの?」
「ああ、きみは知らないか。アディンセルは、まだ爵位を継ぐ前の若い頃、王宮で書記官をしていたんだ。国際文書も書くことを許された祐筆だった。バウムスター神聖国なんかには、アディンセルの古飾書体はとても受けが良かったものだよ」
国家間を飛び交う文書の清書を任される祐筆は、ただ文字が美しいだけでなく、職務に忠実で口が堅いことが絶対条件だ。自分が書いた公式文書について、決して口外してはならない。当然である。
「当時は、貴公子の間で、アディンセルにラブレターの代筆を頼むのが流行ったりしてね。はは、あのお堅い顔でどんな恋文を、なんて思ったものだが、最終的に『二妖精姫』の妹の方を自前のラブレターで落としたらしいからなぁ」
その『姉の方』を母に持つらしいノエリアは、美しく微笑むだけで黙って聞いている。親戚として既知のエピソードなのかもしれない。
「ああ、二妖精姫。わたくしが社交界に出たころには、憧れでしたわ。……あら、本当に美しい字ですわね。この文字でロマンティックな文言を綴られたら、古代の抒情詩を捧げられたような気分になるんじゃないかしら」
父の手から母の手へ、伯爵の書状が渡る。母が「ガーランド夫人も御覧になって」と言ったので、ノエリアの後ろに控えていた夫人が書を受け取りに行った。
「畏れながら拝見いたします。……そうですね。手跡も相まって、典雅な書状です。それに、この封筒と紙。今どきこのような古風な作法を守る方もいらっしゃるのですね」
レディー・エチケットの指摘に、国王と王妃も不思議そうな顔をする。
まるでマナー講義の一環であるように、ガーランド夫人は手紙をノエリアに渡し、確認させた。
「あえて一段劣る紙の封筒や便箋を使い、末尾に『取り急ぎお返事申し上げたく、不調法の程、なにとぞご容赦ください』と記すのです。一刻も早くあなたに返事を送りたいので、取るものも取りあえずこれをしたためます……という意味ですわね。今はほとんど使われない古い宮廷作法ですが、奥ゆかしくて趣きがあります。……この場合は、『早さ』に気を遣ったことの強調でしょうが」
アディンセル伯爵家であれば、もっといい封筒も便箋も用意があるだろうから、これはあえてだろうとガーランド夫人は言う。
「……さすが叔父様」
ノエリアがまた小さく呟いたようだった。
「おっそろしいことをするなぁ。我々が古い作法に気づかず、こんな安っぽい返書を寄こすとは、などと言い出していたらどうするつもりだったんだ」
「その場合は、そのような無教養な王家に娘はやれない、と言われるだけなのでは?」
「……あり得るな。アディンセルならもう少し言葉は選ぶだろうが。どうもあやつは昔から王家への期待値が高すぎて面倒くさい」
「あら。王家への期待値が低い貴族がもしいたら、そちらのほうが問題でしてよ」
おそらく当の古い作法を知らなかっただろう国王と王妃だが、平然とそうやり交わしている。王家が取り立てた臣下の力も王家の力であるから、ガーランド夫人が知識を備えて謹言すれば問題ない。そういうものなのである。
「これはすごいな。どうもアディンセル伯爵は、あらゆる手を尽くして、篤い『諾』の返事を寄こしたようですね。それで、カルヴァン? そちらのカードは?」
ノエリアとともに伯爵の書状を眺めたリシャールが、カルヴァンの手の中を覗き込む。
家族たちが伯爵の書状を吟味する間、カルヴァンは、ぼんやりそのカードに見入ってしまっていた。
白い花の絵が入った空色のカードには、父伯爵とは趣きは異なるが美しい令嬢の文字が、綴られている。
『本日のご訪問、まことにありがとうございます。花をともに見られたことは、私にとって決して忘れられない素晴らしい思い出になりました。
来月には、拙宅の庭にツツジが咲きます。何かの折にそのことを思い出していただけたら、これ以上の喜びはございません。
アイリーン・アディンセル』
横から覗き込んでいたリシャールが、またにやりと笑った。
「どう見ても『また来てください』ということじゃないか」
「そ、そうでしょうか……」
曖昧ににごすカルヴァンからカードを取り上げて、リシャールがノエリアにもそれを確認させる。アイリーンをよく知るノエリアは、一読しただけで即答した。
「どう読もうとそうでしょうとも。あえて宛名を書かずにカルヴァンでも私でも当てはまるように書いているけれど、花を長く一緒に見たのはあなたのほうよ」
それは、確かにそうなのだが。
ここで王妃が「わたくしにも見せて頂戴」とはしゃいだ声を上げたので、カードは更に母の手に渡った。
「あらあら。『また会いたいです』と直接おねだりできないところがいじらしいわねぇ。それに、伯爵とは全く違うけれど、お嬢さんも綺麗な文字だこと。繊細で細やかな筆運び、インクだまりもくっきり残す線の強弱、文章そのものの美しい配置。ご令嬢のお手本のような手跡だわ」
女性社交界の頂点に立ち、様々な令嬢や貴婦人の手紙を見てきただろう王妃が手放しで褒めるのは、よほどのことだ。ノエリアが力強く頷く。
「私も、彼女の文字が昔から好きです。……私はどうもせっかちで、線を軽く流しがちなので、従妹の繊細で丁寧な文字がうらやましかったものですわ」
「いいえ、あなたの文字も流麗で軽やかで美しいわよ。当節の流行でもあるし」
母の言葉に、義姉は淑やかに礼を述べ――「ああ、申し訳ございません」と思いついたように言った。
「私、そろそろ晩餐の身支度を始めませんと。お話の途中で大変恐縮ですが、失礼してもよろしいでしょうか」
「ああ、そうだね。外出から帰ったところをすぐに、すまなかった。行っておいで」
「はい。それでは、また晩餐の席で」
父が快く許可し、廊下までの短い距離を兄が紳士的にエスコートして、ノエリアとガーランド夫人は部屋を辞した。
リシャールがドアを閉じ、ソファに戻ると、王妃が扇の影でほうと息を吐く。
「……察しのいい、出来た嫁ねぇ」




