↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/39

20 伯爵令息の回想事情

「アイリーン嬢は、魔法学の心得があるのだろうか。魔法学校には通えなかっただろうに」

 ぽつりとした呟きに、おや、とウォルターが視線を向けると、紺碧の涼やかな瞳がこちらを向いていた。

 しばしぼんやりと妹のほうを眺めてしまっていた自分を反省して、隣に座ったカルヴァン王子に視線を合わせて微笑む。

「心得と申しますか……ほとんど独学です。ノエリアが――と、ああ、魔塔の流儀に倣って、ここではこうお呼びしてもいいでしょうか」

「俺が許すことでもないと思うが、俺は気にしない。……義姉上も気にしないだろうな」

「そうでしょうね。では失礼して。ノエリアが、妹の能力を活かすためだと言って、領地にいたころからあれこれ魔法学の教本を送って寄越していたんですよ。妹は意外と熱心にそれを読み込んで、分からないことはノエリアに手紙で質問していたようでした。僕は学校に通うために王都に出てきていたので、よく知らなかったのですが……。妹の暇つぶしや気晴らしになるのならそれもいいか、程度に思っていたら、いつの間にかずいぶん専門的な本まで読むようになっていて、驚いたものです」

「そうなのか……」

 王子の目が、また前に向く。その視線のすぐ先には、人に囲まれて話し込んでいる妹の姿があった。ノエリアも、熱心にその輪に加わっている。

 距離が近いとはいえ、こちらの小声の会話が聞こえるほどではないだろう。あちらの声の方が大きいし。

 妹のアイリーンは、しきりと人に話しかけられて少し焦りながら、一生懸命受け答えしている。独学だけあって、彼女の知識にはムラがあるらしく、ときどき初歩的な質問をしては、むしろ周囲に喜ばれているようだった。

 そんな妹の横顔を、少し離れて後ろから見守っている。不思議な感覚だ。こんなことができるなんて、つい最近までは想像もしなかった。

 毎年描かせる肖像画である程度は知っていたが、実際に生の目で見ると、あの可愛いばかりだった幼い少女が、ずいぶん女性らしくなったな、と感慨深い。それでいて、目を見開く仕草や首を傾げる癖は、昔から変わっていない。懐かしさと愛おしさとともに、実感する。ああ、これが今の僕の妹だ。

「ノエリアは、以前から妹を色んな場に連れ出すことに熱心でした。王都に来いとしきりと勧めていたのも彼女なんですよ。両親や僕は、領地で安らかに過ごさせる方がいいと思っていたんですが」

 ウォルターは、こころもち王子に身を寄せて、声をワントーン落とした。熱心な議論の輪の人々には聞こえないだろうと思いつつ、そうした。

「領の騎士や、長く付き合いのある商人の息子に、魔力のないよさそうな者を見つけて、アイリーンの事情を言い含めて、了承してくれたら嫁がせようか、なんて話もしていました。家に残りたいなら、僕がずっと面倒を見てもいいですしね」

 この話を思わずしてしまったのは、ウォルターの王子に寄せる好意ゆえだった。

 あなたとの婚姻が成らなくても、妹にはちゃんと生きる先がある、罪悪感など持たなくて大丈夫だ、と、この生真面目で人の好さそうな王子様に伝えたかった。

 自分たち家族の事情を聞いた、と言うなり、自分は背を向けているから家族の時間を持ってはどうか、抱擁などしては、と勧めてきたあの朝のカルヴァン王子に、ウォルターは正直、笑いそうになってしまった。こんなに優しく一臣下の心情に配慮していて大丈夫なのかな、と思ったほどだ。

 彼とアイリーンの見合いの後、父に伝えられた王家の内意としては、『第二王子の婚約者はまだ選定中の段階であり、貴公の息女も候補のひとりに加えたい。カルヴァンは長く騎士団勤めに励んでいたこともあって、女性との交流に疎いところがあるが、息女との友好を通じてもの柔らかな変化があることを期待する。もちろん王家の名誉に誓って礼節と節度はわきまえさせる』といったところだったらしい。

 父は「王家の意向に逆らうつもりはないし、第二王子殿下のお人柄は信頼に足るが、それでもこれでは練習台ではないか。公然と娘をもてあそばさせるようで気が咎める」と言い、母は「節度を守っていただけるなら、練習台、結構じゃありませんの。一度や二度、素敵な男性とお出かけしたという思い出こそ、女には必要ですわ。どうせ王都でアイリーンの相手を見つける気はないのです。多少噂になるくらい、箔が付くだけですよ」などと言う。

