16 伯爵令嬢付きメイドのお仕事模様
こんにちは、メアリー・ジョイスです! この苗字、久しぶりに名乗りました。普段はただのメアリーです。平民なので。
あたしみたいな平民が、伯爵家のお嬢様付きのメイドになれるなんて、世の中って不思議なものですねぇ。
あたしの家は、アディンセル領都のアドベリーで髪結いをしてました。お城――領主様のお屋敷は、もともと国境を守る砦だったので、あたしたち領民はお城って呼んでます――に仕える小貴族の奥方や領都で商売をする大店の奥様もお客さんにいて、父はかなり腕のいい髪結い師なんですよ。あたしも、見よう見まねで父の仕事を手伝ったりしていたものです。兄たちがいるので、父の仕事はそのうちの誰かが継ぐと思いますが。
そうして父にくっついて出入りしていた大店の家の奥様が、あたしを気に入ってくれて、お城のメイドになれるように推薦状を書いてくれることになりました。もちろん最下層のランドリーメイドとしての採用でしたが、とってもラッキーなことです。
お城は、領民の女の子たちにとっては憧れの職場です。お給料もいいし、教育もきちんとしてくれるし、お城に出入りする騎士さんやお役人さんと出会えるかもしれませんからね。すいぜんのまと、って言うんですっけ、こういうの。
離れの洗濯場で、朝から晩まで洗濯物ととっくみあうランドリーメイドの仕事は大変でしたが、嬉しいこともありました。
あたし、かわいいものとかきれいなものが、大好きなんです!
父の仕事にくっついて行きたがったのも、きれいな奥様やすてきなドレスが見られるから。
まあ、ランドリーメイドって、ドレスみたいな貴重品の洗濯はしないので、そこは期待外れでしたが、でもさすがお城、わりといいレースのついたリネン類なんかもあって、そういう品を任されるようになりたくて、がんばったものです。裁縫のうまい先輩なんかもいて、繕い物のやり方も教わりました。
それに、ごくたまーにかいま見られる、お城の奥様とお嬢様が、夢のようにきれいでかわいくて。めのほよう、って言うんですっけ、こういうの。
父の仕事場で見たどんな女性より、遠目にみる奥様とお嬢様が、あたしの目にはかがやいて見えました。
すてきな騎士さんやお役人さんなんかより、奥様やお嬢様をちらっとでも見たくて、本館に洗濯物を運ぶ仕事を誰よりやりたがったもんです。
そういう職場に満足して、五、六年ほどがんばったころでしょうか。
あるときいきなり、メイド長に呼び出されました。
びっくりです。あたしみたいな下っ端は、メイド長に会うことすらほとんどないので。何かしでかしたのか、怒られるのか、もしかしてクビか、そりゃもう恐ろしかったもんです。洗濯場では、それなりに認められる仕事ぶりだったと思うんですが……。
でも、呼び出されて話を聞いて、さらにびっくり。
しばらく、お嬢様の近くで働いてほしい、って言うんです。朝の支度の手伝いやお部屋の掃除、ちょっとしたご用聞き。そういう仕事は、もっといいおうちのもっとちゃんとした娘が付けられるものだと思うんですが。
ちょっと疲れた顔のメイド長は言いました。
お嬢様は、ご事情があって、今まで仕えていたメイドたちを付けられなくなった。今、大きく配置換えを行っている。新しく人も入れるだろうが、それまでの間、お嬢様のお世話をする魔力のない娘を探している。
まりょくのないむすめ……確かにあたしは魔力なんてこれっぽっちもないですが。
いいおうちのちゃんとした娘さんたちは、魔力が多少あるものらしいので、平民のあたしが呼ばれたってことでしょうか。
どうやらあたしのことは、洗濯場で監督役をしてたランドリーメイド長が推薦してくれたようでした。
髪結い師の娘だから、少しは上流女性のお世話の心得があるだろうし、本館に向かわせても間違いなど起こさなかった、まじめな仕事ぶりのメイドですって。
自分の生まれと仕事ぶりに、あれほど感謝したことはありません。
やっと間近で見られた、夢のようにかわいいお嬢様は、……でも、ベッドの上での対面になりました。
あのころのお嬢様は、いつも具合いが悪そうで、よく倒れていて、あたしはそりゃあ心配で、必死になって尽くしたものです。
そうしながら、お嬢様の前に出るなら礼儀作法は必要だと始まった、メイド長直々のしごき……いや、作法の指導も、血のにじむ思いで耐えました。口をちゃんと開いてゆっくり「わたし」って言う練習も積みました。油断すると今でもちょっと崩れちゃうんですけど。
