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21 伯爵令嬢のお手伝い事情

 広いテーブル状の台の上に、小さな機器がひしめき合っていた。大体、邸宅の晩餐室の大テーブルくらいはあるだろうか。

 実験室だというその部屋は、アイリーンが今まで見たことがない空間だった。窓はなく、金属質の壁や天井がむき出しで、がらんと四角い部屋に、雑然とものが詰め込まれている。いや、雑然としているのは壁際の棚や物置台だけで、中央の台の周りは、ものは多いが整然とした印象だ。空気はしん、と澄んでいる。空気……というか、視界が静かなのだ、としばらくして気づいた。

「大丈夫ですか? お嬢様」

 一緒に部屋に入ってきた研究員の女性が、尋ねてくる。髪を頭の後ろでひとつに束ねた、てきぱきした印象の人だ。ノエリアはシャーリーと呼んでいた。

「あ、はい、大丈夫です。静かな部屋ですね」

「静か、ですか?」

 廊下側のドアからは会話が漏れ聞こえてくるし、ともに研究室に入ってきた他の二人は、機器の周りで作業を始めている。静寂、というわけではない。

「すみません、私の感じ方の問題だと思います」

 強い魔力は壁越しだろうとアイリーンには視えるものだが、それがこの部屋ではほぼないので驚いたのだ。逆に、日頃は壁越しに遠くまだらに光が視えるのが常態化してしまっていたのだな、と気づかされる。この視界の静かさは、確かにカルヴァン殿下の傍にいるときに似ていた。

 そしてこの静謐な視界では、隣に立つ女性の魔力のかすかな光がはっきりと拾える。

「シャーリーさんは、魔力はほとんどないんですね」

「ええ。計測器にかからないレベルです。原理研には、そういう研究員や助手もけっこういるんですよ」

「そうなんですか?」

「たまに、魔法士を育てる魔法学校と混同されますが、魔塔はあくまで学問としての魔法を研究する機関ですから。魔法学の筆記試験に通れば、研究員になることは可能なんです。もちろん、新しい魔法を創る実技研などには配属されませんが」

 王立魔法学校のほうが、魔力計測による足切り措置があり、魔力のない者には縁遠い場所だそうだ。

「そうなんですね……知りませんでした。でも、少しですが火の魔法の適性をお持ちですね。少し練習すれば、水を温めるくらいはできるかもしれません」

「……私が、ですか?」

 魔力計測器で測れないレベルだと言っていたから、自分の魔力の傾向も知らなかったのだろう。アイリーンが頷くと、彼女はいかにも仕事ができそうな怜悧な顔をほころばせた。

「それは知らなかった。今度初等実技本を見て練習してみます」

 そんな話をしているうちに、実験機器の準備が終わったらしく、廊下とのやり取りの後、ダリルというひょろりと背の高い男性が、アイリーンを台の方に手招いた。

「令嬢、こちらですが……一言でいうと、純粋魔力の抽出実験をする装置です」

「純粋魔力……ですか?」

「人間や魔石が発する魔力は、属性が微細に入り混じっていますから。属性の純粋研究のために、そういう不純魔力を取り除いて、純度の高い水の魔力や火の魔力を抽出したい……そういう要請があるんですよ」

 魔力が細密に視えるアイリーンにとっては、属性が入り混じった状態、には実感がすでにある。

 頷くと、ダリルの細長い指が、がっしりとした台上の隅の四角い箱を差した。

「この照射器に魔力をためて、指向性をつけて照射します。台の上を、魔力反射板を使ってぐるぐると経路を作りながら、プリズムとスリットで分魔し、偏魔板でフィルタリングし……と繰り返して、最終的にあの隅の計測器に当てています」

 彼の指は細かい機器の並んだ台の上を蛇行し、最終的に照射器の対角に設置された大型の計器を指して止まった。

「ずいぶん複雑ですね……」

「経路を長く取って、分化とフィルタリングを重ねるほど魔力の純度が上がりますから。レオン主任は、予算が出ればこの台を二台使って、経路の長さを倍にする、とよく息巻いてますよ」

「この規模でも、すーぐ不具合起こしてるっすけどねー」

 浅黒い肌の、ペイスという小柄な少年が呆れたように口をはさむ。彼は器用に動く小さな手で、機器類の調節ネジや留め具を確認していた。その器用さを買われて、助手として採用されていると本人が言っていた。