 どちらの言い分も、ウォルターにはわかるが……。

 さて。当人たちは、どんな心情なのか。

 ウォルターの見るところ、二人の『交流』はごくごく健全で、なんの後ろ暗さもないものばかりだ。

 外出時に、常に母らを伴おうとするのは、礼節や節度のため、以外にも、あの朝に言われたような家族の時間を作らせようとしているのではないか、と思えてしまう。

 ウォルターが、自分よりひとつ年上な同年代の王子様に好感を抱く理由など、いくらでもある。

 家系伝来で叩きこまれている王家への忠誠心をベースに、彼の固有魔法のおかげで妹の顔を五年ぶりに見られたこと、その妹によくしてくれていること、自分たち家族を気遣ってくれること、それから――この、いかにも武人然としたたたずまいまで。

 そっけない実用本位の椅子に、きりりと姿勢良く座る王子を、改めて見やる。

 ウォルターは、騎士と言う存在に、憧れとともに、少なからぬ複雑な感情を抱いている。

 アディンセルは、元々武門の家系だった。セムラート建国王に仕え、戦働きで報奨に領地を賜ったのが家の始まりだ。かつて国境を任されていた歴史に誇りを持ち、五代ほど前までは、嫡子も騎士団に所属し武芸を修める習いだった。直系男子に三年の軍役義務を課す、王家を見習ったしきたりだったと聞く。

 だが時代は変わり、国境線も変わり、アディンセル伯爵に必要とされる素養も変わってきた。

 嫡子を騎士団に送る風習は廃れ、父は文官になったし、自分は学問の徒になった。

 人それぞれの向き不向きもある。自分の選択を後悔したことはない。

 ただ、領に帰って、カントリーハウスのギャラリーを歩くとき、回廊の壁に並ぶ歴代当主のいかめしい肖像画や、彼らの使った武具の古い輝きに、ひどく申し訳ない気分になる、というだけだ。

 おそらく、父も同じだろう。以前、二人で酒を飲んでいるときに、ぽろりと「もう一人息子がいたら、騎士にしたかったな……」などとこぼしていたことがある。

(アディンセルは、家系的に、どうしようもなく『騎士』に弱いんだよな)

 アイリーンにもその気質があるのではないか、とウォルターは踏んでいる。してみると、今回の件が実を結ばず、綺麗な思い出だけを抱えて妹を領に戻らせたとき、結婚相手に探してやるのは騎士身分の男がいいのかな。いや、こんなことを考えるのはまだ早いか。

 もの言いたげな紺色の視線と、ふと思い出した自分のコンプレックスに誘われるように、ウォルターは声を低めたまま再度口を開いた。

「正直、僕ら家族には、恨めしいばかりの妹の能力でしたが……。こんなふうに、大勢に必要とされることもあるのですね。こうして人に囲まれる妹を見ていると、ノエリアが正しかったのかな、と身につまされます」

「……それは」

「ノエリア」

 カルヴァンが何か言いかけたとき、ふと前方の輪の中ではっきりと目立つ声が起こって、二人はそちらに注意を向けた。

 ノエリアに呼び掛けたのは、薄茶の髪を短く刈り上げた男だ。魔塔の研究員の象徴である、白いローブを羽織っている。アカデミーの学生が黒のローブを着用するのと対照的に、魔塔では白いローブが支給されるが、見る限り、これを着ている研究員は半数に満たない。汚れやすいから人気がないのよ、と以前ノエリアが言っていた気がする。

「第二実験室の装置を彼女に見てもらうことはできないか? 最近、精度が狂って困ってるんだ。ペイスも直せずにいる」

「うーん、レオンの実験室かぁ……」

 ノエリアに呼び掛けた男は、確か、ノエリアと同じく主任のひとりだったと記憶している。

 魔塔には、分野によっていくつもの研究室が存在し、それぞれ研究室長が率いている。その下に主任が何人か所属し、研究員の班を束ねて個別テーマの研究を進めるシステムだ。ここ基礎原理研究室は、今の研究室長がなかなかやり手で、最近はノエリアがやたらと予算を引っ張ってくるので、所属員の規模が倍加されたらしい。

「あそこ、壁や床に防魔材が大量に仕込んであるわよね」

「よそからの魔力干渉があると、うちの実験はできないからな。遮蔽率99%以上は保証する」

「それなら行けるか。アイリーン、それからカカシさん、移動するわよ」

 ノエリアのカカシ呼ばわりは続いている。カルヴァンは特に気を悪くする様子もなく、すぐに席を立った。慣れた仕草でアイリーンに近寄り、手を貸してエスコートしようとする。研究員たちが、わっと謎の盛り上がりを見せる。