おかげで、あたしはみるみる、言葉遣いも、姿勢も仕草もきれいになって、やがて配置換えが終わったあとも、お嬢様が「メアリーにはこのまま側にいて欲しいわ」と仰ったので、おそばに残されました。
それから、もう五年。お可愛かったお嬢様は、すっかり綺麗にお育ちになって、今は王都に出てきました。あたしもそれにくっついて来て、今もお嬢様にこうしてお仕えしています。
真っ黒い、つややかな、少し触れただけで最高のハリとコシが感じられる、お嬢様の髪をくしけずるこの瞬間が、あたしの至福です。髪結いの娘に生まれてよかったなぁほんと。
「メアリー、今日の私、おかしくないかしら」
鏡の前であたしに髪を結われながら、お嬢様がそわそわ今日三回目の質問をしてきます。
「とっても綺麗で可愛いです! これからわたしがもっと最高に綺麗にしちゃいますが」
あたしの軽口に笑うお嬢様は、もうすでに最高かわいい。いえ、これからもっと最高にしちゃいますが。
今日のお嬢様は、夜の劇場でオペラ観劇のご予定です。なんとお城(本物の王都のお城です)の王子様のエスコートです。
なかなか外に出られないお嬢様は、この王子様とご一緒だとどこにでも出かけられるんです。まるで魔法みたい。いや、実際に魔法なんだっけ。目に見えない魔法って、よくわからないですね。
細かいことはともかく、今の、王子様にどきどきして外出にわくわくするお嬢様は、最っ高に可愛いのでもうそれで何もかもがオッケーです。
お嬢様は王子様の話をするときはいつも、姿勢がきれいで素敵、って言います。所作が美しくて洗練されてる、って。あたしの目には、お嬢様の仕草もとても美しいし、お屋敷の旦那様や若様も、堂々として立派なふるまいに見えます。でも、生まれながらの貴族様から見たら、さらに上、というものがあるのかもしれません。あたしが行儀作法を習うようになって初めて、お嬢様の仕草や話し方がどれだけ美しいか、自分にはとてもマネできないって、思い知らされたように。
お嬢様の送り出しをするときに少しだけ見た王子様は、背が高くてめっちゃ足の長い、キリッとしたイケメンでした。そういう感想じゃダメなのかな。ダメなのかもしれません。でもとりあえず、あのイケメンの横に並べるお嬢様のすがたを完成させるのが、今日のあたしの仕事です。
真っ直ぐすぎて結うのが難しいお嬢様の髪を、ゆるくコテをあててせっせと編み込んでいると、
「ねぇメアリー、不思議ね。今まで、装いなんてきちんとして清潔感があればいい、くらいに思っていたけど、あの方の目に自分がどう見えるかは、すごく気になるの……」
なんて頬を染めながら言われます。お嬢様、それは不思議でも何でもない。恋する乙女心ってやつです。
取り寄せた雑誌の、王都で流行りのヘアスタイル図版特集を開きながら、必死で「この髪形を結ってみたいです!」って頼み込むあたしに、「いいわ、メアリーがやってみたいなら、練習台になるわよ」なんて苦笑してたお嬢様。あの、誰に見せるでもないただあたしが楽しいだけだった練習の日々が、やっと報われるときがきました! かんむりょう、って言うんですっけ、こういうの。
「今日のお嬢様のコンセプトは、清楚アンド上品です。つまり、いつものお嬢様で大丈夫です」
本日のお嬢様の装いは、藤色のドレス。濃淡のあるレースが上半身に巻き付けられたようになってからスカートで垂れ下がる、一見複雑な構造ですが、全体的なラインはオーソドックスでシンプルです。オフショルダーではありますが、肩の位置は高めで露出度は控えめ。スカートは少し膨らませました。今の流行りじゃないけど、そっちのほうが小柄なお嬢様に似合うから。
本当は、殿方にアピールするなら、分かりやすく攻撃力の高い武器がひとつ、お嬢様にはあるんですが……ノエリア様との作戦会議で、それはいったん封印となりました。(あたしも、その路線ちょっと嫌だったし)
そう、今日のドレス選びには、先日遊びにいらした王太子妃様が知恵を貸してくれました。あたしが、王子様に会ったこともあるし王太子妃様と話もした、なんて言ったら、故郷の家族はひっくり返るかもしれません。
今の王都の社交界を、身体に沿ってすとんと落ちるストレートラインのドレスが席巻しているのは、何を隠そう、この王太子妃様の影響です。何しろすらりと背が高くてスタイルのいい方なので、体形に沿った流れるようなドレスラインがとにかくお似合いなんですよね。ノエリア様のデビュー以来、貴婦人たちの靴のヒールはどんどん高くなり、必死にダイエットする令嬢が増えました。
お嬢様のような小柄で可愛らしいタイプには逆風です。でも! 流行って、絶対じゃないから!