「ここんとこ、装置を動かしても、計測器に魔力がほとんど入っていかないんすよ。たぶん、どっかのスリットか偏魔板の角度が悪くて、魔力線が途切れてるのかなーって」

 それなら、アイリーンの眼なら魔力の流れが追えるから、問題個所は分かりやすそうだ。

 概要はわかりました、とアイリーンが告げると、ペイスが張り切ったように照射器を起動する。

 水の魔力が細い線を描いて台と平行に放たれるのが、アイリーンの眼にははっきり視えた。

 先ほどダリルが指で示してくれた経路をたどりながら、魔力の流れを追う。立ち並んだ小さな機器を通すたびに、魔力の束が細く、しかし純粋な水魔力の色になっていく。

 その細かな一線に、眼を凝らした。

 この、小さく細かな魔力を視ようとする感覚を、アイリーンは他人にうまく説明できない。細かな文字を目を凝らして読もうとするときに似ているが、それとも少し違う。それこそ、目のレンズの調節ネジをきりきりと回して、観測できる幅を変える、そんなイメージだ。集中して、目を凝らし、見ようとすると視えてくる。

 細くなっていく魔力の光線を慎重に追って……やがて、アイリーンは一点を指さした。

「たぶん……ここです」

 透明な三角形の結晶体だ。

「え、そこのプリズムっすか?」

「今抽出しようとしているのは、水の魔力ですよね?」

「あ、はい、そっすそっす!」

「ここで魔力の色が分かれて曲がっていますが、この角度だと、たぶん風の魔力のほうが多く次に流れます。それで……」

「うわ、マジすか! あー、そりゃダメっすわ。次のフィルタでほとんどカットされちゃうもん。今! ぱっと直しちゃうんで、確認してもらっていいすか!」

「はい、もちろん」

 ペイスが手慣れた様子で、器具を取り出し、結晶体の角度を調節する。慎重だが確固たる手つきだった。傍目にはほとんど変わらないように見える微調整で、台上の径路が水の魔力の輝きを取り戻す。

「あ、すごくよくなりました」

 アイリーンが言うのとほぼ同時に、ダリルが計測器を覗き込んで歓声を上げる。

「計測器の数値も理想的です! いやぁ、すごいな、こんなに簡単に直せるなんて。ひとつずつ外しては組み替えて、これでもないこっちでもない、とやってた最近の苦労は何だったんだと思いますね」

「お嬢、毎日……はムリでも、週イチくらいで来られないっすか! そしたらめちゃくちゃ助かるんすけど」

「ご、ごめんなさい……たぶん無理だと思います……」

「あー、そっすよね。あのカカシさんにお出まし願わないといけないすもんね……」

 ここでもカルヴァンはカカシ扱いである。ノエリアの説明の威力がすごい。それとも、みんなも畏れ多くて正面切って言及できないからこそ、仮称にこだわっているのかしら。そうかもしれない。

 がっくりとうなだれた少年を労わるように、アイリーンは声をかけた。

「それよりも、余計なことかもしれないんですが、ペイスさんは金の魔力の素質がありそうなので、こんなに細かい作業を日常的にしているなら、無意識に発動しないように訓練した方がいいのではないかと」

「えっ、マジすか。おれにすか」

「まだ計測器に反応はない範囲だと思いますが……失礼ですが、年齢はおいくつですか?」

「今年十五っす!」

「それなら、まだ覚醒の可能性もありますね。今の状態でも、ごく小さな物質の成形や変形は可能に視えます」

 金の魔力は、物質――特に金属や鉱物の抽出や変形を可能にする。火や水の魔法よりも分かりにくく、発現しても発見されにくいが、日常生活で使っているスプーンを気が付かぬうちに曲げていた、なんて話も聞く。ペイスの緻密な作業を見た今では、無意識にそんなことを起こしていたら、きっと大変なことになるだろうと心配になった。

「ふわー、うっれしーっす! 実験道具も自前で作ったりするんで、ちっちゃい成形でもできるようになったら便利そう!」

「私も、火の魔力があるかもしれないと視ていただいたのよ。今度、初級本を見て一緒に練習しましょうか」

 シャーリーが嬉しそうにペイスに話しかけている。

 ここで当然ながら、ダリルの視線をアイリーンは感じた。

「あの……すみません、ダリルさんは、私には魔力が視えません……」

「あー、まあそりゃそうですよねぇ。いえ、大丈夫です、元々文献整理が自分の主な仕事なので」

「ダリルのおっさんの描く図がないと、レオン主任なんかもー論文書けないっすもんね!」

「あの人は、頭の中はあんなに整然としているのに、手を通して図示しようとするとぐちゃぐちゃになるのはなんでなんだろうな……」

 そんな雑談が聞こえたのかどうなのか、話題のレオンの声が廊下から響く。

「おーい、どうなったー?」

「ばっちりっすー! ねえねえしゅにーん、おれ金の魔法の才能あるかもって!」

 ペイスが駆け出すようにして、扉に向かう。がらり、と引かれた戸から、魔力の光があふれてくるのではとアイリーンは一瞬身構えたが、廊下の一団は、カルヴァンの黒い紗にきちんと覆われていた。