「シャーリーもついてきて。レオン、ペイス以外に魔力値が1未満の人がいたら一緒に入れてもいいわ」

「それならダリルだな。いつも組ませて実験させてるから」

「じゃあそれで」

「ノエリア主任、おれらは付いてっちゃだめですか?」

 ティムと呼ばれていた青年が声を上げる。ノエリアはうろんな目つきで応じた。

「魔力持ちはカカシさんの周りで待機してもらうわよ。見物は五人まで」

「よーし、じゃんけんだな!」

 にぎやかな研究員たちを脇に、ウォルターは自分もついていく意思表示として、カルヴァンの斜め後方あたりに近寄った。ノエリアは特に何も言わない。

 そして作られた彼ら一行は、ノエリアとレオン主任を先頭に、ぞろぞろと廊下を移動することになった。

 階を移し、いくつか角を曲がった先に、やたら重そうな引き戸が現れる。

「アイリーン、この中に入って、実験装置を見てきてやってくれないかしら。外からの魔力は遮断される部屋だから、この中だけはカカシさんから離れても大丈夫よ。他に魔力がほとんどない助手たちにも入ってもらうから、詳しい説明はそっちで聞いて」

「う、うん、わかったわ」

 アイリーンは少し不安げにカルヴァンとウォルターを一瞬見上げてから、意を決したように、引かれたドアから中に入っていく。ペイスと呼ばれた少年と、シャーリーという女性、ダリルという男性も続く。

 やがて、いくつか作業音がし、戸の前で、レオンやノエリアと中の声でやり取りが始まった。

「しゅにーん、装置作動準備、オッケーっす」

「おう。ダリル、概要を軽く説明してあげてくれ」

「了解です。令嬢、こちらですが……」

 レオンとノエリアは中からの声に耳を傾け、他の研究員たちもそれを興味津々で見守っている。

 ぽつんと取り残されたウォルターは、同じく廊下の片隅で立ち尽くしているカカシさんことカルヴァンを見上げた。並んで立つと、自分より頭半分は抜き出た彼の長身が、改めて目に見える。

「なんだか申し訳ありません……」

 今となってはこの王子のほうがノエリアに近しい『身内』かもしれないが、幼いころから付き合いのある従兄として、つい彼女の素行を謝りたくなった。

「いや。今日はカカシ役だと言われて来ているから」

 ふっとゆるんだ紺色に、ウォルターは初めて彼の笑みを見た気がした。

 カカシ扱いが存外気に入っているのだろうか。どこに行っても王子として仰々しく迎えられる彼には、こうした扱いが新鮮なのかもしれない。

「令嬢の盾になれるなら、光栄なことだ」

 カカシにしろ、盾にしろ、なんとも高貴で贅沢なしろものだ。

 苦笑がちに礼を述べると、「……ウォルター公子」とささやくように呼ばれた。

「先ほどの、話だが」

 低めた声の調子で、中断された話の続きだと察する。真剣な――それこそ抜き身の刃を連想させるような――目が、ウォルターを見下ろしていた。

「俺は、一度、アイリーン嬢の私室を見せてもらったんだが」

「……ええ、そのように聞いています」

 彼とアイリーンの健全この上ない逢瀬模様は、手紙の内容以外はほぼほぼ家族に筒抜けだった。いや、手紙の内容さえ、妹が嬉しそうに夕食時にやり取りを話したりするので、かなり筒抜けだ。

「家族からの愛情が感じられる、温かく優しい空間だった。彼女も、そのひとつひとつを大切にしている、と感じられた」

 刃を連想した瞳は、しかし恐ろしくはなかった。人を守るための真剣だ、と思えた。

「彼女は、自分の不遇を嘆くより、与えられたものに感謝して、今ある幸せを抱きしめられる人なんだ、と思った。……数度お会いしただけの男が、兄君にえらそうに言えたことではないが」

「……殿下」

 その、表現は。妹の何を褒められるよりも、ウォルターの心に嬉しく染みた。

 そう。あれは確かにそういう妹だ。

「あなたがたの守り方も、正しかったはずだ。……ただ、義姉上はあの通り強烈な人だから、圧倒された気分になるのもわかる」

 男らしい顔に浮かんだ苦笑に、ウォルターは思わず吹き出した。

 同じ被害を受けた男たちの共感を目で交わして、苦笑しあう。

「どうも大変な義姉を持ってしまいましたね、殿下」

「すでに大層な兄がいるので、今更だ。むしろ、兄のためには、よくぞこんな女性がいてくれた、と思った」

「それはまあ、なんとも……。こう言ってはなんですが、納得です」

 この特殊な場の空気を借りて、通常であればとても王族には言えないような言葉を交わしながら。

 実現する可能性は低いだろうな、とは思いつつも、ウォルターはほんの少しだけ、このひとつ年上の王子様を、『おとうと』と呼ぶ未来を想像した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。