ドレスは流行よりもお嬢様の良さを重視しつつ、小物やちょっとした細部で、ちゃんと流行を押さえ、劇場という場の意味を汲んでいく。そういう作戦です。
この日まで、あたしは伯爵家とお嬢様のおかげで、もったいないくらい色々勉強させていただきました。お嬢様が「私の代わりに見てきて、話を聞かせて」と仰るから、王太子様の結婚式パレードも見に行ったし、お嬢様が今日初めて足を踏み入れる予定の中央劇場にも、一番安い立ち見席ですが何度か行ったことがあります。雑誌やうわさだけじゃなく、社交界の流行を肌で感じられたそういう機会を、今こそ活かすとき!
もちろん、王太子妃様との作戦会議だけじゃなく、奥様や、奥様の侍女、先輩のメイドがたも、たくさん助けてくれています。奥様は「本当はアイリーンにも侍女や付き添い人をつけておくべきだったんだけど……ごめんなさいね、すっかりそういうことは諦めて放置していたせいで、メアリーに負担をかけるわ」なんて仰いますが、なんのなんの。いずれそういう正しい立場の方が付けられるとしても、今お嬢様を輝かせられるのは、あたしだけ!
結ってまとめたお嬢様の黒髪に、奥様たちと選んだ飾りを挿していきます。花を模したクリスタルやサファイヤ、真珠、小さなちょうちょ。かわいい。中央劇場の大窓には蝶があしらわれてるので、蝶モチーフのものを付けていくのは観劇の定番スタイルなんです。ネックレスとイヤリングは、お嬢様が青系をご所望だったので、サファイヤ……と思ったんですが、奥様がタンザナイトをあしらったものを貸してくださいました。角度によって、青から紺、紫色にも見える、いい石です。
王太子妃様の作り出した流行の中で、宝飾品は、大きな宝石どーん!より、小粒の宝石を活かした繊細な細工のものが増えていて、これはお嬢様にも似合う路線でよかった。(あたしの見るところ、王太子妃様は単に動きやすい格好を好んでいるって気もします)
お嬢様付きのメイドは、こういう高価な品々にも触れるので、誘惑が多い仕事だ、とよく言われます。でもあたしにとっては、どんな綺麗で高価な宝石も、お嬢様を飾るアイテムにしか見えないので、特に欲しいと思えません。実家もあたしも特に生活に困ってないし。父の仕事道具にもキラキラした髪飾りや化粧品なんていくらでもありましたが、子どものころからあたしは、自分がそれを持つより、それをお客さんが付けた姿を見るほうが好きでした。
むしろ、そんなものに手を付けようもんなら即クビになって、お嬢様のこのキラキラした姿に触れられなくなってしまうので、人生の大損失です。絶対やらない。
「ここにこれを入れて……いや、こっちは少し減らして……この角度、この角度もよし、よし……うん! 完璧! 今日のお嬢様は、メアリー超スペシャルです!」
髪を整える間、身体を覆っていたケープを、ばさりと外す。
「まあ……」と化粧鏡を覗き込んだお嬢様が、そわそわと立ち上がって、全身鏡の前へ向かいました。
藤の妖精かと思うような、可憐な立ち姿。妖精姫と言われたという奥様の若いころも、こんなふうだったんでしょうか。
繊細ながらシンプルにまとまった上半身、ふんわり広がるレースのスカートライン、でも複雑な濃淡のついたドレスのどの紫色よりも、お嬢様の瞳の色が美しいです。こうでなくちゃ。
化粧や着付けを手伝ってくれた他のメイドや侍女たちも、仕上がりに満足したように口々に褒めてくれます。
「観劇という場を考えて、髪は基本的にきっちりまとめましたが、左側サイドだけ少し残して、あえてひと房、流してあります。殿方というのは、揺れ動くものをつい目で追ってしまう本能があると聞きますからね。お嬢様は考え事をするときちょっと首を左に傾ける癖がありますから。そういうときに、さらっと、こう、目を惹くはずです!」
「え? そうかしら……」
そう言う間にも、お嬢様が頬に手を当てるようにして小首を傾げる。緩く流した黒髪がそれにつられて揺れて、ネックレスに彩られそれ自体が飾りのような華奢に浮き出た鎖骨のふちで、一瞬わだかまり、軽くはたいた髪粉の粒を光らせながら、するりとほどけて落ちていく。よし。計算通り。
「あ、ほんとだわ。自分では気づかなかった……」
「癖なんてそんなものです。気にせずいつも通りのお嬢様でいてください。それで十分です」
今のを見て、心を動かされない人間がいるとは思えない。え? そうですよね? あたしがお嬢様の髪を好きすぎるせいでそう思うだけじゃないですよね?
ともあれ、長くかかった身支度の戦いも終わり。そろそろ日が落ちる時間です。もうすぐお迎えの王子様が来るでしょう。
あたしはついていけませんが、あたしの全力は、もう込めました。後は、奥様と奥様の侍女が見守ってくれるはずです。
いってらっしゃい、お嬢様。どうかいい夜を。めいいっぱい、楽しんできてくださいね!




