14 王太子妃殿下の婚約事情
何か僕に聞きたいことはある?と輝かしい笑顔で問われて、十七歳のノエリアは気が付くとこう応じていた。
「では、殿下が女性に求めるものが何か、教えていただけますか?」
表面的には穏やかな微笑を保てていたと思うが、ノエリアはこの場にいることがいささか不本意だった。
婚約者を探す年頃になったリシャール王太子殿下。王家から申し入れがあることは当然予想できた。高位貴族の年の釣り合う娘なんてそう多くはない。とりあえず侯爵家以上には一通り声がかかるだろう。
外国からの輿入れ、という線はおそらくない。五十年前の戦争の原因が、大陸中央にあるアラルコン皇国の極端な結婚外交にあったからだ。当時は皇国から皇子や皇女が次々と他国へ縁付き、一時は平和的な国際協定が多く結ばれた。が、結局は大陸中の王家が親戚関係にある状態になり、内政干渉の口実となった。
外交にもトレンドというものがある。戦時の影響から脱し切れていないセムラート王国でも他の多くの国でも、王室の結婚相手は国内から探し、自国の基盤を固めるべき――そういう主張が主流になっている。
であるから、まあ、ルッカート侯爵令嬢である自分に声がかかるのは別にいい。魔法学校でも魔塔でも豊富な魔力量を称えられ、デビュー以来社交界ではその美貌をもてはやされてきた自負もある。
だがノエリアは、父はこの縁談を断ると思っていた。
ノエリアには、やりたいことも、やるべきことも、これからやれそうなことも、たくさんあった。
幼いころから弟とともに領主教育も受けてきたから、弟より向いていると判断されれば婿を迎えて侯爵家を継ぐことも十分あり得ると思っていたし、魔法学校を飛び級で卒業してから入った魔塔では、やっと見習いを脱して正式な研究員になれたところだった。社交界は面倒も多いがやっと渡り方が少し分かってきたところで、気がかりで守ってやりたい従妹もいる。
王太子と結婚なんてしたら、そんなものが全部吹き飛んでしまうだろう。
だからノエリアは、父がすぐにこんな話は白紙にしてくれると思っていた。そんなに簡単に自分を手放すはずがないと。
なのに、『とりあえず一度会うだけは会ってこい』と言われて、王妃陛下のお茶会に放り込まれてしまった。
夜会や祭典で遠目に眺めたことのある王太子は、間近で見ると、空恐ろしいほど整った容姿だった。滴るような青い瞳を柔らかくして微笑まれると、これに我を失う女性もさぞ多いだろうなと思われた。
なにかと評判のいい王子様。王族の軍役義務も果たし、王太子としての実績も積み、欠点もかげりもまるで聞かない。社交界ではほどほどに後腐れのない浮名を流し、されど醜聞には至らず、最近はおそらく婚約者選びに向けて身を慎んでいる……器用で要領のいい王子様、というのがノエリアの印象だ。
まあ、この席でこの笑顔を浴びたい令嬢はいくらでもいることだろう。
だから、お茶会の主催のはずの王妃が席を外し、二人で話をさせられる段になったとき、何か質問はと聞かれて、応えたのだ。
殿下が女性に求めるものは?
見当違いのことを言われたら、それを理由にこの話を断れるだろう。そうでなくても、それならこの令嬢の方が向いていると思いますわ、と他薦することもできる。最近のノエリアは、社交界でそれなりに人脈を得ている。男女問わず向こうから近づいてくるからだけど。
ノエリアの問いかけに、リシャールは面白そうに青い目を丸める。
「僕の女性の好みってこと?」
「……そうですね、それで構いませんわ」
いや、この王子様ちょっとおかしいな、とノエリアは頭の片隅で思った。
好みとか言える立場だろうか。好みであろうとなかろうと、王室の利になる女と結婚して後継者を作るのが役割だろうに。
それとも、好みでない女と結婚したところで側室や愛妾も迎えられる立場だから、むしろそういう風に言えるのかしら。
「そうだなぁ。僕の女性の好みは……」
微笑む口元に軽く当てられた指の形すら、美術品のようだ。(造形の神は贔屓し過ぎね。私が言えたことじゃないけど)
「たおやかで、優しく可憐で、控えめに慎ましく僕を立ててくれる――」
あ、これは破談だな。
冷めた目でそう思ったところで、穏やかな微笑を刻んでいた王太子の口元が、緩くつり上がった。
「そういう女性は、少なくとも我が国で僕にだけは必要ない」
「……は?」
「――ルッカート侯爵令嬢」
彼は、笑顔を深めて指を組み、少し身を乗り出した。それだけで、周囲の空気が変わった。
「僕はね、愛する女性ができて自分の存在意義を確かめられたとか、妻子を守るために仕事をより頑張れるようになったとか、そういう一部男性の価値観を否定しない。我が国の民が、それで生き甲斐や張り合いを得て、よりよく生きられるなら、結構なことだ」
(後から思い出すと、この頃から、話の前置きが長い悪癖は変わらないわね)
「だが、僕に限ってはそんなもの必要ない。ただの一婦女子にそんなもの担保されなくても十分だ。生まれ落ちた瞬間から、この身は王の第一子。生きる意味も、存在価値も、最初から決まっている」
穏やかで美しいはずの微笑に、なぜか凄みが宿る。
なんという強烈な自負。
ある意味傲慢だが、確かに彼だけは国で唯一、これを言って許される。事実だからだ。そしてその事実を、彼はこれまで悠然と背負って生きてきて、実際に立太子された。彼の生きる意味も存在価値もただ一つ、王になることにある。