 ほっとした……ところで、こめかみのあたりに、ちりりと何かを感じる。視界にまだ入らない、廊下の先の角あたりから、かなり強い光が近づく気配。

 アイリーンは慌てて部屋を出て、逃げ込むように黒い半透明の球面をくぐった。実験室の中よりも、更に静謐な視界がアイリーンを安堵させる。

 ノエリアがはっとした顔で廊下を振り返り、カルヴァンと兄が察したように近づいて手を差し伸べてくれた。めまいに近い感覚はあったが、人の手にすがるほどではない。大丈夫、と微笑んだ。

「やあみんな、こんなところにいたのか」

 穏やかに枯れた声が、ゆったりと響く。廊下の先から、好々爺然とした笑顔の初老男性が近づいてきた。身にまとった白いローブには、金の縁飾り。研究室長の証である。

 ハーヴェイ室長、と誰からともなく呼ぶ声が聞こえた。

「やっと懇親会に出られそうだ、と思ったら、ホールに妙に人が少なくてね。驚いたよ」

「お客さ……いや、アイリーンさんに実験機器を見てもらってたんですよ。ペイス、不調は直ったんだな?」

「はい、完璧っす! いやー助かりました! まさに『黙って座ればぴたりと当たる』! ノエリア主任の言ったことホントっした!」

「おれも例の送風機にいいアドバイスもらいましたよ、室長!」

 じゃんけんに勝って見物についてきていたティムも声を上げる。

 ハーヴェイ室長は、笑いジワの多い目を更に細めて、ほ、ほ、と笑い声をあげた。

「そうかそうか、それはよかったね。部下たちが世話になったようで、どうもありがとうございます。アイリーンさん」

「い、いえ……こちらこそ、お招きいただき、ありがとうございます」

「ウォルターくんもよく来てくれたね。それから……」

 アイリーンと挨拶を交わしてから、後方にいる二人にも室長が目を向ける。顔見知りらしいウォルターの後、丈高いカルヴァンを見上げた。

「お久しぶりです……とひざを折るべきところですが、本日はお守りのカカシ役と聞き及んでおります。堅苦しいご挨拶は省かせていただきましょうか」

「そのように頼む。どうも、カカシ役が意外と馴染むんだ」

「それはようございました。さて、立ち話もなんですな。懇親会場に戻りましょうか」

 ハーヴェイに促されて、一行は来た廊下を戻っていく。

 後方では、ペイスやシャーリーが魔力適性を見てもらった、と研究員たちに自慢しており、前方では、ノエリアとレオンが室長と話している。

「総長とモーリス室長が、挨拶だけでも、とうるさくてなぁ。あくまで身内の席ですから、と断るのに難儀したよ」

「あー、そりゃあお疲れ様です。まあ総長はメンツもあるでしょうからね」

「普段は王家と癒着しすぎることまかりならん、魔塔は独立独歩の研究機関でなくては、ってうるさいくせにねぇ。あとで報告に私も顔を出しておきますわ」

「そうさな、そうしてくれるかね」

「今日のは、ほとんど私のわがままでしたからね」

「だがそのわがままのおかげで、うちの班は助かったよ。他にもいくつか計器類を見てもらおうかな……」

「さすがに今日はもうやめなさい。気楽に楽しんで帰っていただいて、また来てもいいな、と思ってもらうのが一番だよ」

 部下と上司というには、かなり気安い雰囲気だ。

 会話の内容というより、生き生きと楽しそうなノエリアを見るのが嬉しくて、アイリーンは我知らず微笑んだ。

 そんなアイリーンに、隣を歩く兄から声がかかる。

「どうだった、アイリーン。楽しかった?」

「はい、お兄様。誰かのお役に立てるって、やっぱり嬉しいことですね」

 ほっとするような優しい兄の笑みに、アイリーンも素直な感想を口にした。

 それから、逆隣のカルヴァンを見上げる。

「殿下も……」

 お付き合いくださってありがとうございます、と続けるつもりだった。

 だが、アイリーンが「殿下」と言うなり、彼は人差し指を立てて、自身の唇に当てた。秘密を示唆する仕草に、心臓がことりと跳ねる。

「もう少し、ここにいる間は、きみのカカシでいさせてくれ」

 深い色の瞳が、柔らかく軽やかに、少しいたずらっぽく、見下ろしてくる。

 その目容と、きみの、という一言だけで、アイリーンは何も言えなくなってしまう。心臓から熱がすごい速度で這い上がって来て、こめかみが痺れたように耳鳴りがした。

 この御方は、アイリーンの視界に静謐をもたらすが、ときどき、どんな魔力の塊より危険だ。

「う、あの、……は、はい……」

 隣で、兄がくすくす笑う声も、ほとんど聞き取れなかった。

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