「いずれ、万戸の民が僕を頼り、千家の臣下が僕を支える。そうなることに、なっている。女性になよやかに頼られたり、慎ましく立てられたり、今更そんな必要どこにもないんだ。だから」
ルッカート侯爵令嬢、と彼は再度、ノエリアを公的な立場で呼んだ。
「僕が女性に求めるものは、自分の隣に立って、ともに国と民を負える資質だ。ともに戦える能力と言ってもいい。僕はね、侯爵令嬢。……きみの、実績と野心を、買っている」
ここでノエリアは初めて、数ある婚約者候補のひとりに過ぎないと思っていた自分が、今、狙い撃ちされたのかもしれないと思い至った。実績とは、十七歳にして国内最高の魔法研究機関に正式採用されたことを言っているのだろう。だが。
「……野心、ですか」
「聞こえが悪ければ、情熱と言い換えようか。言い方は悪いが、きみの身分と美貌なら、もっと楽な生き方もできたはずだ。持って生まれたものだけで十分、多くの人に求められる価値がある。なのに、魔法士になるだけならまだしも、膨大な勉強量が必要な魔塔を目指して、見習い期間も積んで、実際に正研究員になってみせた。これだけならただ研究熱心な勉強の虫かとも思えるが、きみは、身分相応に社交界にも顔を出しているし、侯爵の元で領地経営の勉強もしている」
そんなことまで知られているとは。
「一体、この何でもかんでもやってみる情熱は、どこから来るんだろうね。まるで何かを証明しようとするみたいな」
証明、という言葉が妙に胸を刺した。
確かに、ノエリアには、自身でも持て余すような胸の中の熱がある。
幼い頃に没した体の弱かった母の分もせいいっぱい生きたいとか。気がかりな従妹のために多くの立場や知識が欲しいとか。もっともらしくて綺麗な理由なら、いくつかつけられただろう。それも嘘ではない。だが根本にあるのは、もっと身勝手で自分本位の情動だ。それこそ、『野心』という言葉がふさわしいような。
たぶん、私は。
(……私は、『私』を、証明したい)
自分の今の能力では難しいだろう、ということに挑戦をし、身を振り絞るようにしてそれを達成したとき、初めて感じられる充実感、というものがある。自分はきっと、その感覚の虜なのだ。
もしもっと何か極端な才能がひとつあれば、ノエリアはそれに己を捧げられただろう。例えば絵や音楽のような芸術とか。だが自分は、悲しいかなその点で凡才だ、という自覚がある。なんでもそれなりに優秀にこなせるけれど、歴史に名を遺すような大家にはなれそうにない。だから、なんでもやってみるしかない。やれそうなこと、やってみたいこと、できることは、なんでも。
黙って見つめるノエリアの視線の先で、王太子はゆっくりひとつ、瞬きをした。ルッカート侯爵令嬢、と、三度呼ばれる。
「『王太子妃』の座は、きみにとってもかつてない挑戦になると思う。どう? やってみる気はない?」
(この方は一体、私のことをどの程度調べて、ここに呼んだのかしら)
今更、そんなことが気になってきた。
「そして、この座の挑戦権は、セムラートでは僕だけがあげられる。何しろ一つしかない席だからね」
にっこり優雅に微笑んで言うことが怖い。……まあ、事実だけど。
「きみが、何でもかんでもやってきたことは、全部無駄にならないよ。王子教育として何でもかんでもやらされてきた僕が、保証する。魔塔の研究員も続けて欲しい。ぼくは今後、女性教育の充実と社会進出を政策として取り上げるつもりだから、きみはいい旗頭になる」
「ちょっと待ってください、私はまだお引き受けするとは」
「ただの仮定の条件だよ。きみにこの件を考えてもらうための」
彼が少し首を傾けると、金の髪がきらきらと光の粉を撒きながら流れた。
「どうかな。少しは考えてみてもいい、くらいに思えてきた?」
(私があまり乗り気じゃなかったことまで、分かっていたんだろうな)
そうノエリアが思う間にも、リシャールは話を続けている。
「どうせ王太子の婚約者なんて、議会の審議なんかも経て、決定まで一、二年はかかる。婚姻式までさらに一年、結婚式までもう一年、ってとこかな。時間はたくさんある」
不本意なわだかまりが消えたわけではない。この綺麗な顔の王子様への警戒心は、むしろ増した。
だが、王太子妃、ひいては王妃という座への『挑戦』は、確実にノエリアの心を動かしていた。そして、この座に挑戦できるのは一度きり。
「――わかりました。少し、考えさせてください」
結局ノエリアは、抵抗を諦めて、押し出すようにそう言った。
王太子の笑顔がひときわ明るくなり、組んでいた手が、ぱん、と鳴らされた。そのまま、まるで美術品だと思った指先が、朝日を浴びた蓮の花のようにぱぁっと開く。
「よかった。今はそれだけで十分だ。では、これは個人的なお願いだけど、きみには二年以内に、魔塔の研究室長……とまではいわないから、主任にはなって欲しい」
「……は?」
「婚約が正式に決まると何かと忙しくなるからね。それまでに人を使える立場になっておくほうがいい。時間の融通も利かせやすくなる。頭の固い議員連中も、それなりの立場を築いておけば説得しやすい」
軽やかな笑顔で投げつけられた、最初の『挑戦』のハードルは。
「どうかな? ルッカート侯爵令嬢。……できそう?」
『自分の今の能力では難しいだろう』というレベルを、軽めに超えていた。




